クオリアの呪い

鷲野ユキ

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深夜のファミレス 4/21

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「結局君が見たのは、なんだったんだろうな」

あの後、館長と警備員が二人がかりで保管庫内に入っていった。確かに除湿機が不具合を起こしてはいた。けれど、それだけだった。

なんなら前後の監視カメラの映像を再生しても、保管庫に入った者は、必ずそこから出ているのが確認された。

あの後、気分が悪いからとオオトリ女史は帰り、その後の処理は僕たちでやるからと館長に美術館を追い出されてしまった。結局、出ると噂の南側保管庫には行けずじまい。

加賀見の声には堪えきれない笑いの音がにじんでいた。ように聞こえた。俺はいたたまれなくなり、「悪かったな、どうせ俺の妄想だよ」と不貞腐れるしか出来なかった。

そのやさぐれた気分のまま俺は、終電に乗るのを諦めた。慰めるつもりなど毛頭ないだろうが、シロと、なぜか加賀見も付いてきた。
駅近くのファミレスに向かうと、加賀見のやつはテーブルいっぱいに料理と酒を注文し一人で宴会を始めてしまった。

「だがわからないぞ。あるいは君は岩崎氏とは別の、違う霊を見たのかもしれない」
デキャンタで頼んだ赤ワインを一人でほとんど飲みながら、顔をさらに赤らめて加賀見は言う。

「だってそのほうが自然だろう。なぜ殺害現場ではない方の部屋に霊が出るんだ」
「一般的に霊が現れるのは、何かを伝えるためだと考えられている」

シロが物知り顔で言い、ビールグラスに手を掛ける。それを慌てて奪うと、がっかりしたような顔をした。

「お前が頼んだのはドリンクバーだろ」
コイツに酒を飲ませるとろくなことがない。先日だってそのツケを払わされたばかりだ。俺が軽く睨むと、シロは不満タラタラな様子でドリンクバーからオレンジジュースを汲んできた。

「で、霊が現れる理由だが」
とストローを加えながら大型犬がワンワン吠える。
「例えば自分がいつどこで殺されただとか、犯人を示すために。自分が死ぬ羽目になった要因を取り除いてもらうことによって、霊は成仏することが出来る。あるいは、自分一人で死ぬのが嫌だから、誰かを巻き添えにしようと目論んでいる」
「なるほど。後者だとしたらタチが悪いが、もし前者ならば霊は我々に何かを伝えようとしているわけだ」
ハンバーグを優雅に切り分けながら加賀見が続けた。

「ならば君の見た霊が本物の岩崎氏なら殺害場所はやはり北側保管庫で、スタッフらが感じた気配が本物なら、実は殺害現場は南側保管庫、ということになる」
もし霊が存在するならば。そうも言う加賀見に、本当は幽霊を見たかっただけのシロがもっともらしく口を挟んだ。

「そもそも俺たちは、被害者の遺品を探しにあそこに入ったんだろ」
ズズズ、と不浄音を立ててグラスの中身を飲み干しながらシロは言う。
「結局見つけられずじまいだったな。もしお前が見たのが本物なら、脅かすようなことなんてしないで協力してくれたっていいのにな」

腕を組み考え込むシロに、加賀見がポテトフライを口からはみ出させながら喋った。
「悪名名高い岩崎氏の悪霊なら、そんな殊勝なことなどするものか。手当たり次第誰かを捕まえて、道連れにしようとしているだけなんじゃないのか」
「だとしたら、もっと直接的に危害を与えようとしたんじゃないのか?」

まだ出会ったばかりだというのに、シロと加賀見は二人で盛り上がっている。
「だから、あれはただの見間違いだったって言ってるだろ」
いつまでも幽霊話で盛り上がる二人に、俺は口を挟んだ。

「けどシロ、お前だってビビってたじゃないか」
「そりゃあ、だって殺人現場なんだぜ、これで怖くないだなんてどうかしてるだろ」
ただ、残念ながら俺には何も見えなかったけどな、とヤツは茶化した。

「北側保管庫と南側保管庫。人が殺されたはずの北ではなく、南に霊が出る。気にはなる案件だな」
思案気な顔、なのかはわからないが、赤ら顔をさらに赤くしつつ加賀見がワイングラスを揺らす。

「まして、この二つは名前どころか間取りもそっくりだ。実は殺害現場が入れ替わっていた、だとか」
「そうすることによって、どうだって言うんだ」
「本当の殺害現場の場所の出入りを確認されたくなかった。つまり、アリバイを作るためにだ」

確かに、それはいかにももっともらしく聞こえる。現にヤヨイ先輩は、岩崎の後に保管庫に入ったという理由で疑われている。が。

「でもどうやって?いくら場所が似ているからって、カメラとIDリーダーにはちゃんと記録されているじゃないか」

そうだ。ここは監視カメラが無数に目を光らせている場所なのだ。それに、確かに北側保管庫から岩崎の血痕が見つかっている。

「映像をいじくるだなんてことも出来ないだろ。その辺は警察だって馬鹿じゃない、調べてるに決まってる。それにきっと、事件のあった時間帯のすべての録画を確認しているはずだ。部屋が入れ替わってることなんて、すぐ気付くだろ」

同じように思ったのか、シロが唾を飛ばして反論した。俺は隣でうなずいた。それもそうだ。そもそも画像の編集なんて面倒そうだ。それ用に録るのも無理な話だ。それよりも。
「画像をいじくるより、時間をいじくったとかってのは?」

俺は期待を込めて加賀見を見た。そうだ、例えばカメラの時間設定を一分でも早めて、空白の時間を作ったとしたら。そのタイミングを見計らって、犯人は部屋から煙のように消え失せた――。

「そうそうすべてがうまくいくとは限らないのだが」
呆れた様子で加賀見が酒臭い息を吐いた。「それに、それじゃあ脱出しかできない。一体いつどうやって犯人は北側保管庫に入ったというのだ」
「それは……事件が起こるずっと前から、保管庫に隠れていたとか……」
「一応、一つの可能性として捉えておこう」

いちいちキザったらしく、加賀見は節くれ立った指をぴんと伸ばす。
「とりあえず今度、南側保管庫を調べてみるのも手かもしれない」
オオトリ女史がこれに懲りてなければいいが、と呟きながら加賀見がデキャンタを空にした。

「そうしたら今度は、君だけではなく我々にも見える霊が現れてくれるかもしれないな」
そして、にやりと笑った。
「だから、どうせあれは俺の見間違いだって」
「わからないぞ。自分に見えなかったからと言って、それの存在を信じないのはあまりに幼稚な考えだ。だとしたら私は、サオラをいつまでたっても伝説上の生き物として考える愚か者になってしまう」
「じゃあ、やっぱりこいつが見たのは幽霊だって言うのか?」

嬉しいんだか嫌なんだかよくわからない表情を浮かべ、シロが加賀見を見つめる。
「さあ、どうだろう。なにせ今まで死んだ人間の方が、今生きている人間より多いんだ。何かしらはいるのかもしれないぞ」

加賀見が得意げに返した。「君に見えて私に見えないもの。私に見えて、君に見えないもの。あるいは同じものを見ているはずなのに、違うように見えるもの。世界の見え方は、実に様々だ」

では今この男には、事件はどのように見えているのだろう。本当に部屋が入れ替わっただなんて考えているのだろうか。あるいは、俺たちが気づかなかった何かを、すでに得ているのか。

「アンタには、もう事件の全容が見えてるって言うのか?」
「まさか。すべてをわかった気になっていることほど、怖いことは無いんだ」

言うなり彼は、背もたれに寄りかかるといびきをかき始めてしまった。
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