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貪食

震動からはじまる

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   ≪貪食≫


 黒い石畳が、ゆれた。

 初めのうちは、小さなゆれだった。走れば走るほど、振動は大きなものになっている。同時に、空気もふるえはじめた。全身の肌が、鞭でたたかれているようだった。

「……ごめんなさい。ちょっと……」

 メリーが苦しそうな声をあげて、足を止めた。
 ラトスがふり返ると、フィノアとメリーが膝を突いていた。息苦しそうに、肩を上下させている。空気のふるえが、妙な疲労を生みだしているようだ。ラトス自身も、かすかな眩暈を感じていた。

「まだ、夢魔の姿は見えてないぞ……」

 黒い石畳の道の先を見て、ラトスはこぼすように言う。
 圧迫感どころではない。見えてもいないのに、この体たらくだ。テトたちが報せてくれた巨大な夢魔が原因かは分からない。だがそうだとすれば、実物が目の前に現れた時どうなるだろうか。戦うどころか、満足に動けるかも怪しい。

「どうする? 休む?」
「そうだな、無理はしないほうがいいな」
「だよねー」

 ペルゥは明るい声をだしていたが、表情に余裕は無かった。
 ラトスは、セウラザに声をかける。彼は察して、すでに足を止めていた。メリーたちの近くまで行き、辺りを警戒しはじめる。

 周囲は、明らかに夢魔が減っていた。悲嘆の夢魔と遭遇する前と同じだ。いくらかは夢魔がいるが、それらがおそってくる様子はない。じっとこちらの様子を見ているだけだった。

「フィノア。大丈夫ですか」

 メリーの心配そうな声が聞こえる。
 見ると、フィノアの顔色は真っ青だった。呼吸もメリーより小刻みで、荒い。

「……大丈夫。平気、よ」

 返事とは裏腹に、フィノアは顔を大きくゆがめていた。
 少女の様子を見て、メリーはあわてている。仕方なく、ラトスは彼女たちに近寄った。

「王女さん。こういうのは、大丈夫とは言わない」
「……」

 ラトスが声をかけると、フィノアは黙ってうつむいた。
 疲労や、祓いの力を使いすぎたわけではない。フィノアは、緊張しているのだ。ここにくるまで戦ってきた夢魔とは違う、強い圧迫感に気圧されている。

「王女さん、あんたは前線には立たない。大丈夫だ」
「……私は、足手まといですか」
「違う」

 卑屈になっているフィノアの言葉を、ラトスは即否定する。
 慰めではなく、フィノアの魔法は強力だ。ただ、攻撃向きではない。補助や防御に特化しすぎているのだ。

「いいか。あんたの魔法のおかげで、俺たちは戦いやすくなる。だから、俺たちはあんたを全力で守る。それだけだ」
「……戦いやすく」
「そうだ。だから、あんたは俺たちを守ってくれ」
「……分かりました」

 フィノアはかすかに顔をあげると、ラトスの顔を下からのぞきこんだ。その目は、まだおびえているようだった。しかし、逃げだすような目ではない。今は、それだけで十分だ。

「いざとなったら、ペルゥを盾にすればいい」
「……うん? ちょっと待って!?」

 ラトスの軽口に、ペルゥが即座に反応する。小さな前足をパタパタと動かし、やめてよねと懇願しはじめた。
 ペルゥのちまちまとした動きを見て、フィノアは気が楽になったようだ。顔色は悪いままだったが、小さく笑顔を見せた。

 メリーとフィノアが動けるようになっても、四人と一匹は、しばらくそこで休んだ。
 その間も絶えず石畳はゆれ、空気はふるえつづけた。身体は休まるが、心は休まらない。フィノアの顔色も一向に良くなる気配は無かった。

 救いがあるとすれば、周囲の夢魔がまったくおそいかかってこないことだった。それどころか、減りつつある。
 上空を見ると、宙をただよう夢魔も減っていた。

「おかしくないか」

 見あげながら、ラトスが言う。
 一緒になって見あげていたペルゥも、うなり声をあげながら同意した。

「うーん……。これは……」
「これは……?」
「近付いてきてるかも」

 ペルゥの言葉に、ラトスは驚きの声をあげた。
 同時に、黒い石畳の道の先を見る。ゆれとふるえはあるが、それらしい姿はなかった。延々と、上下左右に曲がりくねった黒い道がつづいているだけだ。

「まあ、まだ見えないけどね」
「……そうか」
「見えないのに、この振動。びっくりだよね」
「……そうだな」

 ラトスは長い黒髪をかきあげて、長く息を吐いた。
 どこか、有利に戦える場所があれば良いのだが。そう思って辺りを見回したが、当然そんな場所はなかった。どこまで行っても、悪夢の回廊は同じ、黒い石畳の道なのだ。道の幅すら変わらない。

「ペルゥ。お前、偵察くらいなら行けるか?」

 辺りを見回しながら、ラトスは言う。

「偵察? 夢魔の?」
「そうだ」
「……まあ、それくらいなら良いけど」

 ペルゥはうなるように言って、なんとか頭を縦にふった。
 戦いには参加できないが、辺りを警戒する程度は今までもやってくれていた。遠くまで偵察にも行ってくれるのなら、戦略の幅は大きくなる。

「頼む」
「……んー? これは悪い気はしないね。よしきたー!」

 ラトスが素直にお願いしてくることが、ペルゥは嬉しいようだ。にかりと笑って、ペルゥは大きく飛びあがった。

 ラトスは、得たい情報を簡潔に伝える。
 第一に、夢魔の様子。第二に、こちらに向かってきているかどうか。そして、どれくらいの時間で、ここまで来るかだ。

 ペルゥはしばらく考えていたが、フィノアとメリーの姿をちらりと見ると、黙ってうなずいた。
 小さな前足を、ラトスに向けてくる。一瞬、なんだと思ったが、すぐに察した。ラトスもペルゥに向かって手のひらを見せる。それを見てペルゥは、小さな身体を小刻みにふるわせた。
 ラトスの手のひらに、ペルゥの小さな前足がふれる。
 メリーのように、その仕草が可愛いとは思わない。だがラトスは妙な気分になって、恥ずかしさを隠すように口の端を持ちあげてみせた。

「行ってくるね」
「ああ」

 ラトスの手のひらから、ペルゥは小さな前足をはなす。
 小さな白い身体をまた小刻みにふるわせて、ペルゥは飛びあがった。いきおいよく飛んでいったので、その姿は一瞬で見えなくなった。あの飛ぶ力も、魔法なのだろうか。薄暗闇の空間を見あげて、ラトスは小さく息を吐いた。
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