1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.8.15 銀座 2

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 タクシーを降りて少し歩いただけで汗ばんでしまった。アスファルトの反射が、真理亜の背に汗を流させる。早く涼しいところに逃げたかった。以前より少し大きくなった松屋の店内に足を踏み入れると、生き返ったような気がした。
 とりあえず真理亜の元に飛んできた店員に菅野を押し付け、今風のファッションをオーダーする。すると店員がああでもない、こうでもないと菅野をマネキンよろしくいじくり始めた。
 これじゃあ時間がかかりそうだわ。そう判断して、真理亜は菅野を置いて婦人服のフロアに移動する。大きな襟のついたヴィヴィットイエローに水玉のワンピースが目についたので試着した。前にメグさんがこういうのを着ていて、ひどくかっこよかったのを覚えている。
 あいにくメグほどスタイルの良くない真理亜には胸元とお尻のあたりが少し大きいような気もしたが、店員は手放しでほめてくれたので良しとする。お父様からは好きなように使いなさいと、デート分の費用をもらった。これも必要経費だわ。デートって言うくらいなんだから、うんとおめかししないと。
 せっかくだからと新たなファッションに着替えると、いっぺんに夏らしい格好になった。それまで着ていたものを店員に自宅まで送るよう言づけて、菅野を放り出した紳士フロアに真理亜は戻る。そこには、ペンギンマークがかわいらしい涼しげなポロシャツに、バミューダパンツの姿でおろおろしている菅野の姿があった。
「ちょ、ちょっと……この格好は若すぎやしないかい?」
「そんなことないわ、とっても似合ってる」
 事実、それらは想像以上に菅野に似合っていて、いつもこんな格好をしてるんじゃないかと思うほどに馴染んでいた。
「そうかな。……真理亜さんも見違えるようですね、さっきの格好も上品でよかったけれど、こっちの方が良く似合ってる。まるで青空に咲く向日葵みたいです」
 菅野にもほめられて、真理亜は一層気分が良くなった。初めは父にあてがわれて不本意ながらのデートだったけれど、案外この人は思っていたより素敵なのかもしれない。真理亜は思わず、ガラスから身を守ってくれた暖かい腕を思い出していた。
 お次はボサボサの髪の毛だ。同じフロアに美容院があったので、やはりここでも流行りの髪型を、とオーダーすれば、まるでファッション雑誌から飛び出てきたかのような、爽やかな好青年がそこに現れた。
「やっぱり、思った通りだわ!菅野さん、ちゃんとしてればカッコいいじゃないの。とてもおじさんになんて見えないわよ」
 こうやってそれらしい格好をすると、なんだかそんな気分になってくるから不思議だ。
    少し浮かれた気分で、真理亜は菅野とともに銀座の街並みをぶらぶらと歩いていく。ニューオータニのレストランには遠く及ばないが、数寄屋橋の不二家レストランに連れて行くと、菅野はひどくおいしそうにチキンソテーを頬張っていた。嬉しくなって自分と菅野のぶんのクリームソーダを追加で注文すると、アイスクリームの乗ったそれを菅野は飲んだことがなかったらしく、物珍しそうにストローを吸っている。
「なんだかすごい色をしてるけど、甘くておいしいんですね」
「菅野さん、メロンソーダはお飲みにならないの?」
「あまり、舶来のものは詳しくないんです。いつもは緑茶ばかりで」
「まあ、まだお若いのにおじいちゃんみたいなのね」
「はは、真理亜さんから見たら、そう見えるでしょうね」
 けれどそう返す菅野の姿は、格好が変わったこともあいまって、とても若々しく見えた。
 やっぱり私の見立ては間違いじゃなかったみたい。いつもは自分の珍しい色の瞳に向けられている視線が、今は菅野の方を向いているような気がした。そのくらい、真理亜には菅野がかっこよく見えたのだ。とてもさっきまで、ボサボサの頭でオドオドしていた人とは同じには見えなかった。
「はあ、ごちそうさまでした。こんなおいしいものをご馳走していただいて、しかも服まで新しいものを買っていただいて。今日は本当にありがとうございました」
 遅めのランチを終えると、菅野が深々と頭を下げた。
「そんな、こちらこそ。父がご迷惑をお掛けしてしまって」
「迷惑だなんてとんでもない!とても楽しい思い出が出来ました。今まで僕が生きてきたのとは、全然違う世界を旅した気分です」
「旅だなんて大げさだわ。ここは東京よ?そうだわ菅野さん、思い出ついでに、もう一か所行きませんか?」
 まだ三時過ぎだ、外は爛々と明るく輝いている。なんだかこのまま家に帰るのももったいない気がした。せっかくの土曜日だ、街中は半ドンした会社員や学生らでにぎわっている。そんな中、ここで解散というのも味気ないではないか。
「はあ、もう一か所、ですか?」
「そう、本当は眺めの良い場所でランチ出来たはずなんですもの。どこか眺めの良い場所に行きません?」
「と言われても……僕はもう十分満足ですよ」
 けれど菅野は、はしゃいだ真理亜に気がつかないのかつれない素振りだ。
「ニューオータニより高い場所があるじゃない。菅野さん、東京タワーは登られたことあります?」
「東京タワーですか?」
 そう返す菅野の声が、少し弾んでいるように聞こえたのは気のせいだろうか。完成からすでに三年近くが経とうとしているものの、東京タワーは日本人なら誰しも憧れる場所のはずだ。
「いえ、ないですね。テレビ開発に携わってるくせに、電波塔には登ったことがないんです」
「どうせお父様が出してくださるんですもの。普段父にこき使われていらっしゃるんだろうし、羽を伸ばしたって文句は言われないと思うんです」
 ね、どうですか?と真理亜が勧めると、「電波塔に興味がないわけではないのですが……」とどうにも歯切れが悪い。
「どういう仕組みで電波を発信してるのだとか、確認に行きたいとは思うのですが。どうにも高いところが苦手で……」
 それなら危うく落下しかけたニューオータニの回転レストランも、さぞかし肝の冷える思いをしたのだろう。そう言われてしまうと無理に連れて行くことも出来ず、「そうですか、それは残念だわ」と真理亜は引き下がるしかできなかった。
 せっかくデートっぽくなってきたというのに、これで終わりだなんて。落ち込む真理亜の耳が、隣りのテーブルの楽しそうなアベックの会話を拾った。東京駅、新幹線。
 真理亜は良いことを聞いたとばかりに、笑顔を浮かべて菅野に言った。
「じゃあ菅野さん、東京駅に行きませんか?」
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