上 下
44 / 92
雪に閉じ

雪に閉じてからはじまる

しおりを挟む
 転送中は、目を開けていても閉じていても、真っ白な世界だ。
 思考力以外、全ての感覚が消えている。まるで、白に溶けたようになる。本当は意識も失っているのではないかという錯覚に陥ってしまう。

 やがて転送が終わり、意識に形が備わってくる。
 革靴の底に、柔らかい地面の感覚が生まれる。肌に、冷たい空気がふれる。


 ラトスはゆっくりと、目を開けた。
 開けたが、不思議なことに、視界は白く塗り潰されたままだった。

 まだ転送が終わっていないのだろうかと思ったが、そうではない。
 
「……雪だ」

 ラトスは、小さくつぶやいた。

 辺りは、一面、銀世界だった。
 地面はすべて、雪におおい尽くされていた。
 多少の起伏は見受けられるが、土の色も草花の色も何も見えない。道も何もない。
 ただただ、どこまでも雪原が広がっていた。

 遠くに、林か森のようなものが見えた。
 実際は、林なのか森なのか、それ以外の何かなのかは分からなかった。わずかに木の幹らしき色がならんでいるので、林か森なのかと思っただけだ。

 宙には、粉雪が舞っている。
 降っているのではない。雪が、宙をただよっていた。
 手をかざすと、雪は舞いあがった。逃げるようにして、遠くのほうへ飛んでいく。

 風が流れる。傷のある頬に、真っ白な雪がそっと当たった。
 冷気を感じて、ラトスは頬に付いた雪を手で払う。手のひらに付いた雪は、身体の熱で溶けていかなかった。にぎっても、指先ですりつぶしても消えない。雪はこまかくなっただけで、冷気を保っていた。

「……フィノア」

 ただよう雪を集めるように、メリーは両手を広げて、ぽつりと王女の名をこぼした。

「探そう。まだ、ここにいると良いのだが」

 ラトスが声をかける。
 メリーは両手を広げたまま、顔だけを向けて小さくうなずいた。

 とはいえ、辺りには建造物らしきものは何も見えなかった。
 三人の後ろに、白い転送石が雪原に突き刺さっているだけである。
 もう少し遠くまで見わたせることができれば、建造物などが見えるだろうか。ラトスは、少し高くなっている場所まで歩きだそうとした。ところが、降り積もった雪は進むたびに深くなっていった。ついには、膝より上まで埋まりだす。このままでは身動きが取れなくなると、引き返すしかなくなった。

 何とか歩きやすくなるまで引き返したとき、メリーが空を指差してなにか叫びはじめた。
 どうしたんだと声をかけながら、ラトスはメリーが指差すほうへ顔を向けた。

「何だ……あれは」

 ラトスは、目と口を大きく開いて、固まった。

 雪が降る日の空は、曇天で、灰色に濁っているものだ。
 ところが、今見上げている空には、雲が無かった。

 街だ。

 宙を舞う粉雪に隠れて見えづらかったが、三人が見上げた空には、雲の代わりに、大きな街が逆さまになって広がっていた。
 もしや街が落ちてきているのではと思ったが、下に向かってせまってきている様子はない。

「あれって、エイスの……城下街ではないですか?」

 メリーの言葉に、ラトスはなるほどとうなずいた。
 宙を舞う粉雪が視界をさえぎるので、全体ははっきりと見えない。だが、逆さまに広がっている街の端には、城壁のようなものが見えた。東西南北に真っ直ぐと延びる大通りもあり、碁盤の目状にしっかりと区画されている。何より、大通りが交わる街の中央には、逆さまにそびえる荘厳なエイスガラフ城があった。

「間違いないな」
「あそこに行けばいいのでしょうか……?」
「まさか。さすがに高すぎる」

 辺りを見回しながら、ラトスは否定した。
 空まで届く山も、塔も、橋も無い。飛んでいく方法があるのなら行けるかもしれないが、少なくとも近くにそのような手段を取れそうなものは見当たらなかった。

「とにかく、歩いて進めそうなところを探していこう。このままだと、凍えてしまう」
「ですね」
「セウラザ。お前なら、どっちに行く?」

 ラトスは、しばらく無言だったセウラザに声をかけた。
 いつも言葉数は少なく無表情な男だが、今はいつも以上に静かな気がする。

「そうだな」

 ラトスの問いかけに、セウラザはすぐ反応した。
 ずっと考え事でもしているのだろうかと思ったが、そうでもないようだった。

「中心に向かうのが、良いのではないか」
「……中心か」

 セウラザの言葉を受けて、真っ白な雪原を見わたす。
 少しの間を置いて、ラトスは無言になった。

 中心とは?
 雪ばかりの真っ白な世界なので、目印になるものも見当たらない。すぐ後ろにある白い転送石も、ここからはなれてしまったら再び見つけるのは難しいだろう。この状況で、中心なるものを探すのは無理というものだ。

「おそらく、あれが中心だ」

 左右に首をふるラトスを見かねて、セウラザは彼の肩をたたいた。
 セウラザの手が、空に向く。その指の先には、逆さまにそびえる荘厳なエイスガラフ城があった。

「城、が……?」
「おそらく、だが」
「……なるほど、そうか!」

 セウラザの言葉に、ラトスは跳ねるような声をあげた。

 三人が今立っている場所から、ラトスは空の街を見上げる。
 粉雪が視界をさえぎるので見えづらいが、彼らの真上には逆さまの大きな門があった。エイスの城下街を取り囲む城壁の大門だ。
 空の街が、雲のように流れていく様子はない。意味を持って広がっているように見えた。

「あの空の街は……地図だ」
「地図……?」
「そうだ。多分だが……」

 首をかしげるメリーに、ラトスは大きくうなずいてみせる。
 彼は空に浮かぶ逆さまの街を見上げながら、ゆっくりと雪原を歩きだした。すると今度は、足が深い雪に沈まなかった。どれほど歩いても、足首を越えないほどの雪しか積もっていない。
 雪に埋まらないことを確認した後、ラトスはゆっくりと横に歩いた。すると数歩横にずれただけで、彼の足は膝まで埋まった。ラトスはあわてて雪から足をぬくと、二人にふり返る。

「見ろ。あの空の街の道の真下は、歩けるぞ」

 ラトスは空を指差しながら言う。
 彼は、メリーに向かって手招きしてみせた。彼女は呆けた顔で宙を見上げていた。ラトスの声を聞いて我に返ると、空を見ながら彼に走り寄る。
 メリーの後に続いて、セウラザも雪の上を歩いてくる。ラトスはセウラザを指差すと、さすが俺の分身だと、口の端をあげてみせた。

「なるほど。これなら問題なさそうだ」
「だろう?」 
「すごいです……。これは、私では気付きません」
「いや。メリーさんに、そういうのは期待していないから。大丈夫だ」
「……え」

 ラトスの言葉に、メリーは身体を硬直させた。目を点にして、ラトスに顔を向けたまましばらく停止する。やがて顔面を紅潮させたかと思うと、頬をふくらませて、ラトスをにらみつけた。

「ちょっと、ラトスさん!?」

 メリーはラトスをにらみつけながら、一歩二歩と近付く。
 密接するほど近寄ると、メリーはラトスを下からのぞきこむようにして顔を寄せた。ラトスは上体を後ろに引いて、苦笑いしてみせる。
 内心、無邪気な子供のようだと思った。良くも悪くも、メリーは感情をあまり隠さない。顔を寄せてくるメリーに、ラトスは頭をなでてやりすごそうとしたが、やめた。余計に怒るような気がしたのだ。

「さあ。行こう」

 メリーの後ろから、セウラザが声をかけた。
 目的のためなら空気を読まないセウラザだったが、今だけは良い働きだ。ラトスはせまるメリーから顔をそむけ、セウラザに向かって大きくうなずいてみせた。

「ああ。行こう。」
「えええ……、ちょっと!?」

 はぐらかされたメリーは、顔面を紅潮させたままラトスに食いつこうとする。
 ラトスはメリーの肩を軽くたたくと、さっさと歩きだした。気持ちの行き場を失った彼女は、ううんとうなり声をあげる。両腕を何度か上下にふり回すと、力なくうなだれるのだった。



 上を見ながら歩きつづけるのは意外と疲れるものだと、ラトスは思った。

 面倒になって、まっすぐ前を向いて歩こうと何度か試みてみたが、それもまた難しかった。変わり映えしない雪原と、上下左右に踊りつづける粉雪のせいで、いつの間にか進む方向がずれていくのだ。しばらく歩くとすぐに雪は深くなり、足が埋もれてしまう。
 結局三人は、空の街を見上げて、歩く方向を修正しつづけた。

 ずいぶん長く歩きつづけたが、辺りには人の姿も、獣の姿も見えなかった。
 空に浮かんでいる逆さまの街には、人が住んでいるのだろうか。ラトスは空をじっと見てみたが、分からなかった。街が高くはなれすぎているのと、舞いつづける粉雪が視界を絶えずさえぎるのだ。目をほそめてみても、逆さまの街に人がいるかどうかはっきりと見ることはできなかった。

「もうすぐ、城の真下だな」

 空を見上げながら、セウラザが静かに言った。
 逆さまにそびえるエイスガラフ城は、本物の城よりも大きく、高いようだった。周囲の建物よりも長く、下に向かって伸びている。三人が城の真下まで来ると、圧倒されるような圧力を感じた。

 そろそろ何か見えるだろうかと、三人は辺りを見回してみた。
 変わり映えしない雪原が四方に広がっている。違いがあるとすれば、先の方に背の低い丘があるだけだった。

「あれは、家……でしょうか?」

 背の低い丘のほうを指差しながら、メリーがこぼすように言った。

「どれだ?」
「ほら、あそこです。少しだけ、黒いというか、茶色いところがありませんか?」

 メリーの指の先を、ラトスは目をほそめてじっと見た。
 言われてみたらそうかもと思うくらいの小さな黒い点が、背の低い丘の上に乗っているような気がする。目をほそめたまま動かないラトスにしびれを切らしたのか。メリーは彼に半歩近付いて、もう一度力強く小さな丘を指差した。

「たぶん、あれは煙突ですよ」
「煙突、か? あれが?」

 メリーの言葉を受けて、ラトスはもう一度黒い点を見た。しかし、煙突かどうかは分からなかった。
 だが、ここまで来たら行ってみるしかない。何もなければ、また空を見上げながら歩き回るだけだ。ラトスは眉をひそめながらメリーにうなずいてみせた。彼女は、任せてくださいと言って、先頭に立って歩きだした。

 小さな丘のふもとまで進むと、メリーが煙突だと言っていた黒い点がはっきりと見えてきた。黒いレンガだった。組み上げられたレンガの壁が、小さな丘の上から突きだしていた。

「……もしかして、家が埋まってるのか?」
「そうかも……?」
「どうするんだ。掘るのか?」
「これを? 手で、ですか?」

 ラトスの提案に、メリーは明らかに嫌そうな顔をした。
 もちろんラトスも嫌だった。だが丘の下に家があるのだとしたら、掘りだす以外に道はない。

「手で掘る必要はないだろう」

 困った顔をして丘を見つめる二人の後ろから、セウラザが声をかけた。

「どうするんだ?」
「吹き飛ばせばいい」
「……なに?」
「メリーの剣で、吹き飛ばせばいいのだ」

 メリーの腰に下がっている銀色の細剣を指差しながら、セウラザは無表情に言った。
 魔法が存在する夢の世界なら、簡単に思いつくことなのだろう。セウラザが無表情なまま首をかしげているのを見て、ラトスはううんとうなり声を上げた。

「だが、正面からはまずいな」
「そうだろうか?」
「メリーなら、丘の下の家ごと、吹き飛ばすかもしれない」

 ラトスはいたって真面目に考えて発言したが、隣にいたメリーはぴくりと頬を引きつらせた。ラトスの横顔に目だけ向けて、にらみつける。

「そうだな」

 セウラザが即答する。メリーはセウラザに視線を移して、彼もじっとにらんだ。しかし二人ともメリーの視線には気づかず、腕を組んで考えこんだ。

「……端のほうから、斜めに少しずつ削りましょうか」

 考えこむ二人を見て、メリーが小さな声で言った。
 彼女は苛立った表情で、丘の端のほうを指差す。

「なるほど」

 セウラザが深くうなずく。遅れて、ラトスもうなずいた。
 メリーは腰に佩く銀色の細剣を抜きはなつ。丘の端に向かって、剣をかまえた。

「メリーさん。ちょっとだけだぞ。本当に。頼むぞ」
「分かってますよ!」

 叫びながら、メリーは剣に力をこめる。
 辺りの風が、粉雪を巻きこみながら剣身に集まりはじめた。銀色の細剣が光りだす。
 柄頭の赤い宝石に閉じ込められた光が、ちらりとゆれた。 

「はあああああ!!」

 気合の入った声をあげて、メリーは剣を大きくふった。
 瞬間、剣身の光はいきおいよく前方にはなたれた。周囲を舞う粉雪が消し飛んでいく。光は、丘の手前に降り積もった雪をえぐり取りながら進み、丘の端を大きく吹き飛ばした。 

「どうです!?」
「……いや。メリーさん。俺の話、聞いてたか?」
「聞いてましたよ」

 メリーは胸を張って応える。何が悪いのかと言わんばかりの表情だった。
 もしかしたら、本当にちょっとのつもりだったのかもしれない。もしくは、腹の虫の居所が悪かったのだろうか。

「気合入れなくていいんだ。メリーさん。軽く、軽く、振ってくれないか」
「じゃあ、今度は軽く振りますね」

 そう言ってメリーはにこりと笑い、再び剣をかまえた。
 じゃあ今度は、と言ったということは、わざとだったのだ。本当に虫の居所が悪くて、思い切りふったのだろう。剣をかまえるメリーの後姿を見て、ラトスは背筋が少し冷たくなった。しかし、彼女が怒っている理由はよく分からなかった。

 ふわりと、風がゆれた。
 銀色の細剣に、風と光が巻き付いていく。
 メリーは、ほそく、長く息を吐いた。かすかに剣先をふるわせ、静かに剣をふり下ろす。剣身に集まっていた風と光が、渦を巻くようにしてゆっくりと前に進みだした。
 光の渦が、降り積もった雪をなで、上空に舞いあげていく。やがて、丘のふもとまで光る渦が進んでいくと、徐々に進行方向を変えて、白い丘を削りはじめた。

「ほう」

 光る渦が丘を削り取っていく様子を見て、セウラザが感心したようにうなった。
 ラトスもセウラザに同調するように目を見開く。
 
 メリーが戦い方を熱心に研鑽しているのは知っていた。
 剣に関しては、事あるごとにラトスとセウラザに反省点を聞きに来るほどだった。悪夢の回廊では、ずっと、次の戦いに生かそうと必死になっていた。魔法の使い方などは分からないので、ラトスは助けになれなかった。セウラザも魔法の類は使えないらしく、概念程度しか説明できないようだった。
 今使っている魔法は、ペルゥが教えたのだろう。
 戦いには協力的ではなかったが、教える分には問題ないと判断したのかもしれない。

 短期間で、これほど魔法を使えるものなのかと、ラトスも感心せざるを得なかった。
 丘の三分の一ほどを削り取った光る渦に、うなり声をあげる。

「すごいな、これは」

 ラトスが声をこぼす。
 彼の前で剣をかまえながら立っているメリーの肩が、ぴくりと動いた。片足を少し上げ、足元の雪をつま先でとんとんと蹴る。
 銀色の細剣は、わずかな光を保って、かすかにゆれる剣先から風を飛ばしているようだった。剣先から飛ぶ風のひとつひとつは、小さく、こまかい。粉雪を小さくゆらしながら、丘を削りつづけている光る渦に運ばれていく。それはまるで、セウラザが無数の刃を操っているときのようだった。

 やがて、白い丘の中から、家の壁らしきものが見えてくる。
 メリーは、丘の上から見えていたものが煙突だと言っていた。もしかすると、現の世界で見たことがある家だったのかもしれない。

「これぐらいで、いいでしょうか?」

 メリーは光る渦を霧散させて、銀色の細剣を鞘に納めた。
 見ると、削られた雪の丘から、家の壁らしきものと小さな木戸が現れていた。
 できればもう少し雪を吹き飛ばしてほしいところだったが、光る渦が家の壁まで削ってしまったら目も当てられない。ラトスは、メリーに向かって大きくうなずく。彼女は両手をにぎり、跳ねるように喜んだ。

「役に立ててよかったです」
「いや。十分だ。助かった」
「……本当に?」
「本当だが?」

 ラトスが真面目な顔で返事すると、メリーは言葉を詰まらせた。
 予想していた返答とは違ったのだろうか。彼女はうつむきながらぶつぶつと何かつぶやいたかと思うと、長く長く息を吐きだした。

「どうしたんだ」
「……いえ。なんでも」

 何でもないという表情ではなかったが、ラトスはそれ以上踏みこまなかった。
 丘の下から姿を現した家に目を向ける。それは小さな家のようだったが、全体的に不自然な造りだった。外壁は綺麗に手入れされた石造りなのに、木戸や木窓はみすぼらしく、くすんでいた。丘の上に見える煙突らしきものは大きく、立派なのだが、小さな家には不釣り合いだった。
 木戸周辺には、庭らしき空間があった。庭は、無造作に雑草が生えたところと、よく手入れされた花壇が混在している。まるで、色々な家の絵を貼り合わせて造ったかのようだとラトスは思った。
しおりを挟む

処理中です...