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 家に帰り着くころに、バッグの中がいつもより重いことに気がついた。
 交際三年の記念に文哉へなにか贈り物がしたくてプレゼントを用意していたが、あんな空気になったから結局渡せずにそのまま持って帰ってきてしまった。

 中身はデジタルフォトフレームで、私たちふたりの名前と今日の日付を入れてもらってある。
 私はそれを部屋の片隅の目立たないところに置いたあと、大きく溜め息を吐いた。
 床で体育座りをして、両膝の上に額を乗せてうなだれる。腹が立つのと悲しいのと、両方の感情が交錯して胸の中がめちゃくちゃだ。

 思い返してみれば、文哉と会ったのはこの日が最後になった。
 このあと数日に渡り連絡がきていたけれど、私は実家に帰省する予定もあったし、怒りにまかせて既読スルーを決め込んでいた。
 そんな私にしびれを切らしたのか、文哉が半月ほどしてからいきなり電話をかけてきた。
 頭ではまだ無視だと思っていたのに、なぜか私はその電話には出てしまう。

『もしもし。夏穂?』

 いつもと変わらない文哉の声だ。だけど雑踏の中にでもいるのか、電話の向こうは騒がしい気配がした。

『この前はごめん。まだ怒ってるか?』
「そりゃそうでしょ」

 本当はもう怒ってなどいなかった。意地を張っているだけだ。
 私の知らないところで他の女の子と仲良さそうにしていて、それを証明するように写真が送られてきたことはしゃくに障ったけれど。
 文哉が自分から積極的に写真を撮ろうとしたわけではなさそうなので、言うなればもらい事故のようなものだ。それは私もわかっている。

「今どこ? 外だよね?」
『ああ。今からハリウッド行ってくる』
「もしかして空港にいるの? そんな旅行、聞いてないんですけど」

 聞いてない。最近私が無視していたことを差し引いても、その前から旅行は決めていたはずなのに。
 彼が私にあえて伝えていなかったのは明白だ。

『この前言おうと思ったんだけど、あんな雰囲気になったから結局言えなくて』

 まぁ……それはわかる。私もプレゼントを渡しそびれたから。

「誰と行くの? お土産たくさん買ってきてね」
『ひとりで行く。それに、旅行じゃないんだ』
「……え?」

 意味がわからなかったが、文哉が冗談を言っているような声音には思えなくて、私は言葉を詰まらせてしまう。

『やっぱり、映画と言えばハリウッドだろ?』

 私と文哉は大学の映画同好会で知り合った。
 一概に“映画好き”と言っても、いろいろなタイプがいる。
 表舞台の演者に興味を持つ人や、音楽やCG、衣装を手掛けたい人。
 映画全体の構成や演出をやりたかったり、そのあたりは分かれるのだ。

 私はどれにも当てはまらず、ただの映画鑑賞好きだったが、文哉は一番最後にあげたタイプで“監督業”に昔から興味を持っていた。
 それを思い出し、まさか……と嫌な予感がした。

『ちょっとハリウッドで勉強してくるわ』

 なにを? と尋ねなくてもわかる。大学生の頃から文哉が口にしていたことだ。映画を撮りたい、その勉強をしたい、と。

「べ、勉強してくるって……会社はどうするの?!」
『辞めた』
「えぇ?!」

 大学卒業後、残念ながら文哉は映画関係の会社には就職できなかった。
 みんながみんな、自分の好きなことを仕事にできるわけではない。
 文哉も他の人と同じように、映画好きなのは趣味の範囲にとどめるのだと私は勝手に思っていた。
 映画を撮りたい夢は、もう諦めたのだと……。

 だけど就職して二年。突然映画のために会社を辞めてしまった。

『若いうちに好きなことしたいから』

 そうだった。文哉はこういう人間だった。
 どうせ生きるなら自分の好きなことをして生きたいと、そんなふうに言っていたのを思い出す。

『あ、俺行かなきゃ』
「ちょっと、文哉!」
『じゃあな、夏穂。元気でいろよ?』

 ―――それが、文哉の最後の言葉だった。

 それ以降、電話は通じず。メッセージは何度送っても既読がつかず。
 文哉からの返事を待つのがストレスになり、私からはもうメッセージは送らないと心に決めて数ヶ月が経った。

 というわけで、見事に音信不通だ。

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