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鉄の門

鉄の門からはじまる

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 フィノアの成長は、目覚ましかった。
 攻撃にこそ参加しないが、枝葉の盾は、使い勝手が良い。
 今まで防御に関しては、セウラザの刃の盾でも問題は無かった。だが、刃の盾を展開している間は、セウラザの攻撃力が落ちてしまう。汎用性の高いセウラザの攻撃を防御に回しつづけるのは惜しいのだ。

 フィノアが展開する枝葉の盾は、夢魔の攻撃を防ぐ以上の効果があった。
 大きな壁にもなるので、一時的に身を隠すこともできるのだ。しかも、いつでも消すことができる。

 枝葉に咲いた花は、疲労を回復させる力もあるようだった。強力に回復はしないが、戦いが長引くときは効果が大きい。枝葉に身を隠して様子を見ているだけでも、身体がわずかに軽くなるからだ。

「ラトスさん。右から来てますよ!」

 上空から、メリーの声がひびく。
 枝葉の壁が多すぎて視界が悪くても、メリーのおかげで存分に戦うことができた。風の力で飛ぶことができるメリーは、枝葉に視界をさえぎられることはない。夢魔がおそってくる方向さえ分かれば、ラトスから奇襲がかけられる。

 メリーの声にしたがって、ラトスは枝葉の壁から飛びだした。目の前に、二匹の夢魔の背中が見える。どちらも、いびつな金棒を持っていた。

 ラトスは、伸びる短剣をかまえた。一匹の首元に、剣先を向ける。同時に、左手の黒い短剣をにぎりなおした。
 伸びる短剣から、空気を切り裂く音が鳴る。剣身が一気に伸びて、夢魔の首をつらぬいた。

 異変に気付いたもう一匹が、ふり返る。そこには、視界いっぱいにラトスの身体がせまっていた。黒い短剣が、カチリと鳴る。ふり返った夢魔に、反撃する暇はなかった。ラトスは素早く剣を横に薙ぐ。剣先が、夢魔の脇の下から反対側の肩の上まで、走っていった。

 まだ、祓いきれていない。切り裂かれた夢魔の目は、ラトスをぎろりとにらんでいた。
 黒い短剣をふりぬいた直後、空気がはじける音がした。金棒が飛んでくる。走るだけでは、避けきれない。そう判断した瞬間、ラトスは伸びた短剣を強くひねった。同時に、素早く剣身を縮めていく。剣先には、首をつらぬかれて黒くなりはじめている夢魔の身体があった。

 剣身が縮む力で、ラトスの身体は、前方に素早く飛んだ。消えかかっている夢魔の身体まで来ると、ラトスは伸びる短剣を引きぬいた。直後、背後で雷鳴のような音が鳴る。金棒が、石畳にたたきつけられたのだろう。その音を聞いて、ラトスはふり返りながら二振りの短剣をにぎりなおした。

 駆けだす。
 夢魔はこちらをにらんでいたが、まだ、身体は動いていなかった。手負いで、よくここまで動けるものだと、ラトスは感心した。夢魔は痛みを感じないのだろうか。そう考えながら、伸びる短剣の剣先を夢魔に向ける。びくりと、夢魔の身体がゆれた。

「悪いな」

 目をほそめながら、ラトスは剣身を伸ばした。
 鋭い音とともに、夢魔をつらぬく感触が手のひらに伝わってくる。何度か脈動して、剣に重みを感じなくなってから、ラトスは短剣の剣身を縮めた。

「速いですね」

 上空から、メリーが飛び降りてきた。
 周囲の枝葉の壁が、消えはじめている。夢魔を一掃したのだろう。はなれたところに、セウラザとフィノアの姿が見えた。

「ラトスさん、本当に、魔法使えてないんですか?」
「……使えたら、もっと楽なんだろうがな」
「えええ……。これ以上強いと、もう人間じゃないと思います」
「あんたが、それ、言うのか……」

 身体の周りに風をまとわせているメリーを見て、ラトスは肩を落として言う。
 夢魔や石畳を消し飛ばすだけではない。空が飛べるようになった時点で、メリーは普通から逸脱している。戦略の幅は広がったが、何か納得いかない気持ちもあった。

「ペルゥは、どこだ」
「あ。ペルゥなら、フィノアのところにいますよ」

 はなれたところにいるフィノアを指差して、メリーが言った。
 目をほそめて見てみると、確かに、フィノアの肩にペルゥが乗っている。お気に入りが変わったのだろうかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

「ずっと、魔法の質問攻めを受けてますからね」

 メリーはつまらなそうな顔をして、フィノアとペルゥを見ていた。
 彼女もペルゥとしゃべりたいのだろう。だが、主人から奪い取るわけにもいかない。フィノアが満足するまでは、この状態がつづくだろう。さびしいのかと問うと、メリーは素直にうなずいた。

「俺は、静かになって助かるがな」
「そんなー!」

 大げさに、がっかりした顔を見せてくる。
 ペルゥに似てきたなと、ラトスは思った。これ以上似ないように、できるだけ距離を取らせた方が良いかもしれない。

 ラトスは、はなれている二人と一匹に手を振ってみせた。
 すぐに気づいたのは、ペルゥだった。声は聞こえないが、フィノアの肩の上で飛び跳ねているのが見える。きっと、早く解放されたいのだろう。
 ペルゥには悪いが、今は戦力が上がることが大事だ。

 そして、また四人は走りだした。
 時折おそいかかってくる夢魔は、危なげなく対処できるようになっている。悪夢の回廊が、あとどれだけつづいているかは分からない。だがこのままならば、以前より突破は楽だろう。
 陽炎のようにゆらめく黒い道の先を見て、ラトスはわずかに口の端を持ちあげた。

「……あれ?」

 突然、メリーが声をあげた。
 夢魔だろうかと、ラトスは腰の短剣に手をかける。

「あそこ。出口でしょうか。何かあります」

 メリーが指差す先に、ラトスは視線を向けた。
 遠くの景色は、常に大きくゆれている。はっきりとは見えないが、確かに道ではないものがあるように見えた。建物だろうか。かなり大きさがある。セウラザとペルゥも気付いたのか、ラトスの近くに寄ってきた。

「門だね。あれ」

 額に小さな前足をかざして、ペルゥが言った。

「門だと? じゃあ、あれが出口なのか」
「いやー。出口じゃないよ。形が違うし。しかも、全然進んでないしね」

 残念そうにペルゥが言う。
 確かにそれほど回廊を進んだ気はしなかった。前回よりも長いとすれば、半分も進んでいないだろう。

「≪最奥≫に行く、扉ではないか?」

 自問するように、セウラザが言う。見たことがないので、確信を持てないのだろう。ラトスはペルゥにたずねてみたが、ペルゥも分からないと答えるだけだった。

 様子を見ながら、走りつづける。
 もし最奥への扉なら、強力な夢魔がいるかもしれない。ラトスはできるかぎり、周囲を警戒しつづけた。

 だいぶ近付くと、陽炎のようなゆれは消えていく。
 門らしきものは、黒い石畳の道沿いにあるようだった。門の先には、道は延びていないように見える。転送石や、不思議な泉と同じようなものなのだろうか。

 遠くからは分からなかったが、門は思いのほか巨大だった。人の高さの、十倍はある。二本の黒い円柱の間には、巨大な両開きの黒い扉があった。どちらも鉄のような素材でできていて、重量感がある。
 取っ手らしきものは、どこにもなかった。あったとしても、人の力で開けることはできないかもしれないが。

「これが、≪最奥≫に行く扉ですか?」

 見上げながら、フィノアが言う。
 一番詳しそうなのはペルゥだったが、見たことがないから分からないと、小さく応えた。

「最奥は、封印されていると、言っていたな。ペルゥ」
「そうだね」
「これは、どうなんだ? 封印されているのか? 開くのか?」

 黒い鉄の門を指差して、ラトスは言った。
 封印や魔法のことは全く分からないが、門として存在するなら開きそうなものだ。もしこの先にテラズの宝石を奪った夢魔がいるのなら、早く追いかけたい。

「……うーん。ちょっと調べてみるね。セウラザも、手伝って?」
「分かった」

 セウラザは短く答えて、鉄の門に近付いていく。
 力になれないラトスたちは、仕方なく、辺りを警戒することにした。

 鉄の門の周辺は、夢魔がいないようだった。
 道にも、宙にも見当たらない。悪夢の回廊の最奥につながっているのなら、あふれかえっているのではないか。そう思っていたが、逆に安全地帯になっているようだった。

「少し、休めそうだな」
「ですねー」

 ラトスの言葉に安心したのか、メリーは、その場で腰を下ろした。
 フィノアは、石畳に腰を下ろすことに抵抗があるらしい。大樹の杖に寄りかかるようにして、休んでいる。座ったらどうだとうながしたが、フィノアは頭を横にふった。
 仕方なく、ラトスは新調したマントをはずして、石畳の上に敷いた。

「これなら、いいだろう?」
「……あ、ありがとうございます」

 申し訳なくなさそうに、フィノアは頭を下げる。
 それを見て、メリーはうらやましく感じたのだろうか。フィノアと一緒に、ラトスのマントに腰を下ろした。

「ラトスさんは、極稀に、紳士ですよね」
「……メリーさんは、そこに座らなくていいぞ」
「えー! ひどいです!」

 頬をふくらませるメリーを見て、ラトスは苦笑いをする。
 隣に座っているフィノアが、はしたないですよと、メリーの袖を引っ張った。主人にたしなめられてどうしたらいいか分からなくなったメリーは、困った顔を作る。

「ふふっ。メリー。面白い顔だわ」
「本当だな」

 メリーの顔を見て、フィノアが笑う。
 同調して、ラトスも頬をゆるませた。

 薄暗闇の空間に、笑い声がひびく。
 こんな場所でも少しは笑えるものだと、ラトスは思った。きっとメリーとフィノアも、そう思っているだろう。

 久しぶりに、身体が軽くなったような気がした。
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