1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.9.10 北の丸公園

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 いったいどこで自分の居場所を調べたのだろう。管理会社の人間が露骨に嫌そうな顔で自分を呼び出すものだから、正志は一瞬警察でも来たのかと思って身構えてしまった。
 先日青野が言っていたのは本当で、彼の作った爆弾は金持ちの家の広い敷地の一部を吹き飛ばしてくれた。まさかその件で、と一瞬正志は逃げかけたのだが、やってきたのがこの作業現場には似合わない、チョッキ姿の大月だったものだから正志はほっと一息ついてしまった。
「なんだよ、幽霊でも見たような顔しやがって。顔が真っ青だぞ?」
 そう言いながら大月が煙草を一本正志に勧めた。建設中の武道館の近くには、広い公園がある。監督に暇をもらって、公園のベンチに二人は腰掛けた。すぐ向こうでは男たちが命を削って働いているだなんて思えない、平和な風景がそこには広がっていた。
 正志は勧められた煙草をありがたく受け取って、火を分けてもらう。煙草を吸うのも久しぶりだった。渡された煙草は正志が吸う銘柄のものより洒落て見えた。ピースだなんて、かっこつけやがって。
 加えて大月の持つライターは銀色に輝いていて、なんだかいっそう自分がみじめに思えてきてしまった。
「いや、俺に客なんて珍しいから、驚いただけだ」
「そうかぁ?働きすぎなんじゃないのか?顔色があまり良くないぞ」
 吐かれるセリフとは反対に、大月の表情はさして心配などしていなさそうだった。
「まあ、オリンピックまであとひと月だからな。とにかく急げってうるさいんだ」
 煙を吐きながら正志は返した。働きすぎなのは本当かもしれない。とにかく今まで通りの生活を続けろ、と青野に釘を刺されたのはつい先日のことだ。やっていることがばれたくなかったら、普段と違うことをしないことだ、と。
例えばアンタが急に図書館に行って調べ物をしたり、仕事を休んだりするのは不自然に見える。そこから足がつくことがあるのだと念を押されてしまった。
 だから、自然と活動できるのは仕事後になる。夕方に仕事を終えて、さも飯を食いに行ったりだとか、女を買いに行くような、他の土方の人間と同じようにさりげなく外に出て、そこからようやく行動が出来るのだ。計画の打ち合わせや準備はその短時間でしかできない。自然と削られるのは睡眠時間だ。
 フワァアア、と大きく欠伸をして、正志は突然現れた旧友に聞いた。
「しかしどうしたんだ、急に。なにかあったのか?」
 そう聞きながらも、正志は嫌な予感がぬぐえない。この男が職場にやって来るだなんて、よほど何か急な用事なのだ。それも、知りたくないような。
「ああ。昨日小百合母さんとデートしてきたんだが」
「デート?」
「と言うのは冗談だ」
そう言う割にはつまらなさそうに大月が肩を竦める。「長年あの家を守ってくれていた母さんに、感謝の気持ちを込めてランチを奢ってね」
いちいち回りくどい説明だ。正志は顔をしかめて聞き返す。
「つまり、どういうことなんだ」
「とうとう、あの家が国に回収されることになった。それだけだ」
「……そうか」
「驚かないのか?」
「そりゃあ、驚くさ。でも、もともとそういう話だった」
 平然と返しながらも、正志は内心ひどく落ち込むのを感じていた。
行動に移すのが遅すぎた。そりゃそうだ、なにせオリンピックまであとひと月だ。いかに人手が足りなかろうが、それはやって来る。そして、わずかひと月でも、なんとかしてしまうのがこの国だ。
「ああ、そうだったな」
 返す大月の声も、落ち込んでいるように思えた。しばらく二人の吐く煙草の煙だけが漂って、靄に包まれているような錯覚に陥る。正志は考えた。青野には口止めされているが、この男には計画のことを話した方がいいのだろうか。
 そうだ、協力してもらえば、よりやり易くなるかもしれない。目的は一緒なのだ、今からでも遅くない。とにかく金さえあれば。なんなら新しく白百合の家を建てることだってできるじゃないか。
「けれど、俺は諦めちゃいない」
 呟いて、大月が吸い殻を地面に捨て、靴底で踏みにじる。吐き出される煙の量が減って、緑の茂る公園が再び姿を現した。
「取られたなら奪い返せばいい。あるいは、あれより新しくてピカピカなものを俺たちで作っちまえばいいんだ」
 まさしく自分の考えていたことを悠々と返されてしまって、正志は思わず顔をしかめた。お前が?一体どうやってそれをやるって言うんだ?
「作るったって。結局金がないからどうしようもなかったんだろ」
 つい先ほどまで協力を仰ごうとしていた考えを押し込んで、正志はつい言い返してしまった。まだ成し遂げたわけでもないのに、なんだか手柄を取られた気がしてつまらなかった。
 そうだ、この男はいつもこうだ。大口ばかり叩きやがって。一体お前が何をどうするっているんだ。正志は内心イラついて、煙草を捨てるとそれに八つ当たりするかの如くに踏みつけた。
「お前にどうにかすることが出来るのかよ」
「うまくいけば、な」
 そう言って大月は二本目の煙草を懐から出して火をつけた。正志に二本目は差し出されなかった。
「そうか、じゃあうまくいけばいいな」
 いつもこうだ、思わせぶりなことばかり言って、結局昔だって、一番うまくやれてたのは菅野だ。それをさも自分の手柄かのように見せていたのがコイツだ。
 今回は違う。正志は奥歯を噛んだ。
 成し遂げるのはこの俺だ。こいつの力なんて借りないし、まして菅野の得体のしれない力なんぞ頼るものか。あんなことが出来るだなんて、あいつは俺たちと違う。同じ人間じゃない――。
「俺は仕事に戻る。あんまり抜けてると罰金を取られるんだ」
 正志は立ち上がると、大月の方を見ずに歩いて行った。早くこの場を去ってしまいたかった。
「そうか、せいぜいオリンピックの為に頑張りな」
 その背に大月の声が掛けられた。それは、今の正志には皮肉にしか聞こえなかった。あの家を奪ったオリンピックにお前は加担するのか、そうなじられているような気がした。
 しばらく歩いて大月の視界から消えた頃で、正志は「くそっ」と傍にあったゴミ箱を蹴り飛ばした。中身が飛び散り、周りの人間が不審な目つきで自分を見ているのを感じた。
 けれどそんなことはどうでも良かった。早く自分が何とかしなければ。あんな口ばかりの男の好き勝手にはさせない。あの家を救うのは自分だ。そのためには、選手がどうのこうのだの、人を傷つけたくないだの、甘いことを言っている場合ではない。
 正志はこぶしを握りしめて、忌々しい職場へと重い足を運んだ。
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