1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.9.8 千代田図書館 2

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 室内が涼しかった分、外に出た瞬間熱波に襲われた気がした。いつも外で力仕事をしている正志でさえ、この暑さにはやられてしまいそうだった。なるべく日陰を歩きながら、さて何を食おうかと九段下のあたりをブラブラとしていると、なんだか視線を感じた。気のせいかと思い後ろを振り向くと、そそくさと人の影に隠れる男の姿があった。
 はて、俺を尾けるようなやつがこの世にいるものなのだろうか。
 正志は空腹でぼんやりとし始めた頭で考える。まだ犯行文も出していないし、金の請求もしていない。爆弾の作り方さえ知らない俺のことを、警察がマークするはずがない。
 そう気楽に考えて、正志はふらりと見つけた蕎麦屋に入った。学生の街らしく、このあたりの飯は安くていい。仕事の休憩時間で出される握り飯は二個で五十円。同じ金額で、ここではもり蕎麦に竹輪天くらい付けられる。
 あいにくとクーラーのついていない蒸し暑い店内では、扇風機が嫌々首を振っていた。そのくたびれた家電の上には、まるで神棚のようにカラーテレビが置かれている。
 昼時とあって店内は満席だったが、ちょうど席を立ったサラリーマン風の男と入れ替えに、正志は運よくテレビの見えやすい席に座ることが出来た。テーブルを挟んで、椅子が向い合せになっている席だ。反対側からはテレビを見ることが出来ないので、そこに好き好んで座る客もいない。悠々と一人席を確保した正志は、出された水を一気に飲み干した。
 正志に席を譲った形になった男は、名残惜しそうにテレビを見ていた。もうすぐ一時だ、職場に戻らなければならないのだろう。
 ブラウン管には、リングの上で華麗に戦う長身の男の姿があった。プロレスだ。正志は上の空で注文するとテレビに見入った。そこでは、アメリカで活躍して日本に帰ってきた、ジャイアント馬場が奮闘していた。正志にとって、レスラーたちは子供の頃の憧れだった。同じようにこれを目当てに来た客も多いのか、店内は熱気に包まれている。
 だから正志は気が付かなった。いつの間にか注文した蕎麦が運ばれてきたことも、それを我が物顔で貪っている男がいることにも。
「ああ、うまかった」
 満足そうな声に気付き、ブラウン管から視線を下す。ちょうど馬場が勝利して、両手を天に上げている華々しい場面だった。あたかも自分が勝利したかのような余韻を持って、さて昼飯を頂こうとしたところで、正志はこの惨事に気が付いのだった。
「おい、お前なんてことをしてくれる!」
 驚いたと同時に、怒りが込み上げてきた。思わずカッとなって、正志は目の前の男にこぶしを振り上げた。それを力に任せて降ろそうとしたところで、
「せっかくの蕎麦が伸びちまうって思って、俺は良かれと思って生ぬるくなった麺を食ってやったんだ。大丈夫、アンタの食い分はちゃんと来る」
 と青いポロシャツにメガネ姿のこの男が言うものだから、正志はそれを中空で止めた。
「本当か?」
「ああ、じきに運ばれてくるだろ。それよりアンタ、さっき千代田図書館にいただろ?」
「は?」
 訝しげに返し、正志は男を見回した。この姿、どこかで見たことのあるような。
「おいおい、さっき会ったばかりの人間も忘れちまうのかよ、そんなんじゃ爆弾なんて一生作れないぜ?」
「なぜそれを知っている?」
 警戒心も露わに正志が聞き返したところで、先ほど男が言った通り、正志の注文したのと違わない商品が運ばれてきた。それを確認して、目の前の男は胸ポケットから取り出したピースに火をつける。煙をひと吐きしてから、男はのんびりと続けた。
「まあ、とりあえず食いながらで良いから聞いてくれ。簡単なことだよ、図書館で草加次郎の事件をしらみつぶしに調べていて、挙句爆弾の作り方まで調べ始めやがった。しかも妙にコソコソしてやがる。こいつは何かしでかすんじゃないかって、そう思ってアンタの後をつけてきたってわけさ」
「お前、警察か何かなのか?」
 箸を止めて、正志は男を睨むように言った。
「まさか。俺が警察だったら、アンタが爆弾について調べ始めた段階で逮捕するぜ。なにせオリンピックに向けて、やつらはピリピリしてやがる。外国からの客も呼び寄せる国の一大イベントを、失敗するわけにはいかない。そのために不穏要素は片しておきたいだろ」
「じゃあなんで俺に声を掛けたんだ」
「ちょっと人助けでもしたい気分でね、お困りの様だったら手伝ってやろうかと思ったんだ」 
 そう言って、男は得意げにメガネを持ち上げた。
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