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◇前進⑭

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「髪が……」
「え?」

 不意にそのたくましい腕が伸びてきて、風で頬や唇に張り付いた私の髪を、彼の指がすくう。

「舞花ちゃんの髪、やわらかい」

 お互いに自然と正面を向き合う形になって、和久井さんから向けられる視線に、目が離せなくなった。
 このシチュエーションって、まさか……
 心臓がこれ以上ないくらいに早鐘を打つ。
 このときの私は目の前の和久井さんに完全に魅せられていた。

 キス……されるかも。
 そんな雰囲気だったのに、私の頬と頭に水滴が当たる感触がして、なんだろう? と空を見上げれば、急に大粒の雨が落ちてきた。

「うわっ! ヤバいな」

 和久井さんはそう言うと、私の手を引いて停めてあった車のほうへ走り出す。

 車までの距離は百メートルほどだ。
 だけど降りだした雨は、スコールのようにすぐに勢いを増し、車に辿り着いたときにはふたりとも髪や服が濡れていた。

「ごめん。濡れちゃったな」

 私たちが車に避難すると、今まで以上のザーザー降りの雨になった。
 ハンカチで顔にかかった雨粒を拭う私を見て、和久井さんが申し訳なさそうな顔をする。

「別に和久井さんのせいじゃないですから」
「どっかにタオルなかったかな……」

 自分も濡れているのに、和久井さんは後部座席に置いてあった荷物からタオルを探し出して渡してくれた。

「本当にごめん。風邪ひいたら俺の責任だ」

 高台だったから街中よりも気温が低くて、その上、雨が降って濡れたから寒いのはたしかなのだけれど、もし私がそれで風邪をひいても、和久井さんが責任を感じる必要はないのに。

「和久井さんも濡れてるじゃないですか」
「……うん」

 前髪が濡れて、しずくが彼の頬に落ちてきている。
 思わず私は自分に差し出してくれたタオルで、和久井さんのシャープな顎のラインを覆った。

「早く帰って、あったかい風呂に入らないとな」

 雨の中、和久井さんは車を発進させて私のマンションまで送り届けてくれた。

 思い返してみれば、あのとき良い雰囲気だった気がするのに、急な豪雨に見舞われるなんてタイミングが悪すぎる。
 あそこで雨がもし降らなかったら……
 私と和久井さんの関係は、なにか変わっていただろうか。
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