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魔女の城10
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「ここに出る幽霊とやらが花嫁姿というのが本当ならば、その子はワシの知っている子じゃ」
廊下にかけられた睡蓮の絵をなぜだか懐かしげに眺めながら、寿はそう切り出した。
「名前を萌音といっての」
「モネ?」
思わず返したのは華ちゃんだった。「萌音って、もしかしてこの絵から取ったんですかね」
睡蓮の絵。日本人の大好きな印象画の画家。ええと、クロード・モネだっけ。ちょうどおととい、NHKで有名画家の特集をやっていたのを義姉と一緒に見させられたっけ。
「そうらしい。あの子の母親が絵画好きでな、画家の名前から取ったんだと。ほれ、現にすばらしいコレクションじゃろ」
そう言って、まるで自分が集めたかのように得意げに社長は続けた。
「アンリルソーにゴーギャン、ドガ、カミーユピサロ。といってもまあ、全部偽物なんじゃが、まあよくできとる」
なんだ、偽物か。売ったらいくらになるだろう、などと考えていた社は少し落胆する。
「その萌音って幽霊に、十年前のことを調べてくれと言われました」
「宮守君お得意の除霊は効かなかったのかね?」
「ええ。けれど、自分は殺されたかもしれない、その原因がわかれば成仏できるかもと幽霊本人が言ってました」
「ほほ、幽霊自ら成仏したいとはの」
「見た目以外はそんなに怖くなかったんですが、解決しないと殺すと迫られた時は失神するかと思いました」
労災下りないかな。社は殊更に自分が受けた精神的ダメージのことを伝えるも、
「まさか、萌音君が誰かを殺したりなんかしないじゃろう」
と社長は取り合ってくれない。いえ、実際血まみれの唇を開きおどろおどろしく殺すと言われたんですけど、と社が言い返す暇もなく、
「明るく元気な子での、まあよくあの鈴鐘家に生まれて、あんな素直で良い子に育ったもんだと感心してたくらいでの」
と社長は呑気に思い出に浸っている。
「確かに、鈴鐘家の人は怪しいですよね。こんな城みたいな建物作って。周りからは魔女の城、なんて呼ばれてたそうじゃないですか、ここ」
いつの間にそんな情報まで仕入れたのだろう、華ちゃんが二人にだけ聞こえるよう、声を潜めるようにして言った。
鈴鐘。この魔女の城の主の名だ。社が邪神を崇めているのではないかとすら思った一族の名。
「本当に鈴鐘家ってのは、その、変な家だったんですか?」
華ちゃんが恐る恐る、自分の両腕を抱きながら聞いた。華やかなカクテルドレスからしなやかに生える腕は見ている分には美しかったけれど、この廊下ではひどく寒そうだった。
事実、どうやら外の気温は先よりさらに下がってきたらしく、豊かに降り積もっていた雪は柔らかな表情を一変、凍てつく氷の女王のような冷たい仮面を被っていた。
「変な家と言えば、まあそうなるの。一応この城は、スペイン旅行に行ったいつだかの当主が、そこで見た城に感動して似せて作ったらしいんじゃが」
「へえ、さすがお金持ち」
社の感想はそれに尽きる。
「ベルベル城とか言ったかな」
「かわいい名前ですね。あ、もしかしたら『鈴鐘』だからベルベル?」
「そうかもしれんな。なにしろこんな建物、普通は作らん。それにあの事故だって、あの一族が招いた禍いだというものもおったくらいだからの」
「禍いって」
「同業者のなかでも、あくどいやつだともっぱらのウワサだったんじゃ、鈴鐘金雄は」
「スズカネカネオ?」
なんだかひどく金属臭のする名前だ。
「鈴鐘家もうちと同じく、不動産業を生業としておっての。なにしろこのあたりの大地主だったんじゃ」
「やっぱりお金持ちだったんですね」
じゃなきゃこんな変わった建物を作ること出来ないもんね、と華ちゃんは納得したようだった。
「とはいえ金雄に代替わりするまでは、鈴鐘家は細々と代々から続く土地の資産運用でやりくりしてきただけの一族だったんじゃ」
「それが、金雄になってから変わったと」
腕を組み話す姿が、まるで物思いにふける名探偵の様だ。社はそんなことを思いつつ、けれど彼女を不憫に思い自身の着ていたジャケットを差し出す。
「とりあえず華ちゃん、寒いだろ。これ着なよ」
「お、おお。気が付かなくてすまんの。ちょっと四十八願君にお願いして、なにか羽織る物でも持ってきてもらおう」
「ヨイナラさん?」
「変わったお名前ですね」
「なんでもこの城にメイド長として雇われてたらしいんだが、まああの事故だか事件以来職を転々していたらしくての。それじゃああんまりかわいそうじゃないか、そう思ってワシが再雇用したんじゃ。ホテル経営に従業員がおらんじゃ始まらんじゃろ」
そう言いながら寿社長は、着物の袂から取り出した携帯で四十八願さんを呼び出した。
「なんかこう、ベルを鳴らして呼ぶとかそうじゃないんですね」
何となく思い描いていたイメージを覆され、社はなんだかがっかりしてしまった。
しばらくして、和服姿に身を包んだ60代くらいの女性が小走りでやって来るのが見えた。こんな城のメイド長っていうからてっきり、あのフリフリを着てるんだと思っていたけれど。
「寿さま、こちらでよろしいでしょうか」
「おお、忙しいところすまんの、ありがとう」
そう彼女が手渡してくれたのは、暖かそうなカシミヤのストールだった。
「すみません、ありがとうございます」
華ちゃんがそれで身体を包む。見ている側としても、だいぶ温かそうで安心する。そして、返されたジャケットになにより安堵する。ふう、寒かった。
「それより寿さま。外がだいぶ吹雪いているようで……。一応鶴野さまに確認したところ、帰られたいお客様はお帰しして良いと承諾いただきましたので、今馬虎が最寄駅まで車を出しております」
そう緊迫した様子で言われ、思わず社は窓の外を見る。だがもはやそこは結露で何も見えなくなっており、様子をうかがうことは叶わなかった。その馬虎という人は、よくこんな中車を出せるなと感心する。バトラ。戦う人、みたいな強そうな名前ゆえだろうか。
「結露って、中と外の気温差で生じるんだよね?」
ストールでぬくぬくしながら、華ちゃんが何気ない様子で聞いてきた。
「それってつまり、この廊下だってぜんぜんあったかくないのに、外はここよりさらに、ものすっごく寒いってことだよね?」
「たぶん、そう言うことだと思う」
「おお、そうだの、確かにこれはいかん、大吹雪だ。まるで十年前のようじゃないか、なあ四十八願君」
「え、ええ。左様でございます。ですので勝手ながら、従業員も先に帰してしまいました」
なるほど、それでメイドさんの姿がなかったのだな、社は納得しつつけれどもそんな状況の中取り残された自分のことについて思いを馳せる。
……あれ、もしかしなくっても、これじゃあ僕たちも帰れないんじゃないのかな?
廊下にかけられた睡蓮の絵をなぜだか懐かしげに眺めながら、寿はそう切り出した。
「名前を萌音といっての」
「モネ?」
思わず返したのは華ちゃんだった。「萌音って、もしかしてこの絵から取ったんですかね」
睡蓮の絵。日本人の大好きな印象画の画家。ええと、クロード・モネだっけ。ちょうどおととい、NHKで有名画家の特集をやっていたのを義姉と一緒に見させられたっけ。
「そうらしい。あの子の母親が絵画好きでな、画家の名前から取ったんだと。ほれ、現にすばらしいコレクションじゃろ」
そう言って、まるで自分が集めたかのように得意げに社長は続けた。
「アンリルソーにゴーギャン、ドガ、カミーユピサロ。といってもまあ、全部偽物なんじゃが、まあよくできとる」
なんだ、偽物か。売ったらいくらになるだろう、などと考えていた社は少し落胆する。
「その萌音って幽霊に、十年前のことを調べてくれと言われました」
「宮守君お得意の除霊は効かなかったのかね?」
「ええ。けれど、自分は殺されたかもしれない、その原因がわかれば成仏できるかもと幽霊本人が言ってました」
「ほほ、幽霊自ら成仏したいとはの」
「見た目以外はそんなに怖くなかったんですが、解決しないと殺すと迫られた時は失神するかと思いました」
労災下りないかな。社は殊更に自分が受けた精神的ダメージのことを伝えるも、
「まさか、萌音君が誰かを殺したりなんかしないじゃろう」
と社長は取り合ってくれない。いえ、実際血まみれの唇を開きおどろおどろしく殺すと言われたんですけど、と社が言い返す暇もなく、
「明るく元気な子での、まあよくあの鈴鐘家に生まれて、あんな素直で良い子に育ったもんだと感心してたくらいでの」
と社長は呑気に思い出に浸っている。
「確かに、鈴鐘家の人は怪しいですよね。こんな城みたいな建物作って。周りからは魔女の城、なんて呼ばれてたそうじゃないですか、ここ」
いつの間にそんな情報まで仕入れたのだろう、華ちゃんが二人にだけ聞こえるよう、声を潜めるようにして言った。
鈴鐘。この魔女の城の主の名だ。社が邪神を崇めているのではないかとすら思った一族の名。
「本当に鈴鐘家ってのは、その、変な家だったんですか?」
華ちゃんが恐る恐る、自分の両腕を抱きながら聞いた。華やかなカクテルドレスからしなやかに生える腕は見ている分には美しかったけれど、この廊下ではひどく寒そうだった。
事実、どうやら外の気温は先よりさらに下がってきたらしく、豊かに降り積もっていた雪は柔らかな表情を一変、凍てつく氷の女王のような冷たい仮面を被っていた。
「変な家と言えば、まあそうなるの。一応この城は、スペイン旅行に行ったいつだかの当主が、そこで見た城に感動して似せて作ったらしいんじゃが」
「へえ、さすがお金持ち」
社の感想はそれに尽きる。
「ベルベル城とか言ったかな」
「かわいい名前ですね。あ、もしかしたら『鈴鐘』だからベルベル?」
「そうかもしれんな。なにしろこんな建物、普通は作らん。それにあの事故だって、あの一族が招いた禍いだというものもおったくらいだからの」
「禍いって」
「同業者のなかでも、あくどいやつだともっぱらのウワサだったんじゃ、鈴鐘金雄は」
「スズカネカネオ?」
なんだかひどく金属臭のする名前だ。
「鈴鐘家もうちと同じく、不動産業を生業としておっての。なにしろこのあたりの大地主だったんじゃ」
「やっぱりお金持ちだったんですね」
じゃなきゃこんな変わった建物を作ること出来ないもんね、と華ちゃんは納得したようだった。
「とはいえ金雄に代替わりするまでは、鈴鐘家は細々と代々から続く土地の資産運用でやりくりしてきただけの一族だったんじゃ」
「それが、金雄になってから変わったと」
腕を組み話す姿が、まるで物思いにふける名探偵の様だ。社はそんなことを思いつつ、けれど彼女を不憫に思い自身の着ていたジャケットを差し出す。
「とりあえず華ちゃん、寒いだろ。これ着なよ」
「お、おお。気が付かなくてすまんの。ちょっと四十八願君にお願いして、なにか羽織る物でも持ってきてもらおう」
「ヨイナラさん?」
「変わったお名前ですね」
「なんでもこの城にメイド長として雇われてたらしいんだが、まああの事故だか事件以来職を転々していたらしくての。それじゃああんまりかわいそうじゃないか、そう思ってワシが再雇用したんじゃ。ホテル経営に従業員がおらんじゃ始まらんじゃろ」
そう言いながら寿社長は、着物の袂から取り出した携帯で四十八願さんを呼び出した。
「なんかこう、ベルを鳴らして呼ぶとかそうじゃないんですね」
何となく思い描いていたイメージを覆され、社はなんだかがっかりしてしまった。
しばらくして、和服姿に身を包んだ60代くらいの女性が小走りでやって来るのが見えた。こんな城のメイド長っていうからてっきり、あのフリフリを着てるんだと思っていたけれど。
「寿さま、こちらでよろしいでしょうか」
「おお、忙しいところすまんの、ありがとう」
そう彼女が手渡してくれたのは、暖かそうなカシミヤのストールだった。
「すみません、ありがとうございます」
華ちゃんがそれで身体を包む。見ている側としても、だいぶ温かそうで安心する。そして、返されたジャケットになにより安堵する。ふう、寒かった。
「それより寿さま。外がだいぶ吹雪いているようで……。一応鶴野さまに確認したところ、帰られたいお客様はお帰しして良いと承諾いただきましたので、今馬虎が最寄駅まで車を出しております」
そう緊迫した様子で言われ、思わず社は窓の外を見る。だがもはやそこは結露で何も見えなくなっており、様子をうかがうことは叶わなかった。その馬虎という人は、よくこんな中車を出せるなと感心する。バトラ。戦う人、みたいな強そうな名前ゆえだろうか。
「結露って、中と外の気温差で生じるんだよね?」
ストールでぬくぬくしながら、華ちゃんが何気ない様子で聞いてきた。
「それってつまり、この廊下だってぜんぜんあったかくないのに、外はここよりさらに、ものすっごく寒いってことだよね?」
「たぶん、そう言うことだと思う」
「おお、そうだの、確かにこれはいかん、大吹雪だ。まるで十年前のようじゃないか、なあ四十八願君」
「え、ええ。左様でございます。ですので勝手ながら、従業員も先に帰してしまいました」
なるほど、それでメイドさんの姿がなかったのだな、社は納得しつつけれどもそんな状況の中取り残された自分のことについて思いを馳せる。
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