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雪に閉じ

冷徹からはじまる

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   ≪雪に閉じる≫


 突然、メリーが前方を指差した。
 
 彼女の指の先に、目を送ってみる。
 薄暗い空間に、黒い石畳の道が延びていた。遠くは、陽炎のようにゆらめいている。ゆれる道の先に、途切れたように見える場所があった。

「出口ですよね!?」

 走りながら、メリーが嬉々とした声で叫んだ。

「そのようだ」

 道の終わりを見て、セウラザはうなずく。
 セウラザの同意に、メリーはペルゥと顔を見合わせた。ペルゥは瞳を輝かせて、彼女に笑顔を見せる。メリーは顔を明るくさせて、跳ねるように走りだした。

 だが、出口らしき道の終わりは、予想以上に遠かった。
 上下左右に曲がりくねった道がつづいている。やっと見えた出口は、何度も薄暗い空間に溶けて見えなくなったり、陽炎のように現れたりを繰り返すのだった。
 メリーは、出口が見えなくなるたびに悲しい表情になり、また見えるようになると、子供のように嬉々として騒ぐのを繰り返した。

 その間にも、夢魔の群れは何度もおそいかかってくる。
 幸いにも、走りつづけているうちにセウラザは戦う力を取りもどしていた。メリーは夢魔の見た目に臆することなく、戦うことに慣れてきている。悪夢の回廊に入ったばかりの時とは比べ物にならないほど、夢魔の殲滅は楽になっていた。

 巨大な夢魔も、悲嘆の夢魔の後には現れていない。危機的な状況に陥ることは、ほぼ無くなっていた。

 ラトスは、短剣の剣身を伸ばす。
 目の前にせまっていた夢魔の身体に、黒い短剣を突き立てた。びくりとふるえる夢魔を、乱暴に横へ薙ぎ払う。
 夢魔の身体は、黒い短剣に引き裂かれながら黒い塵を噴きだした。千切れた身体の一部が飛んでいく。
 虫のような形をした夢魔だが、ずいぶんと軽い身体だ。黒い塵となって消えていく夢魔を見て、ラトスは思った。
 自分が強くなったのだろうかとも思ったが、身体を動かしてみてもそんな感じはしない。度重なる夢魔との戦いで、祓いの力なるものを使い慣れてきたのだろうか。しかし、それも目に見えるものではない。結局、自分ではよく分からなかった。

 虫のような夢魔を殲滅し、またしばらく走りつづける。目の前に、黒い石畳の道の終わりが見えてきた。陽炎のようにゆれている道の終わりまでは、ほぼ一直線となった。

「着いたようだな」

 ラトスがため息混じりに言う。
 隣を走っていたメリーも複雑そうな表情でうなずいた。長かったですと、声をこぼす。

 進むほどに、道の終わりははっきりと見えてきた。
 道の突き当りには、悪夢の回廊に入った時と同じように、ぽつりと不思議な泉がある。変わり映えのない道を走りつづけていた彼らにとっては、飛び跳ねて喜びたくなるほどの大きな変化だ。緊張感が切れて、崩れ落ちてしまうのではないか。ラトスは、安堵する気持ちを拭いきれなかった。

「やっと、ここまで……」

 メリーは不思議な泉の前まで来ると、膝から崩れ落ち、倒れた。
 飛び跳ねて喜ぶのを想像していたが、自分と同じ気持ちだったのだろうと、ラトスは苦笑いした。ずいぶんといきおいよく倒れたので、あわててペルゥが彼女の頭の近くまで飛んでいく。心配そうに彼女の顔をのぞきこんだ。

「大丈夫? メリー」
「ごめんなさい。ちょっと……足がもつれちゃって」
「頑張ったもんね。すごいよ!」

 ペルゥはそう言いながら、メリーからラトスに視線を移し、にやりと笑った。
 何か言ってやれということなのだろうか。ラトスはペルゥの視線を払いのけるように手をふると、倒れこんだメリーに手を伸ばしてみせた。

「……やったな」
「はい……! やりましたね!」

 差し伸べられた手につかまって、メリーはふらつきながら身体を起こした。
 衣服に付いた黒い塵を、ぱたぱたと払い落とす。メリーの様子を見てペルゥは満足したのか、ふわりと浮きあがって彼女の肩の上に飛び乗った。

「今のうちに扉を開けてもらおう」

 ラトスの後ろから、セウラザの声が聞こえた。
 ふり返ると、不思議な泉のそばでセウラザが辺りを見回していた。
 釣られてラトスも辺りを見回す。周囲には、夢魔の影はなかった。今なら、安全に扉を開くことができるだろう。

「そうだな。行こう。休むにしても、この先のほうがいい」

 ラトスはうなずく。後ろをふり返り、メリーに手招きをした。
 彼女はラトスの手招きに気付くと、小さくうなずいてから、小走りに近寄ってきた。

「メリーとラトスが先に入ってよ。ボクはセウラザと一緒に、後ろを見ているから」

 ペルゥはそう言うと、メリーの肩から飛びあがった。
 弧を描くように、不思議な泉の前まで飛んでいく。泉の淵に降り立つと、小さな前足で水面をたたいた。

 水面をたたいたことで幾重にも広がった波紋が、次第に大きく波を立たせていく。
 泉に広がった大きな波は、徐々に中心に集まりはじめた。どくんと脈打つように、波が中心に沈む。ラトスとメリーが沈んだ部分をのぞきこむと、人の目のようなものが見えた。目はしばらく上下左右を見回す。何度かまたたきをすると、静かに閉じて、泉の底に消えていった。同時に、不思議な泉の中心から水が湧きあがりはじめた。ゆっくりと隆起して、大きな水の球体が水面の上に浮かびあがっていく。

 浮かびあがった水の球体は、表面を波立たせながら水面の上に降りた。
 水の球体の動きに合わせて、不思議な泉の水面は、幾重も波紋を広げる。水の波は、泉を取り囲んでいる石の淵に何度も打ち付けた。

 やがて水の球体が、ゆっくりと凹みはじめた。
 凹んだところは徐々に広がっていく。ついには大きな穴を開けて、球体は大きな水の輪になった。

「じゃあ、先に行く」
「待ってますね」

 ラトスとメリーが、泉の石の淵に足をかける。
 メリーは一度ふり返り、セウラザとペルゥに手をふった。

「ああ。すぐに行く」
「待っててねー!」

 セウラザとペルゥがうなずく。
 彼らの様子を見届けて、最初にラトスが水の輪に飛びこんだ。
 水の輪に張った薄い膜は、ラトスの身体を音もなく吸いこんだ。メリーはラトスが水の輪の反対側に飛びだしていないかどうか、左右に首をふって確認する。間を置いて、メリーは唾を飲みこんだ。石の淵を蹴り、水の輪に飛びこんでいく。

 残ったセウラザとペルゥは、辺りを警戒しながら不思議な泉に近寄った。

「気付いてる?」

 泉のそばまで来てから、ペルゥがセウラザに声をかけた。その声は、いつもの陽気な声色ではなかった。静かで、冷たい声だ。

「何をだ」

 セウラザは足を止め、ふり返った。
 ペルゥは、じっとセウラザの顔をのぞきこむようにして飛んでいた。小さな前足と後ろ足、三本の尻尾をだらりと垂らしている。セウラザをにらむようにしている目だけが、鈍く、力強く、光っていた。

「ラトスのことだよ」
「……ああ」
「あれは、よくない」
「そうだな」
「分かってるなら、いいけど」

 冷たい声でペルゥは言い、目をほそめた。瞳の奥に、鈍い光がゆれている。
 セウラザは、ペルゥの目の光を見て静かにうなずいた。

「あのままだと、ラトスは長く持たない」

 うなずくセウラザを見て、ペルゥはゆっくりと前進する。セウラザの顔の横をとおりすぎながら、冷たい視線を彼に向けた。

 ペルゥの声は、冷たく、重たい。
 セウラザは目をほそめ、泉をじっと見るのだった。
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