58 / 72
◇守りたい②
しおりを挟む
『相手は知り合いだし、手付けをはずめばほかに譲ることもしないだろう』
「ま、待ってください!」
それはいくらなんでも困る。
どれほどの手付けを打つのかわからないけれど、あとで私が実際に見て気に入らなかったとしたらそのお金はどうなるのか。
返ってくる保証はない気がする。
「今日は早番なので……そのあとでもいいですか?」
『わかった。君の仕事が終わるころに駐車場にいる』
なんという約束の取り付け方だろう。
日下さんって、こんなに強引な人だったかなと意外な感じがした。
仕事を終えて隣接する駐車場へと足を向ける。
するとそこには既に日下さんの車が停まっていて、運転席に彼が座っているのが見えた。
「お前なぁ、前に俺が言った忠告は聞く気なしか?」
同じく早番で仕事を終えた窪田さんが、真後ろから声をかけてきた。
「こ、これにはちょっと事情が……」
不倫はやめておけと言う先輩の忠告は、ちゃんと覚えている。
だけど窪田さんは私の言い訳など聞きたくはないようで、あきれたようにフンッと鼻を鳴らして駅方向に歩いて行ってしまった。
「早く乗って」
窪田さんの背中を見送っていると、今度は日下さんに急かされる。
いつの間にか助手席側にまわってドアまで開けてくれていた。
サンシャイン・ホールディングスの副社長にこんなことまでしてもらっていると考えたら恐れ多い。
「車で行く距離でもないんだけどな。ここからゆっくり歩いても五分ほどだから」
知り合いの不動産業者の人とは、現地集合らしい。
そちらにも車を停めるスペースがあるので、とりあえずそこに移動するとのことだ。
そこは駅とは反対方向でマンションが立ち並ぶ一角だった。
私たちが到着すると、白の軽自動車から男性が出てきてペコリと頭を下げる。
仲介を担当してくれる不動業者の人は、にこにこと愛想の良い四十代くらいの中年男性だった。
案内されたマンションはオートロックでセキュリティーもしっかりしている。私が住んでるアパートとは雲泥の差だ。
襲われるなどというショッキングな出来事があると、さすがにこういうところに魅力を感じてしまう。
いくら家賃が安いとはいえ、今までセキュリティー面をまったく考えなかった私がバカだった。
部屋を見せてもらうと中も綺麗で、五階の窓からの景観も悪くはなかった。
1LDKだが、家具などがないせいかリビングが広く感じる。私には十分すぎるくらいだ。
「どうする? ここに決める?」
日下さんが私に小声で問う。
今のアパートに比べたら家賃は俄然高くなるけれど、たしかに日下さんが言うように相場よりも安い。
私もネットでいろいろ探してみたから、それくらいはわかる。
結局私はその部屋を借りることにした。
早速と不動産屋の事務所に赴き、賃貸申込書などの記入を済ませる。一刻も早く住めるようになればいいのだけど。
「日下さん、本当にいろいろとありがとうございました。私のために尽力してくださったこと、感謝しています」
仕事が終わったときにはまだ薄っすらと明るかった空も、不動産屋を出た今は完全に夜の装いに変わっていた。
暗くてよかった。引きつった笑みを貼り付けた顔を彼に見られなくて済むから。
「良かったら引越しも手伝うけど?」
「なに言ってるんですか。そんなことまでお世話になれませんよ」
そうやって距離をつめてこないでほしい。
私は逆に、距離をあけようとしているのだから。
それに、大会社の副社長なのだから忙しいはずだ。今日だってきっと無理して私のために時間を割いてくれたのだろう。
「ま、待ってください!」
それはいくらなんでも困る。
どれほどの手付けを打つのかわからないけれど、あとで私が実際に見て気に入らなかったとしたらそのお金はどうなるのか。
返ってくる保証はない気がする。
「今日は早番なので……そのあとでもいいですか?」
『わかった。君の仕事が終わるころに駐車場にいる』
なんという約束の取り付け方だろう。
日下さんって、こんなに強引な人だったかなと意外な感じがした。
仕事を終えて隣接する駐車場へと足を向ける。
するとそこには既に日下さんの車が停まっていて、運転席に彼が座っているのが見えた。
「お前なぁ、前に俺が言った忠告は聞く気なしか?」
同じく早番で仕事を終えた窪田さんが、真後ろから声をかけてきた。
「こ、これにはちょっと事情が……」
不倫はやめておけと言う先輩の忠告は、ちゃんと覚えている。
だけど窪田さんは私の言い訳など聞きたくはないようで、あきれたようにフンッと鼻を鳴らして駅方向に歩いて行ってしまった。
「早く乗って」
窪田さんの背中を見送っていると、今度は日下さんに急かされる。
いつの間にか助手席側にまわってドアまで開けてくれていた。
サンシャイン・ホールディングスの副社長にこんなことまでしてもらっていると考えたら恐れ多い。
「車で行く距離でもないんだけどな。ここからゆっくり歩いても五分ほどだから」
知り合いの不動産業者の人とは、現地集合らしい。
そちらにも車を停めるスペースがあるので、とりあえずそこに移動するとのことだ。
そこは駅とは反対方向でマンションが立ち並ぶ一角だった。
私たちが到着すると、白の軽自動車から男性が出てきてペコリと頭を下げる。
仲介を担当してくれる不動業者の人は、にこにこと愛想の良い四十代くらいの中年男性だった。
案内されたマンションはオートロックでセキュリティーもしっかりしている。私が住んでるアパートとは雲泥の差だ。
襲われるなどというショッキングな出来事があると、さすがにこういうところに魅力を感じてしまう。
いくら家賃が安いとはいえ、今までセキュリティー面をまったく考えなかった私がバカだった。
部屋を見せてもらうと中も綺麗で、五階の窓からの景観も悪くはなかった。
1LDKだが、家具などがないせいかリビングが広く感じる。私には十分すぎるくらいだ。
「どうする? ここに決める?」
日下さんが私に小声で問う。
今のアパートに比べたら家賃は俄然高くなるけれど、たしかに日下さんが言うように相場よりも安い。
私もネットでいろいろ探してみたから、それくらいはわかる。
結局私はその部屋を借りることにした。
早速と不動産屋の事務所に赴き、賃貸申込書などの記入を済ませる。一刻も早く住めるようになればいいのだけど。
「日下さん、本当にいろいろとありがとうございました。私のために尽力してくださったこと、感謝しています」
仕事が終わったときにはまだ薄っすらと明るかった空も、不動産屋を出た今は完全に夜の装いに変わっていた。
暗くてよかった。引きつった笑みを貼り付けた顔を彼に見られなくて済むから。
「良かったら引越しも手伝うけど?」
「なに言ってるんですか。そんなことまでお世話になれませんよ」
そうやって距離をつめてこないでほしい。
私は逆に、距離をあけようとしているのだから。
それに、大会社の副社長なのだから忙しいはずだ。今日だってきっと無理して私のために時間を割いてくれたのだろう。
2
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
禁断溺愛
流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
沢田くんはおしゃべり
ゆづ
青春
第13回ドリーム大賞奨励賞受賞✨ありがとうございました!!
【あらすじ】
空気を読む力が高まりすぎて、他人の心の声が聞こえるようになってしまった普通の女の子、佐藤景子。
友達から地味だのモブだの心の中で言いたい放題言われているのに言い返せない悔しさの日々の中、景子の唯一の癒しは隣の席の男子、沢田空の心の声だった。
【佐藤さん、マジ天使】(心の声)
無口でほとんどしゃべらない沢田くんの心の声が、まさかの愛と笑いを巻き起こす!
めちゃコミ女性向け漫画原作賞の優秀作品にノミネートされました✨
エブリスタでコメディートレンドランキング年間1位(ただし完結作品に限るッ!)
エブリスタ→https://estar.jp/novels/25774848
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
オオカミ課長は、部下のウサギちゃんを溺愛したくてたまらない
若松だんご
恋愛
――俺には、将来を誓った相手がいるんです。
お昼休み。通りがかった一階ロビーで繰り広げられてた修羅場。あ~課長だあ~、大変だな~、女性の方、とっても美人だな~、ぐらいで通り過ぎようと思ってたのに。
――この人です! この人と結婚を前提につき合ってるんです。
ほげええっ!?
ちょっ、ちょっと待ってください、課長!
あたしと課長って、ただの上司と部下ですよねっ!? いつから本人の了承もなく、そういう関係になったんですかっ!? あたし、おっそろしいオオカミ課長とそんな未来は予定しておりませんがっ!?
課長が、専務の令嬢とのおつき合いを断るネタにされてしまったあたし。それだけでも大変なのに、あたしの住むアパートの部屋が、上の住人の失態で水浸しになって引っ越しを余儀なくされて。
――俺のところに来い。
オオカミ課長に、強引に同居させられた。
――この方が、恋人らしいだろ。
うん。そうなんだけど。そうなんですけど。
気分は、オオカミの巣穴に連れ込まれたウサギ。
イケメンだけどおっかないオオカミ課長と、どんくさくって天然の部下ウサギ。
(仮)の恋人なのに、どうやらオオカミ課長は、ウサギをかまいたくてしかたないようで――???
すれ違いと勘違いと溺愛がすぎる二人の物語。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる