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魔女の城9
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「おう、姉ちゃん、酒注いでくれや」
仕立ての良いダブルのスーツに、けれどそれに似合わない、妙にギラギラとした安っぽいネクタイピン。スーツの腹はパンパンに膨れていて、金ぴかのボタンがいつはじけ飛ぶか心配になるような出で立ちの酔っぱらい。さらに左右の指には、なんだかは分からないけれど、やたらとピカピカした宝石のついた指輪たち。そいつが華ちゃんを何だと思っているのか知らないが、気安そうに話しかけてきた。
「……この人は?」
「なんか、温泉地みたいな名前の人」
不快感も露わに、社はこそこそと華ちゃんに耳打ちして聞いてみるものの、正確な答えを教えてもらえなかった。
「温泉地にたくさん土地を持ってるらしいけど。早速事件のこと聞いてみようよ」
「そうそう、そこの姉ちゃん、なかなか別嬪さんじゃないか。どうだ、俺の愛人にならんかね、したらひとつ旅館でもプレゼントしてやろう」
二人の話を統合すると、どうやら温泉地に旅館などを経営しているどこぞの社長らしい。
「旅城の女将でもしたら似合いそうじゃないか」
この男、どうやら太っ腹なのは体つきだけのようだった。なんだ、愛人を働かせるつもりなのかよ。
「それよりとにかく酒だ、ほら早く注げよ。その辺は気が回らんなぁ、あんた、コンパニオンなんだろ?」
どうやらこの温泉男は、華ちゃんのことを雇われ接待嬢だと勘違いしているようだった。
そういえば、と社は目の前のこの不快な男から目を離すかの如くに会場内を見回した。
初めの頃こそ、いかにもなメイド服姿の女性が何人かいたのだけれど、気が付けばその姿が無くなっている。もう料理も出し終えて、もしかしたら今頃は片付けにまわっているのかもしれないけれど。でもそれで華ちゃんをそんな風に見られたんじゃたまったものじゃなかった。いや、案外メイドさんたちもこの男に辟易して撤退したのかもしれない。
などとうっかり社が目を離したすきに、この酔っぱらいめが気安く華ちゃんの手をつかもうとしているではないか。
「ちょっと」と社が割り込もうとすると、
「こらこら湯布院君、その人はワシの客人なんでの。あまりぞんざいな扱いをしないでくれるかな」と寿社長が飄々と声を掛けてきた。
「ああ、そうなんですか?」
社長に声を掛けられた途端、湯布院と呼ばれた男の態度が急にこびへつらうものへと変わった。だらりとした表情は一変真面目な面持ちに変わり、背筋を伸ばしたせいか、目立っていた下っ腹が少しスリムになる。
「そうそう、湯布院さん」
一方、危うくセクハラされかけたにも関わらず気づいていないのか、それとも気にもしていないのか無邪気に華ちゃんが喜んだ。
湯布院。確かに温泉地の名前だし、今の彼の仕事はもはや天職と言っても過言ではないだろう。
「けど寿さんの何関係の方なんですか?この姉ちゃん」
どうにも納得がいかない様子で湯布院が食い下がってきた。確かに、傍から見れば孫と祖父ほど歳の離れた二人の関係は、要らない想像をかき立ててしまうのかもしれない。
「寿さんには別嬪な秘書がいるじゃあないか」
「いや、鶴野君も単にワシの秘書兼運転手をしてもらってるだけじゃ。あれで鶴野君は中学生と大学生のお子さんがいるんだからの」
「ほお、人妻」
どうにも女好きのするらしい湯布院は、下世話な想像をしないと気が済まないらしい。
「じゃあ、そこの姉ちゃんは第二秘書かなにかですかい?」
そう問いかけられて、一瞬社と華ちゃんの二人は顔を見合わせた。幽霊の言いつけを守っておとなしく調査をするのならば、華ちゃんの素性は出来るだけ隠しておいた方がいいだろう。社は判断した。下手に寿社長に華ちゃんのことを、例えば彼女が刑事だなんてことを話されても困る。
「ええと、その、彼女は社長ではなくて僕の助手でして」
不自然な形で会話に飛び込んだ社を、社長が少し驚いたように見た。その視線を無視して社は続ける。
「なんでもこの城に幽霊が出るといううわさがあるとかで、僕たちはその除霊で呼ばれたんです、ね、華ちゃん」
「そうなんです、手ごわい悪霊とのことで、宮守だけでは太刀打ちできないと判断してわたくしも参りました」
さすがは幼なじみか。阿吽の呼吸で華ちゃんが返した。
「悪霊?ああ、そんな噂、確かにあったなぁ」
素直に信じてくれたらしい温泉男こと湯布院氏がうなずいた。「あのとき死んだ花嫁が祟るってやつだろ」
「え、ええ。その通りで」
社長に口出す隙を与えず、社が答えた。
「一応、この城を買い取った際に除霊の儀は行ったそうですが、それでも祓いきれなかったようで」
「せっかく別嬪だったのに、今じゃ悪霊か。残念だな」
どうにも湯布院の関心ごとは終始それに尽きるらしい。
「じゃあ姉ちゃん、さっさと除霊を終わらせてくれよ。そしたら俺と一緒に飲もうぜ」
なかなかに諦めの悪い男だ。社の存在など意にも介さず、セクハラ男はしつこく華ちゃんに声を掛けると、知り合いなのかやたらとピンク色に着飾ったオバサンと、妙に猫背の男のところへと行ってしまった。
「すみません、話を合わせてもらって」
「いや、不快な思いをさせてしまって申し訳ない」
どうやら湯布院氏の手癖の悪さは社長も承知らしい。
「社長、もしかしなくても、この城に出る幽霊についてなにかご存じですよね?」
「まあ、の。しかし、まさかとは思ったが、やはり宮守君でもダメじゃったか」
「すみません、まだ一人残っていたみたいで」
「構わん、これも想定内じゃ。しかし君たちが賢くてワシは大助かりじゃよ」
やはり華ちゃんの読み通り、寿社長にはなにか目論見があったようだった。
「あの人、あっちのグループに行きましたけど、あの人たちは知り合いなんですかね。猫背のおじさんとピンクオバサン」
「そうじゃの。なに、ここで立ち話もなんじゃろう。ここでは周りの目がな」
そう言って社長が周りを見回した。そう言われると何となく視線を感じるような気がして、社は思わず委縮してしまう。
「それより宮守君、例の幽霊に会った場所まで案内してくれんかの」
そう社長に乞われて、社は再び会場を後にした。そう言えば、僕まだ何も食べれてないんだけど。そんな恨み節を腹に詰めながら。
仕立ての良いダブルのスーツに、けれどそれに似合わない、妙にギラギラとした安っぽいネクタイピン。スーツの腹はパンパンに膨れていて、金ぴかのボタンがいつはじけ飛ぶか心配になるような出で立ちの酔っぱらい。さらに左右の指には、なんだかは分からないけれど、やたらとピカピカした宝石のついた指輪たち。そいつが華ちゃんを何だと思っているのか知らないが、気安そうに話しかけてきた。
「……この人は?」
「なんか、温泉地みたいな名前の人」
不快感も露わに、社はこそこそと華ちゃんに耳打ちして聞いてみるものの、正確な答えを教えてもらえなかった。
「温泉地にたくさん土地を持ってるらしいけど。早速事件のこと聞いてみようよ」
「そうそう、そこの姉ちゃん、なかなか別嬪さんじゃないか。どうだ、俺の愛人にならんかね、したらひとつ旅館でもプレゼントしてやろう」
二人の話を統合すると、どうやら温泉地に旅館などを経営しているどこぞの社長らしい。
「旅城の女将でもしたら似合いそうじゃないか」
この男、どうやら太っ腹なのは体つきだけのようだった。なんだ、愛人を働かせるつもりなのかよ。
「それよりとにかく酒だ、ほら早く注げよ。その辺は気が回らんなぁ、あんた、コンパニオンなんだろ?」
どうやらこの温泉男は、華ちゃんのことを雇われ接待嬢だと勘違いしているようだった。
そういえば、と社は目の前のこの不快な男から目を離すかの如くに会場内を見回した。
初めの頃こそ、いかにもなメイド服姿の女性が何人かいたのだけれど、気が付けばその姿が無くなっている。もう料理も出し終えて、もしかしたら今頃は片付けにまわっているのかもしれないけれど。でもそれで華ちゃんをそんな風に見られたんじゃたまったものじゃなかった。いや、案外メイドさんたちもこの男に辟易して撤退したのかもしれない。
などとうっかり社が目を離したすきに、この酔っぱらいめが気安く華ちゃんの手をつかもうとしているではないか。
「ちょっと」と社が割り込もうとすると、
「こらこら湯布院君、その人はワシの客人なんでの。あまりぞんざいな扱いをしないでくれるかな」と寿社長が飄々と声を掛けてきた。
「ああ、そうなんですか?」
社長に声を掛けられた途端、湯布院と呼ばれた男の態度が急にこびへつらうものへと変わった。だらりとした表情は一変真面目な面持ちに変わり、背筋を伸ばしたせいか、目立っていた下っ腹が少しスリムになる。
「そうそう、湯布院さん」
一方、危うくセクハラされかけたにも関わらず気づいていないのか、それとも気にもしていないのか無邪気に華ちゃんが喜んだ。
湯布院。確かに温泉地の名前だし、今の彼の仕事はもはや天職と言っても過言ではないだろう。
「けど寿さんの何関係の方なんですか?この姉ちゃん」
どうにも納得がいかない様子で湯布院が食い下がってきた。確かに、傍から見れば孫と祖父ほど歳の離れた二人の関係は、要らない想像をかき立ててしまうのかもしれない。
「寿さんには別嬪な秘書がいるじゃあないか」
「いや、鶴野君も単にワシの秘書兼運転手をしてもらってるだけじゃ。あれで鶴野君は中学生と大学生のお子さんがいるんだからの」
「ほお、人妻」
どうにも女好きのするらしい湯布院は、下世話な想像をしないと気が済まないらしい。
「じゃあ、そこの姉ちゃんは第二秘書かなにかですかい?」
そう問いかけられて、一瞬社と華ちゃんの二人は顔を見合わせた。幽霊の言いつけを守っておとなしく調査をするのならば、華ちゃんの素性は出来るだけ隠しておいた方がいいだろう。社は判断した。下手に寿社長に華ちゃんのことを、例えば彼女が刑事だなんてことを話されても困る。
「ええと、その、彼女は社長ではなくて僕の助手でして」
不自然な形で会話に飛び込んだ社を、社長が少し驚いたように見た。その視線を無視して社は続ける。
「なんでもこの城に幽霊が出るといううわさがあるとかで、僕たちはその除霊で呼ばれたんです、ね、華ちゃん」
「そうなんです、手ごわい悪霊とのことで、宮守だけでは太刀打ちできないと判断してわたくしも参りました」
さすがは幼なじみか。阿吽の呼吸で華ちゃんが返した。
「悪霊?ああ、そんな噂、確かにあったなぁ」
素直に信じてくれたらしい温泉男こと湯布院氏がうなずいた。「あのとき死んだ花嫁が祟るってやつだろ」
「え、ええ。その通りで」
社長に口出す隙を与えず、社が答えた。
「一応、この城を買い取った際に除霊の儀は行ったそうですが、それでも祓いきれなかったようで」
「せっかく別嬪だったのに、今じゃ悪霊か。残念だな」
どうにも湯布院の関心ごとは終始それに尽きるらしい。
「じゃあ姉ちゃん、さっさと除霊を終わらせてくれよ。そしたら俺と一緒に飲もうぜ」
なかなかに諦めの悪い男だ。社の存在など意にも介さず、セクハラ男はしつこく華ちゃんに声を掛けると、知り合いなのかやたらとピンク色に着飾ったオバサンと、妙に猫背の男のところへと行ってしまった。
「すみません、話を合わせてもらって」
「いや、不快な思いをさせてしまって申し訳ない」
どうやら湯布院氏の手癖の悪さは社長も承知らしい。
「社長、もしかしなくても、この城に出る幽霊についてなにかご存じですよね?」
「まあ、の。しかし、まさかとは思ったが、やはり宮守君でもダメじゃったか」
「すみません、まだ一人残っていたみたいで」
「構わん、これも想定内じゃ。しかし君たちが賢くてワシは大助かりじゃよ」
やはり華ちゃんの読み通り、寿社長にはなにか目論見があったようだった。
「あの人、あっちのグループに行きましたけど、あの人たちは知り合いなんですかね。猫背のおじさんとピンクオバサン」
「そうじゃの。なに、ここで立ち話もなんじゃろう。ここでは周りの目がな」
そう言って社長が周りを見回した。そう言われると何となく視線を感じるような気がして、社は思わず委縮してしまう。
「それより宮守君、例の幽霊に会った場所まで案内してくれんかの」
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