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短編 一

紅い果実(下)

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 追いかけてきた数人を撒くのはそれなりに大変だった。

 そもそも彼らにとって、ここはよく知る庭だ。裏口を駆使しても先回りされたりと中々に手際が良い。ところが、お日様が頂点を差し掛かる頃にもなると、徐々に追いかける影が減っていった。

 まあ、バテたんだろう。結構しつこかったけど、こっちは毎日この数倍は走らされてるし、まだまだ余裕がある。



 誰にも追いかけられていないことを何度も確認した後、私たちが連れて行かれたのは年季の入った木造の料理屋だった。

 三本角の子羊亭、とある。

 中に入れば店の名前に習ったレリーフがあり、その羊が「うるさくしたらコロス!」と書かれた紙を咥えている。その理由はカウンターの奥でうんうん唸っている店主を見ればすぐに分かった。

 カウンター側の壁には酒瓶が並び、店内には飾り皿や大きな地図が貼られていた。地図は大きな怪獣なんかが描かれたもので、正確なものとは言い難い。



「つっかれたぁ……!」



 いの一番に机へ突っ伏したのは、ここまで私たちを案内してくれたフロエさんだ。

「大丈夫ですか?」

 問えば、最初に見せた笑顔が嘘のように崩れた情けない表情でこちらを見て、批難するように言った。

「なんで二人共元気なの……っ、もう走りっぱなしだったじゃない」

「普段から鍛えてますからっ」

 今は雑用班に戻ったとはいえ、基本的な訓練には参加する。メルトさんもハイリア様付きとあっては護衛としての能力も求められる。力量は圧倒的に護衛対象であるハイリア様のが上らしいけど、実際に実力を見た人は小隊内にも居ない。

 というか、いつも雑用を手伝ってくれているのに、いつ訓練してるのかは謎だ。



「ありがとうございます」



 と、店の人らしいおばさんが水をたっぷり注いだ陶杯を出してくれるのを見て、メルトさんが丁寧に礼をした。その完璧なまでのお辞儀に目を丸くしたものの、おばさんは肉のたっぷり付いた腹を揺らし「ゆっくりしていきな」と笑った。

 フロエさんが疲れ切った声でお礼を言うと、奥で店主が片手を挙げた。



 どうやら、顔なじみの店らしい。



 店内を見回せば、お昼時とあって結構な人入りがある。それでも物静かなのは、皆して店主の怒りを恐れているからなのか。

 なんだか、音だけ聞けば以前ハイリア様と行った高級なお店みたいだ。



「ええと……遅くなりましたけど、助けてくれてありがとうございます」

「いいよ。私は別にそのつもり無かったし。もう一人のあれも、まあ病気みたいなものだから」



 病気、とはまた妙な言い回しだったけど、感謝は感謝だ。無事を祈って拝んどこう。当人の実力を考えれば危険なことはまずないだろうけど。



「それより、折角だし何か食べる? 作るよ」

 突っ伏したまま手探りで掴み、渡された木の板を見ると、歪ながらも味のある字で料理名と値段が掘られていた。こういった店には珍しい用意に意外さを得る。

「字が読めない人はお金出してどんなの食べたいか言えば勝手に作ってるから、それでもいいよ」

「大丈夫です。おー、読めるけど何の料理なのかさっぱりです。あ、メルトさんも座って下さい」

「いえ、同席するわけには行きませんので」

「ウチは立ち食い厳禁だから、関係者揃って店主に叩き出されるよ」

 有無を言わせぬフロエさんに、メルトさんはしぶしぶ席についた。強く言われたのが気になってるのか、ちらちらとフロエさんを見る。

 悪気は無さそうだし、大丈夫ですよ、きっと。というか、常連というよりお店側の人でしたか。

「ほら、メルトさんなら何が何か分かるんじゃないですか? この……ちゃーはん? 欄外にあるのはなんでなんですかね?」

「あー」



 心底面倒くさそうに顔を上げたフロエさんは、陶杯に注がれた水を一気に飲み干すと、幾分すっきりした表情を見せた。ただ、語る声は妙に苦味を帯びていて、



「前にちょっとだけ働いてた人が勝手に残していったヤツだね。なんか異様に人気で、気が向いた時だけ作ってるんだけど……それにする? 遠慮しなくていいよ」

「はい。それじゃあ三人……四人分お願いします」

「四人?」

 私と、メルトさんと、フロエさん。それに、さっき助けてくれたあの人だ。

 意図に気付いたらしいフロエさんはちょっとだけ嬉しそうに「まだ戻ってこないと思うから、三人分にしとくよ」と笑って厨房へ入っていった。



 私は水を少しだけ口に含むようにして飲み、木彫の料理表を手にとった。



「変わってますよね、このお店」

 不思議と慣れた感覚がある。

 席ごとに番号を振っているのか、店員同士が交わす注文にはやや符号じみた所がある。注文を受けた厨房ではそれに応じて何かの札を順番に掛けていき、でき次第取り外していく。

 入ってきた客にも、やんわりとではあるが誘導したい席があるようだった。例えば強面の客は奥へ、話しかけやすそうな客は入り口側へ。実際になったのを意識して見てみれば、確かに怖い人が入り口に陣取っているより一見さんが入りやすい。

 恐ろしく発展した考えが根底にある。

 そしてそういう考え方をする人が身近にいる。



 まあ、流石に考え過ぎですかね……?



 よくよく見れば、こういう客商売でフーリア人の女の子を雇っていることも珍しい。客にも浅黒い肌をした人がちらほら居て、人種なんて関係ないとばかりに食事を楽しんでる。

 差別は近しい人同士の方が激しくなる、というのは私の考えだったけど、ここにはそんな雰囲気が欠片も感じられない。このお店の雰囲気がそうさせるのか、店主の人柄故か、それともこの一帯ではそういうものなのか。



 フーリア人の軍隊に追い立てられて逃げてきた私からすると、この光景は全く別の国に来てしまった時のような気持ちになる。

 メルトさんやフロエさんのようなフーリア人に対して、差別意識はないと思う。けど、こういう景色を前に戸惑ってしまうのは、どこかで私はありえないものとして考えていたのかもしれない。



 ハイリア様のことは信じられる。

 彼の目指す奴隷解放という道も、困難でこそあれ、きっと達成できると思ってる。



 それでも……そういう未来を明確に想像出来ずに居た。



「白い……髪…………でも……」

 その未来への一幕と言えるメルトさんとの食事。自然と視線を向けた先では、真剣な表情で厨房を見つめる彼女があった。

「どうかしたんですか?」

「ぁ……い、いえっ、なんでもありませんっ。申し訳ありません、少しぼうっとしていましたっ」

 何かを呟いていたメルトさんは、やや慌てて取り繕った。



 白い髪……か。

 よく知らないからそういう人も居るんだと思ってたけど、



「そういえばフーリア人で白髪の人は初めて見ました。やっぱり、メルトさんから見ても珍しいんですか?」

「えぇ……その、正確にはフーリア人とは違いますが」

 なんとはなしに尋ねた問いに、意外な答えが返ってきた。

「違うんですか?」

「はい」

 と、居住まいを正し、厨房で大きなフライパンを振るうフロエさんを見た。



「こちらの方はよく混同されていますが、新大陸に住んでいる人種はフーリア人だけではなく、もう一つあります。それが――フロンターク人」



 フロンターク……聞き慣れない言葉だ。



「私たちの言葉で、光の導き手、という意味です。ですが、これはやや訛った呼び方で、本当はフラントーケンというそうです」

 ますます知らない。

「そっちの意味はなんなんですか?」

「フランという言葉の意味は私も知りません。ずっと昔にあった言葉なのか、正式な巫女となれば教えられたのか……ですが、トーケンという言葉の意味は一般に、器……と翻訳されます。ただ、食器の類ではなく、役を担うとか、定めに従う、というような意味があります」

「器……ですか」

「訛りについては、神官様から聞いた、あくまで小話程度のものですけど。それにフロンターク人の方々は私たちフーリア人にとって――」



「おーまたせー」



 元気良く厨房から出てきたフロエさんの声に、メルトさんの話は打ち切られた。まあ当人を前にこういう話はよくありませんし、また今度に。

「なに話してたのー?」

「いえ……故郷の話を」

「あー、あなたはあっちの事覚えてるんだ」

 濁した言葉に、フロエさんの反応は軽い。メルトさんやフィオーラさん以外にフーリア人を知らない私としては、彼女の明るさは珍しかった。

「というか、名前なんだっけ?」

「あ、そういえば」

「申し遅れました。私はメルトーリカ=イル=トーケンシエルと申します」

「私はクリスティーナ=フロウシアです。クリスでも、くり子でも、好きなように呼んで下さい」

 慌てて私より先に名乗ってしまったことを気にしているのか、メルトさんはちょっと落ち着きが無い。フロエさん、とっつきやすいし気にしなくてもいいのに。



「そう? それじゃあくり子にメルト、でいいかな。私の事も好きに呼んでね」

「はい、フロエさん。あ、メルトさん」



「はい」

「フロエ様、なんて呼んじゃ駄目ですよ? フロエさんは、直接のお友達なんですから」

「ぁ……えと」

 戸惑うメルトさんに、今度はフロエさんが快活に笑って言った。

「様付けは勘弁してほしいかなぁ。それに私、見ての通り堅苦しいのは苦手だし、偉い身分って訳でもないからさ」

「……はい。フロエ、さん」

「はい、メルト。というか二人共、さん付けもいいよ。言葉だって雑でいいし」

「うーん、私は学校でうっかり出ないよう慣らしてるんですよね。ほら、偉い人にぽろっと気安い言葉を掛けるとそれだけで教育部屋行きもありますから」

「私も、お屋敷務めをしていますので、申し訳ありません」



 固いなぁ、と言いつつフロエさんは納得してくれたみたいだった。



「それじゃあ、ウチの料理をご堪能あれ」

 話を打ち切り、持ったままだったお皿を器用に置いていくフロエさん。手と腕とで合計四皿纏めて運んできたのには驚いた。というか、一皿多い?

「こちら、店主からの驕りです」

 言われ、カウンター奥へ目をやれば、相変わらずダルそうにした店主が片手を挙げる。

「私が人を連れてくるのは珍しいからって。まあ気にせず食べちゃって」



 どーん、と卓の中央に置かれたのは、鳥の香草焼きだった。丸焼きとまではいかないけど、結構な大きさがある。香草に混じって匂うこの香ばしさは、きっとチーズを絡めてある。脇に置いてある葉物はなんだろう?



「これをさ、適当な大きさに切った肉をこうして包むの。女の子に振る舞うにはちょっと重いものだけど、ウチの人気の一品かな」



 言われた通りに切り落とした肉を香草で包み、食べてみると、口にした途端香りが口内で広がった。独特な舌触りの香草を喰んでやれば、その奥にある鶏肉がチーズの味と一緒に肉汁を溢れさせる。



 お、おいしいっ!



 隣を見れば、メルトさんも驚いた様子で口元に手を当てていた。あらお上品。真似して私も口元に手を当てる。あ、油が口に。

「好評みたいで良かった。まあ味付けは結構雑でさ、上等な料理とは言えないけど、ウチらしくていいよね」

 言いつつフロエさんが手を伸ばしたのは、例のちゃーはんなるものだった。

 見た目にはお米と野菜と卵を炒めて、何かで味付けをしているらしい感じ。雑以前に複雑な料理をしたことのない私には色付いたお米がとても摩訶不思議料理に見えた。



 木のスプーンで掬い取り、口の中へ運ぶ。

「おおっ、おいしいです!」

 お米なんて滅多に食べないけど、記憶にあるよりずっとパラパラしていて食べやすい。ほんのりとした塩の味に、ピリリとした辛味がある。そんなお米を甘い卵で包んであるせいか、辛味と甘みが同居しているように感じられた。パンとは違う、お米ならではの食感が、この味によく合っていた。



 おいしいおいしい、とがっついていたら、不意にフロエさんが立ち上がった。

 戸口へ歩いて行くのを追えば、カウボーイハットを被った枯草色の髪の少年が、背中を向けて半身を晒していた。

 小さな声で言葉を交わす二人を、メルトさんと一緒に見る。

 そよ風に運ばれて、一つの言葉が聞こえてきた。



「もう……すぐそうやって格好付ける……」



 その拗ねたような不満の声が、差し込む光の中で笑いかける表情が、なにもかもを物語っていた。



 そしてその表情を、私は以前に見たことがある。

「メルトさん」

「……はい」

「これを食べたら、ハイリア様の所に戻りませんか?」



 あぁ……。



「はいっ」



 コレを見せられると、どうにも私は――



 拗ねるように肩肘をついて、陶杯の口を指で撫でる。その視界の端を何かが横切っていった。

 パシッ、という小気味いい音に釣られて顔を上げると、戸口で枯草色の髪の彼が、リンゴを掴みとっていた。



「もう一個持って行きな」



 声はカウンターの奥からだ。

 店主らしい女の人が、近くにあったりんごを掴み、また放る。二日酔いでダレているからか、狙いを外れたそれをフロエさんが慌てて受け取った。それをまた戸口に向けて差し出す。

 受け取った彼は軽く手を振り、そのまま姿を消した。



 残ったのは、声を抑えて歓談する客の喧騒と、りんごの甘い香りを含んだ残り風だけだった。



   ※  ※  ※



 ゆっくりと歩きながら、何の気なしに手にしたりんごを放り、落ちてきたのを掴む。そんなことを繰り返しながら砂地の道を男が歩いていた。目深に被ったカウボーイハットはやや前傾になっていて、表情が見えない。

 ただ、砂と土で汚れた革の上着に、幾つかの血痕があった。それは誰かを傷付けて付着したというものより、自身から流れ落ちたものに見える。まあ、鼻血だな。



 鼻を啜る音に何かと思えば、口の中に溜まったらしい血を道端に吐き捨てた。



 彼はそのまま歩き、階段脇の木陰で壁に背を預けると、手にしていたりんごの一つを上に放ってきた。



「……貰っておく」



 ちょうどその上の手すりに身体を預けていた俺は、受け取ったりんごをそのまま齧る。現代のりんごをよく知る俺からすると、ずっとぱさぱさしていて甘みが薄い。

 だが、走り回って疲れた身としては、果実の水気がありがたかった。



 すぐ真下からもりんごを齧る音が聞こえ、とうとう耐え切れなくなったのか座り込むのが見えた。



「目を付けられた人間の代わりに自分を差し出すのはいいが、一歩間違えば死んでいたぞ、ジーク=ノートン」

「……あのまま全員ぶっ倒しても、二人は目を付けられたままだったろ、ハイリア=ロード=ウィンダーベル」



 思わず笑みが漏れる。



「そうだな。それについては礼を言う」



 この様子を見るに、殴られて青あざだらけな顔を見せないよう様子を見に行ったんだろう。コイツを見る限り、メルトたちへの危害は無かったらしい。逃げまわる三人を追う連中を、陰ながら寝かしつけて回ったのはうまくいったということか。

 魔術も使わずというのは、やや骨が折れたがな。

 俺やコイツが手を出したことは多少の遺恨を残すだろうが、上と話が付いていればそうそう無茶な事は置きない。顔を見られるようなヘマはしていないし、問題ないだろう。



「……強くなったな、あんた」



 意外な言葉に目を向ける。

 だが、上からでは帽子に隠れたヤツの表情は見えない。

「声に力がある…………俺の親父の声に、少し似てるなって思った」

 また変な所で鋭いことを言う。



「俺は最初から強かったさ」



 最近は強がることが増えた。

 強がっていることを自覚して、そう振る舞うように自分を規定する。ビジットが抜けた穴は戦力としてのものだけじゃない。大雑把と受け取られがちなアイツは、言い換えれば大抵のことを受け入れる器があった。

 居たら居たで何もしないような奴だが、誰もやらないことをいつの間にか穴埋めしてくれていることは何度もあった。

 何より友人と、今後は敵対するのだろうという想像がつらかった。



 ただ今は、同じことを繰り返してきただろう男を前に、小さな共感がある。



「いや、強くなる理由があった、ということか。お前みたいにな」



 言えば、りんごを齧る動きが止まり、少ししてまた咀嚼を始める。



「本で読んだ話だが、知恵の実というものがある」

「……なんだそれ」

「その果実を食べると色んな知識が手に入る。だが、それを口にしたら最後、神の怒りを受けて楽園から追放される」



「知らないで居る限り、楽園に居続けられる……か。っ、HA! まるでネズミ捕りだ」



 たしかにそうだ。

 決して口にしてはいけない禁断の果実。そんなものを何故配置した。万物を創造したという神でもその果実を排除出来なかったのか、あるいは意図して配置したのか。前者には悪魔の存在があったからと語る者も居る。だが仮に後者であるなら、その神意はもしかすると、



「誰かに知って欲しかった。知れば楽園に居られなくなるほどの知識を、自分だけが抱えていることに耐えられなかったから……なんていうのはどうだ」

「じゃあそれを配置した神ってのは、友達が欲しかっただけじゃねえのか」

「友、か」



 全てを知りながら、自ら歩み寄りもせず、時を待つという計算の元でいずれをすべてを知っていく者を見つめている。

 たしかにそれだけ見れば、友達の居ない不器用なヤツとも受け取れる。



 それを思えば、自分やコイツがひどく滑稽に思えた。



「……ヒース=ノートン。お前の父親の名前だな」

「っ…………いや、そうか……そういやアンタは大貴族サマだったな」



「新大陸を発見したとされているのが十八年前。発見したという貴族も今は全員が死に、当時の航海日誌は残っていない。それを纏めたという報告書だけが綺麗に各国の記録として残されているが……本当はもっと以前に発見されていた」



「それが、俺の父親……ヒース=ノートンだ」



「だが有力な貴族の援助を受けているでもなかった自由民の報告は、愚かにも信用されなかった。経緯や真実がどうであれ、歴史に刻まれたのは別の人間の名だ」

 と、これが真実の入り口。

「あぁ……分かってるさ……それについて文句をつけるつもりはねえ」



 誰が見つけたかなんて関係ない。

 それを論じるよりもまず、フーリア人との争いを止めさせるべきだ。とでも考えているんだろう。



「面白い話を聞かせてやる。そのヒース=ノートンが書き記した航海日誌は、ある貴族の元へ渡った。ちょっとした珍品扱いだったらしく、随分と高値を付けられたと父上から聞いたことがある」

「っ、アンタの家が持ってるっていうのか!?」

「日誌に興味を持った父上が、生前のヒース=ノートンと接触している」



 時間が止まったように静かになった。

 知恵の実を手にした少年は、今階下で何を思っているだろうか。



 高い所から眺める町並みは実に興味深かった。

 一段上がったこちらの通りには石畳が敷き詰められ、レンガ造りの家が多い。貴族街ではないものの、爵位を持たない者の富裕層がこちらに住む。この階段を遠巻きに監視している衛兵の格好も、階下を行く人々よりずっと小奇麗だ。

 対し、階下は木造の家が中心だ。上と下とを行き来する階段に近いこともあって、付近にはそれなりにしっかりとした家が立ち並んでいるが、離れるほど見窄らしい木造が増える。窓際に干した洗濯物や風に運ばれてくる物音を聞けば、それとなく人の息遣いが感じられて……結局、その程度。

 家屋の隙間から行き交う人々が見えて、その大まかな目的は想像出来ても、内心までは分からない。



 直に合い、話した時に感じるものとはまるで違う。

 いつか見たジークとハイリアの会話は、俺が想像していたよりもずっと重みのあるものだった。



 もし俺が、異世界から来た人間でしかなかったのなら、教科書の文章を朗読するように語れたのかもしれない。だがハイリアとしての記憶や意志とが混ざり合った俺にとって、かつてゲームの中で語られた懊悩が胸の奥に穴を開ける。



「……知恵の実、か」



 果たしてどちらの声だったか。

 声が耳朶を打ち、言葉として意識した時には、話した記憶も、聞いた記憶も酷く曖昧に感じられた。



   ※  ※  ※



































































































 その日、不思議な夢を見た。



 軋むような静けさに包まれたお屋敷で、一人の女が微笑みながら逝った夢。

 白い髪の老婆は、最後に何かの言葉を残していた。世話役の女は涙ながらにそれを聞き、女の最後を看取った。



 分かっている。



 『幻影緋弾のカウボーイ』。

 トゥルーエンドのラストシーンだ。



 その、筈だった。



 雑音が混じる。



 今まで玻璃の向こうにあった世界に小さな亀裂が奔った。



 ここで終わり。

 そんな考えを否定するように、歪んだ鏡の向こう側で、死んだ女の手を握って啜り泣いていた女が立ち上がる。



 息を呑んだ。



 浅黒い肌に、黒い髪。

 それはゲームのCGにも描かれていた。

 彼女の世話をするのだから、同郷の者であっても不思議はない。



 老いて尚分かる。

 俺は彼女の名を知っていた。



「メル……ト……?」



 この世界は、ゲームのエンディングによって閉じる世界ではない。

 ある作家が苦悩の果てに掘り起こした、現存する物語。



 紅い果実の裂け目から、少女の瞳が覗いていた。







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