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扉からはじまる

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 武具をそろえた三人が向かう先には、巨大な城門が待っていた。
 それは、ラトスとメリーが最初におとずれた城門ではない。別の方角にある門だったが、造形はやはりエイスのものと同じだった。城門の前には、衛兵らしき者が数名立っていた。
 衛兵たちの後ろにある城門は、大扉こそ開いていたが、落とし格子だけがなぜか下りていた。

 城門までは、まだかなりの距離があった。
 ところが衛兵たちは、三人が近付いてくるのが見えたようだ。手に持つ大きな槍を強くにぎりなおして、石突を二度、石畳に打ち付けた。

「そこで止まってください」

 衛兵の一人が、丁寧な口調で言った。
 そして周囲にいる他の衛兵に声をかけてから、駆け足で三人に近付いてきた。

「悪夢の回廊に行く予定ですか?」
「そうだ」

 衛兵が笑顔で問いかけてくると、セウラザは即答した。
 セウラザの無表情に対して、衛兵は笑顔を崩さなかった。だが、槍を持つ手の力は、ゆるめていなかった。

「そちらのお二方は……」
「彼らのことは、私が保証する」

 セウラザは少し強い口調で、衛兵の言葉をさえぎった。
 衛兵は笑顔のまま深く頭を下げると、一歩後ろに下がった。
 この世界では、セウラザは強い権威を持っているようだった。それが自分の分身であるからかは分からない。だがこの夢の世界にいるかぎりは、ペルゥが勧めたとおり、色々な意味で心強い協力者になるのだろう。

「案内する者が控えていますが、いかがいたしましょうか」
「いや。必要はない」
「かしこまりました」

 衛兵は、最後まで笑顔を崩さなかった。深く頭を下げると、後ろにひかえている他の衛兵たちに向かって、手をあげて合図をした。少し間を置いて、城門のほうから大きな音がした。音と同時に、下りていた落とし格子がゆっくりとあがりはじめた。

「あの門の先から、悪夢の回廊なのですか?」

 上がっていく落とし格子を見ながら、メリーは引きつったような声で言った。

「いや。もう少し先だ」
「そう、なのですね。……良かった」
「メリーさん。どの道、行くんだぞ」
「わ、わかってますよ!」

 メリーはラトスをにらみつけるようにしたが、口から出る声は引きつったままだった。
 その声を聞いてラトスは困った顔をしたが、落とし格子が開いていく様子を見て、メリーの肩を軽くたたいた。

 落とし格子が開ききると、また大きな音が城門のほうから聞こえてきた。
 その音を確認して、近くにいた衛兵が一礼した。槍を持っていない左の手のひらで、城門を指し示す。

「お気をつけて」

 そう言って衛兵は、数歩後ろに下がって直立した。
 槍の石突を、石畳に小さく打ち付ける。そしてそのまま、銅像のように動かなくなった。

 セウラザは衛兵の言葉を聞いてから、すぐに城門のほうへ歩き出した。

 あわててメリーは、彼を追いかける。彼女は走りながら、動かなくなった衛兵に小さくお辞儀をした。続けてラトスも、衛兵のそばをとおって二人を追いかけようとした。横目で、衛兵の顔を見る。すると、それは人間の姿ではなくなっていた。本物の銅像になっていた。ラトスは驚いて足を止めた。なぜ突然、銅像になったのか。ラトスは、衛兵の顔をのぞきこもうとしたが、わずかに気味悪さを感じて、やめた。

 城門のほうを見ると、二人はだいぶ前を歩いていた。
 ラトスは少し歩調を速めて、二人の後を追った。先を歩くメリーは、ラトスが遅れていることに気付いたようだ。後ろをふり向いて、手をふっている。

 手を振ふている彼女は、怖いものが嫌いなような話をしていたはずだった。
 衛兵の変化に、気付かなかったのだろうか。それとも、自分だけが銅像に見えたのだろうか。これが自分の夢の世界だというなら、ずいぶん気味が悪い妄想だ。ラトスは自嘲したくなる気持ちでいっぱいになった。

 城門を潜るところで、ラトスは二人に追いついた。
 門の周辺いたるところに、直立している衛兵がいる。それらを一人一人見ながら、ラトスは進んでいった。衛兵は、いく人かは普通の人間で、いくつかは銅像のようだった。

 門をぬけると、三人の後ろで衛兵の一人が大声で合図をした。
 少しの間を置いて、また大きな音がひびいた。落とし格子を下ろしているのだろう。ふり向かなかったが、落とし格子が下りながらギリギリと音をたてているが聞こえる。同時に、いく人かの衛兵が声を掛けあっているのも聞こえてくるのだった。

「さて、悪夢の回廊のことだが」

 落とし格子が下りきって後ろから大きな音がひびいた後、セウラザが無感情な声で言った。

「そこには、≪夢魔≫という獣がいる」
「獣が、襲ってくるのか?」

 武具を用意したということは、何かと戦うことがあるということだ。ラトスは、腕に付けた篭手を見ながらセウラザに問いかけた。

「全てがそうではないが、その通りだ」

 セウラザは、ラトスの言葉にうなずく。
 そして、悪夢の回廊と呼ばれている≪フィールド≫には、負の感情が集まっているのだと説明しはじめた。

 夢の世界は、人の思考から生まれているのだという。
 思考の中には、知恵や知識はもちろんのこと、感情もふくまれている。その感情は、大きく二つに分類することができる。それは、善い感情と悪い感情だ。

 夢の世界では、善い感情のことを「正の感情」と呼ぶらしい。
 正の感情は互いに惹かれあうように集まって、一つの≪フィールド≫を形作っている。
 それとは逆に、悪い感情である「負の感情」も互いに惹かれあって集まり、それらもまた別の≪フィールド≫を形作っているとセウラザは言った。

「つまり、悪夢の回廊は、悪い感情の塊なのか?」
「そうだ」

 負の感情で形作られた悪夢の回廊は、それ以外のフィールドから邪悪なものとして隔てられている。そのために、簡単には出入りできないとセウラザは言い加えた。黙って聞いていたメリーは、変な声を絞りだして肩をすくめた。

「だが、そこを通り抜けないと、王女の個の夢の世界にはたどり着けないのだ」

 セウラザは、落ち込むメリーの肩に手を置いて言った。
 勇気づけようと考えたのだろう。その声は、少しだけ柔らかかった。セウラザの言葉を受けてメリーは唾を飲みこむと、何とか頭を縦にふる。それはセウラザに応えるというより、自分に言い聞かせているようだった。

 悪夢の回廊をとおらねば辿り着けないというのは、妙に現実的な話だとラトスは思った。

 ≪現の世界≫でも、人と人が心を通わせるためには、埋めなければならない溝がある。その溝のほとんどは、善い感情だけで埋めることはできない。多くの場合は、互いの悪い面を認めあって、溝を埋めていくのだ。
 夢の世界とはいえ、何でも有りというわけではないのだろう。

「突破は……出来るのですよね?」

 おそるおそるといった声を絞りだして、メリーは、セウラザの顔を下からのぞきこんだ。
 遊びに行くわけではないのだから、彼女の質問は大事なことだ。メリーほどおそれてはいなかったが、どの程度の困難が待ちかまえているかはラトスも知りたいところだった。

「出来るだろう」

 セウラザは、うなずきながら即答した。
 できない可能性が高ければ、この男の今までの言動からすると、悪夢の回廊に行くという提案自体しないかもしれない。セウラザの言葉に、メリーは少し安心したようだった。しばらくセウラザの顔をじっとながめた後、腰に下がっている銀色の細剣をそっとなでる。小さな声で、頑張ってみますと呟いた。

 やがて、三人が向かう先に、白い柱が見えてきた。
 城門を過ぎてからは、森を切りぬいた道をしばらく歩いていた。目の前に現れた白い柱は、その道の途中で無造作に建っていた。柱の向こう側にはまだ道が続いていたが、セウラザはここが目的の場所だと言った。

「悪夢の回廊に行くためには、ここから一度外に出なくてはならないが、準備はいいだろうか?」

 セウラザは丁寧に説明しながら、メリーを見た。
 少し落ち着きを取りもどしてはいたが、メリーは悪夢の回廊という単語にまだ慣れていないらしい。セウラザの言葉に、彼女は身体を小さくふるわせた。

「気持ち的には、まだダメです……」

 メリーの目は、明らかに左右に泳いでいた。

「心配しなくても大丈夫だ」

 そう言ったセウラザは無表情のままだったが、メリーの傍まで来て腰を下ろし、片膝を突いた。背負っている大きな剣を、右手の拳で小突いて見せる。

「私は、何度か行っている。もちろん、一人で、だ」
「一人で?」
「そうだ。いつもは、同行してくれる者がいないのだ」
「……」
「しかし、今は、三人いる」

 そう言うとセウラザは、ラトスに向かって腕を伸ばした。
 手のひらで彼を指し、セウラザは無表情にもう一度うなずく。その言葉を受けてメリーは、ラトスのほうにチラリと目を向けた。彼女の視線に感づいたラトスは、そろそろ諦めろと言って手をあげ、にがい顔をしてみせた。

「だが、まあ。俺も努力はするよ」

 ラトスはそう言うと、両手をひらひらとふってみせた。メリーを見ながら、片眉をあげる。
 その挙動と表情を見て、メリーもにがい顔をし返したが、すぐに深くお辞儀をして、よろしくお願いしますと丁寧に言った。

 だがラトスも表情には出さないものの、不安な点はいくつかあった。
 これから悪夢の回廊と呼ばれる場所で、夢魔という慣れない相手と戦うことになるのだ。出会ったばかりのこの三人で、どれだけ戦えるだろうか。協力すると言っても、信頼しあえているとは言えない状態である。これで、まともに戦えるだろうか。
 メリーもそうだが、ラトス自身も、気持ち的に二人から距離を取っている自覚があった。
 どこかで、無理にでも三人の距離を縮めるべきかもしれない。

 だが、どうやって?

 ラトスは、外向的な性格ではない。誰かと仲良くなるというのは、きっかけでもないかぎり、難しいことだった。考えながら、ざんばらな髪をがしがしとかきあげる。視界に、メリーの顔が映った。彼女は、少し不安そうな顔をしてラトスを見ていた。
 ここまで来る間に、二人の会話はだいぶ気さくなものになっていた。それでもやはりメリーは、ラトスに対して遠慮のようなものがあるようだった。

「あんた、定期的にしおらしくなるな」
「……あ。いえ。怒ったのかと思って」
「何がだ」
「いえ! いいです! 宜しくお願いします!」

 メリーはまた、にがい表情をして顔をあげた。両手強くにぎり、拳を作っている。気持ちの行き場を無くしたのか。メリーは両拳を上下にふり、叫んだり奥歯を噛み締めたりした。ラトスはそんな彼女の挙動を相手にせず、カチャカチャと甲冑を鳴らしながら立ち上がったセウラザを見て、そろそろ行こうと声をかけた。

「そうだな。とにかく出ようか」

 セウラザはそう言って、道の真ん中に建っている白い転送石に近付いた。
 手を伸ばし、ふれる。するとセウラザの身体は、ふわりと光の霧につつまれた。またたく間に、その場から消えていく。

「俺たちも行こう」

 ラトスはメリーに向かって手を伸ばすと、彼女の肩を軽くたたいた。
 メリーはまだ怒った顔をしていた。ラトスの手が肩にふれると、彼女は少し困ったような表情をした。聞こえないほどの小さな声で、ぶつぶつと何か呟いている。何だと思って、ラトスは彼女に顔を寄せようとした。するとラトスの傍をとおりぬけて、白い転送石まで駆けていった。

 先に走り出したメリーを追いかけて、ラトスも白い転送石に手をふれた。
 転送石の表面から、ふるえるような感覚が手のひらに伝わる。自分の身体を、光の霧がつつんでいくのが分かった。直後、ラトスは手のひらと足の裏から、すべての感覚が消えた。同時に、目の前が真っ白になって何も見えなくなった。

 転送中の感覚は、ラトスはあまり好きになれないと思った。
 自分の身体が消えて、意識だけの存在になり、光の中を泳いでいる。泳いでいると言っても、自分の意志で進んでいるわけではない。この後、意識を持った元通りの身体に戻るのだろうかと考えてしまうのだ。

 嫌な気分で意識が満たされているうちに、光の霧が薄くなっていくのを感じた。
 目の前に、大きな剣を背負った甲冑姿の人間と、赤みがかった黒髪の女性が立っている。二人は、ラトスに背を向けていた。黒髪の女性が、何かを指差しながら、何かを叫んでいた。
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