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空からはじまる

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「……本当に!? ここ、あの岩山の上ですか!?」

 メリーの大声が耳に届くようになり、セウラザが彼女に短く肯定の返事をしていた。

 ラトスは数度またたきをして、ゆっくりと左右に顔を向けた。
 そこは森の中の道ではなく、一本の木も生えていなかった。いくつもの大きな岩が組み重なった、岩場が広がっていた。岩と岩の隙間から、あざやかな緑色の草や、綺麗な赤や、黄色の花が伸びている。ふり返ると、白い転送石が大きな岩の上に突き刺さるように建っていた。

 あの岩山の上、とは何か。メリーの言葉を頭の中で巡らせながら、ラトスは硬い岩を革靴の底で軽く蹴ってみた。足の裏に、ズシリと硬く重い感覚がひびきあがってくる。ラトスは眉根を寄せ、目をほそめた。

 目をほそめたまま、遠くのほうを見る。あざやかな青い空の中に、小さな岩山がいくつか見えた。それらは、ゆっくりと上下にゆれているようにも見えた。

「ここは草原の、空の上……か?」

 ラトスがこぼすように言うと、前に立っていたメリーがふり返った。
 彼女は怒った顔をするのも忘れて、楽しそうに、そうですよと力強くうなずいた。そしてラトスを手招きしながら、先のほうへ走り出す。そこから斜め下を指差して、黄色い声をあげた。

 メリーが走っていったところは、大岩がいくつも組み重なった岩場の下端だった。そこから下は、崖になっていた。メリーのように、軽やかに飛び跳ねていくのは少しためらわれた。ラトスは足元を確認しつつ彼女の傍まで行くと、そこから首を伸ばして下をのぞきこんだ。

 眼下には、あの色あざやかな美しい草原が広がっていた。
 三人がいる岩山は、思ったより高く浮いているようだった。草原にいくつもあるはずの小さな丘と、その頂上の白い転送塔は、目視では分かりづらいほど小さく見えた。

「飛んでますね」

 メリーは目と口を大きく開けて、何度か深呼吸をした。
 下をのぞきこんでいると、この岩山がわずかに上下に浮き沈みしているのが全身に伝わってくる。本当に浮いているのだと、あらためて実感した。

「落ちないでくれよ」
「夢なら落ちませんよ。きっと」

 自信に満ちた声でメリーは言った。
 メリーの言葉に、なるほどと思って、ラトスは再度下をのぞきこんでみた。しかし、落ちないという気持ちは湧きあがってこなかった。かなりの高度なので、落ちたら命はないだろう。彼女の自信がどこから来るのか、ラトスは不思議でならなかった。

 しばらく二人は、岩山の端で景色をながめていた。
 眼下の草原で感じたゆるやかな風が、岩山の上にも流れこんできている。メリーの赤みがかった黒い総髪が、ふわりと浮きあがり、ラトスの頬をなでるようにとおりすぎた。岩の隙間から這いでている草花が、右に左にゆれる。

 ラトスは、風が流れる方向に視線を流した。組みあがった岩山の上に、セウラザの姿が見えた。セウラザはこちらを見てはいなかったが、じっと静かにしている。二人がもどってくるのを待っているようにも見えた。

「そろそろ行こうか」
「そうですね」

 メリーはうなずいて、岩山の上に立っているセウラザに、大きく手をふってみせた。
 セウラザは、しばらく彼女の動作に気付かなかった。じっと同じ方向を見据えている。その方向に、ラトスも目を向けた。そこには、黒い柱のようなものが建っていた。

 セウラザに向けて手を振っていたメリーは、なかなか彼が気付かないので、声をあげながら先に岩山を登りはじめた。彼女を追いかけるように、ラトスも岩山を登る。すると後ろから、風の音に紛れて、別の変な音が聞こえてきた。
 何だと思ってふり返っても、特に何もない。
 しかし、変な音は徐々に近づいてきているようだった。次第にその音は、声のようなものだと分かった。

「待ってたよー!」

 声のようなものが、ふり返った先から聞こえてきた。
 姿は見えなかったが、その声は聞き覚えがあるものだった。ラトスは何となく察して、声の主が見えるまでその場で待ってみた。すると崖の下から、何かが跳ねるようにして飛びだしてきた。ラトスは飛び出してきたものを見あげる。目線の先には、白い獣のような姿があった。ペルゥだった。

「ペルゥ!」

 声に気付いたメリーは、岩山を登る途中でふり返った。
 メリーがその場で飛び跳ねる。ペルゥもあわせるようにして上下に飛ぶと、彼女の胸元に飛びこんだ。

「会いたかったー!」
「ボクもだよー!」

 メリーは甲高い声をあげて、ペルゥに手のひらを差しだした。
 彼女にあわせて、ペルゥもその小さな前足を彼女の手のひらに重ねてみせた。草原で別れてから、それほど時間は経っていない。しかしメリーとペルゥの喜びようは、久しぶりの感動の再会と言わんばかりだった。

「その獣は?」

 岩山の上から、セウラザの声がした。
 ラトスとメリーが見上げると、セウラザが目をほそめて彼女と一匹の様子をじっと見降ろしていた。その顔は無表情のままだったが、なにか考えているようにも見えた。わずかに威圧感もはなっている。

「この子は、ペルゥです。お友達です!」
「よろしくねー!」

 彼女と一匹は、声を揃えて応えた。そしてペルゥは前足を上下にふってみせると、メリーのまわりを飛んで、彼女の肩の上に着地した。

「なるほど」

 セウラザは、しばらく目をほそめたままペルゥを見た。
 やはり、無表情のままなにかを考えていた。それは今までの無表情無感情とは違って、何かに警戒しているようにも見えた。
 セウラザから少しはなれていたラトスは、それを察して彼に声をかけようとした。セウラザの目はますますほそくなっていって、警戒というよりはペルゥを拒絶するかのように見えたからだ。しかしメリーは、彼の様子には気づいていない。ペルゥを肩に乗せたまま、岩山の上をくるくると回ったりしていた。

「何か気になるのか?」

 セウラザがいるところまで岩山を登ると、ラトスは彼に問いかけた。楽しそうにしているメリーを横目に、彼女には聞こえないほどの小声で言う。

「いや。なんでもない」

 ラトスの問いに、セウラザは間を置いて応えた。
 言いながらも、岩場を走り回っているメリーと、彼女の肩に乗っている獣を目で追っている。その表情は何でもないという感じではなかったが、ラトスはそれ以上追及しなかった。

 ペルゥは彼女の肩の上で飛び跳ねながら、何かに向かって前足を伸ばしていた。その前足の先を目で追って、メリーは軽やかに走りだした。観光案内でもしているのだろうか。ラトスもセウラザと同じように、少し目をほそめて、メリーの姿を目で追った。

 彼女たちが向かう先には、先ほど目に映った黒い柱があった。

「あの転送石から、悪夢の回廊に行くのだ」

 彼女たちを目で追いながら、セウラザは静かに言った。
 先に行かせても大丈夫なのかとラトスが聞くと、おそらく無茶はさせないだろうとセウラザは応えた。その言葉を聞いて、セウラザはペルゥが何者なのかある程度は分かっているのだと察した。この夢の世界のことを熟知しているはずの男が、ペルゥの存在を黙認しているのだ。ラトスから口をはさめることは、何もない。

「それじゃあ、俺たちも行こう」
「そうしよう」

 セウラザは静かにうなずき、黒い柱が建っている方向に歩き出した。ラトスはその様子を見て、面倒なことにならなければいいがと思いながら、後を追うのだった。

 黒い柱の前で、メリーとペルゥは大人しく待っていた。彼女たちの性格上、いきおいに任せて転送石にふれてしまうのではないかと思っていた。だがメリーの目の奥には、わずかにおびえのようなものが残っているようだった。悪夢の回廊に対する恐怖心が、自制を働かせたのかもしれない。

「ペルゥも行くのか?」

 彼女の隣でふわふわと浮いているペルゥを見て、ラトスは声をかけた。

「もちろん! 一緒に行くよ。道案内する約束、したもんね」

 小さな頭でペルゥはうなずくと、右前足を高々とふりあげてみせた。
 そういえばそんなことを言っていたことがあったようなと、ラトスは少し考えたふりをした。それを受けて、ペルゥは小さな身体を左右にふり、忘れないでよと残念そうな身振りをした。

「大丈夫。邪魔はしないよ。ちゃんとするよー」

 そう言って、ペルゥはラトスの隣にいるセウラザに目を向けた。
 ペルゥからの視線を感じたセウラザは、ピクリと身体をゆらした。楽し気な口調で話しかけてくる猫のような獣を、じっと見る。その様子を見て、セウラザだけではなく、ペルゥもセウラザに対して警戒しているようだとラトスは感じ取った。ペルゥの声は明るく楽し気だったが、瞳の奥にはギラリとした鈍い光がひそんでいるように見えた。

 しかし、警戒しあいながらも邪魔はしないと明言した意味は、セウラザに伝わっているだろう。セウラザは黙ってペルゥを見た後、そのまま何も言わずに目をそむけた。

「嫌われてるな。お前」
「そうみたい。可愛いっていうのは罪なものだよね」
「……いい性格してるな。本当に」

 お道化たペルゥに、ラトスは呆れた顔をして両手をふってみせた。
 どういう理由があるかは分からないが、おそらくペルゥはこういう扱いを受けることに慣れているのだ。だとすれば、メリーと友達になろうと言ったあの時の言葉は、全て打算的なものではないのかもしれない。

 ペルゥは、微妙な空気になったことに気付いていないメリーにふり返る。左右にゆれながら彼女の前まで飛んでいき、肩の上に飛び乗った。そしてメリーの首に白い身体をこすりつけると、猫のような鳴き声を小さく絞りだした。

「ペルゥは、もしかしてお疲れですか?」
「……うん? あ、うん。そうだね。ここ高いからね。結構飛んだから疲れたかも」
「道案内だけはしてくれよ」
「ご心配なく! 任せちゃってー!」

 元気そうな声をあげたが、本当に疲れていたのだろうか。ペルゥはメリーの肩の上で足をダラリと伸ばすと、そのまま目を閉じてしまった。大丈夫かとラトスはペルゥに手を伸ばそうとしたが、メリーが彼の手を押さえる。少し休ませましょうと小声で言い、笑った。

 はたして険悪な空気はひとまず落ち着いた。面倒な旅路にはならないだろうと判断したラトスは、セウラザに向きなおる。先に進もうと提案し、目の前にある黒い転送石を指差した。

「もちろん、行こう」

 そう言ったセウラザの顔は、今まで通りの無表情にもどっていた。
 彼は甲冑を鳴らしながら黒い転送石に近付くと、ラトスとメリーも来るようにと手招きした。

 肩の上で眠っているペルゥを横目に、メリーは少し緊張した面持ちで、セウラザの隣まで足を進めた。それを見届けてから、ラトスも黒い転送石に近付き、メリーの隣に立った。
 黒い転送石は、大きさも高さも、白い転送石と同じぐらいのものだった。表面をよく見てみると、黒の中に、赤と青の光がチラチラと煌めていた。その光はせわしなく、黒い転送石の表面を駆け巡っている。

 ラトスが黒い転送石をじっと観察しているうちに、隣から転送石に向けて腕が伸びてきた。セウラザの腕だった。少し遅れて、細長いメリーの腕も転送石に伸びる。釣られてラトスも腕を伸ばし、黒い転送石の表面にふれた。

「心の準備は?」

 セウラザは、ラトスとメリーにたずねた。
 ラトスは、指先から伝わってくる振動を感じながら、目だけをセウラザに向けた。

「そういう言葉は、触れる前に言うものだ」

 手から腕に向かって、振動が駆け上がってくる。
 隣にいるメリーが言葉になっていない声を絞りだして、唇を強くむすんでいる。我慢しろと声をかけようと思ったが、口を開いた瞬間、周囲がなにかの影につつまれた。その影は次第に濃くなっていって、三人の身体を飲みこんでいっているようだった。

 光につつまれる転送とは別のものなのかと思った時には、身体の感覚が暗闇に飲みこまれて消えていた。

 やはり苦手な感覚だ。
 意識だけになって、ラトスはそれだけ思いながら、意識の中で目をつぶるのだった。
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