1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.10.8 遠野邸 1

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「き、来たぞ!」
 順次郎の上げた素っ頓狂な声で、木々でさえずっていた鳥たちが一斉に羽ばたいた。
「この白い封筒、間違いない!」
 いつもは郵便配達が来ると使用人がそれを受け取るのだが、前回警察署が爆破されてからというもの、順次郎が朝一番に郵便受けに現れるのがここ一週間の風景となっていた。
 この光景に目を丸くする配達員から封筒を奪うと、順次郎は玄関ホールをぬけて大階段をドタバタと駆け昇り、ダイニング・ルームへと息せき切って現れた。
「ようやく来たんですね!」
「お父様、中身は見られたの?」
 やってきた順次郎に、優雅に朝食を食べていた真理亜とメグが群がった。
 以前に送られたのと同じ、ごく普通の無地の白い封筒だ。一つ違うのは、それが速達で送られてきたことぐらいだろうか。切手の下には、今度はご丁寧に「遠野真理亜さま」と、例の読みづらい文字で書かれていた。
 順次郎が丁寧に封を開くと、やはり汚い字が羅列した白い紙が出てきた。
「『昨晩のニュースは見ていただけただろうか。私は本気だ。金の引き渡し方法についてお伝えする。十月十日、国立競技場での開会式で金を渡せ。金を持ってくるのは娘だ。貴女の大切な人を守りたければ、聖火に火を灯す時までに、会場内のC―85座席に金を持ってこい。秘密をばらされたくなければ、警察には言うんじゃない』……どういうことだ?」
「会場内の座席に、真理亜お嬢様にお金を持って来いって言ってるんですかね。でも、C―85の席だなんて、もうチケットは売り切れてるし……ああ、ジュン君があんなことしなければ、私だって開会式を見に行けたのに!」
 そう言いながら、メグが何とはなしに空の封筒を手に取った。
「それとも、犯人が開会式に招待でもしてくれるんですかね」
 封筒の中を覗き込むと、そこにはまさかの物が入れられていた。
「やだ、本当みたい」
「もしかして、チケットが入ってるのか?」
「え、ええ」
 驚いた顔でメグが中身を順次郎に見せ、そして真理亜に手渡した。そこには確かに、赤と金の円が描かれた、開会式のチケットが入っていた。
「しかし、犯人のやつはどうやってこれを手に入れたんだ?開会式の券なんて、一般人じゃよほど運が良くないと当たらないぞ」
 そう言う順次郎はいわゆる一般人枠ではなく、諸々のコネでちゃっかり数枚チケットを確保しており、それを身内や知人に配っている。
「それよりお父様、ここを見て頂戴」
 真理亜は渡されたチケットを握りしめながら身を乗り出し、父の握る脅迫状を指さした。
「大切な人って誰のことかしら」
「そりゃ、真理亜。お前に決まってる」
「けれどおかしいわ。だって、貴女って書いてあるんだもの」
 そう言って真理亜はその部分を指さした。
「本当だわ。貴方、なら男女問わずに使うけれど、わざわざ女性向けの字を選んでる」
 メグが首を傾げた。「それに、あて名は真理亜様宛になっているし、お金を持ってくるのは娘だなんて、まるで真理亜様を狙うのを諦めて、他に誰か人質でも取ったような言い回しじゃない」
 真理亜は考える。最初はお父様宛に出されていたこの手紙。けれど今回は、あて先が私になっている。犯人は私を狙っていたはずなのに、なぜ私宛で脅迫状を?しかも、大切な人を守りたければ、なんて。
「それに、この秘密って何のことだ?」
 愛想のない白い手紙をじろじろと睨みながら順次郎が言った。
「警察に言うと、誰の秘密がばらされるっていうんだ?」
「まさか、順次郎様、なにか秘密があるんじゃないんですか?」
 にやり、と笑ってメグが言う。するとなにやら慌てた様子で「ないぞ、ないない!神に誓って私にはなにもやましいことなどないぞ!」と順次郎が騒ぎ立てた。
「じゃあ、いったい誰の秘密だって言うんでしょう」
 そこで、不意に嫌な予感が真理亜の全身を駆け抜けた。秘密。誰にも言いたくない、言えないこと。人から気味悪がられるかもしれない、得体の知れない力。
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