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市場にて
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比呂人はそれから二週間ほどソフィアの屋敷に滞在し、ヨンナにこの世界のことをいろいろと教えてもらった。初日に通った市場や宗教施設など、実際に人々の生活が見られる場所にも連れて行ってもらった。
来たときに素通りしただけだった市場で、甘い揚げ菓子を食べながら一店一店、詳しく説明してもらった。
うまいと思って食べていた魚が調理前は想像もつかないようなグロテスクな姿だったことに驚いたり、見ただけでは何に使うかさっぱりわからないし説明を聞いてもまったくわからない品物を見たり、とにかく刺激が多かった。
服も何枚か買ってもらった。ここの人間は肉体労働をする人間以外は男女同じ格好をしている。古代ローマ人のような貫頭衣――シンプルなワンピースだ。
シンプルがゆえに、タックの位置や数、様々な生地や模様でバリエーションがつけてある。
比呂人は紺や生成りなど地味目の色合いのもの選んだのだが、肌触りがよく細やかな地模様が織り出してあり、知識のない比呂人でも一目で高価な布地だとわかった。
屋敷の中では買ってもらった服で過ごした。はじめは風通しが良すぎて落ち着かなかったが、すぐに慣れた。むしろ体を締め付けれるものがなくて快適だと思った。
外出時はグリノルフにフード付きの貫頭衣を着せられた。初めて会ったときに着せられた光沢のある銀のローブだ。特別なのものようで、同じようなものは市場では見つけることはできなかった。
市場にはグリノルフも一緒に来て、保存食や携行燃料を買い込んでいた。
屋敷に滞在してからというもの、グリノルフは毎日どこかしらに出かけていて、屋敷で顔を合わせるのは夕食のときだけというのがほとんどだった。
久しぶりに明るい陽の下で会うグリノルフは覆面をしていなかった。食事時はもちろんしていないが、ソフィアの邸宅に来るまではほぼ覆面をしていてこんなにはっきりと、しかも長時間、グリノルフの顔を見るのは初めてだった。
初めて見たときも思ったが、作り物めいた整った容貌だ。
市場を行き交う人々のほとんどが、時間の長い短いはあるものの、グリノルフの容色に目を留める。
「今日は覆面してないのかよ」
なんとなく落ち着かなくてグリノルフに絡んだのがよくなかった。グリノルフは比呂人を一瞥すると、そのままなにかの干物の吟味を続けている。
「なんか言えよ」
グリノルフはもう一度比呂人を見て、形のいい唇を開きかけたが結局何も言わずに口を閉じた。
「なんもねえのかよ」
比呂人はむかついて小さくつぶやくと、心配そうにこちらを見ているヨンナと目が合った。
「ヨンナさん、あいつの覆面、なんなの。付けたり外したり」
俺に声をかけられたヨンナさんは、こちらが心配になるくらい動転し、なにか聞き取れないことを言った後に
「グリノルフさんはちゃんと話してくださると思います。こんな騒がしいところではなくもっと落ち着いた場所で聞いた方がいいと思います」と絞り出すように言った。
グリノルフが後でちゃんと説明してくれるかは疑わしいところだが、確かに市場では落ち着いて話を聞くこともできないだろう。
比呂人とヨンナがそんなやりとりをしているうちに、保存食を大量に買い込んだグリノルフが戻ってきた。
グリノルフが比呂人に無言で保存食を渡す。重くはないが嵩張り邪魔になる。
グリノルフは既に携行燃料やなにかの道具など重そうな荷物を持っているし、ヨンナに持たせるわけにもいかないので、しぶしぶ持つ。
前は捕った獣を食べたのに、なんでこんなに食料がいるのか、そのままグリノルフにぶつけてみる。
「っていうかこんなに買う必要あるのかよ。この前みたいに現地調達すればいいんじゃないか」
「次の地は毒を持った生物が多い。とてもふたり食べてはいけない」
「え、なんでそんなとこ行くんだよ」
「狙っている獲物がいる」
「そんな危ないの、わざわざ狙わなくてもいいだろ」
「依頼だ」
「頼まれればなんでもやるのかよ」
「なんでもではない。準備を怠らなければ命を落とすようなことはほとんどない」
「でも……」
「今はめぼしい依頼がない。冬の前にできるだけ狩りをしておきたい。確かに他の獲物に比べて危険だが、その分報酬も高い」
「……わかったよ」
比呂人はため息交じりにうなずく。グリノルフの懐事情はわからないが、金のことを出されると世話になっている以上何も言えない。金がなければどこにいたって暮らしてはいけない。
急にこんなところに連れてこられて、どうなってもいいと思ってもよさそうなものなのに、今後の生活の心配をしている自分に呆れ果てる。ここで生きていく気満々じゃないか。
「私も少し持ちますね」
ヨンナが近くに寄ってきて、比呂人の荷物を持とうとする。
「いや、そんな重くないから大丈夫」
「重くないなら持たせてください」と言うと、ヨンナは比呂人の荷物の1/3くらいを両手に持った。
きっとこういうことが得意ではないヨンナに気を使われているということに、申し訳なく思う。しかし断るのも悪い気がしてそのまま持ってもらうことにする。
「ヨンナさんはグリノルフに危険なとこに連れていかれなかったの?大変じゃなかった?」
「え、あの、私は、えっと」
ヨンナさんが言いにくそうに口ごもる。なんだ?と思っていると見かねたグリノルフが口を出した。
「ヨンナは危険な場所には連れて行っていない。そもそも狩りに同行させたことも数えるほどしかない」
「な、んだよそれ。不公平じゃないかよ。女だから危険なとこには連れて行かないってことかよ」
「そうだ。男と女では香りの種類が違う。それに個人差もある。ヨンナからはほとんど感じられない」
「あの、なんか、すいません」
ヨンナが消えそうな声で謝る。
「いや、別にヨンナさんのせいじゃないでしょ。っていうか俺、グリノルフからなんも聞いてないんだけど。俺を囮に使うんだろうけど、狩りの内容とか、とかもうちょっと説明してもいいんじゃないか」
「それは、出発の前にはきちんと説明する」
「直前じゃ意味ねえんだよ。俺だって好きでこんなとこに来たんじゃねえよ」
グリノルフは何も言わず、比呂人に背を向けて歩き始めた。
ここが異世界でないなら荷物もなにもかも投げ捨ててどこかに行ってしまっただろう。でも、ここでは何もわからない自分は、どんな目に合わされようとグリノルフについていくしかないのだ。
「くそっ、なんだよ」
比呂人は口の中で悪態をつきながら、しぶしぶグリノルフのあとをついていく。
ヨンナが心配そうにこちらを見ているのには気付いたが、今はなにも言う気にはなれなかった。
来たときに素通りしただけだった市場で、甘い揚げ菓子を食べながら一店一店、詳しく説明してもらった。
うまいと思って食べていた魚が調理前は想像もつかないようなグロテスクな姿だったことに驚いたり、見ただけでは何に使うかさっぱりわからないし説明を聞いてもまったくわからない品物を見たり、とにかく刺激が多かった。
服も何枚か買ってもらった。ここの人間は肉体労働をする人間以外は男女同じ格好をしている。古代ローマ人のような貫頭衣――シンプルなワンピースだ。
シンプルがゆえに、タックの位置や数、様々な生地や模様でバリエーションがつけてある。
比呂人は紺や生成りなど地味目の色合いのもの選んだのだが、肌触りがよく細やかな地模様が織り出してあり、知識のない比呂人でも一目で高価な布地だとわかった。
屋敷の中では買ってもらった服で過ごした。はじめは風通しが良すぎて落ち着かなかったが、すぐに慣れた。むしろ体を締め付けれるものがなくて快適だと思った。
外出時はグリノルフにフード付きの貫頭衣を着せられた。初めて会ったときに着せられた光沢のある銀のローブだ。特別なのものようで、同じようなものは市場では見つけることはできなかった。
市場にはグリノルフも一緒に来て、保存食や携行燃料を買い込んでいた。
屋敷に滞在してからというもの、グリノルフは毎日どこかしらに出かけていて、屋敷で顔を合わせるのは夕食のときだけというのがほとんどだった。
久しぶりに明るい陽の下で会うグリノルフは覆面をしていなかった。食事時はもちろんしていないが、ソフィアの邸宅に来るまではほぼ覆面をしていてこんなにはっきりと、しかも長時間、グリノルフの顔を見るのは初めてだった。
初めて見たときも思ったが、作り物めいた整った容貌だ。
市場を行き交う人々のほとんどが、時間の長い短いはあるものの、グリノルフの容色に目を留める。
「今日は覆面してないのかよ」
なんとなく落ち着かなくてグリノルフに絡んだのがよくなかった。グリノルフは比呂人を一瞥すると、そのままなにかの干物の吟味を続けている。
「なんか言えよ」
グリノルフはもう一度比呂人を見て、形のいい唇を開きかけたが結局何も言わずに口を閉じた。
「なんもねえのかよ」
比呂人はむかついて小さくつぶやくと、心配そうにこちらを見ているヨンナと目が合った。
「ヨンナさん、あいつの覆面、なんなの。付けたり外したり」
俺に声をかけられたヨンナさんは、こちらが心配になるくらい動転し、なにか聞き取れないことを言った後に
「グリノルフさんはちゃんと話してくださると思います。こんな騒がしいところではなくもっと落ち着いた場所で聞いた方がいいと思います」と絞り出すように言った。
グリノルフが後でちゃんと説明してくれるかは疑わしいところだが、確かに市場では落ち着いて話を聞くこともできないだろう。
比呂人とヨンナがそんなやりとりをしているうちに、保存食を大量に買い込んだグリノルフが戻ってきた。
グリノルフが比呂人に無言で保存食を渡す。重くはないが嵩張り邪魔になる。
グリノルフは既に携行燃料やなにかの道具など重そうな荷物を持っているし、ヨンナに持たせるわけにもいかないので、しぶしぶ持つ。
前は捕った獣を食べたのに、なんでこんなに食料がいるのか、そのままグリノルフにぶつけてみる。
「っていうかこんなに買う必要あるのかよ。この前みたいに現地調達すればいいんじゃないか」
「次の地は毒を持った生物が多い。とてもふたり食べてはいけない」
「え、なんでそんなとこ行くんだよ」
「狙っている獲物がいる」
「そんな危ないの、わざわざ狙わなくてもいいだろ」
「依頼だ」
「頼まれればなんでもやるのかよ」
「なんでもではない。準備を怠らなければ命を落とすようなことはほとんどない」
「でも……」
「今はめぼしい依頼がない。冬の前にできるだけ狩りをしておきたい。確かに他の獲物に比べて危険だが、その分報酬も高い」
「……わかったよ」
比呂人はため息交じりにうなずく。グリノルフの懐事情はわからないが、金のことを出されると世話になっている以上何も言えない。金がなければどこにいたって暮らしてはいけない。
急にこんなところに連れてこられて、どうなってもいいと思ってもよさそうなものなのに、今後の生活の心配をしている自分に呆れ果てる。ここで生きていく気満々じゃないか。
「私も少し持ちますね」
ヨンナが近くに寄ってきて、比呂人の荷物を持とうとする。
「いや、そんな重くないから大丈夫」
「重くないなら持たせてください」と言うと、ヨンナは比呂人の荷物の1/3くらいを両手に持った。
きっとこういうことが得意ではないヨンナに気を使われているということに、申し訳なく思う。しかし断るのも悪い気がしてそのまま持ってもらうことにする。
「ヨンナさんはグリノルフに危険なとこに連れていかれなかったの?大変じゃなかった?」
「え、あの、私は、えっと」
ヨンナさんが言いにくそうに口ごもる。なんだ?と思っていると見かねたグリノルフが口を出した。
「ヨンナは危険な場所には連れて行っていない。そもそも狩りに同行させたことも数えるほどしかない」
「な、んだよそれ。不公平じゃないかよ。女だから危険なとこには連れて行かないってことかよ」
「そうだ。男と女では香りの種類が違う。それに個人差もある。ヨンナからはほとんど感じられない」
「あの、なんか、すいません」
ヨンナが消えそうな声で謝る。
「いや、別にヨンナさんのせいじゃないでしょ。っていうか俺、グリノルフからなんも聞いてないんだけど。俺を囮に使うんだろうけど、狩りの内容とか、とかもうちょっと説明してもいいんじゃないか」
「それは、出発の前にはきちんと説明する」
「直前じゃ意味ねえんだよ。俺だって好きでこんなとこに来たんじゃねえよ」
グリノルフは何も言わず、比呂人に背を向けて歩き始めた。
ここが異世界でないなら荷物もなにもかも投げ捨ててどこかに行ってしまっただろう。でも、ここでは何もわからない自分は、どんな目に合わされようとグリノルフについていくしかないのだ。
「くそっ、なんだよ」
比呂人は口の中で悪態をつきながら、しぶしぶグリノルフのあとをついていく。
ヨンナが心配そうにこちらを見ているのには気付いたが、今はなにも言う気にはなれなかった。
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