傀儡といしの蜃気楼 ~消えた王女を捜す旅から始まる、夢の世界のものがたり~

遠野月

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シャーニ

シャーニからはじまる

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 一瞬、光が消えた。
 なにが起こったのか、分からない。ただ、なにもない小さな部屋に立っていた。

 部屋の中には、小さな少女が倒れていた。近付かなくても、その少女は自分に違いないとシャーニは思った。倒れていた少女は動かなかったが、死んではいないようだった。だが、眠ってもいない。壊れた人形のようだった。

 人形の姿を見て、シャーニは自分の命が終わりつつあるのだと悟った。
 悲しくはない。なぜか、感情は湧きあがってこなかった。

 どうしてこうなったのか、シャーニは分からなかった。なにも思い出せないが、なにかしなければいけないというひとつの想いが、心の内に宿っていた。強い想いは、少女の足を走らせた。部屋を飛びだし、奇妙な形をした街をぬけていく。ずいぶん速く走ったが、疲れることはなかった。むしろ元気になった。死につつあるのに元気になっていることが、少し面白かった。

 ひたすらに走った。
 不思議な石にふれ、山のようなところを越えた。奇妙な老人と話し、長いようで短い道を駆けぬけた。どれも初めて見るもので、初めてとおるところだった。しかし、どれも仕組みを理解していて、道順も分かっていた。迷うことはなく、強い思いに導かれるままシャーニは走った。

 やがて、大きな街にたどり着いた。
 街は高い城壁に囲われていた。城門にいた一人の兵士に、シャーニは道をたずねた。兵士はこころよくうなずき、行くべき道を指し示した。兵士の指の先を見ると、広く長い石畳の道が延びていた。
 石畳はところどころ土がかぶさり、汚れていた。道の両側にならぶ石造りの建物も、どこか古く、くすんでいた。しかし、どれも色あざやかだった。城壁の外の森も美しかったが、街は玩具の積み木をならべたような楽しさがあった。

 広く長い石畳の道を歩いていくと、大きな穴が開いていた。
 穴は巨大で、何百もの建物を落としてもまだ足りないほどに見えた。穴の底からは、風鳴が上がってきていた。風鳴の音は重く、冷たかった。シャーニは顔をしかめて、穴から距離を取った。どこかで聞いたことがあるような気がしたのだ。不快感でいっぱいになり、シャーニは耳を押さえながら大穴を迂回した。

 穴の向こう側には、不思議な街が広がっていた。
 見たこともないような建物がならび、統一性がなかった。洞窟のような家もあった。面白そうな家をいくつか見て回ったが、どの家にも人はいなかった。多くの人がいる気配はするが、見えないらしい。幽霊のようなものかと思ったが、怖いとは思わなかった。
 ふと、人の気配がシャーニに寄った。
 シャーニはぐるりと見回したが、人の姿は見えなかった。気配だけがそばにいて、なにかを語りかけているようだった。言葉は理解できなかったが、心の奥に伝わるものがあった。

 シャーニは走った。
 広場が見え、ぽつりと建っている家が見える。見たことがある家だった。近付いてみると、自分の家によく似ていた。家の周りは光が差しこんでいて、明るかった。見上げると、この家を選ぶかのようにして陽が照っていた。心地よい暖かさが、シャーニの身体を温めた。

 木戸の手をかけると、力を入れる前に戸が開いた。
 シャーニはびくりとして、顔を上げる。目の前に、大きな男性が立っていた。背は、兄と同じくらいだろうか。甲冑を着ていて、カチカチと金属音が鳴っている。

「よく来た」

 甲冑の男が言った。シャーニはあわてて頭を下げると、男は少女の頭をなでた。武骨な手だったが、妙に温かい。兄になでられているような気がした。シャーニは目を閉じてみた。やはり、兄になでられている気がして、心がふわりとゆれた。

「入るといい」

 そう言って男は木戸を大きく開き、道を作ってくれた。
 中を見ると、テーブルの向こう側で椅子に腰かけている少女が見えた。少女はシャーニの姿とよく似ていた。

「こんにちは!」

 椅子に腰かけている少女が、元気よく挨拶した。少女の声は、シャーニの声とよく似ていた。挨拶を返すと、少女は笑いかけてきた。木戸のところにいた男は、戸を閉めてテーブルまでもどってきた。

「よく、ここまで頑張ったな」

 男はそう言うと、自身のことをセウラザと自己紹介した。
 セウラザはシャーニをを招くようにして、腕を広げた。それを見て、シャーニは胸の奥に痛みを感じた。詰まるような痛みが、胸から頭まで登ってくる。気付けば顔が熱くなっていて、涙がこぼれはじめていた。

 涙を流すシャーニを見て、セウラザはもう一度腕を広げてみせた。
 シャーニは彼の腕に飛びこむと、理由も分からないまま崩れるように泣いた。全身から涙が噴きだしているのではないかと思うほど、身体が熱くなった。取りついたセウラザの甲冑が妙に冷やりとしていて、身体の熱をうばった。その心地よさが、さらに涙をしぼりださせた。

 泣いているうちに、椅子に座っていた少女がそばに来ていた。
 少女はじっとこちらを見ていたが、自らふれてこようとはしなかった。シャーニは涙を流しながら少女に手を伸ばした。少女はシャーニの小さな手を拒むことなく、小さな手で受け止めた。
 瞬間、二人の手の間に、温かい光があふれた。
 光は二人をつつみこんで、ゆるやかな風を生んだ。天井のカンテラがゆれ、暖炉に火がともる。家が生きて呼吸しているようだと、シャーニは思った。

 やがて光がおさまる。
 いつの間にか、涙は止まっていた。

 シャーニは、自らの心の中にいくつかの光が宿ったのを感じた。
 光は、記憶のようだった。胸に手を当てると、光が手のひらに宿った。見ると真珠のように丸い石がかがやいていて、石の中にはなにかがゆれていた。

「それは記憶だ」

 セウラザが膝を突き、シャーニに目線を合わせて語りかけた。
 石の形になった記憶は、目の前にいる少女に受け継がれるらしい。シャーニは丸い石をじっと見た後、少女に目を向けた。少女は優しく微笑んでいた。

「その石を渡せば渡すほど、君の心はこの子に受け継がれる。だが、渡しすぎてはいけない」

 セウラザは石を指差しながら、優しく説明した。
 シャーニは首をかしげ、渡しすぎるとどうなるのかたずねた。セウラザはしばらく黙ったが、渡しすぎた瞬間、君は光になって消えるだろうと答えた。

 じゃあ、全部あげますと、シャーニは言った。
 セウラザと少女は、目を丸くさせた。それはよくないと拒む。しかしシャーニは、もうじき自分は死に、消えてしまうと悟っていた。惜しむものはなにもなかった。セウラザにそのことを伝えると、彼は少し考えて、うなずいた。

 シャーニは、自らの胸にそっと手を当てた。
 胸の中からは、光があふれだす。手のひらに無数の光る石が乗っていた。石は多すぎて、こぼれ落ちるほどだった。
 手のひらにある石を見た後、シャーニはセウラザに向き直った。そして、ここは兄の世界かと確認した。夢の世界という理解がなぜか備わっていて、兄の夢の世界に来たのだということは分かっていた。しかし、念には念だ。間違っていては困る。
 シャーニの問いに、セウラザはうなずきで応えた。
 彼の顔を見て、シャーニはうなずく。隣にいる少女に向き直り、手のひらに乗った光る石を差しだした。あふれるほどの石を見て、少女はためらったようだった。しかしシャーニは、少女に詰め寄って笑いかけた。

 少女は恐る恐る、ひとつ、石を取った。
 それは、シャーニが赤ん坊のころのおぼろげな記憶。
 傭兵であった兄が、赤ん坊のシャーニを保護しなければ、死んでいたころのことだ。兄は傭兵を辞め、シャーニを育てるためにラングシーブとなった。言葉が分かるようになってから、兄の友人であるミッドに聞いた話だ。

 少女はもうひとつ、さらにふたつ、石を取った。
 それは、奇跡のようにやさしい時間の記憶。
 保護されなければ存在しなかった、温かい時間だ。兄に与えられ、ラングシーブの友人たちに育てられた。ひたすらにやさしく、温かく、幸せな時間の記憶だった。

「これを全部、あなたにあげる。だから、伝えて。約束よ」
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