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花摘み
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辺り一面朝靄が立ち込めて、視界が悪い。紗がかかった視界には、紅い点がぽつぽつと見える。
比呂人はあくびをしながら紅い点に近付いた。
近付くとこどもの拳ほどの花だとわかる。
フリルのように重なった花弁を掴み、萼のすぐ下に小型のナイフを当て、軽く引く。すると花だけが取れるので、それを背負っている籠に入れる。
これを次々に繰り返しているが、比呂人の籠の中身はまだ1/3にも満たない。
作業を始めたばかりの頃は、花だけ摘み取ることに少しの罪悪感を覚えたが、すっかり単純作業になってしまった。
開き切る前の花はひんやりとして微かに香気を漂わせている。
良い香りもするし重労働ではないが、花は比呂人の腰よりも低い位置に咲いていて、腰を少し屈めなければいけないのが地味につらい。
比呂人は顔を上げ、腰を伸ばす。少し離れたところでヨンナが花を摘んでいるのが見えた。
ヨンナは慣れているのもあるだろうが、比呂人より大分手際よく花を摘んでいく。
ヨンナに頼まれたからとはいえ、引き受けたからにはちゃんとやりたい。比呂人は再び腰をかがめた。
辺り一面の花を摘み終わるころには、日がすっかり昇り、朝靄も消えていた。
「はら減った」起きてすぐ出てきた比呂人は朝食を食べていなかった。
「急いで戻りましょう。今日は助かりました。私一人だったらこんなに早く終わりませんでしたよ」
「いいって。どうせ暇だし。何もしないでいるのも悪いしさ」
「そんな、ゆっくりしていてください」ソフィア邸に戻ってきてから一ヶ月、ヨンナは大分比呂人に慣れたらしく口調も柔らかくなった。
「いや、ゆっくりしててもいいんだろうけどさ、落ち着かないっていうか。ヨンナさんだって別になにもしなくてもいいんじゃないの。でもこうやっていろいろやってんじゃん」
「そうですね。確かに何もしなくていいとなったら落ち着かないかもしれません。そもそも私は……」
ヨンナの言葉の途中で、比呂人の眼の前をなにか黒いものが横切った。黒いものはそのままヨンナの胸に張り付いた。
きゃ、っとヨンナが小さな悲鳴を上げてよろめく。ヨンナの胸元に張り付いたものは、小さな栗色の獣だった。
比呂人は驚いたものの、体長15cmほどのリスのような小さな獣だったので、ほっとした。
未知の獣なので小さくても安心は出来ないのだろうが、ヨンナは飛びつかれて驚いていたものの、今は獣の背をゆっくりと撫でている。
「え、これって」
「これが露鼠です。最近はあまりよってこなかったんですが、久しぶりに飛んできました」
「グリノルフが言ってたやつか。へえ」
露鼠は、ヨンナの胸にしがみついて気持ちよさそうに鼻を鳴らしている。
大丈夫そうだと思い、比呂人は少し近付いて露鼠を観察する。
ムラのない艶のある栗色の体に、ふわりとした大きなしっぽはリスに似ている。顔はネズミというより、鼻が顔先に突き出してどちらかというとキツネのような顔をしている。
愛玩動物にでもなりそうな可愛らしさだが、実は凶暴だったり毒を持っていたりはしないのだろうか。
「そろそろいいですか。戻ったらゆっくり観察できますよ」ヨンナに言われて、比呂人は自分がヨンナの胸元に近付いていたのに気付いた。
「あ、えっと、すいません」
比呂人が身を引くと、ヨンナはうっとりとしている露鼠の首の後ろをつまむと背負っている籠に放り入れた。驚きで目を丸くする比呂人にヨンナが言う。
「露鼠は毛皮が上質で、小さいですがワンポイントに使うにはいいんですよ。この子は栗色ですけど、個体によって毛色も違って、そこも面白いところです」
「……」
いつものヨンナとあまりに違う口ぶりに、比呂人が何も言えないでいると、ヨンナがぼそりと言った。
「中村さんは露鼠がかわいそうだと思いますか」
「え、あ、いや、見た目かわいいし、ちょっとかわいそうかなとも思うけど、俺、露鼠がどんな動物か知らないし、その、うん……」
どう答えれば正解なのか、たぶんそういうことではないと感じながらも、ヨンナの意に沿うような言葉を探していた。
同じ現代日本から来て、似た境遇だと思っていたヨンナが、こちらに十分馴染んでいるということを見せつけられたようで比呂人は複雑な思いをした。
「私もここに来た頃はかわいそうだと思っていたんですが……いろいろあってそう考えるのはやめにしました」ヨンナはただ静かに言った。
「……うん」比呂人もただうなずいた。
「言い訳がましいですが、こんな屋敷の近くにいるということは、群れからはぐれた個体なのだと思います。遅かれ早かれ捕食されてしまう、からと言って私が好き勝手に扱っていいという理由にもなりませんが」
「俺は一回しか狩りに行ってないからわかんないけど、今までの価値観が全然変わっちゃうのはなんとなくわかる」
「まあ、私は狩りにはほとんど出ていないんですけどね」
「それでもいろいろあったんだろ」
「早く戻りましょう」ヨンナは、比呂人の言葉には答えず、笑って言った。
日は暖かく、摘んだ花の香りが静かに漂っていた。
比呂人はあくびをしながら紅い点に近付いた。
近付くとこどもの拳ほどの花だとわかる。
フリルのように重なった花弁を掴み、萼のすぐ下に小型のナイフを当て、軽く引く。すると花だけが取れるので、それを背負っている籠に入れる。
これを次々に繰り返しているが、比呂人の籠の中身はまだ1/3にも満たない。
作業を始めたばかりの頃は、花だけ摘み取ることに少しの罪悪感を覚えたが、すっかり単純作業になってしまった。
開き切る前の花はひんやりとして微かに香気を漂わせている。
良い香りもするし重労働ではないが、花は比呂人の腰よりも低い位置に咲いていて、腰を少し屈めなければいけないのが地味につらい。
比呂人は顔を上げ、腰を伸ばす。少し離れたところでヨンナが花を摘んでいるのが見えた。
ヨンナは慣れているのもあるだろうが、比呂人より大分手際よく花を摘んでいく。
ヨンナに頼まれたからとはいえ、引き受けたからにはちゃんとやりたい。比呂人は再び腰をかがめた。
辺り一面の花を摘み終わるころには、日がすっかり昇り、朝靄も消えていた。
「はら減った」起きてすぐ出てきた比呂人は朝食を食べていなかった。
「急いで戻りましょう。今日は助かりました。私一人だったらこんなに早く終わりませんでしたよ」
「いいって。どうせ暇だし。何もしないでいるのも悪いしさ」
「そんな、ゆっくりしていてください」ソフィア邸に戻ってきてから一ヶ月、ヨンナは大分比呂人に慣れたらしく口調も柔らかくなった。
「いや、ゆっくりしててもいいんだろうけどさ、落ち着かないっていうか。ヨンナさんだって別になにもしなくてもいいんじゃないの。でもこうやっていろいろやってんじゃん」
「そうですね。確かに何もしなくていいとなったら落ち着かないかもしれません。そもそも私は……」
ヨンナの言葉の途中で、比呂人の眼の前をなにか黒いものが横切った。黒いものはそのままヨンナの胸に張り付いた。
きゃ、っとヨンナが小さな悲鳴を上げてよろめく。ヨンナの胸元に張り付いたものは、小さな栗色の獣だった。
比呂人は驚いたものの、体長15cmほどのリスのような小さな獣だったので、ほっとした。
未知の獣なので小さくても安心は出来ないのだろうが、ヨンナは飛びつかれて驚いていたものの、今は獣の背をゆっくりと撫でている。
「え、これって」
「これが露鼠です。最近はあまりよってこなかったんですが、久しぶりに飛んできました」
「グリノルフが言ってたやつか。へえ」
露鼠は、ヨンナの胸にしがみついて気持ちよさそうに鼻を鳴らしている。
大丈夫そうだと思い、比呂人は少し近付いて露鼠を観察する。
ムラのない艶のある栗色の体に、ふわりとした大きなしっぽはリスに似ている。顔はネズミというより、鼻が顔先に突き出してどちらかというとキツネのような顔をしている。
愛玩動物にでもなりそうな可愛らしさだが、実は凶暴だったり毒を持っていたりはしないのだろうか。
「そろそろいいですか。戻ったらゆっくり観察できますよ」ヨンナに言われて、比呂人は自分がヨンナの胸元に近付いていたのに気付いた。
「あ、えっと、すいません」
比呂人が身を引くと、ヨンナはうっとりとしている露鼠の首の後ろをつまむと背負っている籠に放り入れた。驚きで目を丸くする比呂人にヨンナが言う。
「露鼠は毛皮が上質で、小さいですがワンポイントに使うにはいいんですよ。この子は栗色ですけど、個体によって毛色も違って、そこも面白いところです」
「……」
いつものヨンナとあまりに違う口ぶりに、比呂人が何も言えないでいると、ヨンナがぼそりと言った。
「中村さんは露鼠がかわいそうだと思いますか」
「え、あ、いや、見た目かわいいし、ちょっとかわいそうかなとも思うけど、俺、露鼠がどんな動物か知らないし、その、うん……」
どう答えれば正解なのか、たぶんそういうことではないと感じながらも、ヨンナの意に沿うような言葉を探していた。
同じ現代日本から来て、似た境遇だと思っていたヨンナが、こちらに十分馴染んでいるということを見せつけられたようで比呂人は複雑な思いをした。
「私もここに来た頃はかわいそうだと思っていたんですが……いろいろあってそう考えるのはやめにしました」ヨンナはただ静かに言った。
「……うん」比呂人もただうなずいた。
「言い訳がましいですが、こんな屋敷の近くにいるということは、群れからはぐれた個体なのだと思います。遅かれ早かれ捕食されてしまう、からと言って私が好き勝手に扱っていいという理由にもなりませんが」
「俺は一回しか狩りに行ってないからわかんないけど、今までの価値観が全然変わっちゃうのはなんとなくわかる」
「まあ、私は狩りにはほとんど出ていないんですけどね」
「それでもいろいろあったんだろ」
「早く戻りましょう」ヨンナは、比呂人の言葉には答えず、笑って言った。
日は暖かく、摘んだ花の香りが静かに漂っていた。
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