傀儡といしの蜃気楼 ~消えた王女を捜す旅から始まる、夢の世界のものがたり~

遠野月

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シャーニ

いつか見る道からはじまる

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 色褪せた森に来るのは、三度目だ。もちろんラトスは色をしっかりと認識できないので、見慣れた景色である。しかしフィノアが長く息を吐きだし、あからさまに嫌そうな顔をした。美しい草原の景色からは落差があるので、がっかりするのだろう。

「これはこれで、情緒があります」

 メリーが、ラトスを気遣うように言った。余計な一言だと思ったが、ラトスはメリーに仰々しく畏まってみせた。メリーは悪びれもせず、笑い返す。

「そういうのはいいです。早く森を抜けましょう?」
「そういうのって。あ、待ってください! フィノアー!」

 さっさと歩いていくフィノアを追って、メリーが駆けていく。
 取り残されたラトスは、顔をしかめてセウラザに向いた。

「俺の夢の世界に踏み込んできて、散々な言われようなんだが」
「話芸のようなものだろう」

 セウラザが真面目な顔をして応える。ずいぶんな話芸もあったものだと、ラトスはいぶかしむような表情をした。先を行く二人の方へ、目を向ける。木々の狭間から、エイスの城壁が見えた。

 ラトスは肩をすくめると、二人の後を追っていった。
 森は、静かだった。風もなく、四人の足音と、枯れた枝葉を踏む音が広くひびく。しばらく戦いつづけていたからか、色褪せた森でも心身が澄むような心地になった。見上げると相変わらずのよどんだ空だが、慣れればどうということもない。悪夢の回廊や、崩壊がはじまった夢の世界に比べれば、平和な光景だ。

「これから、どうする? ラトス」

 歩きながらセウラザが言った。

「悪夢の回廊の最奥を目指す他はない」
「そうだが」

 ラトスの言葉に、セウラザは短く応えてうなった。
 回廊の最奥に行く方法を聞きたいのだろう。しかし、夢の世界の経験が浅いラトスに思いつくはずもない。ペルゥにでも聞いてくれと言おうとしたが、ぐっと飲みこんだ。

 長い回廊ならば、奥につながる扉があるかもしれないという話だった。しかし、強い不信感をいだいた相手とつないだ悪夢の回廊で、駄目だったのだ。さらに大きな不快感を持つ相手を探さねば、開く可能性がある扉を見つけられないだろう。
 復讐したいほど憎むべき相手はいるが、今回は役に立たない。名も顔も、分からないからだ。相手が特定できなければ、悪夢の回廊はつなげない。

 テトたちから有益な情報が得られればいいが、過剰な期待はできないだろう。あの夢魔たちは、しゃべれはしても強くはない。好奇心はあっても行動力は低いのだ。あわよくばと思う程度の期待にとどめるほうがいいだろう。

「もう少し考えさせてくれ」
「わかった」
「お前も考えろよ」
「そうだな」

 セウラザが短く応える。
 分身ならば、思考力も同じ程度はあるだろう。二倍考えられると思えば儲けものだなと、ラトスは前向きに考えた。

 二人は、先を行くメリーとフィノアから距離を取ったまま、意見を交わしつつ歩いた。森を抜けるまで話しつづけたが、結局良い方法の糸口すらも見つからなかった。いつの間にか先を行く二人を見失っていたが、目的地は同じなのだ。ラトスは気にしなかった。森の切れ目が見えて、大きな道が映る。道には、ふたつの人影があった。

「遅いですよ」

 メリーの声が聞こえた。
 人影は、ラトス達に詰め寄るようにして近付いてくる。間違いなく、メリーとフィノアだ。

「今後のことを考えていたんだ」
「そうなのですか? 何か、決まりました?」
「いや。何も」
「じゃあ、遅くなっただけじゃないですか」

 メリーは、がっかりしたように言う。清々しいほどの結果論だが、なにも言い返せることはない。そうだなと言って、ラトスは両手をあげてみせた。メリーとフィノアは、仕方なさそうな表情でうなずいた。

 道の先に目を向ける。
 巨大な城壁と、エイスの城門が見えた。門の前には、いくつか動く影があった。歩いていくと、動く影は門衛だと分かった。

「衛兵がいることもあるのですね」
「そうだな。門からは定期的に姿を消すし、現れる」

 メリーの言葉に、セウラザはさも当然のように応えた。
 ラトスは首をかしげ、なにを言っているんだと吐きだそうとした。しかし、銅像になって動かなくなった衛兵のことを思いだし、口をつぐんだ。ラトスの夢の世界にいる衛兵は、現実的な働きをするものではないのだろう。まったく別の思考から、衛兵として生まれているのかもしれない。

 門前まで来ると、衛兵たちはこちらを見て直立し、槍を立てた。

「おかえりなさい」

 直立した衛兵は笑顔で言うと、メリーとフィノアをのぞくように見た。

「二人は、客人だ」
「わかりました。では、お客人。お願いがございます」
「なんでしょう?」

 のぞきこんでくる衛兵に、フィノアが応えた。
 衛兵はフィノアをじっと見ると、笑顔を作り直す。

「しばらく、この街で、魔法は使わないでいただきたい」
「魔法を?」
「ええ。何卒」

 衛兵はフィノアとメリーに頭を下げると、セウラザに向き直る。

「何かあったのか」

 セウラザがたずねると、衛兵は小さくうなずいた。

「守護が、一度伏せられました」
「そうか。今は?」
「平常に」
「わかった」

 セウラザが応えると、衛兵は一礼して一歩退いた。
 ラトスたちは、怪訝な表情でセウラザを見る。三人の視線に気付いて、彼は無表情に向き直った。

「後で説明しよう」
「お前、何か隠していたのか」
「それも、後で説明する」

 にらむように見てくるラトスに、セウラザは短く応える。ラトスは納得いかなかったが、それ以上食い下がるのをやめた。セウラザが感情的に隠し事をすることなどないだろう。意味をもって伏せていて、今明かすべきと考えたのだ。文句は、聞いてから言っても遅くはない。

 ラトスは仕方なくうなずくと、セウラザは無言でひるがった。衛兵に声をかけ、城下街に入ることを伝える。メリーとフィノアは、落ち着かない様子で二人を見ていた。ラトスが追求しなかったので、口をはさまず、静かにしていた。

 城門をくぐる。衛兵たちは直立し、ラトスたちに笑顔を見せた。
 城門の隅の方に立っている衛兵は、幾人か銅像になっていた。門を後にして、一度振り返る。銅像になった衛兵の数は、さらに増えていた。それらはすべて、ラトスたちに向きを変え、直立していた。

 煤けた中央区画をぬけていく。
 四人の間に、言葉はなかった。ラトスの表情に険しさが宿ったことも一因であるが、それだけではない。先頭を行くセウラザも、わずかに緊張感をにじませていた。彼らの雰囲気を受けて、メリーとフィノアはひたすらに押し黙った。汚れた石畳の大通りに、足音だけがひびいていく。街の中央に開いた大穴へたどり着くまでに、メリーは三度ほど息苦しそうに息を吐いた。

「あと少しでシャーニちゃんに会えますね」

 耐えかねたメリーが、声をこぼした。彼女の言葉に、フィノアの顔が明るくなる。そうですねと返しながら、ラトスの家がある方へ目を向けた。ラトスはシャーニという名前に眉根を寄せたが、なにも言わなかった。メリーが、ラトスの服を引っ張る。黙らないでと、顔で訴えてきた。仕方なく、ラトスもそうだなと応え、うなずいてみせた。
 その間も、セウラザは無言だった。
 いつも通りと言えばそうだが、妙な緊張感を解くことはなかった。

 大穴を迂回して、不思議な街に入っていく。
 街は、全体的に暗くなっていた。見上げると、空も夜のように暗い。足元も見えないほどではないが、ねばつくような闇が、街に沈んでいるようだった。
 行き交う人々は、少ない。元より活気がある夢の世界ではなかったが、さらに寂れたように見えた。身体が弱っているのだろうかと、ラトスは自身の左手を見た。少しずつ夢魔の影響力が増して、暗闇が広がっているのかもしれない。不安そうにしながら歩くメリーとフィノアを見て、ラトスは顔をしかめた。

 ラトスの家が近くなっても、街の暗さは変わらなかった。
 救いがあるのは、なにも見えなくなるような暗闇がないことだった。ここそこからこぼれるわずかな明かりが、足元をじわりと照らしていた。しばらく歩くと、街の雰囲気は、妙に心へ落ちた。ラトスを含め、メリーも不安そうな表情が消えている。

「ラトスさんの家、灯り付いてますね」

 前を指しながら、メリーが言った。

「シャーニがいるなら、灯りくらいあるだろう」
「それも、そうですね。でも、ちょっと明るい気がして」

 メリーが首をかしげて、ラトスの家を見る。彼女の言葉を受け、ラトスは目をほそめた。言われてみれば、家の隙間からこぼれ出る明かりは強く見えた。暖炉の明かりだけではない。いくつかの照明具で、さらに明るくしているようだった。

「男性の声がします。ミッドさんではないですか?」

 木戸の前まで近付いて、フィノアが言った。
 少女の言葉に、ラトスはうなずく。家の中から聞こえる声は、地鳴りのような大声だった。シャーニと共に留守番でもしていてくれたのだろう。セファとフラントもいるだろうかと思ったが、聞こえてくる声はミッドの声だけだった。

 先に木戸の前に立ったセウラザが、立ち止まる。振り返って、ラトスを見た。先に入れと言うことだろうか。うながされるままに、ラトスは木戸に手をかけた。開くと同時に、中から聞こえてくるミッドの声が、さらに大きく駆けぬけた。

「ミッド」
「おお。はっは! 戻ったようだな!」

 声をかけたラトスに、ミッドが大きな声で迎えた。
 ミッドはテーブルのそばに立っていた。テーブルには大きなランプが置かれていて、家の中を煌々と照らしていた。テーブルの向こう側で、シャーニが椅子に腰かけていた。じっと、大きなランプを見つめている。少女の金色の髪が、明かりを受けて輝いているようにも見えた。

 シャーニは開かれた木戸の先にセウラザを見つけると、椅子からとんと飛び降りた。小動物のように、セウラザの足元まで駆けていく。ラトスはシャーニから逃げるように距離を取り、セウラザまでの道をゆずった。無意識に、傷のある頬が引きつる。

「今戻った」

 足元に寄ってきたシャーニの頭に手を置くと、セウラザは短く声をかけた。
 シャーニはうなずいて、家の奥へもどっていく。ミッドの後ろまで走っていくと、大男の太い脚の後ろに身を隠した。ずいぶんと懐かれているものだと、ラトスは苦笑いする。そういえば国王の夢の世界に行く前、シャーニのことは任せろ的なことを言っていたなと、ラトスは思い出した。あれからずっと、ここにいたのだろうか。

 ミッドはラトスから視線を外し、セウラザを見た。セウラザが無表情なままうなずくと、ミッドは少し顔をしかめた。膝を突き、足元の少女に顔を近付ける。シャーニは近付いてきたミッドの大きな顔に、そっと手をふれた。額と頬に、小さな手をすべらせていく。ミッドは少女の手に目を向け、間を置いて、にかりと笑いかけた。

「じゃあ、しばらく席を外すとするか」

 立ち上がりながら、ミッドが大きな声で言った。ラトスに向き直り、無意味に大声で笑う。相変わらずの地鳴りのような笑い声だと、ラトスは片眉を上げてみせた。

「また後でな。ラトス」
「ああ」

 木戸をくぐり、ミッドはラトスと短く声を交わす。
 ラトスのすぐ後ろにいたメリーとフィノアも、彼に挨拶した。ミッドは二人を見るとにかりと笑って、暗い街の中へ歩いて行った。

 ミッドが去ると、シャーニは暖炉の前に移動した。火の赤が、少女の髪をふわりと染める。やわらかい毛がゆらめいて、儚げに透きとおる。

 セウラザが、シャーニの元まで歩いていく。追うようにして、ラトスの後ろにいた二人も暖炉のそばまで歩いて行った。三人はシャーニを取り囲むようにして、息をつく。ラトスだけは、木戸のそばにとどまった。壁の柱に背を預け、上体の力をぬく。

 天井のカンテラが、ゆれている。
 もちろん、風はない。円をえがくように、ゆっくりとふれ、床の影をおどらせている。カンテラと、その下にいるシャーニを見て、ラトスは目をほそめた。

「それで」

 ラトスはセウラザに目を向けて、声をとおした。
 メリーとフィノアがシャーニとじゃれ合う前に、聞くべきことを聞いておきたかったのだ。

「守護とは、なんだ」

 強い口調で、ラトスが言う。
 メリーとフィノアもセウラザに視線を向けた。

「シャーニのことだ」
「……なに?」
「この子は、この夢の世界を安定させる役割を持っている。そのために、この世界の住人からは守護と呼ばれているのだ」

 セウラザはシャーニの金色の髪をなでながら、静かに言った。彼の手の下で、少女の無感情な視線がラトスに送られていた。妙な居心地の悪さを感じ、ラトスは目が合うのを避けた。

「俺の記憶の、ただの夢の住人ではないのか?」
「違う。この子には強い自我と、力があるのだ」
「自我だと? じゃあ、つまり……」
「つまり、シャーニは悪夢の回廊を越えて、この世界に辿り着いている」

 セウラザの声が、静かにひびいた。ラトスは目を見開き、彼の足元にいるシャーニに目を向ける。少女の目は、まだラトスの顔に向けられていた。暗く、虚ろな目だ。ミッドたちのように自我があるとは、とても思えない。

「まさか。ミッドやセファたちと全然違う」
「そうだな。先ほども言ったが、この子は守護の役割を持っている。代わりに、自我を犠牲にしているのだ」
「犠牲だと」

 ラトスは声をあらげた。彼の声に、メリーとフィノアの身体がゆれる。二人が驚いた表情をしたので、ラトスは顔をしかめ、短く息を吐きだした。

「どういうことなんだ。何故、そこまでする必要がある?」

 できるだけ声を静かにして、ラトスはセウラザに目を向けた。
 セウラザは小さくうなずくと、視線を落としてシャーニを見た。金色の髪をなで、なにか考えるような表情をする。しばらくそうしてから、今度はラトスの顔を見た。心の奥までのぞき見るように、じっと見つめてくる。なにかを見定めているかのようだった。

「今なら、受け入れられるだろう。ラトス。」
「何がだ」
「今までずっと、シャーニは語りかけていた。届くことはなかったが」
「……何の話だ?」
「最初から話そう。シャーニのことを」

 そう言うと、セウラザは目を閉じた。
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