傀儡といしの蜃気楼 ~消えた王女を捜す旅から始まる、夢の世界のものがたり~

遠野月

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開く闇からはじまる

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「大丈夫か?」
「なんとか」
「力んで魔法を使うなよ」
「そんなことしませんよ!」

 メリーは夢魔をにらみながら叫ぶ。
 噴煙の中の夢魔は、まだ両腕を振り回していた。無闇に暴れているわけではない。戦うことを楽しんで、腕を振り回しているようだった。時折、紅い眼がまたたき、大きな笑い声をまき散らす。

 悪徳の夢魔より強いかもしれない。
 二振りの短剣をかまえ直しながら、ラトスは息を整えた。

「刃があまり通らないです」
「そのようだな」
「どうします?」
「どうもしない。このまま、チマチマ行く」

 黒い短剣の刃を見ながら、ラトスが言う。貪食の夢魔は、この短剣で大穴を開けることができていた。威力が落ちているのか、紅い眼の夢魔には小さな穴しか開けられない。伸びる短剣とメリーの剣にいたっては、表面しか傷つけられないようだった。硬い身体というわけではないようだが、つらぬけそうな感覚がまったく伝わってこない。無理をとおそうとすると、反撃の隙を与えてしまう。そしてこの夢魔は、わずかな隙を見逃さない。

「あいつも深追いはしてこない。セウラザが隙を狙ってるからな」
「じゃあ、このまま持久戦ですか?」
「今はな」

 そう言ってラトスは駆けだした。追いかけるように、距離を取ってメリーも走る。
 伸びる短剣を左に伸ばし、右へ薙ぐ。夢魔は飛びあがり、剣を避けた。同時に両腕を振りあげ、ラトスに飛び掛かる。
 ラトスは左に飛びながら、右後ろに身体をひねった。飛び込んできた夢魔の身体目掛け、黒い短剣を振る。分かっていたように、夢魔が右腕を横に振り、ラトスの黒い短剣に合わせた。
 鈍い音がひびく。黒い短剣の鍔が、夢魔の右手首に当たっていた。硬い骨でもあるのか、その手首からは黒い塵がにじんでもいなかった。夢魔はそのまま、ラトスの短剣を押した。あまりの力に、ラトスの左腕に痛みが走った。

「ほうう?」

 夢魔が笑みを消し、うなる。
 右腕を振ったいきおいで、ラトスを吹き飛ばそうと思っていたのだろう。しかし、ラトスの左腕は本人の期待以上に耐えた。痛みはするが、押しとどめられる。
 ラトスは左腕が耐えている間に、右手の短剣の長さをもどした。夢魔の胴に剣先を向ける。
 夢魔はラトスの動きを瞬時に察して、左へ飛びのいた。合わせるように、メリーが飛びこんできて剣を振る。しかし、軽々と彼女の身体を飛び越えて、夢魔は安全圏まで退いた。

 ラトスは、夢魔を見据えながら左手をかるく振ってみた。痛みはあるが、動きに支障はない。黒い短剣をかまえ直し、剣先を夢魔に向けた。

 攻撃をかわされたメリーも、剣をかまえ直す。魔法が使えないので、いつものように息切れする様子はなかった。集中がつづくかぎり、このまま長く戦えるだろう。

「ラトス、とお、言ったなあ」

 だらりと両腕をかまえながら、夢魔がぼそりと言った。まともに会話をしてくるとは思わず、ラトスは肩を小さくゆらした。返事をせずにらみつづけていると、夢魔は紅い眼を数度またたかせた。

「テラズのお、ラトス=クロニスだなあ」
「……なに?」
「くうははははは! ラトス、ははははは! お前が、かあ!」

 またたきながら、夢魔は大きな口をゆらして笑いだした。

「お前が、俺の何を知っている」

 笑う夢魔をにらみ、ラトスは黒い短剣を向けた。黒の剣先を見て、夢魔の紅い眼がほそくなる。口はゆがんだように笑ったままだった。

「宝石を持っていただろうう? お前え。奪われただろうう? お前え?」

 一歩近づき、夢魔は口を大きく開ける。近付く夢魔に、メリーが二歩下がった。剣だけは真っ直ぐかまえ、いつでも攻撃を合わせられると、夢魔を見たまま小さくうなずいていた。

「何故知っている」
「何故え? ははははは! 分かるだろうう? お前え」
「……お前が、奪ったのか?」
「ははははは! 奪ったあ? 違うなあ?」

 夢魔は大きな両手を広げると、天井を見上げながらさらに大きく笑いだした。
 ふるえるような笑い声が、玉座の間にひびきわたる。ひりつくような痛みが、全身の肌を刺した。

「命じただけだあ! 人間になあ! 王だぞお!? 奪ったのは人間だあ! くうははははは!」

 笑い声は高まり、床がゆるえだす。
 ラトスは奥歯を噛み締め、目を吊りあげた。短剣をにぎる手がふるえだす。

「奪ったのか。お前が。シャーニを」

 怒りに満ちた目で、ラトスは静かに言った。彼の前に立つメリーの肩が、ふるえている。ふり返らなくとも、ラトスの顔が見えているかのようだった。

「シャーニだとお?」
「俺の妹だ。宝石と一緒に、命を奪われた」

 紅い眼をほそめる夢魔に、ラトスが答える。

「死んだのかあ。妹があ?」
「そうだ」
「そうかあ」

 紅い眼が消える。眼を閉じたのだろう。
 夢魔はしばらく黙ったあと、両腕を振りあげた。紅い眼を見開き、大きな口を最大にひろげた。

「知るかあ! ははははは! 知るかあ! お前え。歩くときに踏みつけた雑草を、お前え。覚えているのかああ!?」

 夢魔の笑い声に、玉座の間がふるえた。塵が舞いあがり、宙でふるえながらおどりだす。
 土煙に、メリーの身体が隠れていく。彼女は剣を夢魔に向けながら、ラトスに振り返っていた。顔をゆがませ、今にも泣きそうにしている。

「夢魔。お前の名を言え」
「名あ?」
「そうだ」
「聞いてどうするう?」

 夢魔が首をかしげる。ラトスを見ながら、紅い眼がまたたいた。

「シャーニの墓に捧げる一つ目の名だ。お前と、手を下した人間は、必ず殺す」

 黒い短剣の剣先が、紅い眼に向く。
 ラトスの目に、夢魔の紅い眼が映った。

「くうははははは!」

 夢魔が笑った。
 愉快な声ではない、雄たけびのような笑い声だった。

「ゼメリカだあ。お前え。ゼメリカを殺せるかあ? お前があ!? ははははは!! 笑わせるなああああああああああ!!?」

 ゼメリカが雄たけびをはなった。
 舞いあがった塵が、吹き飛んでいく。

 ラトスは、二振りの短剣をかまえ直した。ゼメリカの紅い眼を映したまま、目をほそめる。彼の顔を見て、メリーはわずかに身体をふるわせた。

「ゼメリカ。すぐに笑えなくしてやる」

 吐き捨てるように言って、ラトスは駆けだした。同時に、ゼメリカがラトスに向かって跳ね飛んだ。
 ラトスは、短剣を伸ばしながら横に薙いだ。側面をおそわれたゼメリカの身体が、太い腕を振って剣をはじこうとする。伸びた剣身が当たり、太い腕の表面を削り取った。黒い塵がにじむ。しかしすぐに、剣は鋭い音を立てて跳ね返された。紅い眼がまたたき、大きな口がラトスをのぞいてゆがんだ。
 多少突進するいきおいを弱められたが、ゼメリカには余力があった。速さと力では、ラトスに勝ると確信しているのだ。ゆがんだ笑みを浮かべて、ゼメリカは両腕を振りあげる。目前にせまるラトスを見据え、腕を振りおろした。

 合わせるようにして、ラトスは黒い短剣を突きだす。
 はじかれた右腕に合わせて身体をねじり、左腕に力を乗せた。

 爆ぜる音が、轟く。
 ゼメリカのにぎり合わせた両拳に、黒い短剣が突き刺さった。拳がえぐれ、黒い塵が噴きだす。ゼメリカはうなり声をあげて、さらに拳を突きだした。圧倒的な膂力の差に、押し込まれたラトスの左腕が悲鳴をあげた。

 ラトスは黒い短剣をぬくと同時に、横へ飛んだ。飛びながら一回転、身体をひねる。ゼメリカが追い打ちをかけないよう、伸びた短剣の剣身を振りあげた。剣はゼメリカの肩に触れたがとおらない。剣を肩で受けたまま、ゼメリカの身体が斜め前方へ飛んだ。
 互いに距離を取り直すと、ラトスは短剣をかまえ直した。

 ゼメリカの右手が、つぶれている。
 したたるように、黒い塵が床に流れ落ちていた。

「やるなああ」

 ゼメリカの大きな口がゆがむ。笑うと奇妙にゆがませる癖があるようだ。痛々しい姿だったが、笑顔を作るだけの余裕がゼメリカにはあった。傷を負ったと思ってすらいないかもしれない。むしろ昂って、力を増しているようにも見える。

「ラトス、大丈夫か」
「問題ない。このまま行く。隙があれば狙ってくれ」
「わかった」
「わ、私は……?」
「挟み込むのだろう? さあ、行くぞ!」
「は、はい!」

 三人は声を交わすと、ゼメリカを見据え直した。
 昂ったゼメリカが、笑い声のような雄たけびを放つ。紅い眼を見開いて、駆けだしてきた。一直線に、ラトス目掛けて腕を振る。
 ラトスは歯を食いしばり、ゼメリカの腕に合わせるように黒い短剣を突きだした。同時に、ラトスの後方から、セウラザの無数の刃が飛びだす。風を切る音が鳴りひびき、ゼメリカの身体に突き刺さっていった。わずかにいきおいが弱まり、大きな手足が左右にゆれる。隙を逃さないよう、メリーが横から飛びだした。細剣をゼメリカの横腹に突き立てる。

「くうはははは!」

 ゼメリカが笑う。突進しつづけながら、横腹に突き刺さった剣をつかんだ。にじみでる黒い塵をものともせず、引きぬく。メリーはあわてて剣を引こうとしたが、間に合わなかった。メリーの身体ごと細剣をつかみあげ、にやりと顔をゆがませる。

「わあああ!?」

 持ち上げられたメリーが叫ぶ。ゼメリカは振りあげたメリーを、剣ごとラトスに投げつけた。

「わ! ごめ、わ! わわあ!?」

 突進してくるゼメリカよりも先に、メリーの身体が飛んでくる。ラトスはメリーの身体を避けながら、右手で彼女の服をつかんだ。いきおいでラトスの身体が後ろへ引っ張られ、反転する。同時に、メリーの身体を、後方にいたセウラザに向かってほうり投げた。
 セウラザがメリーを受け止めたのが、目端に映る。ラトスはいきおいそのままにもう一度反転し、ゼメリカに向きなおった。
 目の前にゼメリカがせまっていた。二人の攻撃を受けて、速度は落ちている。
 ラトスは黒い短剣を突きだして、ゼメリカの眉間をねらった。

「はははははあ!」

 ゼメリカが笑いながら、手首から先を失った右腕を振る。眉間への攻撃を防ぐようにして、ラトスの左腕をはじいた。ラトスはよろめいたが、踏みとどまる。身体をねじって、伸びる短剣を振りあげた。剣身を右に伸ばし、左に素早く薙ぐ。眼前までせまるゼメリカの左腕に斬りつけ、黒い塵を噴きださせた。
 ラトスは深追いせず、右へ飛んだ。ゼメリカも突進をやめ、三人から距離を取り直す。

「やるなああ。ははははは! やるなああ? 人間!」

 ゼメリカは口をゆがめると、紅い眼をまたたかせた。
 ゆっくりと頭を振り、四人の顔をひとつずつのぞいていく。

「人間の宝石が欲しくなったのか、ゼメリカ」

 黒い短剣を突き付けて、ラトスがにらむ。
 その剣先に、ゼメリカの紅い眼がほそくなった。口をゆがませたまま、じっとラトスの剣を見る。

「欲しいい。くうははははは!」
「なぜだ」
「なぜえ? ははははは! なぜえ? 妹の死んだ理由があ、知りたいかああ!?」
「知りたいな。お前の口がきけなくなる前に」

 ラトスは顔を引きつらせながら、吐き捨てるように言った。黒い剣先が、怒りでわずかにふるえている。チリリと、剣の鳴る音が聞こえた。

「くうははははは! お前のような人間があ! 顔を引きつらせるのをお! ははははは! 見たいからだああ!! はははははははああああ!!」

 紅い眼を見開いて、ゼメリカは大きな声で笑った。
 黒い塵が流れだす両腕を振りあげ、空を仰ぐように笑う。大仰に振舞ってるわけではなく、心から愉快そうに笑っていた。

「……くだらない理由だ」

 そう言って、ラトスは目を吊りあげた。
 黒い短剣がふるえる。怒りにふるえる身体に合わせて、剣身からはじけるような音がひびいた。

「くだらないかはあ、お前が判断することだあ!」
「俺がか」
「お前もだあ。そうだろううう?」
「そうだな」

 口をゆがませるゼメリカを見据える。怒りにふるえる自分も、ゆがんだ顔をしているのだろうかと、一瞬よぎった。
 黒い短剣が、鳴る。雑念がはじけ、消えた。
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