63 / 77
業火4
しおりを挟む
「嘘でしょ……?」
華ちゃんの勢いがみるみる薄れていくのが手に取るようにわかった。なにせ、犯人が分かった瞬間に、その犯人を失ってしまっていたのだから。
湯布院さんは包丁を両手で握っていた。けれどその刃先はこちらを向いておらず、自身の方を向いていた。だらりとした手に握られた刃先は血にまみれ、置かれた腹の上を汚している。そして、倒れた湯布院さんの首元から流れ出た夥しい血。ふかふかの絨毯でも吸いきれなかったのか、首元に黒い塊となって溢れていた。
「これって……」
華ちゃんがきっと口を結ぶと、静かに切られたのとは反対側の首元に手をやる。
「……だめだわ、亡くなってる。亡くなってから一時間以内くらいに見えるけど、部屋が暖かいからもっと前なのかも」
暖炉では煌々と炎が燃えていて、さらには石油ストーブまで燃えている。入った瞬間に軽く汗ばんだくらいだった。もしかしなくても、茉緒さんを燃やしたのはこの石油だったのかもしれない。
「これって、自殺……なのか?」
初めて見る死体に気分を悪くした鶴野さんに付き添い、寿社長らには会議室に戻っててもらうことにした。社だっていくら三回目だからってジロジロと見たいものではなかったが、その社が疑ってかかっていた容疑者が死亡したとあっては、その死因を特定しなければなるまい。
「自分で包丁握りしめてるけど……自分で首をかき切ったってこと?」
「どうだろ。切り口は、確かに刃を引いて出来たものみたいだけど」
首に向かって刃を押し切っていたなら、切り口の始めがもっと肉がえぐれているはずだ、という。それを聞いて社は気持ち悪くなってきた。けれど馬虎さんの時に全て吐き出してしまったのか、せりあがってくるのは酸っぱい胃液のみだった。
「……ごめん、ちょっと口をゆすいでくる」
そう言い残し黄水晶の間から、ホールに近い馴染みのトイレへと駆けこむ。途中馬虎さんの部屋を通り越して社は複雑な気持ちになった。まさかまた同じトイレで、吐き気を誤魔化しに来る羽目になるとは。
蛇口をひねり、水を流す。その水を手で掬おうとして社は気が付いた。洗面台の内側の一部に、少し赤みがかった水滴が付いている。
「……こんなの、さっき来た時あったっけ」
そもそもの便器の数も少ないトイレだ。それに比例して、洗面台も2台しかない。馬虎さんが亡くなった時、慌てて駆けこんだ社は手前の洗面台で口をゆすいだ記憶がある。今回も同じ場所のはずだ、わざわざ奥を使う理由もない。ならばこれは、その後誰かが何かを洗った時に付いたもののはずだ。
「まさか、血じゃないよな」
洗面台から飛びずさり、社は慌てて黄水晶の間に戻った。そこでは、まるで馬虎さんの時のデジャヴのように華ちゃんが現場を漁っていた。
「現場をそんないじくって大丈夫なのかよ」
「大丈夫、馬虎さん以外の現場はスマホで写真撮ってあるから。あとで佐倉さんのスマホからデータ貰わなきゃ」
「まだ意識が戻ってないのに、勝手にそんなことして怒られない?」
「今はプライバシーがどうのって言ってる場合じゃないでしょ。それに私たちだって疑われた時に勝手に荷物漁られたんだから」
と彼女は未だに犯人に疑われたことを根に持っているらしい。
「それにしたってこの部屋、暑すぎだろ」
社はその熱源のスイッチを切った。「これ、どこから持ってきたんだ?」
「そう言えば、寿社長の部屋の石油ストーブが無くなったって」
「これがそうなのか?」
「どうだろ、もう一台あったのかもだけど。それより見て社くん、これ」
そう言われた先にあったのは、先のシャンデリア落下の時に傷ついたノートパソコンだった。
「これ、まだ壊れてなかったんだ」
「そうみたい。で、これ。もしかして遺書かな」
激しい損傷で見づらくなった液晶画面にはwordが立ち上がっていた。そして、そこに打たれていたのは『目的は果たした、捕まる前に自害を選ぶ』の文字。
「目的って、馬虎さんと誠一さん、茉緒さんと佐倉さん殺害のこと?」
「そうかも」
そう答えながらも社は違和感を拭えない。意識が戻らないながらも佐倉さんは命を取り留めている。本当に〈殺す〉という目的を果たしたかったならば、目標の死をきちんと確認してから自殺するのではないか。
華ちゃんの勢いがみるみる薄れていくのが手に取るようにわかった。なにせ、犯人が分かった瞬間に、その犯人を失ってしまっていたのだから。
湯布院さんは包丁を両手で握っていた。けれどその刃先はこちらを向いておらず、自身の方を向いていた。だらりとした手に握られた刃先は血にまみれ、置かれた腹の上を汚している。そして、倒れた湯布院さんの首元から流れ出た夥しい血。ふかふかの絨毯でも吸いきれなかったのか、首元に黒い塊となって溢れていた。
「これって……」
華ちゃんがきっと口を結ぶと、静かに切られたのとは反対側の首元に手をやる。
「……だめだわ、亡くなってる。亡くなってから一時間以内くらいに見えるけど、部屋が暖かいからもっと前なのかも」
暖炉では煌々と炎が燃えていて、さらには石油ストーブまで燃えている。入った瞬間に軽く汗ばんだくらいだった。もしかしなくても、茉緒さんを燃やしたのはこの石油だったのかもしれない。
「これって、自殺……なのか?」
初めて見る死体に気分を悪くした鶴野さんに付き添い、寿社長らには会議室に戻っててもらうことにした。社だっていくら三回目だからってジロジロと見たいものではなかったが、その社が疑ってかかっていた容疑者が死亡したとあっては、その死因を特定しなければなるまい。
「自分で包丁握りしめてるけど……自分で首をかき切ったってこと?」
「どうだろ。切り口は、確かに刃を引いて出来たものみたいだけど」
首に向かって刃を押し切っていたなら、切り口の始めがもっと肉がえぐれているはずだ、という。それを聞いて社は気持ち悪くなってきた。けれど馬虎さんの時に全て吐き出してしまったのか、せりあがってくるのは酸っぱい胃液のみだった。
「……ごめん、ちょっと口をゆすいでくる」
そう言い残し黄水晶の間から、ホールに近い馴染みのトイレへと駆けこむ。途中馬虎さんの部屋を通り越して社は複雑な気持ちになった。まさかまた同じトイレで、吐き気を誤魔化しに来る羽目になるとは。
蛇口をひねり、水を流す。その水を手で掬おうとして社は気が付いた。洗面台の内側の一部に、少し赤みがかった水滴が付いている。
「……こんなの、さっき来た時あったっけ」
そもそもの便器の数も少ないトイレだ。それに比例して、洗面台も2台しかない。馬虎さんが亡くなった時、慌てて駆けこんだ社は手前の洗面台で口をゆすいだ記憶がある。今回も同じ場所のはずだ、わざわざ奥を使う理由もない。ならばこれは、その後誰かが何かを洗った時に付いたもののはずだ。
「まさか、血じゃないよな」
洗面台から飛びずさり、社は慌てて黄水晶の間に戻った。そこでは、まるで馬虎さんの時のデジャヴのように華ちゃんが現場を漁っていた。
「現場をそんないじくって大丈夫なのかよ」
「大丈夫、馬虎さん以外の現場はスマホで写真撮ってあるから。あとで佐倉さんのスマホからデータ貰わなきゃ」
「まだ意識が戻ってないのに、勝手にそんなことして怒られない?」
「今はプライバシーがどうのって言ってる場合じゃないでしょ。それに私たちだって疑われた時に勝手に荷物漁られたんだから」
と彼女は未だに犯人に疑われたことを根に持っているらしい。
「それにしたってこの部屋、暑すぎだろ」
社はその熱源のスイッチを切った。「これ、どこから持ってきたんだ?」
「そう言えば、寿社長の部屋の石油ストーブが無くなったって」
「これがそうなのか?」
「どうだろ、もう一台あったのかもだけど。それより見て社くん、これ」
そう言われた先にあったのは、先のシャンデリア落下の時に傷ついたノートパソコンだった。
「これ、まだ壊れてなかったんだ」
「そうみたい。で、これ。もしかして遺書かな」
激しい損傷で見づらくなった液晶画面にはwordが立ち上がっていた。そして、そこに打たれていたのは『目的は果たした、捕まる前に自害を選ぶ』の文字。
「目的って、馬虎さんと誠一さん、茉緒さんと佐倉さん殺害のこと?」
「そうかも」
そう答えながらも社は違和感を拭えない。意識が戻らないながらも佐倉さんは命を取り留めている。本当に〈殺す〉という目的を果たしたかったならば、目標の死をきちんと確認してから自殺するのではないか。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
無限の迷路
葉羽
ミステリー
豪華なパーティーが開催された大邸宅で、一人の招待客が密室の中で死亡して発見される。部屋は内側から完全に施錠されており、窓も塞がれている。調査を進める中、次々と現れる証拠品や証言が事件をますます複雑にしていく。
時の呪縛
葉羽
ミステリー
山間の孤立した村にある古びた時計塔。かつてこの村は繁栄していたが、失踪事件が連続して発生したことで、村人たちは恐れを抱き、時計塔は放置されたままとなった。17歳の天才高校生・神藤葉羽は、友人に誘われてこの村を訪れることになる。そこで彼は、幼馴染の望月彩由美と共に、村の秘密に迫ることになる。
葉羽と彩由美は、失踪事件に関する不気味な噂を耳にし、時計塔に隠された真実を解明しようとする。しかし、時計塔の内部には、過去の記憶を呼び起こす仕掛けが待ち受けていた。彼らは、時間が歪み、過去の失踪者たちの幻影に直面する中で、次第に自らの心の奥底に潜む恐怖と向き合わせることになる。
果たして、彼らは村の呪いを解き明かし、失踪事件の真相に辿り着けるのか?そして、彼らの友情と恋心は試される。緊迫感あふれる謎解きと心理的恐怖が交錯する本格推理小説。
仮題「難解な推理小説」
葉羽
ミステリー
主人公の神藤葉羽は、鋭い推理力を持つ高校2年生。日常の出来事に対して飽き飽きし、常に何か新しい刺激を求めています。特に推理小説が好きで、複雑な謎解きを楽しみながら、現実世界でも人々の行動を予測し、楽しむことを得意としています。
クラスメートの望月彩由美は、葉羽とは対照的に明るく、恋愛漫画が好きな女の子。葉羽の推理力に感心しつつも、彼の少し変わった一面を心配しています。
ある日、葉羽はいつものように推理を楽しんでいる最中、クラスメートの行動を正確に予測し、彩由美を驚かせます。しかし、葉羽は内心では、この退屈な日常に飽き飽きしており、何か刺激的な出来事が起こることを期待しています。
神暴き
黒幕横丁
ミステリー
――この祭りは、全員死ぬまで終われない。
神託を受けた”狩り手”が一日毎に一人の生贄を神に捧げる奇祭『神暴き』。そんな狂気の祭りへと招かれた弐沙(つぐさ)と怜。閉じ込められた廃村の中で、彼らはこの奇祭の真の姿を目撃することとなる……。
一輪の廃墟好き 第一部
流川おるたな
ミステリー
僕の名前は荒木咲一輪(あらきざきいちりん)。
単に好きなのか因縁か、僕には廃墟探索という変わった趣味がある。
年齢25歳と社会的には完全な若造であるけれど、希少な探偵家業を生業としている歴とした個人事業者だ。
こんな風変わりな僕が廃墟を探索したり事件を追ったりするわけだが、何を隠そう犯人の特定率は今のところ百発百中100%なのである。
年齢からして担当した事件の数こそ少ないものの、特定率100%という素晴らしい実績を残せた秘密は僕の持つ特別な能力にあった...
隅の麗人 Case.1 怠惰な死体
久浄 要
ミステリー
東京は丸の内。
オフィスビルの地階にひっそりと佇む、暖色系の仄かな灯りが点る静かなショットバー『Huster』(ハスター)。
事件記者の東城達也と刑事の西園寺和也は、そこで車椅子を傍らに、いつも同じ席にいる美しくも怪しげな女に出会う。
東京駅の丸の内南口のコインロッカーに遺棄された黒いキャリーバッグ。そこに入っていたのは世にも奇妙な謎の死体。
死体に呼応するかのように東京、神奈川、埼玉、千葉の民家からは男女二人の異様なバラバラ死体が次々と発見されていく。
2014年1月。
とある新興宗教団体にまつわる、一都三県に跨がった恐るべき事件の顛末を描く『怠惰な死体』。
難解にしてマニアック。名状しがたい悪夢のような複雑怪奇な事件の謎に、個性豊かな三人の男女が挑む『隅の麗人』シリーズ第1段!
カバーイラスト 歩いちご
※『隅の麗人』をエピソード毎に分割した作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる