久遠の鼓動

神楽冬呼

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第1章 温度

偶然と必然の来訪者

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ハイツ・スローネは1階に喫茶店がある、どこにでもありそうな店舗兼賃貸物件である。
だけれど、住人となれるのは限られた者たちだけ…
翼をなくした天使たちが棲まう場所。

スローネとは座天使を指し、神を乗せる戦車だと言う。
「天使が棲むにはピッタリでしょう」
と満琉が命名の所以を教えてくれた。
遥か昔、地上に降りた天使たちが先祖だと言う天使えあまつかえの一族、その転生者が身を寄せる場所である。
スローネの管理者、西園寺 満琉さいおんじ みちるは週に何度か気紛れに喫茶店を開く。
「おかえりなさい、葵ちゃん、和希くん」
満琉がエプロン姿でドリップポットを片手に出迎えてくれる。
喫茶陽だまりにある、当たり前の光景だ。
「ただいま、満琉さん」
「あー、腹減った」
声を張り上げる和希に、「しぃ!」と満琉が口元に指を立てた。
どうやら今日は営業日らしい。
カウンターの奥の席に一人、客がいた。
「………え?!」
葵はその客を視界に入れて、顔を硬ばらせる。
「あれ?日向…」
葵に気づいて、その客、橘 詠一が目を見開いた。
「…ウッソだろ」
和希が慌てて時計を見上げ、青ざめる。
「もうすぐアイツが帰ってくんじゃん…」
「ぐ、偶然かな?偶然だよね?」
「わかんねーけど、元カレと今カレの鉢合わせin陽だまりはヤバイだろー」
「元彼って言わなければいいじゃん」
「そこは…バレっぞ、隠せる気がしねー」
葵が和希と二人ひそひそと話していると、満琉が一つ大きく咳払いをした。
「二人共、とにかく座りましょうか」
カウンターを示しながら、満琉が微笑む。
引きつったように目元が笑っていない。
仕方なく和希はカウンター、葵はカウンターの中の満琉に並んだ。
「夕飯の支度、手伝いますね」
「…何なの、失礼じゃない?」
微妙な微笑みのまま満琉が声を潜める。
話せば長いし、事態を迅速に伝えるには…
葵はカウンターに隠れるようにして携帯に文字を打ち込んだ。
端的に、効果的に。
『元彼です』
それを見て、満琉が目を細め呟く。
「…厄介ね」
こう言う場合、どうしたらいいか判断に迷う。
世間話をするべきか、それとなく立ち去るべきか?
迷いながらも、葵は癖でエプロンを身につけていた。
「日向、ここでバイトなの?」
飲みかけのコーヒー片手に詠一が和希の隣へと移動してきた。
(なぜに、エプロン!それとなく立ち去るのもう無理だ…)
動揺を隠しつつ、葵は精一杯の愛想笑いを顔に貼り付ける。
(ここは接客に徹しよう)
「う、ううん、バイトではないの。お手伝いだけで…」
「日向の好きそうな店だよな、雰囲気が」
詠一がそんな事を言うのが意外で、葵はきょとんとする。
(私の好みなんか、知ってたんだ…)
趣味も違うし、交流を持つ人たちも違う、求めるものも違っていたから、気にかけていないように見えていた。
まるでお互いの心の温度が違うようかのように、いつも噛み合っていなかった。
「お客様は、うちの葵とお知り合いなのかしら?」
満琉が柔らかい物腰で軽く首を傾げ、満面の笑みを浮かべる。
「はい、以前ちょっと…」
詠一も負けじと満面の笑みを満琉に返す。
「もう9年くらい前だったかな?」
満琉から葵に視線を移し、詠一は笑みを緩めた。
「…ですね」
知り合った頃からカウントか、自然消滅した頃からカウントなのか、いまいちわからない問いかけに、葵は呟くように応えた。
「……で、ひょっとしてだけど、今の彼氏さん?」
詠一が急に和希に向き直り声をかける。
和希は口に含んだコーヒーを噴き出して、激しく咳き込んだ。
満琉がとんでもなく不快な形相で、辺りを拭いた。
「ち、ちげーよ!ボディーガードって言ったろっ!!」
「あ、だよね。イヤ、なんか、さっきの図書館での態度といい、そうなのかな?って。でもないよね、どう見ても若過ぎるし、大学生くらいだよね?」
ははは、と笑う詠一に満琉も和希も葵も顔を引きつらせた。
(本当の彼氏は見た目18歳なんだけどね)
高校の制服で帰宅する要の登場で、どんなことになるのやら…
「そんなチャラ…えっと、軽い感じだし、ボディーガードなんて冗談かなってさ」
「チャラくて悪かったなっ…てか、あんたに言われたくねー」
「はは、ごめんごめん。ほら、オレと付き合ってたくらいだろ?そう言うのがタイプなのかな、とね」
「…ねーわ。葵のタイプ、真逆だぜ」
「え?そうなんだ…」
詠一の視線は感じたが、葵はジャガイモの皮を剥く手元を見つめ、口をつぐむ。
この息の詰まりそうな時間はいつまで続くのか…
「だけど、ボディーガードって何で?関根さん曰く、毎日一緒に出退勤らしいし」
「橘さんとやら…」
好奇心からか身を乗り出す詠一に、和希がムッとした顔で眉根を寄せた。
「葵と昔何があったか知らんけど、コイツには婚約者がいんの。で、オレはそいつに頼まれて警護してんの」
「…婚約者?日向、結婚するの?」
明らかな動揺を見せ、詠一が葵を凝視する。
「うん、その予定…」
いつ頃なんてわからないし、本当にできるのかもわからない。
別にずっと婚約者のままでもいいと思っている。
(一緒にいたいだけだしね)
前回、一族内の意向のすれ違いから、要に縁談がきた手前、恋人よりも婚約者の位置付けが何かと都合がいいのだ。
「…もうそんな年だよな。まぁ、せっかく再会したんだし、式呼べよ」
詠一は寂しそうに笑い、コーヒーを飲み干した。
「けどさ、婚約者に警護って…」
「橘さん、でしたかしら」
満琉が詠一のカップにコーヒーを注ぎ、口元にだけ笑みを乗せる。
「西園寺グループをご存知かしら?」
「そりゃあ、知ってますよ。日本で指折りの巨大総合商社ですからね。うちの会社も取り引きさせて貰ってます」
「最近、取締役代表の交代があったわよね」
「ああ、はいはい、あのえらく若い方、40歳手前ですよね!」
「そうよ、西園寺 祥吾。彼の息子が葵ちゃんの婚約者なのよ」
ね?と満琉が葵に頷きかけてくる。
そこまで明かして良いのかと葵はハラハラした。
祥吾の取締役代表就任は葵にとっても青天の霹靂だった。
あんなに責任とか地位とか大の苦手で、自由を愛しマイペースで自堕落な生活を送っていた祥吾が、今や寝に帰るだけの仕事人間と化している。
「……え?はっ?!西園寺の??!」
驚いて詠一がイスを立つのと、店の扉が鐘を鳴らし開かれたのがほぼ同時だった。
ブレザーの制服姿で要が店に入る。
今の現状に帰ってくるのは困ると思ってはいたけれど、その姿を見ると葵はホッとした。
「ただいま、帰りました…」
優しく静かな瞳と目が合う。
誰に後ろ指を差されても、構わないと思ってしまう。
湧き上がる愛しさは偽れない。
「おかえりなさい」
葵はいつもの言葉を口にする。


「あとはやっておくから、部屋に行っていていいわよ」
満琉が葵が手にしようとしていた人参を手に取り、目配せる。
「ありがとうございます!」
その目配せの意味に気づき、葵はそそくさとエプロンを外した。
「橘くん、じゃあ…」
唖然としている詠一に声をかけ、要の元へ。
「要くん、部屋に帰ろ」
葵が要の手を取るが、要は動かない。
詠一を見て、何かに気づいた顔をする。
「葵さん、お知り合いでは?」
にっこりと綻ぶ口元だけど、物言いたげに細めた目元には明け広げな危疑が表れている。
「…大学時代の知り合いで」
「ああ、なるほど…あの・・
含みのある要の語尾に、葵は背筋に冷たい汗を感じた。
やましい事などないのに、なぜなのか。
要の瞳の奥に、若干の緊張が垣間見えた。
「では、行きましょうか」
要が詠一に軽く会釈をし、葵の手を引く。
やっとこの場を離れられる安堵から、葵は小さく息を吐いた。
「…あ、あの、すみません!」
その二人の背中に詠一が叫んだ。
マジか、と和希が頭を抱える。
「失礼ですが、日向の婚約者の方ですか?」
詠一が要に駆け寄る。
「ええ、西園寺 要ですが…」
「橘 詠一と言います。西園寺さん、高校生…ですよね?」
「そうですが、何か?」
要の対応は淡々としていて冷ややかで動じない。
明らかに詠一が年上なのだが、その落ち着き方は熟年のそれを思わせる。
「…何か、って」
詠一が戸惑い、眉をしかめた。
「日向、お前…本気なのか?高校生だぞ!未成年者が婚約者って、おかしいだろ?!」
葵に向かい、声を荒げる。
体裁を考えると、そう言われても仕方ないのはわかっている。
葵は真っ直ぐに詠一を見つめ、目元に力を込めた。
「私は本気だからっ」
年が離れすぎている、世間体では良く思われないこと。
そんなの最初からわかってる。
わかっていて飛び込んだ恋だから。
「日向、あのなっ…」
更に声を張り上げる詠一と葵の間に要が右腕を差し入れ、葵の肩に左腕を回すと軽く抱き寄せる。
「止めてもらえますか」
眉間に怒りを潜ませ、要は鋭い眼光を詠一に向けた。
「確かに、社会通念で見ると人一人の人生を背負える立場にはありませんが、安易な考えではありませんよ」
「…たかだか18歳で、生涯の伴侶を決めるのかよ。十代の恋なんて麻疹はしかみたいなもんだろ」
幾分、声を抑えた詠一が腕を組み、吐き捨てた。
「それは経験から出た貴方の見解ですか?十代の恋は一過性のものだと?」
要に問われ、詠一は葵を見やり、黙り込んだ。
「必ずしも全てがそうだとは言えませんよ。貴方が一番良くご存知では?」
ふと、葵は思った。
要が蒼麻として架南と恋をした十代、その恋に命を懸け、見えたものがあるのだろう。
思えば詠一と出会ったのは18歳の終わりだった。
何もわかっていない18歳だった。
「…それはそうと、貴方は誰に言われてここへ来ましたか?」
黙り込んで意気消沈した詠一に、要は静かに冷たく口調を強める。
要から発せられるのは、今までとは比べられない冷気のような気迫。
「誰の、差し金ですか?」
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