21 / 101
1964.8.31 遠野邸 1
しおりを挟む
あの日から半月ほど。真理亜は忠実に菅野との約束を守っていた。今朝だって順次郎が、「そう言えば真理亜、新幹線はどうだったかい?」と急に思い出したかのように、あの日のことを聞かれたときだって言わなかった。
「なんでも同じ日に、東京駅で火事があったそうじゃないか。まったく、草加の次に火事だなんて。何事もなくて良かったな」
そう言って、父親は読んでいた新聞を折りたたんだ。遠野親子の招待された回転レストランは、草加次郎の仕業だという線が濃厚とニュースでやっていた。まさか自分があの草加の起こした爆破事件に巻き込まれるだなんて夢にも見なかった彼らは、ニュースを聞いて仰天したものだった。
さらに真理亜に至っては、その後東京駅で車両火事にまで出くわしている。まったく運が悪いとしか言えないが、そのおかげで真理亜は菅野に近づけたと言っても過言でない。
例の東京駅の車両火事は結局、架線ショートによる火災で、けれど速やかな初期消火により大事にはならなかったと報道されていた。あの時いた駅員の誰かが、菅野の手柄を横取りしたらしい。もっともそのおかげで、彼の力について変に騒ぎ立てられることもなく済んだのだろうが。
あの時、彼はホームに落ちそうになった私の手を引いて、抱きとめてくれた。
朝食を終えて、家事全般をこなしてくれるメグが食器を片づけている間、ぼんやりと真理亜は思い返していた。
私を抱きしめた菅野さんからは、なんだか落ち着くにおいがしたわ。汗ばんだシャツからは、新品の洋服の匂いと、彼の匂い。そこまで思い出して、真理亜は一人キャーと叫びたい気持ちでいっぱいだった。ここが自分の部屋だったらそうしていたかもしれない。けれど二人の目を気にして、赤らんだ頬に手を当てるだけで精一杯だった。
その後、彼は私を必死に助けてくれた。炎に立ち向かって、吹き飛ばされた私を助けてくれた。それから私の手を握って、一緒に走り回って。
なんだか心臓がどきどきしてきてしまった。けれど結局あれ以来、真理亜は菅野に会えていない。お父様に菅野君はどうだったかねと聞かれたときは、精いっぱいのとてもいい笑顔で「素晴らしい方でしたわ」と答えたにも関わらず、だ。
「そう言えばお父様、菅野さんはその後どうされていますか?」
答えを聞くのが怖いような気もして、深く追及はせずにいた。彼は「また」と言ってくれたじゃない、きっとお仕事で忙しいんだわ。あるいは、お父様に遠慮されているのかしら。
最初のうちこそ、希望はあると踏んでいた。少なくとも嫌われるようなことはなかったはず、約束だってこうしてちゃんと守っている。けれど一週間、二週間と音沙汰がないと、さすがの真理亜も不安になってきた。きっとお父様を通じて、菅野さんから何か連絡があると思っていたのだけれど。
だから八月も終わろうとしているこの日の朝、真理亜はようやく父親に切りだしたのだった。
「なんでも同じ日に、東京駅で火事があったそうじゃないか。まったく、草加の次に火事だなんて。何事もなくて良かったな」
そう言って、父親は読んでいた新聞を折りたたんだ。遠野親子の招待された回転レストランは、草加次郎の仕業だという線が濃厚とニュースでやっていた。まさか自分があの草加の起こした爆破事件に巻き込まれるだなんて夢にも見なかった彼らは、ニュースを聞いて仰天したものだった。
さらに真理亜に至っては、その後東京駅で車両火事にまで出くわしている。まったく運が悪いとしか言えないが、そのおかげで真理亜は菅野に近づけたと言っても過言でない。
例の東京駅の車両火事は結局、架線ショートによる火災で、けれど速やかな初期消火により大事にはならなかったと報道されていた。あの時いた駅員の誰かが、菅野の手柄を横取りしたらしい。もっともそのおかげで、彼の力について変に騒ぎ立てられることもなく済んだのだろうが。
あの時、彼はホームに落ちそうになった私の手を引いて、抱きとめてくれた。
朝食を終えて、家事全般をこなしてくれるメグが食器を片づけている間、ぼんやりと真理亜は思い返していた。
私を抱きしめた菅野さんからは、なんだか落ち着くにおいがしたわ。汗ばんだシャツからは、新品の洋服の匂いと、彼の匂い。そこまで思い出して、真理亜は一人キャーと叫びたい気持ちでいっぱいだった。ここが自分の部屋だったらそうしていたかもしれない。けれど二人の目を気にして、赤らんだ頬に手を当てるだけで精一杯だった。
その後、彼は私を必死に助けてくれた。炎に立ち向かって、吹き飛ばされた私を助けてくれた。それから私の手を握って、一緒に走り回って。
なんだか心臓がどきどきしてきてしまった。けれど結局あれ以来、真理亜は菅野に会えていない。お父様に菅野君はどうだったかねと聞かれたときは、精いっぱいのとてもいい笑顔で「素晴らしい方でしたわ」と答えたにも関わらず、だ。
「そう言えばお父様、菅野さんはその後どうされていますか?」
答えを聞くのが怖いような気もして、深く追及はせずにいた。彼は「また」と言ってくれたじゃない、きっとお仕事で忙しいんだわ。あるいは、お父様に遠慮されているのかしら。
最初のうちこそ、希望はあると踏んでいた。少なくとも嫌われるようなことはなかったはず、約束だってこうしてちゃんと守っている。けれど一週間、二週間と音沙汰がないと、さすがの真理亜も不安になってきた。きっとお父様を通じて、菅野さんから何か連絡があると思っていたのだけれど。
だから八月も終わろうとしているこの日の朝、真理亜はようやく父親に切りだしたのだった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

君に愛は囁けない
しーしび
恋愛
姉が亡くなり、かつて姉の婚約者だったジルベールと婚約したセシル。
彼は社交界で引く手数多の美しい青年で、令嬢たちはこぞって彼に夢中。
愛らしいと噂の公爵令嬢だって彼への好意を隠そうとはしない。
けれど、彼はセシルに愛を囁く事はない。
セシルも彼に愛を囁けない。
だから、セシルは決めた。
*****
※ゆるゆる設定
※誤字脱字を何故か見つけられない病なので、ご容赦ください。努力はします。
※日本語の勘違いもよくあります。方言もよく分かっていない田舎っぺです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる