1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.10.10 開会式 君が代演奏 1

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 会場全体を見渡せる後ろの方の席を用意してくれるだなんて、アイツも気が利くな。
 正志は後方のE―90の席で悠々と会場を見下ろしていた。国旗掲揚も終わり、パラパラと空いていた席も埋まってきた。
 正志の握るC―86の席と、なぜだかその隣のC―85の席が空いていて、その空白だけが妙に目立っていた。隣の席のやつはどうしたのだろう、そう思っていたらその空席に、まだ若い女が座った。ボブカットのグラマラスな女だった。
 その女に気をとられているうちに、君が代が流れた。外国の物と比べて、なんと地味なものだろうか。アメリカの華やかなファンファーレを聞いて、正志は悔しくて涙が出たのを覚えている。ああ、この国は、なにもかも及ばない。
 君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
 流れるメロディに、思わず正志は心の中で歌詞を乗せていた。子供の頃に歌わされて、嫌でも音楽が流れれば、自然と言葉が浮かんだ。神妙な顔もちで、このメロディに聞き入る人々の顔を見やる。そのちんたらとしたメロディを、彼らは何を思って聞いているのかは分からなかったが、妙に誇らしげにしているように見えて腹が立った。
 何がそんなに偉いのか。汗水たらして、命さえ張って会場建設に関わった自分や死んだ仲間と違って、何もしていないやつらが。何をそんなに得意げでいられるのだろう。
 その光景は、日本が勝っていたころの、正志の周りの人々の顔を彷彿とさせた。
 すごいわね、負け知らずだわ。この国はきっと勝てる、そうしたらマサ君は、偉い大将様になるのよね。
うれしそうに言った母の声が不意に頭に響いて、正志はかぶりを振った。
 千年も八千年も、小さな岩が大きな石になって苔が生えるくらいに、永遠にこの国が続きますように。
 日本という国が無くなることは回避できたが、けれど敗戦国という言葉が永遠に付きまとう。もはやアメリカの支えなくては立てないくせして、あたかも新たな日本を作り上げたかのような顔をしやがって。右も左もわからない、小さな石ころどものくせに。君が代の演奏に耳を傾ける人々の顔が、歌の歌詞に重なった。
 さざれ石が巌となって。
 まさに今がそうだ。正志は人々で埋め尽くされた会場内を見回した。ただ歓喜に沸く日本人が、いや、日本人だけではない、外国人もわざわざ東洋の小島まではるばるやってきて、各国の選手の活躍を見守っている。そう言ったさざれ石たちが集まっているのがこの場所だ。そして、それらは一つになって、大きな巌になろうとしている。
 あの時と同じだ。日本が勝っていた頃の、華やかなムード。やがて大きな巌は打ち砕かれて、再びさざれ石に戻ってしまうというのに。それもなお、再び大きな岩石へとなることを望むのか。 
そしてそれを俺が、壊して良いものなのだろうか。迷いが正志の中に生まれた。
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