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シャーニ
いつか見る道からはじまる
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色褪せた森に来るのは、三度目だ。もちろんラトスは色をしっかりと認識できないので、見慣れた景色である。しかしフィノアが長く息を吐きだし、あからさまに嫌そうな顔をした。美しい草原の景色からは落差があるので、がっかりするのだろう。
「これはこれで、情緒があります」
メリーが、ラトスを気遣うように言った。余計な一言だと思ったが、ラトスはメリーに仰々しく畏まってみせた。メリーは悪びれもせず、笑い返す。
「そういうのはいいです。早く森を抜けましょう?」
「そういうのって。あ、待ってください! フィノアー!」
さっさと歩いていくフィノアを追って、メリーが駆けていく。
取り残されたラトスは、顔をしかめてセウラザに向いた。
「俺の夢の世界に踏み込んできて、散々な言われようなんだが」
「話芸のようなものだろう」
セウラザが真面目な顔をして応える。ずいぶんな話芸もあったものだと、ラトスはいぶかしむような表情をした。先を行く二人の方へ、目を向ける。木々の狭間から、エイスの城壁が見えた。
ラトスは肩をすくめると、二人の後を追っていった。
森は、静かだった。風もなく、四人の足音と、枯れた枝葉を踏む音が広くひびく。しばらく戦いつづけていたからか、色褪せた森でも心身が澄むような心地になった。見上げると相変わらずのよどんだ空だが、慣れればどうということもない。悪夢の回廊や、崩壊がはじまった夢の世界に比べれば、平和な光景だ。
「これから、どうする? ラトス」
歩きながらセウラザが言った。
「悪夢の回廊の最奥を目指す他はない」
「そうだが」
ラトスの言葉に、セウラザは短く応えてうなった。
回廊の最奥に行く方法を聞きたいのだろう。しかし、夢の世界の経験が浅いラトスに思いつくはずもない。ペルゥにでも聞いてくれと言おうとしたが、ぐっと飲みこんだ。
長い回廊ならば、奥につながる扉があるかもしれないという話だった。しかし、強い不信感をいだいた相手とつないだ悪夢の回廊で、駄目だったのだ。さらに大きな不快感を持つ相手を探さねば、開く可能性がある扉を見つけられないだろう。
復讐したいほど憎むべき相手はいるが、今回は役に立たない。名も顔も、分からないからだ。相手が特定できなければ、悪夢の回廊はつなげない。
テトたちから有益な情報が得られればいいが、過剰な期待はできないだろう。あの夢魔たちは、しゃべれはしても強くはない。好奇心はあっても行動力は低いのだ。あわよくばと思う程度の期待にとどめるほうがいいだろう。
「もう少し考えさせてくれ」
「わかった」
「お前も考えろよ」
「そうだな」
セウラザが短く応える。
分身ならば、思考力も同じ程度はあるだろう。二倍考えられると思えば儲けものだなと、ラトスは前向きに考えた。
二人は、先を行くメリーとフィノアから距離を取ったまま、意見を交わしつつ歩いた。森を抜けるまで話しつづけたが、結局良い方法の糸口すらも見つからなかった。いつの間にか先を行く二人を見失っていたが、目的地は同じなのだ。ラトスは気にしなかった。森の切れ目が見えて、大きな道が映る。道には、ふたつの人影があった。
「遅いですよ」
メリーの声が聞こえた。
人影は、ラトス達に詰め寄るようにして近付いてくる。間違いなく、メリーとフィノアだ。
「今後のことを考えていたんだ」
「そうなのですか? 何か、決まりました?」
「いや。何も」
「じゃあ、遅くなっただけじゃないですか」
メリーは、がっかりしたように言う。清々しいほどの結果論だが、なにも言い返せることはない。そうだなと言って、ラトスは両手をあげてみせた。メリーとフィノアは、仕方なさそうな表情でうなずいた。
道の先に目を向ける。
巨大な城壁と、エイスの城門が見えた。門の前には、いくつか動く影があった。歩いていくと、動く影は門衛だと分かった。
「衛兵がいることもあるのですね」
「そうだな。門からは定期的に姿を消すし、現れる」
メリーの言葉に、セウラザはさも当然のように応えた。
ラトスは首をかしげ、なにを言っているんだと吐きだそうとした。しかし、銅像になって動かなくなった衛兵のことを思いだし、口をつぐんだ。ラトスの夢の世界にいる衛兵は、現実的な働きをするものではないのだろう。まったく別の思考から、衛兵として生まれているのかもしれない。
門前まで来ると、衛兵たちはこちらを見て直立し、槍を立てた。
「おかえりなさい」
直立した衛兵は笑顔で言うと、メリーとフィノアをのぞくように見た。
「二人は、客人だ」
「わかりました。では、お客人。お願いがございます」
「なんでしょう?」
のぞきこんでくる衛兵に、フィノアが応えた。
衛兵はフィノアをじっと見ると、笑顔を作り直す。
「しばらく、この街で、魔法は使わないでいただきたい」
「魔法を?」
「ええ。何卒」
衛兵はフィノアとメリーに頭を下げると、セウラザに向き直る。
「何かあったのか」
セウラザがたずねると、衛兵は小さくうなずいた。
「守護が、一度伏せられました」
「そうか。今は?」
「平常に」
「わかった」
セウラザが応えると、衛兵は一礼して一歩退いた。
ラトスたちは、怪訝な表情でセウラザを見る。三人の視線に気付いて、彼は無表情に向き直った。
「後で説明しよう」
「お前、何か隠していたのか」
「それも、後で説明する」
にらむように見てくるラトスに、セウラザは短く応える。ラトスは納得いかなかったが、それ以上食い下がるのをやめた。セウラザが感情的に隠し事をすることなどないだろう。意味をもって伏せていて、今明かすべきと考えたのだ。文句は、聞いてから言っても遅くはない。
ラトスは仕方なくうなずくと、セウラザは無言でひるがった。衛兵に声をかけ、城下街に入ることを伝える。メリーとフィノアは、落ち着かない様子で二人を見ていた。ラトスが追求しなかったので、口をはさまず、静かにしていた。
城門をくぐる。衛兵たちは直立し、ラトスたちに笑顔を見せた。
城門の隅の方に立っている衛兵は、幾人か銅像になっていた。門を後にして、一度振り返る。銅像になった衛兵の数は、さらに増えていた。それらはすべて、ラトスたちに向きを変え、直立していた。
煤けた中央区画をぬけていく。
四人の間に、言葉はなかった。ラトスの表情に険しさが宿ったことも一因であるが、それだけではない。先頭を行くセウラザも、わずかに緊張感をにじませていた。彼らの雰囲気を受けて、メリーとフィノアはひたすらに押し黙った。汚れた石畳の大通りに、足音だけがひびいていく。街の中央に開いた大穴へたどり着くまでに、メリーは三度ほど息苦しそうに息を吐いた。
「あと少しでシャーニちゃんに会えますね」
耐えかねたメリーが、声をこぼした。彼女の言葉に、フィノアの顔が明るくなる。そうですねと返しながら、ラトスの家がある方へ目を向けた。ラトスはシャーニという名前に眉根を寄せたが、なにも言わなかった。メリーが、ラトスの服を引っ張る。黙らないでと、顔で訴えてきた。仕方なく、ラトスもそうだなと応え、うなずいてみせた。
その間も、セウラザは無言だった。
いつも通りと言えばそうだが、妙な緊張感を解くことはなかった。
大穴を迂回して、不思議な街に入っていく。
街は、全体的に暗くなっていた。見上げると、空も夜のように暗い。足元も見えないほどではないが、ねばつくような闇が、街に沈んでいるようだった。
行き交う人々は、少ない。元より活気がある夢の世界ではなかったが、さらに寂れたように見えた。身体が弱っているのだろうかと、ラトスは自身の左手を見た。少しずつ夢魔の影響力が増して、暗闇が広がっているのかもしれない。不安そうにしながら歩くメリーとフィノアを見て、ラトスは顔をしかめた。
ラトスの家が近くなっても、街の暗さは変わらなかった。
救いがあるのは、なにも見えなくなるような暗闇がないことだった。ここそこからこぼれるわずかな明かりが、足元をじわりと照らしていた。しばらく歩くと、街の雰囲気は、妙に心へ落ちた。ラトスを含め、メリーも不安そうな表情が消えている。
「ラトスさんの家、灯り付いてますね」
前を指しながら、メリーが言った。
「シャーニがいるなら、灯りくらいあるだろう」
「それも、そうですね。でも、ちょっと明るい気がして」
メリーが首をかしげて、ラトスの家を見る。彼女の言葉を受け、ラトスは目をほそめた。言われてみれば、家の隙間からこぼれ出る明かりは強く見えた。暖炉の明かりだけではない。いくつかの照明具で、さらに明るくしているようだった。
「男性の声がします。ミッドさんではないですか?」
木戸の前まで近付いて、フィノアが言った。
少女の言葉に、ラトスはうなずく。家の中から聞こえる声は、地鳴りのような大声だった。シャーニと共に留守番でもしていてくれたのだろう。セファとフラントもいるだろうかと思ったが、聞こえてくる声はミッドの声だけだった。
先に木戸の前に立ったセウラザが、立ち止まる。振り返って、ラトスを見た。先に入れと言うことだろうか。うながされるままに、ラトスは木戸に手をかけた。開くと同時に、中から聞こえてくるミッドの声が、さらに大きく駆けぬけた。
「ミッド」
「おお。はっは! 戻ったようだな!」
声をかけたラトスに、ミッドが大きな声で迎えた。
ミッドはテーブルのそばに立っていた。テーブルには大きなランプが置かれていて、家の中を煌々と照らしていた。テーブルの向こう側で、シャーニが椅子に腰かけていた。じっと、大きなランプを見つめている。少女の金色の髪が、明かりを受けて輝いているようにも見えた。
シャーニは開かれた木戸の先にセウラザを見つけると、椅子からとんと飛び降りた。小動物のように、セウラザの足元まで駆けていく。ラトスはシャーニから逃げるように距離を取り、セウラザまでの道をゆずった。無意識に、傷のある頬が引きつる。
「今戻った」
足元に寄ってきたシャーニの頭に手を置くと、セウラザは短く声をかけた。
シャーニはうなずいて、家の奥へもどっていく。ミッドの後ろまで走っていくと、大男の太い脚の後ろに身を隠した。ずいぶんと懐かれているものだと、ラトスは苦笑いする。そういえば国王の夢の世界に行く前、シャーニのことは任せろ的なことを言っていたなと、ラトスは思い出した。あれからずっと、ここにいたのだろうか。
ミッドはラトスから視線を外し、セウラザを見た。セウラザが無表情なままうなずくと、ミッドは少し顔をしかめた。膝を突き、足元の少女に顔を近付ける。シャーニは近付いてきたミッドの大きな顔に、そっと手をふれた。額と頬に、小さな手をすべらせていく。ミッドは少女の手に目を向け、間を置いて、にかりと笑いかけた。
「じゃあ、しばらく席を外すとするか」
立ち上がりながら、ミッドが大きな声で言った。ラトスに向き直り、無意味に大声で笑う。相変わらずの地鳴りのような笑い声だと、ラトスは片眉を上げてみせた。
「また後でな。ラトス」
「ああ」
木戸をくぐり、ミッドはラトスと短く声を交わす。
ラトスのすぐ後ろにいたメリーとフィノアも、彼に挨拶した。ミッドは二人を見るとにかりと笑って、暗い街の中へ歩いて行った。
ミッドが去ると、シャーニは暖炉の前に移動した。火の赤が、少女の髪をふわりと染める。やわらかい毛がゆらめいて、儚げに透きとおる。
セウラザが、シャーニの元まで歩いていく。追うようにして、ラトスの後ろにいた二人も暖炉のそばまで歩いて行った。三人はシャーニを取り囲むようにして、息をつく。ラトスだけは、木戸のそばにとどまった。壁の柱に背を預け、上体の力をぬく。
天井のカンテラが、ゆれている。
もちろん、風はない。円をえがくように、ゆっくりとふれ、床の影をおどらせている。カンテラと、その下にいるシャーニを見て、ラトスは目をほそめた。
「それで」
ラトスはセウラザに目を向けて、声をとおした。
メリーとフィノアがシャーニとじゃれ合う前に、聞くべきことを聞いておきたかったのだ。
「守護とは、なんだ」
強い口調で、ラトスが言う。
メリーとフィノアもセウラザに視線を向けた。
「シャーニのことだ」
「……なに?」
「この子は、この夢の世界を安定させる役割を持っている。そのために、この世界の住人からは守護と呼ばれているのだ」
セウラザはシャーニの金色の髪をなでながら、静かに言った。彼の手の下で、少女の無感情な視線がラトスに送られていた。妙な居心地の悪さを感じ、ラトスは目が合うのを避けた。
「俺の記憶の、ただの夢の住人ではないのか?」
「違う。この子には強い自我と、力があるのだ」
「自我だと? じゃあ、つまり……」
「つまり、シャーニは悪夢の回廊を越えて、この世界に辿り着いている」
セウラザの声が、静かにひびいた。ラトスは目を見開き、彼の足元にいるシャーニに目を向ける。少女の目は、まだラトスの顔に向けられていた。暗く、虚ろな目だ。ミッドたちのように自我があるとは、とても思えない。
「まさか。ミッドやセファたちと全然違う」
「そうだな。先ほども言ったが、この子は守護の役割を持っている。代わりに、自我を犠牲にしているのだ」
「犠牲だと」
ラトスは声をあらげた。彼の声に、メリーとフィノアの身体がゆれる。二人が驚いた表情をしたので、ラトスは顔をしかめ、短く息を吐きだした。
「どういうことなんだ。何故、そこまでする必要がある?」
できるだけ声を静かにして、ラトスはセウラザに目を向けた。
セウラザは小さくうなずくと、視線を落としてシャーニを見た。金色の髪をなで、なにか考えるような表情をする。しばらくそうしてから、今度はラトスの顔を見た。心の奥までのぞき見るように、じっと見つめてくる。なにかを見定めているかのようだった。
「今なら、受け入れられるだろう。ラトス。」
「何がだ」
「今までずっと、シャーニは語りかけていた。届くことはなかったが」
「……何の話だ?」
「最初から話そう。シャーニのことを」
そう言うと、セウラザは目を閉じた。
「これはこれで、情緒があります」
メリーが、ラトスを気遣うように言った。余計な一言だと思ったが、ラトスはメリーに仰々しく畏まってみせた。メリーは悪びれもせず、笑い返す。
「そういうのはいいです。早く森を抜けましょう?」
「そういうのって。あ、待ってください! フィノアー!」
さっさと歩いていくフィノアを追って、メリーが駆けていく。
取り残されたラトスは、顔をしかめてセウラザに向いた。
「俺の夢の世界に踏み込んできて、散々な言われようなんだが」
「話芸のようなものだろう」
セウラザが真面目な顔をして応える。ずいぶんな話芸もあったものだと、ラトスはいぶかしむような表情をした。先を行く二人の方へ、目を向ける。木々の狭間から、エイスの城壁が見えた。
ラトスは肩をすくめると、二人の後を追っていった。
森は、静かだった。風もなく、四人の足音と、枯れた枝葉を踏む音が広くひびく。しばらく戦いつづけていたからか、色褪せた森でも心身が澄むような心地になった。見上げると相変わらずのよどんだ空だが、慣れればどうということもない。悪夢の回廊や、崩壊がはじまった夢の世界に比べれば、平和な光景だ。
「これから、どうする? ラトス」
歩きながらセウラザが言った。
「悪夢の回廊の最奥を目指す他はない」
「そうだが」
ラトスの言葉に、セウラザは短く応えてうなった。
回廊の最奥に行く方法を聞きたいのだろう。しかし、夢の世界の経験が浅いラトスに思いつくはずもない。ペルゥにでも聞いてくれと言おうとしたが、ぐっと飲みこんだ。
長い回廊ならば、奥につながる扉があるかもしれないという話だった。しかし、強い不信感をいだいた相手とつないだ悪夢の回廊で、駄目だったのだ。さらに大きな不快感を持つ相手を探さねば、開く可能性がある扉を見つけられないだろう。
復讐したいほど憎むべき相手はいるが、今回は役に立たない。名も顔も、分からないからだ。相手が特定できなければ、悪夢の回廊はつなげない。
テトたちから有益な情報が得られればいいが、過剰な期待はできないだろう。あの夢魔たちは、しゃべれはしても強くはない。好奇心はあっても行動力は低いのだ。あわよくばと思う程度の期待にとどめるほうがいいだろう。
「もう少し考えさせてくれ」
「わかった」
「お前も考えろよ」
「そうだな」
セウラザが短く応える。
分身ならば、思考力も同じ程度はあるだろう。二倍考えられると思えば儲けものだなと、ラトスは前向きに考えた。
二人は、先を行くメリーとフィノアから距離を取ったまま、意見を交わしつつ歩いた。森を抜けるまで話しつづけたが、結局良い方法の糸口すらも見つからなかった。いつの間にか先を行く二人を見失っていたが、目的地は同じなのだ。ラトスは気にしなかった。森の切れ目が見えて、大きな道が映る。道には、ふたつの人影があった。
「遅いですよ」
メリーの声が聞こえた。
人影は、ラトス達に詰め寄るようにして近付いてくる。間違いなく、メリーとフィノアだ。
「今後のことを考えていたんだ」
「そうなのですか? 何か、決まりました?」
「いや。何も」
「じゃあ、遅くなっただけじゃないですか」
メリーは、がっかりしたように言う。清々しいほどの結果論だが、なにも言い返せることはない。そうだなと言って、ラトスは両手をあげてみせた。メリーとフィノアは、仕方なさそうな表情でうなずいた。
道の先に目を向ける。
巨大な城壁と、エイスの城門が見えた。門の前には、いくつか動く影があった。歩いていくと、動く影は門衛だと分かった。
「衛兵がいることもあるのですね」
「そうだな。門からは定期的に姿を消すし、現れる」
メリーの言葉に、セウラザはさも当然のように応えた。
ラトスは首をかしげ、なにを言っているんだと吐きだそうとした。しかし、銅像になって動かなくなった衛兵のことを思いだし、口をつぐんだ。ラトスの夢の世界にいる衛兵は、現実的な働きをするものではないのだろう。まったく別の思考から、衛兵として生まれているのかもしれない。
門前まで来ると、衛兵たちはこちらを見て直立し、槍を立てた。
「おかえりなさい」
直立した衛兵は笑顔で言うと、メリーとフィノアをのぞくように見た。
「二人は、客人だ」
「わかりました。では、お客人。お願いがございます」
「なんでしょう?」
のぞきこんでくる衛兵に、フィノアが応えた。
衛兵はフィノアをじっと見ると、笑顔を作り直す。
「しばらく、この街で、魔法は使わないでいただきたい」
「魔法を?」
「ええ。何卒」
衛兵はフィノアとメリーに頭を下げると、セウラザに向き直る。
「何かあったのか」
セウラザがたずねると、衛兵は小さくうなずいた。
「守護が、一度伏せられました」
「そうか。今は?」
「平常に」
「わかった」
セウラザが応えると、衛兵は一礼して一歩退いた。
ラトスたちは、怪訝な表情でセウラザを見る。三人の視線に気付いて、彼は無表情に向き直った。
「後で説明しよう」
「お前、何か隠していたのか」
「それも、後で説明する」
にらむように見てくるラトスに、セウラザは短く応える。ラトスは納得いかなかったが、それ以上食い下がるのをやめた。セウラザが感情的に隠し事をすることなどないだろう。意味をもって伏せていて、今明かすべきと考えたのだ。文句は、聞いてから言っても遅くはない。
ラトスは仕方なくうなずくと、セウラザは無言でひるがった。衛兵に声をかけ、城下街に入ることを伝える。メリーとフィノアは、落ち着かない様子で二人を見ていた。ラトスが追求しなかったので、口をはさまず、静かにしていた。
城門をくぐる。衛兵たちは直立し、ラトスたちに笑顔を見せた。
城門の隅の方に立っている衛兵は、幾人か銅像になっていた。門を後にして、一度振り返る。銅像になった衛兵の数は、さらに増えていた。それらはすべて、ラトスたちに向きを変え、直立していた。
煤けた中央区画をぬけていく。
四人の間に、言葉はなかった。ラトスの表情に険しさが宿ったことも一因であるが、それだけではない。先頭を行くセウラザも、わずかに緊張感をにじませていた。彼らの雰囲気を受けて、メリーとフィノアはひたすらに押し黙った。汚れた石畳の大通りに、足音だけがひびいていく。街の中央に開いた大穴へたどり着くまでに、メリーは三度ほど息苦しそうに息を吐いた。
「あと少しでシャーニちゃんに会えますね」
耐えかねたメリーが、声をこぼした。彼女の言葉に、フィノアの顔が明るくなる。そうですねと返しながら、ラトスの家がある方へ目を向けた。ラトスはシャーニという名前に眉根を寄せたが、なにも言わなかった。メリーが、ラトスの服を引っ張る。黙らないでと、顔で訴えてきた。仕方なく、ラトスもそうだなと応え、うなずいてみせた。
その間も、セウラザは無言だった。
いつも通りと言えばそうだが、妙な緊張感を解くことはなかった。
大穴を迂回して、不思議な街に入っていく。
街は、全体的に暗くなっていた。見上げると、空も夜のように暗い。足元も見えないほどではないが、ねばつくような闇が、街に沈んでいるようだった。
行き交う人々は、少ない。元より活気がある夢の世界ではなかったが、さらに寂れたように見えた。身体が弱っているのだろうかと、ラトスは自身の左手を見た。少しずつ夢魔の影響力が増して、暗闇が広がっているのかもしれない。不安そうにしながら歩くメリーとフィノアを見て、ラトスは顔をしかめた。
ラトスの家が近くなっても、街の暗さは変わらなかった。
救いがあるのは、なにも見えなくなるような暗闇がないことだった。ここそこからこぼれるわずかな明かりが、足元をじわりと照らしていた。しばらく歩くと、街の雰囲気は、妙に心へ落ちた。ラトスを含め、メリーも不安そうな表情が消えている。
「ラトスさんの家、灯り付いてますね」
前を指しながら、メリーが言った。
「シャーニがいるなら、灯りくらいあるだろう」
「それも、そうですね。でも、ちょっと明るい気がして」
メリーが首をかしげて、ラトスの家を見る。彼女の言葉を受け、ラトスは目をほそめた。言われてみれば、家の隙間からこぼれ出る明かりは強く見えた。暖炉の明かりだけではない。いくつかの照明具で、さらに明るくしているようだった。
「男性の声がします。ミッドさんではないですか?」
木戸の前まで近付いて、フィノアが言った。
少女の言葉に、ラトスはうなずく。家の中から聞こえる声は、地鳴りのような大声だった。シャーニと共に留守番でもしていてくれたのだろう。セファとフラントもいるだろうかと思ったが、聞こえてくる声はミッドの声だけだった。
先に木戸の前に立ったセウラザが、立ち止まる。振り返って、ラトスを見た。先に入れと言うことだろうか。うながされるままに、ラトスは木戸に手をかけた。開くと同時に、中から聞こえてくるミッドの声が、さらに大きく駆けぬけた。
「ミッド」
「おお。はっは! 戻ったようだな!」
声をかけたラトスに、ミッドが大きな声で迎えた。
ミッドはテーブルのそばに立っていた。テーブルには大きなランプが置かれていて、家の中を煌々と照らしていた。テーブルの向こう側で、シャーニが椅子に腰かけていた。じっと、大きなランプを見つめている。少女の金色の髪が、明かりを受けて輝いているようにも見えた。
シャーニは開かれた木戸の先にセウラザを見つけると、椅子からとんと飛び降りた。小動物のように、セウラザの足元まで駆けていく。ラトスはシャーニから逃げるように距離を取り、セウラザまでの道をゆずった。無意識に、傷のある頬が引きつる。
「今戻った」
足元に寄ってきたシャーニの頭に手を置くと、セウラザは短く声をかけた。
シャーニはうなずいて、家の奥へもどっていく。ミッドの後ろまで走っていくと、大男の太い脚の後ろに身を隠した。ずいぶんと懐かれているものだと、ラトスは苦笑いする。そういえば国王の夢の世界に行く前、シャーニのことは任せろ的なことを言っていたなと、ラトスは思い出した。あれからずっと、ここにいたのだろうか。
ミッドはラトスから視線を外し、セウラザを見た。セウラザが無表情なままうなずくと、ミッドは少し顔をしかめた。膝を突き、足元の少女に顔を近付ける。シャーニは近付いてきたミッドの大きな顔に、そっと手をふれた。額と頬に、小さな手をすべらせていく。ミッドは少女の手に目を向け、間を置いて、にかりと笑いかけた。
「じゃあ、しばらく席を外すとするか」
立ち上がりながら、ミッドが大きな声で言った。ラトスに向き直り、無意味に大声で笑う。相変わらずの地鳴りのような笑い声だと、ラトスは片眉を上げてみせた。
「また後でな。ラトス」
「ああ」
木戸をくぐり、ミッドはラトスと短く声を交わす。
ラトスのすぐ後ろにいたメリーとフィノアも、彼に挨拶した。ミッドは二人を見るとにかりと笑って、暗い街の中へ歩いて行った。
ミッドが去ると、シャーニは暖炉の前に移動した。火の赤が、少女の髪をふわりと染める。やわらかい毛がゆらめいて、儚げに透きとおる。
セウラザが、シャーニの元まで歩いていく。追うようにして、ラトスの後ろにいた二人も暖炉のそばまで歩いて行った。三人はシャーニを取り囲むようにして、息をつく。ラトスだけは、木戸のそばにとどまった。壁の柱に背を預け、上体の力をぬく。
天井のカンテラが、ゆれている。
もちろん、風はない。円をえがくように、ゆっくりとふれ、床の影をおどらせている。カンテラと、その下にいるシャーニを見て、ラトスは目をほそめた。
「それで」
ラトスはセウラザに目を向けて、声をとおした。
メリーとフィノアがシャーニとじゃれ合う前に、聞くべきことを聞いておきたかったのだ。
「守護とは、なんだ」
強い口調で、ラトスが言う。
メリーとフィノアもセウラザに視線を向けた。
「シャーニのことだ」
「……なに?」
「この子は、この夢の世界を安定させる役割を持っている。そのために、この世界の住人からは守護と呼ばれているのだ」
セウラザはシャーニの金色の髪をなでながら、静かに言った。彼の手の下で、少女の無感情な視線がラトスに送られていた。妙な居心地の悪さを感じ、ラトスは目が合うのを避けた。
「俺の記憶の、ただの夢の住人ではないのか?」
「違う。この子には強い自我と、力があるのだ」
「自我だと? じゃあ、つまり……」
「つまり、シャーニは悪夢の回廊を越えて、この世界に辿り着いている」
セウラザの声が、静かにひびいた。ラトスは目を見開き、彼の足元にいるシャーニに目を向ける。少女の目は、まだラトスの顔に向けられていた。暗く、虚ろな目だ。ミッドたちのように自我があるとは、とても思えない。
「まさか。ミッドやセファたちと全然違う」
「そうだな。先ほども言ったが、この子は守護の役割を持っている。代わりに、自我を犠牲にしているのだ」
「犠牲だと」
ラトスは声をあらげた。彼の声に、メリーとフィノアの身体がゆれる。二人が驚いた表情をしたので、ラトスは顔をしかめ、短く息を吐きだした。
「どういうことなんだ。何故、そこまでする必要がある?」
できるだけ声を静かにして、ラトスはセウラザに目を向けた。
セウラザは小さくうなずくと、視線を落としてシャーニを見た。金色の髪をなで、なにか考えるような表情をする。しばらくそうしてから、今度はラトスの顔を見た。心の奥までのぞき見るように、じっと見つめてくる。なにかを見定めているかのようだった。
「今なら、受け入れられるだろう。ラトス。」
「何がだ」
「今までずっと、シャーニは語りかけていた。届くことはなかったが」
「……何の話だ?」
「最初から話そう。シャーニのことを」
そう言うと、セウラザは目を閉じた。
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スライムからパンを作ろう!〜そのパンは全てポーションだけど、絶品!!〜
櫛田こころ
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僕は、諏方賢斗(すわ けんと)十九歳。
パンの製造員を目指す専門学生……だったんだけど。
車に轢かれそうになった猫ちゃんを助けようとしたら、あっさり事故死。でも、その猫ちゃんが神様の御使と言うことで……復活は出来ないけど、僕を異世界に転生させることは可能だと提案されたので、もちろん承諾。
ただ、ひとつ神様にお願いされたのは……その世界の、回復アイテムを開発してほしいとのこと。パンやお菓子以外だと家庭レベルの調理技術しかない僕で、なんとか出来るのだろうか心配になったが……転生した世界で出会ったスライムのお陰で、それは実現出来ることに!!
相棒のスライムは、パン製造の出来るレアスライム!
けど、出来たパンはすべて回復などを実現出来るポーションだった!!
パン職人が夢だった青年の異世界のんびりスローライフが始まる!!

日本列島、時震により転移す!
黄昏人
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2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

30年待たされた異世界転移
明之 想
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気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。
でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。
あの日見た夢の続きを信じて。
ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!
くじけそうになっても努力を続け。
そうして、30年が経過。
ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。
しかも、20歳も若返った姿で。
異世界と日本の2つの世界で、
20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。


狼の子 ~教えてもらった常識はかなり古い!?~
一片
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バイト帰りに何かに引っ張られた俺は、次の瞬間突然山の中に放り出された。
しかも体をピクリとも動かせない様な瀕死の状態でだ。
流石に諦めかけていたのだけど、そんな俺を白い狼が救ってくれた。
その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。
右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。
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数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。
元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。
根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね?
そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。
色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。
……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!
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