1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.8.15 ニューオータニ 1

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 ニューオータニのレストランでパーティーがあるんだ、と父の順次郎に誘われて、遠野真理亜はお気に入りのワンピースに着替えるとタクシーに乗り込んだ。
 松濤にある遠野家のお屋敷から、タクシーは山手通りを抜けて交差点を右折する。しばらくすると左右には緑が生い茂り、その先には端午の節句に飾る飾り兜の角のような、大きなでっぱりが青空に生えてきた。
「ああ、立派なもんだねぇ。ほら代々木体育館だよ」
 そう言う順次郎はご機嫌なのか、わざわざタクシーの窓を開け、流れる外の景色をニコニコしながら眺めている。あっという間に景色は流れ、明治通りから外苑通りへと抜けていく風景をチラと横目で見ながら、
「代々木じゃなくて、私は東京体育館でやる体操を見たいわ」と、真理亜は窓から吹き込む風に閉口しながら答えた。
 愛娘の不機嫌に気が付いたのか、「いやあしかし、どうにも外は埃っぽくてかなわんね」とブツブツ言いながら順次郎が窓を閉める。どこもかしこが工事中で、地面をほじくりまわしているせいで世界が黄味かかって見える。だが、これも秋が来るまでの辛抱だ。
 十月十日が来れば、すべてが変わる。国中が、来るオリンピックの方を向いていた。ピカピカに新しくて素晴らしい東京を、世界中にお披露目するのだ。そのためには、多少の犠牲も厭わない。
「しかし、せめて雨が降ってくれればなぁ」
 嫌味なほどに晴れ上がった空を見上げ、恨めしそうに順次郎が呻いた。
「そりゃそうよ、だってここは東京砂漠ですもの。お父様のところの競泳の方たち、ちゃんと練習できてらっしゃるの?」
 この夏、東京は稀にみる水不足だった。知ったかぶって真理亜が澄まして答えると、
「なに、水はあるところにはあるんだよ」と、こともなげに返されてしまった。
 羊羹の表面みたいにつるつるとならされた青山通りを車は走って行く。その上に悠々と跨ってきた首都高速。その下を潜りお堀を渡るとすぐに、開いて立てた辞書の上にお皿を乗せたような、変わったデザインの建物が見えた。開業間近のニューオータニだ。見上げればゆっくりではあるが、確かにお皿の部分がまわっている。東洋一の回転レストランだ。
 タクシーから降りると、恭しくボーイが迎えにやってきた。案内されるままにガラス張りのエントランスを抜けて、エレベーターホールへと向かう。
 時刻は十一時半。ホールはランチに招待された客たちであふれていて、彼らは皆一様に着飾っている。真理亜は若干気後れを感じた。まるで外国人みたいに鼻筋の通った女性と、雑誌から飛び出たかのような好青年のカップル。スマートで長い手足を、質の良さそうなスーツで包んだ紳士。
 お父様と私とじゃあ、他のお客さんみたいにはいかないわ。
    真理亜は人知れずため息をついた。父の順次郎は、身体は狸みたいにでっぷりしているのに、顔が狐顔でひどくちぐはぐだ。とてもやり手の社長には見えない。一方真理亜のほうは、父親に似て狐顔でちっともかわいくない。真理亜は自分の顔が好きではなかった。
 エレベーターに乗ると、そこは一面ピカピカの鏡張りだった。真理亜は鏡を睨む。そこには、格子柄のワンピースを着た、青い目を吊り上げた女の子が映っている。もうちょっとおっとりした顔つきでこの瞳がきれいな黒だったなら、吉永小百合みたいになれたかもしれないのに。
 チン、と軽快な音を立て、エレベーターが最上階で止まった。澄ましたエレベータガールが扉を押さえ、招待客らを吐き出す。外に出るや否や、人々から感嘆の声が上がる。壁一面が窓で、広く景色が臨める。まるで空にいるみたいだった。
「さ、こっちだよ真理亜」
 案内されたテーブルにはすでに先客がいた。少なくとも自分よりは年上のような、けれど父よりは明らかに若い男性。三十代くらいなのだろうか。あか抜けない印象なので老けて見えるが、本当はもっと若いのかもしれない。
    座っていてもわかるひょろりとした体型で、手足が長いのか、あるいはジャケットの袖が短いのか、手首からはシャツがだいぶはみ出てしまっていた。太めの眉の下の目は、落ち着かないのか始終キョロキョロとしている。髪の毛も寝癖なのかボサボサだ。
 残念だわ。失礼だとは思いつつ、真理亜はまじまじと相手の顔を見てそう思った。顔つきは悪くない。例えば流行りのアイビーカットみたいに髪を整えて堂々としていれば、人気のアイドルみたいになれそうなのに。
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