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涙をぬぐう手からはじまる

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 紅い眼の夢魔が、フィノアの顔をのぞきこんでいる。
 不快な笑顔を作って、紅い眼を何度もまたたかせる。
 フィノアは、夢魔の眼を見てびくりとふるえた。少女の瞳から、光が消えていく。表情も消えて、人形のように動かなくなった。

 瞬間、フィノアの隣でただあわてていたメリーが、怒号を発した。腰の細剣をぬきはなち、紅い眼の夢魔に突進する。彼女の突進を合図に、ラトスとセウラザも武器に手をかけた。セウラザの大剣が、無数の刃に分かれていく。
 ラトスは二振りの短剣をかまえて、メリーの後につづいた。怒りに満ちた声をあげるメリーが、細剣の剣先を夢魔に向ける。目を見開き、夢魔に鋭く剣を突きだした。魔法の力はないので光はなかったが、いきおいはすさまじかった。風を切る音と共に、剣先が夢魔の肩をつらぬく。

「くああああああ!?」

 夢魔が叫んだ。魔法の力がなくても、効くらしい。メリーは夢魔の苦しむ声を聞きながら、細剣をひねり、肩をえぐった。
 畳みかけるように、ラトスがおそいかかる。やや低姿勢に駆けこみ、斜め下から黒い短剣を突きだした。狙いはわき腹だ。当たれば、伸びる短剣で追い撃てるよう右手に力をこめる。一気に両断できれば、これで終わりだ。

「くははははははああああ!」

 再度、夢魔が叫んだ。笑い声のようだった。
 夢魔は、肩に突き立ったメリーの剣をにぎる。乱暴に引きぬきながら、力強く、下に振り落とした。下には、短剣を振りあげるラトスがいた。
 予想外の反撃に、メリーは受け身を取れない。ラトスもまた、夢魔の予想外の動きに、短剣の切っ先がメリーに当たらないように調整することしかできなかった。メリーのほそい身体が、ラトスに当たる。強い衝撃ではなかったが、二人の身体は無様に床へ叩きつけられた。

「痛っ……くぅう!?」

 投げ飛ばされる形になったメリーが、声をしぼる。

「いや、俺の方が痛いんだが……?」

 下敷きになったラトスが、メリーの身体を押しのけながら言った。彼女はあわてて、ラトスの身体から飛びのく。

「ご、ごめんなさい」
「いや、いい……って、避けろ!」

 ラトスが叫ぶ。同時に彼は、メリーの身体を引っ張った。彼女の身体をかかえながら、床を蹴って横に飛ぶ。直後、夢魔の腕が上から振り落とされた。ラトスたちが倒れていた場所に、夢魔の太い腕が突き刺さる。
 轟音がひびきわたった。
 かろうじて夢魔の攻撃を避けたラトスたちの頭上を、セウラザの刃が飛んでいく。

「遅いぞ」
「すまない」

 セウラザは短く言うと、夢魔をを見据えて目をほそめた。
 無数の刃が、振り下ろされた夢魔の腕に突き立っていく。黒い塵を噴きだし、太い腕が小刻みにふるえた。
 追い撃てるかと、ラトスが立ちあがる。伸びる短剣を夢魔に向け、一気に剣身を飛ばした。空気を切り裂くような音がひびきわたり、剣先が夢魔の胴へ飛ぶ。合わせるようにして、セウラザの無数の刃の一部が夢魔にはなたれた。
 はさみこまれた夢魔が、素早く後方に飛ぶ。

「速いな」

 攻撃を逃れた夢魔を目で追って、ラトスは吐き捨てるように言った。
 明らかに、悪夢の回廊にいる雑魚とは違う。知恵のある人間と戦っているような感覚だった。

「これは、普通の夢魔ではない」
「どういうことだ」
「現の人間に長く寄生していたのだ。人の戦い方を知っているのだろう」
「……なるほどな」

 セウラザの言葉に、ラトスは顔を引きつらせた。
 雑魚のような夢魔も、悪徳の夢魔も、人の戦い方を知らないから勝ててきたと言える。抗いようのない力も、小さな知恵で乗り切るのが人の強さだ。

 人の強さを持った夢魔に、勝てるのか。
 力も速さも違う。
 まさっているのは、ラトスたちが三人で戦えるということだけだ。それも、相手が強すぎれば、大きな意味はない。

「メリーさん、動けるか」
「……はい」

 メリーがうなずく。投げ飛ばされたとはいえ、怪我を負ったわけではない。彼女は銀色の細剣を大仰に振り、問題なく戦えることを示してみせた。 

「王女さんは、たぶん動けない。ここからは三人で勝つ」
「勝てますか」
「勝つ」
「分かりました」

 ラトスの言葉に、メリーは唇を結ぶ。
 言葉には、力がある。勝つと言わなければ、勝てないこともある。ラトスは短剣をにぎり直して、剣先を夢魔に向けた。

 紅い眼の夢魔は、ラトスたちをじっと見まわしている。またたきし、大きな口を開けていた。笑っている。声は出ていないが、見下すように笑っていた。圧倒的な力の差があると、分かっているのか。そもそも、勝ち負けなど気にしていないのか。

「嫌な奴だ」

 顔をゆがめながら言う。ラトスの言葉に反応するように、夢魔の身体がどくりとゆれた。

「メリーさん」
「なんですか?」
「何があったか知らないが、冷静に頼む」
「……すみません」

 メリーは応えながら、剣をにぎり直した。カチリと、銀色の細剣が鳴る。気負い過ぎているのか。剣先が、小さくふるえていた。
 ラトスは視線だけ、メリーの顔に向ける。彼女の目は、血走っていた。怒りに満ちた表情で、夢魔をにらんでいる。唇は強く結ばれていたが、奥歯を噛み締めているのも見て取れた。

 夢魔がフィノアに向けていた言葉に、なにか強い意味があったのだろう。実際、フィノアは動かなくなった。今も生気がぬけたように、砕けた人形の一部を見つめつづけている。
 メリーは、フィノアが動かなくなった理由が分かっているのだ。そうでなければ、いつも温厚そうな彼女がこれほど怒りはしないだろう。
 主のためか、友のためか。
 彼女の目を見て、ラトスは自身の目もこのような色なのだろうと思った。

「左右から挟み込みましょう。いいですよね?」
「……そうだな。それで行こう」
「はい!」

 メリーは短く応えると、はじけるように右へ飛びだした。
 少し遅れて、ラトスも左に駆ける。

 二手に分かれたのを見て、夢魔の紅い眼がまたたいた。大きな身体をゆらし、左右に首を振る。あわてている様子はない。慎重に、二人の動きを見ていた。だらりと両手を下ろしているが、隙があるようにも見えなかった。
 ラトスは意を決し、伸びる短剣を夢魔に向ける。鋭い音を立てて、剣身が伸びはじめた。
 短剣の音を聞き取って、夢魔は右腕を振った。直後、剣先が夢魔の右腕に突き刺さった。わずかに黒い塵が噴きだしはじめる。

「防いだか」

 舌打ちしながら、ラトスは黒い短剣をかまえた。同時に、伸ばした剣身を元の長さにもどす。数歩の距離まで詰め寄り、黒い短剣を突きだした。合わせるように、伸びる短剣を振りあげ、剣身を上へ伸ばす。

 夢魔は腕を振りあげて、黒い短剣をはじいた。
 同時に後方へ飛び、振り下ろされた長い剣身を避ける。

「くうはははははは!」
「笑ってんじゃねぇ!」

 ラトスは顔をゆがませ、短剣をかまえ直す。避けられるのは分かっていた。だが、あまりに速い。後方に飛びのいた夢魔を目端で追う。すでに両腕を振りあげている姿が見えた。
 夢魔の右腕が、ラトスの頭上にせまる。同時に、ラトスは左腕を振りあげた。黒い短剣の剣先が、夢魔の大きな手のひらに当たる。はじけるような音がして、夢魔の右手に穴が開いた。

 黒い塵が噴きだす。塵の先に、メリーの姿が見えた。右側からおそいかかっていた彼女は、夢魔の斜め後ろに回りこんでいた。死角を突いた形になる。それでも、夢魔のほうが上手だった。振りあげていた左腕を、メリーの姿を見ずに振りおろしていた。

 あわててメリーは横に飛びのく。夢魔の腕が、彼女の真横に叩き落とされた。床が砕け、噴煙が舞う。

「このおお!」

 メリーは叫ぶと、振りおろされた腕に向かって斬りつけた。
 舞い上がる噴煙の中、わずかに黒い塵がにじんだ。

「深追いするなよ!」
「分かってます!」

 ラトスの声を受けて、噴煙の中のメリーの影が、後方へ飛んだ。
 追いかけるように、夢魔は両腕を振り回す。ラトスも後方へ飛び、大きな腕が届かない範囲へ逃れた。
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