1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.9.8 千代田図書館 3

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「手伝う?」
 もはや蕎麦を食うどころではなくなってきた。正志は箸を置き、思わず身を乗り出した。困っているのは確かだ、胡散臭い男には違いないが、使えるモノは何でも使いたかった。
「見た感じ、こう言っちゃあ悪いが、いかにも日雇い労働者のアンタに小難しいものが作れるわけがない。その点俺は優秀なもんでね、爆弾なんて、ちょちょいのちょいさ」
「手伝うだと?目的はなんだ」
「目的は、好奇心かな。それと、俺の作った作品の動作確認をしたいんだよ」
「お前、爆弾を作ってるのか?」
「ああ、趣味でね。なんてあまりおおっぴらに人に言えるような趣味でもないんだが」
 まさに求めていたものだ。正志が用意出来そうにない、けれど計画の為には必ず必要なもの。それをこいつは作れるという。なんという渡りに船なのだろう。
「……お前、名前は?」
「人に聞くときは、まず自分が名乗れって教わらなかったのかな?」
 小ばかにしたように男が煙を正志に向かって吹きかけた。そして、テーブルの隅に重ねられた灰皿に煙草を押し付けると、
「まあいいや、俺は青野淳。草加次郎の大ファンでね、俺も彼みたいに世間に知られる人間になりたいんだ」
 とまるで外国人のように大げさな手振りで言った。
「おい、正気か?草加次郎は犯罪者だろ」
 さっき新聞で読んだ限りでは、ただの愉快犯だという印象しか受けなかった。けれど自分は違う、伊達や酔狂でやるわけではないのだ。けれど青野は、ヘラリと笑ったのちに真顔に戻ると、
「何かを爆発させようってやつが、正義のヒーロー気取りなのか?」
「別に俺は世の中を混乱に陥れたいわけじゃない」
「どの口でそんなことを言うんだか。暴力に頼ったところで、正義はすべて罪に変わることを覚えておいた方がいい」と神経質そうにコツコツと指でテーブルを叩いた。
「その点草加次郎は明確さ。彼の行動には正義などない。そして彼はそれを自覚している。くだらない思想の為に、暴力は必要ない。ところで僕は名乗ったんだ、アンタの名前は?」
 そこで正志は本名を名乗るべきかどうか逡巡した。青野とか言うコイツも、本名を名乗っているか怪しいものだ。
「……神崎正志だ」
「へえ、それ本名?ぜんぜん名は体を表してる感じがしないんだけど」
 青野がケラケラと笑った。何がそんなにおかしいのか、しまいには涙まで流し始めた。テレビに釘づけだった他の客らも、何事かと一瞥をくれたのちに、迷惑とばかりに顔をしかめる。けれどそこまで興味はないのだろう、すぐに客たちは視線を戻した。
 確かに自分らしくない名前だが、まるっきりの偽名というわけではない。これは父方の名前だ。日本が馬鹿みたいにアメリカに挑んで無残に失敗した、戦争の指揮を執っていた軍人の父の姓が神崎だった。矢野の名前は母の旧姓だ。
 戦争が終わって、日本を戦争に導いた軍人らは処刑された。父もその一人だった。母は終戦前に身体を壊して死んでいる。そのほうが良かっただろう、正志は母が羨ましかった。
 死んでしまえば、戦犯の子供となじられ暴力を振られることもない。以来、正志は父の名を捨てて生きている。
「まあいいや、俺とアンタのつながりがバレるといろいろ面倒だからな。本名も知らない他人同士の方が都合がいい。で、アンタは一体爆弾なんてこさえて何を壊すつもりだったんだ?」
 人目も憚らず、青野が事も無げに言った。
「おい、こんな人の多いところで……」
「だからだよ、別に誰も俺たちに興味なんてないさ。静かな図書館で、草加次郎について調べてるのに比べたらな」
 そう言われると返せない。現に青野は、図書館での正志の行動に目を付けて尾けてきたのだ。
「……金が必要なんだ」
「金ねぇ。ギャンブルでスッたのか?」
「そんなんじゃない、俺は」
「誰がどう使おうが、金は金だよ。で、その金をどうにかするために、爆弾が必要だと。面白いじゃないか。一体何を壊そうっていうんだ?」
「……オリンピックだ」
 殊更に低い声で、正志は囁いた。
「は?」
「オリンピックだ。金を寄越さなければ台無しにしてやると、国を相手に金をぶんどる」
「オリンピック!こりゃあドエライことをしようと思ったもんだね。日本中が待ち望んでいるオリンピックを爆破なんて、東京を恐怖に陥れた草加次郎の比じゃない。全国民を敵に回すんだ。最高にイカしてるじゃないか」
 ヒュウ、と口笛まで鳴らして青野は手を叩いた。騒がしい青野に対し、正志は誰かに聞き耳を立てられていたらどうしようとばかりに辺りを見回したが、誰も彼らに興味を示すものはいなかった。
「具体的には何を壊すんだ?国立競技場か?代々木体育館か?いや、そもそも外国人が来られないように飛行機でもぶっ壊してやるか?」
「金を回収できなければ、最終的には開会式を中止させるつもりだ。だからとりあえず、俺が本気なところを見せるために何か壊さなければならない」
「いいねぇ、それで何を壊すって言うんだ」
 そう問われ、正志はあたりを見回してこっそりと男に耳打ちした。
「はあ、なるほどね」納得したのか、青野は腕を組んでウンウンとうなずいている。
「そのほうが目立つだろ、けど俺は人を殺したいわけじゃない」
「お優しいねぇ。だがコロシはしてないのは草加も同じだ。まあ、運よく死人が出なかっただけだが」
「人の出が少ない時間、場所を選べば……」
「ということは、遠隔操作で起動スイッチを入れられるようなものがいいな。ちょうどいいのがある。それを使おう」
 なんだかとんとん拍子に話が進んでいき、正志は不安になってきた。この男、適当に俺に合わせてからかっているだけなんじゃなかろうか。それに、本当に趣味でそんな危ないものを作れるのかも眉唾だ。
「神崎さん、この後はヒマか?」
 急に青野に聞かれて、正志は戸惑った。本来は爆弾の作り方を調べようと思っていた。けれどこの青年が本当に爆弾作りが趣味だというなら、そして協力してくれると言うならば、暇にはなる。
「お前が本当のことを言っているなら、暇だ」
「信用されてないねえ、俺。ならちょうどいい、疑いを晴らしてやろう。ひとつ準備運動だ。金持ちの家でも狙いに行くかい?」
 と言って、彼はカラーテレビを見つめた。
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