丸藤さんは推理したい

鷲野ユキ

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帰る道

帰る道-11

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「最初から」
僕に掛けられた最初の言葉は、そんなものだった。

「君は答えを知っていた」

探偵は、僕をちらりと見ると静かに言った。
「認めたくなかっただけだ」

彼の視線から逃れるように僕はうつむく。認めなければ、いないのと同じだ。それこそ、幽霊と同じように。
長い一週間がようやく終わって、僕は事務所の扉を叩いた。カラン、と静かにベルが鳴って、妙に大人しいミサキに迎え入れられた。その時からわかっていた。
彼らが、真相にたどり着いたことを。

彼らの目に……ああ、僕は、そう映っているのか。

「一応、証拠は押さえている」
丸藤さんが、小さなメモリーカードを掲げた。

「このなかに、君や君の祖母を脅かした犯人が映っている」
勝手ながら、家の前にカメラを仕掛けさせてもらった。探偵は短く言った。
「カメラなんて、どこに?」
そう問いかけて、僕は思い出した。闇の中で、何かが赤く光っていた。あれが?
「そうだ。なかなか大変だったみたいだが」

ちらり、と丸藤さんがミサキに視線を寄越す。ミサキの方と言えば、少し不服そうに頬を膨らませていた。どうやら設置したのは彼らしい。
マンションの二階。そこに向かい合う木に、どうやって設置したのだろう。木をよじ登ったとでも?マンションからは少し離れているから、それくらいしか方法は思いつかない。

「その映像がこの中に記録されている。やはり、人間の仕業だった」
丸藤さんの言葉に、僕は蝉さながらに木にしがみつく長髪男のイメージを振り払った。

犯人は、化け物ではない。
人間。僕と、同じ。

「そして君は、そいつに心当たりがある」

アレは人間ではあるのだろう。けれど僕にとっては……アレを、ヒトと認めたくはなかった。
「……やっぱり、アイツが?」

祖母にまで被害が及ぶのだけは、絶対に避けたかった。屈託のないばあちゃんの笑顔を思い出す。詳しい話も聞かずに、自分たちを受け入れてくれた祖母。聞きたいことはいっぱいあっただろうに。
だというのに、いったいどうやって、アイツはここまでたどり着いたのか。僕はぞっとした。だから、わざわざ家まで借りたのに。

それとも……アイツはずっと祖母の家に……母の実家に、潜んでいた?
その執念が、僕を震えさせる。なぜ、そこまで。僕らのことが嫌いだから、あんなことしたんじゃないのか?それを、なぜ。

「これがあれば、警察に引き渡すこともできると思うが」
静かに探偵が言った。それに対し、僕は静かに首を振った。
「それじゃ、駄目なんです」

そうだ、それでは駄目なのだ。とりあえず話は聞いてもらえるだろう。けれど、それだけだ。むしろ、状況を悪化させてしまうかもしれない。僕は拳を握った。
いや、すでに手遅れなのかもしれなかった。しつこいアイツが最初に現れて以来、姿を現さないのも不気味だった。何か、企んでいるのかもしれない。僕らを苦しめるためだけに、生きているような存在。呪いや幽霊の方が、よほどヒトより近い存在。

「……言っただろう、犯人さえ特定できれば、俺はどうとでも出来る」
身体を強張らせる僕に、丸藤さんが少し考えるように口を開いた。
「あまりやりたくはないが、立件するのが難しいのなら、やらないこともない」

やはり遠回しな言い方。困惑してミサキの方を見ると、彼はぱちりとウインクしてみせた。、最後は必ず犯人を見つけて、懲らしめてやるんだから。そう息巻いていた時と同じ表情。懲らしめるったって、どうやって?
「どうとでも、って。どうするんです?」
その意図がわからなくて、僕は聞き返す。
「犯人を、どうするっていうんです」

「具体的に言えば、犯人を、苦しめることができる」
丸藤さんが腕を組む。眉をしかめているあたり、彼自身あまりやりたくはないのかもしれない。と言うことは。
「……気持ちはありがたいですが、私刑は犯罪だって、僕だって知ってます」
いわゆるリンチと言うやつだ。正義が何かがわからない奴らが、ストレスのはけ口に使う言葉。それがいけないのは僕にだってわかる。けれど、本当に悪い奴に対してその力を行使できないのはもどかしい。そもそも。
「それに、アイツに逆にやられちゃうかもしれない」

悔しいが、なぜか僕たちはアイツに敵わない。別に相手はプロボクサーだとか、身体を鍛えているわけでもない。それでも、僕らは敵わない。そのことがひどく悔しい。

僕に力があれば。

「もちろん、直接暴力を振るうだなんてことはしないさ」
憤る僕をよそに、丸藤さんが肩をすくめた。
「さらに細かく言えば、俺は犯人に、激しい腹痛を引き起こすことが出来る」
「……は?」

なんだ、そのピンポイントな力は。この意外な答えに僕は脱力する。腹痛って。なにか、毒でも盛ったのか?じゃなきゃ、そんなこと。
「中世じゃあるまいし、異物を取り込んだことなど検査すればすぐにわかる」
まるで僕の思考を読みったわけでもないだろうけれど、探偵は大げさにため息をついてみせた。「今頃犯人は、病院に入院してることだろう」と。

「入院?」
「君たちのところにも連絡が行ったんじゃないかな。他に頼るものがいないから、あの男は君たちに執着する」
それこそ化け物のように。彼は憐れむように言った。
「そういえば、こないだ。母の携帯に」
あれは、その連絡だったのだろうか。

「どんなに忌み嫌おうとも、戸籍上はそうなっているのだから仕方がない。病院の人間は、とにかく連絡のつく人間に電話するしかないからな」
君の母親、つまり妻に。そう丸藤さんはぼそりと言った。
君にとっての父親だ、とも。

「父親……だなんて、思いたくありません、あんなやつ」
僕の口から飛び出た声はひどく重く、苦しげだった。あれはそんなものじゃない。同級生が言うそれと、明らかに違うもの。なんで、僕だけ。
静かに震える僕の頭に、ポンと何かが乗った。冷たい丸藤さんの手。
それが、僕を落ち着かせる。
 
「もう怯える必要はない」
手を僕の頭から降ろして、彼はどさりとソファに座りなおした。そして、
「今頃、医者も匙を投げる原因不明の腹痛に苦しめられているだろう」
と探偵は笑った。とても楽しそうな、心の底から湧き上がる感情を隠そうともしない顔だった。こんな表情が出来る人だったのか。

それとも、普段は意図的に隠しているのだろうか。ちらりとミサキを盗み見ると、彼は目を細めている。この表情を僕はどこかで見たことがある。けれど、どこで見たかを思い出せない。

「君が望む正義は、これで合ってるんだろう?」
丸藤さんが優しくほほ笑む。その笑顔が、却って僕には不気味だった。

けれど今の僕は、彼と同じような表情をしていたのかもしれない。いくら警察に相談しようとも、どれだけ実害があろうとも、いかに苦しめられようとも、『家族なんだから』の一言で片されてしまう。
家族、と言う言葉が、どれだけ嫌いになってしまったか。

きっとそれは本来とても幸せで素晴らしいものなのだろう、話し合えばそれで済むと、正しい『家族』を知る彼らに諭されて、僕はわからなくなってしまった。この世は、答えはいつも一つなのだと、僕は萎縮してしまった。きっと僕が間違っているのだと。
僕は、間違っている。誤りの道を歩んでいる。そうやって何が正しいのかわからないまま生きて、道を踏み外してしまうのかもしれない。

けれど化け物にいくら語り掛けようとも、人間の言葉は通じない。
獣や言葉の通じぬものには、鞭を与えるしかない。だってそうする他にないのだから。
多分それが、一番正しい。

「何が正しいかなんて、わかる人間は今の今まで誰もいないの」
それまで静かだったミサキが口を開いた。
「たぶん、神様だって」
そうも呟いて、彼は壁にもたれかかる。
「獣には獣の言葉がある。人でないものにも言い分がある。それが正しいかどうかを決めるのは、本当に大変なことなの」

「そうなのかもしれません。でも……アイツは」
「あの男にも、なにか理由はあったのかもしれない」
カツン、と探偵がテーブルを叩いた。硬い音があたりに響く。

「もちろん調べたさ。幼少期に親が離婚しただとか、いじめられていただとか、仕事がうまくいってなかっただとか、まあ理由にしようと思えばいくらでも、理由が作れるような人生を送ってはいたようだが」
そこまで言って、丸藤さんが脚を組む。そんなことがあの人にあっただなんて、僕は知らなかった。確かに、父方に祖父はいなかった気がする。仕事がつまらなくて、誰も俺を認めてくれないと騒いでいた。
僕は奥歯をかみしめる。けれど、そんなものは。

「それらは、自分の妻や子供を迫害していい理由にはならない」
きっぱりと、探偵は言い切った。
「似たような人生を送っている人間すべてが、悪行に走るわけではない。まっとうに生きている人間がほとんどだ」
ソファに座る丸藤の隣にいつの間にかミサキがちょこんと腰かけて、「そうそう」と相槌を打つ。それに気を良くしたのか、
「それがあのような男のせいで、こういう人間はすぐに短絡的な行為に走るとレッテルを貼られてしまう。あるいは、それを免罪符に、暴力に訴えようとするものが出てくる」
と彼は大げさに肩をすくめてみせた。

「だから、しかるべき罰を与える方がいいと、判断した。警察に相談しても、家庭内のことだからと取り合ってもらえないのなら、俺が罰するしかない」
「それで、アイツを苦しめたっていうんですか?その、お腹を痛くさせて」
この人が、ここまで僕のことを考えてくれただなんて意外だったしうれしかった。子供だとあしらうようなこともしなかった。けれど、それでもわからない。

犯人の腹を痛めるとか。しかも、入院しなきゃならないほどだなんて。それは、どこまで本当なのだろう。

「ランちゃん、説明してもあまり伝わってないみたいよ」
僕の顔をちらりと見て、ミサキが言う。
「それより、見せた方が早いんじゃない?」
その言葉を受けて、しばらくしてからめんどくさそうに丸藤さんが口を開いた。

「……じゃあ行ってやろうか、見舞いにでも」
「見舞い?」
「まあ君が行ったところで、さらに苦しむだけなんだがな」
そう言って、彼はニヤリと笑った。
「君たちに恐怖を与えた代償だ。もう君らに近づけないように、近づけば近づくほど苦しむようにしてやった」

まあ、死ぬことはないだろうさ。そう呟いて、探偵は重いドアを押し開けた。
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