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悲嘆
圧からはじまる
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≪悲嘆≫
言葉にはできない、奇妙な圧迫感が押し寄せてくる。
重く、息苦しいような。熱いようで冷たいような。まとわりつくような。痛いような。様々な感覚が、身体の内と外を刺激してくる。
黒い石畳の道を進めば進むほど、その奇妙な圧迫感は増していくようだった。
辺りを見回してみても、特に変化はない。薄暗い空間に、黒い石畳の道が上下左右に延びているだけだった。遠くのほうは相変わらず、陽炎のようにぼんやりとしている。黒い道は、ゆらりゆらりとゆれていた。
「息苦しく、なってきましたね」
黒い石畳の道を走るラトスの背中から、メリーがほそい声を絞るようにだした。
メリーは、思った以上に祓う力を使いすぎたようだ。ラトスがしばらく彼女を背負って走っていても、一向に回復する気配はなかった。少し前に、本当に大丈夫なのかと、並走しているペルゥに聞いてはいた。だが、時間はかかるけど問題はないよと、軽く答えるだけだった。
「……そうだな」
ラトスは目をほそめて、黒い石畳の道の先を見据えながら、短く返事した。
ラトスの前を、セウラザが先行していた。セウラザとペルゥは、ラトスよりもこの圧迫感を強く感じているらしく、今まで以上に警戒しながら走っていた。
「そういえば、あまり、夢魔がいないですね」
「ああ。気味が悪いほどにな」
「嫌な予感がします」
「俺も、そう思うよ」
メリーの言葉に、ラトスがうなずく。
今まではずっと、おそいかかってくる夢魔以外にも様々な種類の夢魔が、付かずはなれず周りにいた。それはまるで、自分たちを監視しているかのようだった。
ところが今は、わずかしか見当たらない。
ずっと追いかけてくる夢魔もいるにはいるが、一匹か、二匹ほどだ。それ以外の夢魔は、たまたまそこにいただけのようで、セウラザとラトスがすぐそばを走りぬけていっても、少し顔をあげて、その姿を目で追うだけだった。
しばらく走りつづけていると、不意に、頭上から地鳴りのような鳴き声がひびいてきた。
それは、少し前にペルゥが小さな前足で指した方向だった。改めて見あげてみると、そこにはおびただしい数の夢魔が飛び交っていた。
「……な、んだ。あれは……!?」
ラトスはおびただしい数の夢魔の先にある黒い石畳の道を見て、傷のある頬を引きつらせた。
そこには、黒い石畳の道からはみでるほどの巨大な夢魔がいた。
ラトスたちからは道の裏側しか見えないので、その夢魔の全貌は分からない。だが、道からはみだしているそれは、巨大な尻尾のようだった。尻尾は黒い鱗につつまれていて、その太さは、人の胴の何倍もあった。
「あれも、夢魔なのか?」
「そうだねー。いや、でも、こんなところにいるなんて……」
ペルゥは、巨大な夢魔をにらむように見あげて言った。お道化た喋り方をする余裕もないようだ。
「こんなところにいるっていうのは、どういう意味だ」
ペルゥの言葉を拾いあげて、ラトスは少し強い口調で言う。
ペルゥは少し困ったらしく、ううんとうなり声をあげて黙ってしまった。
「あれは、おそらく、悪徳の夢魔だ」
黙ってしまったペルゥを見かねたのか、セウラザの声が差しこんできた。
先を走っていたセウラザは、少し速度を落としてラトスの隣まで来ていた。ラトスと同様に、頭上の黒い石畳の道に居座っている夢魔を見あげている。
「悪徳?」
「そうだ。私も見たことはないから、おそらく、としか言えないが」
「珍しいのか」
「珍しい。こんな浅い悪夢の回廊には、普通はいないはずだ」
そう言ったセウラザの表情は、少しゆがんでいた。
セウラザとペルゥの言い方から察するに、あれはかなり強い夢魔なのだ。勝てるかどうか分からない相手なのだろう。だが、悪夢の回廊は一本道である。迂回する方法はない。進めば必ず、あの夢魔がいる道にたどり着くことになる。
「勝てるのか?」
「無理だ」
セウラザは即答した。
あまりに潔い返答に、ラトスは次の言葉がなかなかでてこなかった。
「あれが本物の悪徳ならば、今の力では勝てないだろう」
「本物、じゃなかったら?」
「勝ち目はある」
「じゃあ、やろう」
「本気か」
「どのみち、あいつは道をふさいでる。あの巨体で襲われたら、ただ逃げるだけでは済まないだろうさ」
そう言いながらも、ラトスの頬は引きつっていた。
メリーが戦えたらもっと違うだろうかと少しだけ考えて、ラトスはすぐに頭を横にふった。
彼女の様子を見るかぎり、まだしばらくは動けそうもない。だが、メリーが動けるまで待つにしても、それまで次々におそいかかってくる夢魔を安全に処理できる保証はないのだ。もしかしたら、さらに状況は悪化するかもしれない。
それならこのまま、セウラザとラトスがまともに動けるうちに、戦って、駆けぬけたほうがいい。
それに絶対に勝たなくてもいいのだ。
頭上の黒い石畳の道の上に居座っている巨大な夢魔は、先ほどからまったく移動していない。もしかすると他の夢魔のように縄張りのようなものがあって、その範囲からはでていかないのかもしれないのだ。
それならば道をこじ開けて突破した後、追ってこなくなるまで走りぬけてもいい。
「メリーさん。ちょっと縛り直すぞ」
「わかりました」
ラトスは走るのをやめて、一度背中からメリーを下ろした。
彼女はわずかに力がもどったようだ。上半身が倒れないよう、腕をわずかに横へすべらせて身体を支えていた。その様子を見て、ラトスは少しホッとした。
「ちょっと苦しいかもしれないが、我慢してくれ」
「……大丈夫です」
メリーは面目なさそうな表情をする。
ラトスが彼女の顔をのぞきこむと、気丈なふりをして、口を強くむすんでみせた。それを見て、ラトスは小さくうなずく。腰から短剣をぬき、自分が身に着けていたマントを切り裂いた。いくつかに切り裂かれたそれを、ラトスは結びなおし、長い帯にした。そして赤子を背負うように長い帯を使って、メリーをラトスの背中に固定した。
「大きな妹が出来たようだ」
「ちょっと! やめてください!」
「冗談だ。じゃあ、行くぞ」
顔面を紅潮させたメリーを背にして、ラトスは立ちあがった。
黙って隣に立っていたセウラザの顔を見る。セウラザは、もう顔をゆがませてはいなかった。いつもどおりの無表情にもどっている。
「最善を尽くそう」
「もちろんだ」
「死なない程度にねー!」
二人と一匹は声を掛けあい、ゆっくりと顔をあげた。
巨大な夢魔は、同じ場所にとどまっていて動いていない。その周りには、おびただしい夢魔の群れがいまだに飛び交っていた。巨大な夢魔からはなれていく様子はない。
もし戦うことになれば、あの夢魔の群れとも戦うことになるかもしれない。少し前に戦った鳥のような夢魔の群れとは数の桁が違う。おそらく、百か二百はいるだろう。
だが、こんなところで終われはしない。
ラトスは二振りの短剣を鞘からぬき、強くにぎりしめたまま、黒い石畳の道を走りだした。
言葉にはできない、奇妙な圧迫感が押し寄せてくる。
重く、息苦しいような。熱いようで冷たいような。まとわりつくような。痛いような。様々な感覚が、身体の内と外を刺激してくる。
黒い石畳の道を進めば進むほど、その奇妙な圧迫感は増していくようだった。
辺りを見回してみても、特に変化はない。薄暗い空間に、黒い石畳の道が上下左右に延びているだけだった。遠くのほうは相変わらず、陽炎のようにぼんやりとしている。黒い道は、ゆらりゆらりとゆれていた。
「息苦しく、なってきましたね」
黒い石畳の道を走るラトスの背中から、メリーがほそい声を絞るようにだした。
メリーは、思った以上に祓う力を使いすぎたようだ。ラトスがしばらく彼女を背負って走っていても、一向に回復する気配はなかった。少し前に、本当に大丈夫なのかと、並走しているペルゥに聞いてはいた。だが、時間はかかるけど問題はないよと、軽く答えるだけだった。
「……そうだな」
ラトスは目をほそめて、黒い石畳の道の先を見据えながら、短く返事した。
ラトスの前を、セウラザが先行していた。セウラザとペルゥは、ラトスよりもこの圧迫感を強く感じているらしく、今まで以上に警戒しながら走っていた。
「そういえば、あまり、夢魔がいないですね」
「ああ。気味が悪いほどにな」
「嫌な予感がします」
「俺も、そう思うよ」
メリーの言葉に、ラトスがうなずく。
今まではずっと、おそいかかってくる夢魔以外にも様々な種類の夢魔が、付かずはなれず周りにいた。それはまるで、自分たちを監視しているかのようだった。
ところが今は、わずかしか見当たらない。
ずっと追いかけてくる夢魔もいるにはいるが、一匹か、二匹ほどだ。それ以外の夢魔は、たまたまそこにいただけのようで、セウラザとラトスがすぐそばを走りぬけていっても、少し顔をあげて、その姿を目で追うだけだった。
しばらく走りつづけていると、不意に、頭上から地鳴りのような鳴き声がひびいてきた。
それは、少し前にペルゥが小さな前足で指した方向だった。改めて見あげてみると、そこにはおびただしい数の夢魔が飛び交っていた。
「……な、んだ。あれは……!?」
ラトスはおびただしい数の夢魔の先にある黒い石畳の道を見て、傷のある頬を引きつらせた。
そこには、黒い石畳の道からはみでるほどの巨大な夢魔がいた。
ラトスたちからは道の裏側しか見えないので、その夢魔の全貌は分からない。だが、道からはみだしているそれは、巨大な尻尾のようだった。尻尾は黒い鱗につつまれていて、その太さは、人の胴の何倍もあった。
「あれも、夢魔なのか?」
「そうだねー。いや、でも、こんなところにいるなんて……」
ペルゥは、巨大な夢魔をにらむように見あげて言った。お道化た喋り方をする余裕もないようだ。
「こんなところにいるっていうのは、どういう意味だ」
ペルゥの言葉を拾いあげて、ラトスは少し強い口調で言う。
ペルゥは少し困ったらしく、ううんとうなり声をあげて黙ってしまった。
「あれは、おそらく、悪徳の夢魔だ」
黙ってしまったペルゥを見かねたのか、セウラザの声が差しこんできた。
先を走っていたセウラザは、少し速度を落としてラトスの隣まで来ていた。ラトスと同様に、頭上の黒い石畳の道に居座っている夢魔を見あげている。
「悪徳?」
「そうだ。私も見たことはないから、おそらく、としか言えないが」
「珍しいのか」
「珍しい。こんな浅い悪夢の回廊には、普通はいないはずだ」
そう言ったセウラザの表情は、少しゆがんでいた。
セウラザとペルゥの言い方から察するに、あれはかなり強い夢魔なのだ。勝てるかどうか分からない相手なのだろう。だが、悪夢の回廊は一本道である。迂回する方法はない。進めば必ず、あの夢魔がいる道にたどり着くことになる。
「勝てるのか?」
「無理だ」
セウラザは即答した。
あまりに潔い返答に、ラトスは次の言葉がなかなかでてこなかった。
「あれが本物の悪徳ならば、今の力では勝てないだろう」
「本物、じゃなかったら?」
「勝ち目はある」
「じゃあ、やろう」
「本気か」
「どのみち、あいつは道をふさいでる。あの巨体で襲われたら、ただ逃げるだけでは済まないだろうさ」
そう言いながらも、ラトスの頬は引きつっていた。
メリーが戦えたらもっと違うだろうかと少しだけ考えて、ラトスはすぐに頭を横にふった。
彼女の様子を見るかぎり、まだしばらくは動けそうもない。だが、メリーが動けるまで待つにしても、それまで次々におそいかかってくる夢魔を安全に処理できる保証はないのだ。もしかしたら、さらに状況は悪化するかもしれない。
それならこのまま、セウラザとラトスがまともに動けるうちに、戦って、駆けぬけたほうがいい。
それに絶対に勝たなくてもいいのだ。
頭上の黒い石畳の道の上に居座っている巨大な夢魔は、先ほどからまったく移動していない。もしかすると他の夢魔のように縄張りのようなものがあって、その範囲からはでていかないのかもしれないのだ。
それならば道をこじ開けて突破した後、追ってこなくなるまで走りぬけてもいい。
「メリーさん。ちょっと縛り直すぞ」
「わかりました」
ラトスは走るのをやめて、一度背中からメリーを下ろした。
彼女はわずかに力がもどったようだ。上半身が倒れないよう、腕をわずかに横へすべらせて身体を支えていた。その様子を見て、ラトスは少しホッとした。
「ちょっと苦しいかもしれないが、我慢してくれ」
「……大丈夫です」
メリーは面目なさそうな表情をする。
ラトスが彼女の顔をのぞきこむと、気丈なふりをして、口を強くむすんでみせた。それを見て、ラトスは小さくうなずく。腰から短剣をぬき、自分が身に着けていたマントを切り裂いた。いくつかに切り裂かれたそれを、ラトスは結びなおし、長い帯にした。そして赤子を背負うように長い帯を使って、メリーをラトスの背中に固定した。
「大きな妹が出来たようだ」
「ちょっと! やめてください!」
「冗談だ。じゃあ、行くぞ」
顔面を紅潮させたメリーを背にして、ラトスは立ちあがった。
黙って隣に立っていたセウラザの顔を見る。セウラザは、もう顔をゆがませてはいなかった。いつもどおりの無表情にもどっている。
「最善を尽くそう」
「もちろんだ」
「死なない程度にねー!」
二人と一匹は声を掛けあい、ゆっくりと顔をあげた。
巨大な夢魔は、同じ場所にとどまっていて動いていない。その周りには、おびただしい夢魔の群れがいまだに飛び交っていた。巨大な夢魔からはなれていく様子はない。
もし戦うことになれば、あの夢魔の群れとも戦うことになるかもしれない。少し前に戦った鳥のような夢魔の群れとは数の桁が違う。おそらく、百か二百はいるだろう。
だが、こんなところで終われはしない。
ラトスは二振りの短剣を鞘からぬき、強くにぎりしめたまま、黒い石畳の道を走りだした。
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