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宿屋にて
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麓の街にはグリノルフの予想通り、日暮れ前に着いた。
山に登るどころか、普段運動もしていない比呂人にとっては登りもきつかったがそれ以上に負荷のかかる下りがきつかった。膝が痛くなったが、昨晩のグリノルフのマッサージのおかげかなんとか歩ききれた。肉刺もできなかった。
たった一日野宿しただけなのに、宿屋で安心して眠れるということのありがたさが身に沁みた。
それからは近くに街があれば寄り食料を調達し、夜は宿屋に宿泊した。街から街の間は森だったり草原だったりで野宿をした。
もしもソフィアの屋敷のある街から目的地まですべて野宿だったとしたら比呂人はとても持たなかっただろう。
3、4日に1回、長くても5日に1回は街の宿屋に泊まれて、まともな食事と入浴ができるのは非常にありがたかった。
比呂人はもともとインドア派でキャンプも学校行事しか行ったことのないので、野宿はこたえた。
宿屋の固いベッドだって野宿にくらべれば天国のようなものだ、とそのベッドに寝ころび手足を伸ばしながら思う。
夕食時にグリノルフから狩場に行く前の最後の宿屋だと告げられた。
しばらくは野宿が続くだろうし、まともなものも食べられない。仕方がないとはいえ考えるだに嫌になる。
ため息をついて、隣の空のベッドを見る。グリノルフは準備だかなんだか知らないが、忙しそうにしている。
そのほかに説明されたこととしては、狩場に近付くにつれて毒を持つ生物が増えていくこと、狩場自体も湿地で瘴気が漂っていることなどだった。他にも説明は受けたが、そもそも異世界のことなので比呂人の理解が追いつかなかった。
比呂人の抗議が聞いたのか、グリノルフがきちんと説明してくれるようになったのはいいことだ。
体は疲れているのに、いろいろ考えて眠れない。ようやくうつらうつらし始めたころ、静かに扉が開いてグリノルフが帰ってきた。
まどろみの中でグリノルフが静かに動いているのがわかる。なにやら荷物を整理しているようだ。
「グリノルフ」呼ぶつもりはなかったのに気が付くと名前を呼んでいた。
「どうした」
グリノルフが比呂人の寝ているベッドに近付き、顔を覗き込む。
「具合でも悪いのか」
グリノルフの手が、比呂人の額にかかった髪をかきあげ、額を包み込む。グリノルフの手は大きく冷たくて心地よい。
「具合は悪くない。ちょっと眠れないだけだ」
「そうか」
グリノルフの手が離れる。もっと手をのせていてほしかったのは、きっと冷たくて気持ちがよかったせいだ。
グリノルフは荷物からなにかを取り出すと、部屋を出て行った。
比呂人はふうっと息を吐く。心細いときに誰彼かまわず縋りつきたくなるのはよくない癖だ。
体を胎児のように丸めて、なんとか眠ろうと努力する。
しばらくしてグリノルフが戻ってくる。花のようなどこか懐かしい香りがする。
グリノルフは比呂人のベッドに腰掛けると比呂人を抱え起こした。片手にカップを握っている。
「飲め。心が落ち着く」
花の香りの元は湯気のたつカップだった。比呂人はグリノルフからカップを受け取ると恐る恐る口をつけた。
ほのかに甘いが味はほとんどしない。一口二口と少しずつ飲む。
グリノルフとの距離が近い。何もないときにこんなに近いのははじめてではないだろうか。
カップを傾ける比呂人をグリノルフはじっと見ていたが、やがて口を開いた。
「やめるか」
「やめていいのかよ」
「お前が嫌なら別にかまわない」
「狩りはどうするんだよ」
「俺ひとりでもできる」
「でも、時間、かかるんだろ」
「確かに時間はかかるし、依頼の獲物狩れない場合もあるだろうができないわけではない。お前がいない間はそうしていた」
「いまさら、そんなこと言われてもどうすればいいんだよ」
「行きたくなければこの街で待っていてもいい」
「言葉もこの世界のことも何もわからないのにここでひとりでいろってか」
「そうだな、現実的ではなかったな」
「急に置いてくとか言ってんじゃねえよ」
「置いていくとは言っていない。そんなに嫌ならば来なくていいと」
「日和ってんじゃねえ。いつもみたいに『来い』って言えばいいだろ」
「お前があまりにも不安そうだったから……すまない」
「謝んなよ。確かに俺はこの世界のことは何も知らない。でもそれなりにやっていこうとしてる。俺はそんなに頼りないかよ」
「お前の気持ちはわかった。共に行こう」
グリノルフと一緒に数日旅をして、比呂人なりにこの世界に慣れてきたと思い始めたところだったので、急に置いて行かれると不安になる。
比呂人はカップの中身を飲み干すと、目の淵に盛り上がった涙を誤魔化すようにグリノルフにカップを突き返した。
「これ、全然効かないじゃないか」
「そうだな。悪かった。もう寝たほうがいい。俺も休む」
そう言ってグリノルフはカップを受け取るとベッドから立ち上がった。
比呂人は掛布を頭までかぶって、グリノルフのベッドとは反対側を向いた。
グリノルフが服を脱ぎ、ベッドに入る音がする。
比呂人の頬を涙が静かに濡らす。危険な土地に連れていかれるよりもグリノルフに置き去りにされるのが怖い。
誰かに手を離されてしまうのはもうごめんだ。そう思っているうちに、涙のせいか比呂人はいつの間にか眠りこんでいた。
山に登るどころか、普段運動もしていない比呂人にとっては登りもきつかったがそれ以上に負荷のかかる下りがきつかった。膝が痛くなったが、昨晩のグリノルフのマッサージのおかげかなんとか歩ききれた。肉刺もできなかった。
たった一日野宿しただけなのに、宿屋で安心して眠れるということのありがたさが身に沁みた。
それからは近くに街があれば寄り食料を調達し、夜は宿屋に宿泊した。街から街の間は森だったり草原だったりで野宿をした。
もしもソフィアの屋敷のある街から目的地まですべて野宿だったとしたら比呂人はとても持たなかっただろう。
3、4日に1回、長くても5日に1回は街の宿屋に泊まれて、まともな食事と入浴ができるのは非常にありがたかった。
比呂人はもともとインドア派でキャンプも学校行事しか行ったことのないので、野宿はこたえた。
宿屋の固いベッドだって野宿にくらべれば天国のようなものだ、とそのベッドに寝ころび手足を伸ばしながら思う。
夕食時にグリノルフから狩場に行く前の最後の宿屋だと告げられた。
しばらくは野宿が続くだろうし、まともなものも食べられない。仕方がないとはいえ考えるだに嫌になる。
ため息をついて、隣の空のベッドを見る。グリノルフは準備だかなんだか知らないが、忙しそうにしている。
そのほかに説明されたこととしては、狩場に近付くにつれて毒を持つ生物が増えていくこと、狩場自体も湿地で瘴気が漂っていることなどだった。他にも説明は受けたが、そもそも異世界のことなので比呂人の理解が追いつかなかった。
比呂人の抗議が聞いたのか、グリノルフがきちんと説明してくれるようになったのはいいことだ。
体は疲れているのに、いろいろ考えて眠れない。ようやくうつらうつらし始めたころ、静かに扉が開いてグリノルフが帰ってきた。
まどろみの中でグリノルフが静かに動いているのがわかる。なにやら荷物を整理しているようだ。
「グリノルフ」呼ぶつもりはなかったのに気が付くと名前を呼んでいた。
「どうした」
グリノルフが比呂人の寝ているベッドに近付き、顔を覗き込む。
「具合でも悪いのか」
グリノルフの手が、比呂人の額にかかった髪をかきあげ、額を包み込む。グリノルフの手は大きく冷たくて心地よい。
「具合は悪くない。ちょっと眠れないだけだ」
「そうか」
グリノルフの手が離れる。もっと手をのせていてほしかったのは、きっと冷たくて気持ちがよかったせいだ。
グリノルフは荷物からなにかを取り出すと、部屋を出て行った。
比呂人はふうっと息を吐く。心細いときに誰彼かまわず縋りつきたくなるのはよくない癖だ。
体を胎児のように丸めて、なんとか眠ろうと努力する。
しばらくしてグリノルフが戻ってくる。花のようなどこか懐かしい香りがする。
グリノルフは比呂人のベッドに腰掛けると比呂人を抱え起こした。片手にカップを握っている。
「飲め。心が落ち着く」
花の香りの元は湯気のたつカップだった。比呂人はグリノルフからカップを受け取ると恐る恐る口をつけた。
ほのかに甘いが味はほとんどしない。一口二口と少しずつ飲む。
グリノルフとの距離が近い。何もないときにこんなに近いのははじめてではないだろうか。
カップを傾ける比呂人をグリノルフはじっと見ていたが、やがて口を開いた。
「やめるか」
「やめていいのかよ」
「お前が嫌なら別にかまわない」
「狩りはどうするんだよ」
「俺ひとりでもできる」
「でも、時間、かかるんだろ」
「確かに時間はかかるし、依頼の獲物狩れない場合もあるだろうができないわけではない。お前がいない間はそうしていた」
「いまさら、そんなこと言われてもどうすればいいんだよ」
「行きたくなければこの街で待っていてもいい」
「言葉もこの世界のことも何もわからないのにここでひとりでいろってか」
「そうだな、現実的ではなかったな」
「急に置いてくとか言ってんじゃねえよ」
「置いていくとは言っていない。そんなに嫌ならば来なくていいと」
「日和ってんじゃねえ。いつもみたいに『来い』って言えばいいだろ」
「お前があまりにも不安そうだったから……すまない」
「謝んなよ。確かに俺はこの世界のことは何も知らない。でもそれなりにやっていこうとしてる。俺はそんなに頼りないかよ」
「お前の気持ちはわかった。共に行こう」
グリノルフと一緒に数日旅をして、比呂人なりにこの世界に慣れてきたと思い始めたところだったので、急に置いて行かれると不安になる。
比呂人はカップの中身を飲み干すと、目の淵に盛り上がった涙を誤魔化すようにグリノルフにカップを突き返した。
「これ、全然効かないじゃないか」
「そうだな。悪かった。もう寝たほうがいい。俺も休む」
そう言ってグリノルフはカップを受け取るとベッドから立ち上がった。
比呂人は掛布を頭までかぶって、グリノルフのベッドとは反対側を向いた。
グリノルフが服を脱ぎ、ベッドに入る音がする。
比呂人の頬を涙が静かに濡らす。危険な土地に連れていかれるよりもグリノルフに置き去りにされるのが怖い。
誰かに手を離されてしまうのはもうごめんだ。そう思っているうちに、涙のせいか比呂人はいつの間にか眠りこんでいた。
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