1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.8.9 中野 4

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「おい、栄二。あんなかっこつけたこと言ったって、どうしようもないんだろう?白百合の家は潰されるのがもう決まってるんだ」
 白百合の家から中野駅への帰り道、矢野が栄二に食ってかかった。
「なんだよ、ここで怒鳴り合ったって仕方がないだなんてスカした態度だったくせに、なにが畳ませなんかさせないだ。一体どうするって言うんだよ」
「どうこうも、本当にあの家をつぶしたくなかったら、金が必要だろうな」
 冷静に口をはさんだのは菅野だった。
「要は子供たちを養うだけの金があればいいんだ。例えば募金を集めるだとか、あるいは署名活動を行って、国や企業からの援助をしてもらうか」
「募金たって、どのくらい集めればいいんだ?百万か?みんなどうせ一円ぐらいしかくれないだろ、どうやって百万人から集めるんだよ」
 矢野がわめくと「百万じゃ、持って半年だろ。それっぽっちじゃ集めるだけ無駄だ」
 と栄二がたしなめる。一時しのぎじゃあ意味がない。もっとたくさんの金が必要だ。
「じゃあ、僕が会社に掛け合ってみる」
 菅野の提案に、矢野が顔を輝かせた。
「会社に?一億くらい出してくれるのか?」
「わからない、けど社長は優しそうな人だし、今度パーティーにも呼んでもらったんだ」
「パーティー?」
 矢野が驚いたように繰り返した。
「パーティーだなんて、電機会社務めはさすがに違うな。ずいぶん羽振りがよさそうじゃないか。それなら金も用意してもらえるかもしれないな」
 昔から矢野はこうだった。単純に喜ぶ矢野を見て、栄二は舌打ちをした。あの坊ちゃんは育ちがいいんだか悪いんだか、すぐに素直に信じて、すべてがうまくいくと思ってしまう。その実、底辺の職にしかありつけず、働けど貧しい生活を強いられているというのに。
「そんな、社長に媚び売るようなことなんざしなくても、お前ならどうとでもできるじゃないか、菅野」
 哀れな矢野から視線を外し、栄二は妙案を思いついた。そうだ、コイツを使えば――。
「え?」
「無いなら奪えばいいじゃないか、昔はよくやってただろ?」
「それは……あれは、仕方なくじゃないか」
 ぼさぼさ頭がうつむいた。「そうしなくちゃ、僕たちは生きていけなかったから」
「今がその仕方ないときだろ。富は平等にだ、それが俺たちの信念だろ。俺たちの家が無くなってもいいのかよ」
「それとこれとは話が別だろ」
 頑なに菅野は過去を否定しようとしているように栄二には見えた。せっかくあんなすばらしい力があるというのに、なんてもったいないのだろう。
「せっかく持って生まれた力なんだ、使えばいいじゃないか。財閥解体なんて言ったところで、この国が平等になったか?何が天は人の下に人を作らず、だ。結局あくどい金持ちは金持ちのままだ。そのくせ善意で金を使う人間を苦しめる。そんなやつらから、正しく金を使うために回収するだけだろ、世の為人のために、な」
「力って……あれのことか?」
 小声で口を矢野がはさんだ。きょろきょろと目を動かすと、誰かに盗み聞きでもされていないかどうか確かめるように左右に頭を振りかぶった。幸い住宅街の小道には、呑気に塀の上であくびをしている猫ぐらいしかいなかった。
「力のことはもう何も言うなって、英紀は言ってたじゃないか」
「隠すこともないじゃないか。神から授かった、素晴らしい力なんだから」
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