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第六章 大海の王者と魔導白書(グリモワール)
第二十三話「エピローグ」
しおりを挟むそれぞれの夜が明ける。
船を守る為、招集した冒険者とクジラの襲撃を待ち構え、自ら先頭に立った女帝は敗れた。
群れが行った捨て身の攻撃、巨人の大棍棒はE'sの陣取った燃料庫を船団から引き離し、退路を潰したうえで追い詰めた。
起死回生の策で油を海に撒き火を放ったが、怒り猛る巨大の群勢の前にはなすすべなく、傭兵団は壊滅した。
「……E's様……どちらにいらっしゃいますか……」
初老の紳士が、よろけながら女帝を探す。ゲームの最中、突如現れた厄災に何もかも破壊され、街の壊滅を察した男は主人の安否を確認すべく夜通し探していた。
厄災に巻き込まれて、体中に傷を負っても主人を探さねばならない理由が彼にはあった。
若き日、海賊を生業としていた男は、命を預けた船の船長に憧れていた。悪しき事も良き事も当価値という理念で全ての行動が何より自由だった。海賊としての強さ以前に、男としての強さに憧れた。
そしてその船長には、愛した女がいた。
船長に負けず劣らず強さと美貌をもった女に、男は憧れとは異なる感情を抱いていた。
やがて自由を愛した海賊は、自由を許さぬ神の使徒に敗れた。瀕死の体を引きずり、教会騎士団の追撃を交わすが運命の幕引きはすぐそこまで来ていた。
「俺の女を頼む……」
年を重ね、白髪の初老となっても男はこの言葉を守り生きてきた。己の想いを捨て信念に生きた。
ふと、船の残骸に絡まったボロボロの旗を見つける。それはありし日の海賊旗。この街のシンボル。女帝E'sの愛する男が残した形見。
男は何かを悟り……
「申し訳ありません船長……約束を果たすことは叶わず……」
……そして力尽きた。
ゲームを統括していた紳士が事切れた場所から遠く、かろうじて破壊を免れた船にその男はいた。びしょ濡れの服から男が先ほどまで海を漂っていたことが分かるがどうやって船に戻されたのか。それは男を見下ろす女性が全ての理由を物語り、今まさに男の腹にそのしなやかな足を振り下ろす。
「ゲフゥ」
男はみぞおちの激痛と胃袋から遡る海水の気持ち悪さで目が覚めた。目を覚ますと微かな朝日に照らされる美女が視える。生死の境を彷徨った後の光景としては最高なものだが、唯一足で踏まれている事を除いては。
「おい、クーリン。とりあえず何でお前が俺を踏んでいるかは置いといてやる。とりあえずどうなった?」
ゆっくりと上体を起こし、ツェッペリンはポケットにタバコがないことにため息をつきクーリンが見つめる先の水平線を同じく見つめた。
「ナクナッタ。ナニモカモ」
そうか、と一言呟く。続き「嬢ちゃんは……」と言いかけ口を止める。ひと時だが時間を共にした相棒が悪魔に、そして天使に変わり消えてしまった。目の前で行われた惨劇は目を閉じていると脳裏過ぎる。彼女の時折見せた幼い表情が崩壊の原因となった厄災を心のどこかで否定していた。ツェッペリンは混乱する頭を落ち着けるため再び寝転がり姿を現し始めた太陽を隠すように手を目の前に置く。
「おい、もう契約は終了だ。俺の持ってるもんは全て海の藻屑と消えちまった……この街の出来事が知れれば俺の資産もあらゆる奴らが持ってくだろうよ」
権利書や証明書をす全て無くした男は笑っていた。時には自分の命を賭ける事さえ厭わない生き方が、仮に全てを失ったこの状況さえも笑い話にしてしまう。貿易商のツェッペリンとはそんな男だった。あの日、サーカス団から買いとった用心棒の女を自由だと言い、その鎖から解き放った。固執しない、執着しない。それが彼の心情であった。
「ジユウ?」
「ああ、そうだ。この無一文の俺様とはもう何の縁も所縁もねえ。好きにしな」
クーリンは細長い指を口元に当て、しばらく何かを考えていた。何を考える必要があるのか、さっさと捨てて行けば良いものを、とツェッペリンは不思議そうに見ていた。朝日を浴びて多少赤みがかった顔はやはり美しかった。
「デハ、ワタシガオマエヲカイトル」
ツェッペリンは想像した言葉とは違う内容に虚を疲れた。契約と言えば聞こえはいいが、人身売買の様な形で手に入れた女から最悪殺されても仕方がないと考えていた。正直争いになれば勝つ見込みは万が一にもない。賭けに敗れ無一文になった自分にはお似合いの最後とまで思えた。まあ、自分が仕上げた最高の女になら殺されてもいい、そんな考えさえ浮かんでいた。
「買い取る?」
確かに虚をつかれた。想像を超えた。それがどこか自暴自棄になっていた気持ちに再び光を与えた様に思えた。事実、自分を買うと言った女を見る顔は笑っていた。
「ソノカワリ、ワタシニキョウリョクシテ」
「協力だぁ?」
悪態をつきながらも、ツェッペリンの表情は商談時に見せる顔になっていた。何を魅せる、何を説く、何を賭ける。あんな惨劇の後で、やはり肝が据わっている。
「オトウトヲ、サガス」
傭兵団が壊滅し、この街の女帝が姿を消した事によってクーリンは護衛の任務から解かれたと理解した。黒猫も消えこの混乱の中、主人を探して彷徨った。
バラバラになった船。逃げ惑う人々、そして死体。船上も海も地獄絵図の中。クーリンは見知った姿を見つける。
細長い手足は何かに貫かれた傷から血を流し、表情からは完全に生気を失っている。何か大事なものを無くしたような、いや、そんな生半可のものではない食いちぎられたかのような表情をしていた。親もなく、家もなく、共に野良犬の様に育った家族の中で唯一の肉親。そのかけがえのない弟が死人のように歩いている。
共に逃げ出そうと声をかけたがフーリンにクーリンの声は届かなかった。必死に呼びかけるも崩れゆく船から逃げようとはせずただ彷徨い、やがて火や煙に巻かれ見失ってしまった。それがこの街で弟を見た最後の姿だった。
「オメェの弟、生きてんのか?」
クジラの群れによる襲撃、女帝が放った火による火災、そして漆黒の少女による厄災。船は破壊され、逃げ遅れた人々は命を奪われた。ツェッペリンも自分の命がまだあることを奇跡のように感じているだけに、あの街に希望が残っているようには思えなかった。
ただ、クーリンには確信があった、双子の特性が半身を無くしていない事を感じている。元雇い主も表情からただ漠然とした希望で話をしていないことは読み取れた。
「で、買い取るって言うが、お前はいくらで俺を買うつもりだ?」
商人然とした問いだが本人は正直言って金額はどうでもよかった。価値の無くなった自分にどんな価値を見出すのか、自分を恨んでさえいるであろう女が何を元に交渉するのか、そこに大いに興味があった。
クーリンは何も言わずツェッペリンの目の前に布の袋を差し出した。袋とクーリンの顔を交互に見た男は布の中身を覗き見て笑い転げた。
「うわっはははは!お前、これ持ってきたのか⁉︎この有様の原因だぞ?」
「アナタナラ、コレデショウバイデキル」
布袋の中には螺旋状に伸びた動物の角、その根本は赤く血がこびり付いていた。そしてもう一つは気持ちの悪い小人の頭。あの夜差し出された賭け物。4人のそしてこの船に乗り合わせた全ての人の運命を変えた奇品。あの惨劇を見てはいないクーリンだが本能がそうさせたのか、もしくはこの奇品たちが再び惨劇を求めて主を欲したのか。グリモワールの行方が消えた今も、己をこのような形に変えた呪われし聖獣とエルフの成れの果てはその恨みが消えることはないのだろう。
ツェッペリンは力強く立ち上がる。
「面白いねえ。いやいや実に面白いねえ。いいだろう、お前に買われてやろう。こいつで更に大儲けだ!」
登りかけの朝日を眺めるツェッペリンに再び野望の火が灯る。同じく生き延びたテンガロンハットをかぶり、同じく朝日に顔を照らされたクーリンの足元に跪く。
「さあ、主様よう!最初の指示を頼む!儲け話か?大儲け話か?」
二人の新たな旅立ち。足元に跪く野心家の従者に、新たに主人となった女性は一歩詰め寄りこう言った。
「アト、ケッコンシテ」
クーリンの顔は朝日に照らされた以上に耳まで赤く染まっていた。
快楽の街エゴイスト。金、快楽、珍品奇品が集まる船団都市。元海賊の女帝が治める中央協会の手も届かないこの街は立ったひと夜の出来事で壊滅した。人の身でも魔法が使用できると言われた魔術書「グリモワール」それを求めた者は無事に帰ることはなかった。全てを無くした者、希望を無くした者、そして命を無くした者。その中で一組の少女と猫も忽然と姿を消した。
沈みゆく船団より遠く離れた海の上、アリスと黒猫は小さな小舟に揺られていた。海上は霧に包まれ二人の様子は外界からは分からない。アリスはどこからか拝借したであろう高級な毛布に包まれ、黒猫は小舟の先端で行き先を眺めていた。
『ブックマーク……とやらだったか』
黒猫は先方を眺めたまま、後方で舵を漕ぐ男に話しかける。唐突に猫に話しかけられたにも関わらず男は驚く様子もなく丁寧に舵を置き黒猫の前に跪いた。
「スパイク、で結構です。閣下」
書の収集家、探検家。無造作に束ねた髪に不揃いな髭。タバコの匂いが染み付いた体はアリスがよく毛嫌いしていた。
『貴様、私達の事を知っていたな』
「神……とその従者であられます」
『お前たちは何者だ。私の従者をけしかけ何を企んだ』
「ソロモンの鍵……」
黒猫はついに後ろを向き男を睨みつける。
『グリモワールとやらが望みではなかったのか?」
「グリモワールとは魔術書の総称。今回は人間があなた方に近づくためあらゆる禁呪を使用し出来てしまった呪いの書です。だが真のグリモワールと言われるソロモンの鍵へと導くためのドアでもあった」
『なるほど。あのグリモワールは呪いの書であったか。他の道具を鍵とし魔導書の力を解き放った結果、強引に神の器とされた存在は中身がない空っぽな存在だ。その力への欲望を利用し別のグリモワールを手に入れるよう仕掛けられているな?』
「おっしゃる通りです。閣下の従者を、目的を利用いたしました。お許し頂こうとは考えておりません……」
『許すも何も、我々はまだ助かったわけではあるまい?この霧に紛れて何隻の戦艦が身を潜めておる」
「お気づきでしたか……」
スパイクは笑いながら立ち上がり。両手を高々と広げる。
「確かに閣下方は我々の庇護下にあります。そこで取引条件というわけではないですが」
『残念だが、私はそのソロモンとやらは知らんぞ」
「あなたは知っているはずだ。なぜならあなたが作者だからだ」
『貴様、全て知った上で……どこまでお前たちの仕掛けだ』
掲げた手を静かに降ろし、これまでの軽薄な表情から一変恐ろしく冷たい目をしてスパイクはつぶやく。
「全て」
スパイクは語る。元々グリモワールの提供は彼らギルドからのものだった。クジラの襲撃に悩まされていた女帝に傭兵団を斡旋し、注目をE’sのゲームから離すことに成功した。サーカス団を介して参加者のフーリンには小人の頭を。事前に接触した環境保護のギルドにはユニコーンの角を提供し、ゲームで会する様に仕向けた。死者復活の禁呪を研究していたエルフが処刑された際に産まれた呪いの秘宝。そしてマジックアイテムの中でも希少なユニコーンの角。ギルド中の清純な乙女の命と引き換えにもぎ取った角。
死と永遠を司るアイテムによって開かれるグリモワールの真の力は堕天と昇天。
アリスは魔力の器として利用される形となったが、白鯨がその力ごと飲み込み命と引き換えに力を消滅させた。
『まんまと利用されたというわけか。で、失敗に終わり次は直談判に来たと。我々は海の上、しかも周りを貴様らに包囲されていると……これは脅迫だな』
「恐れながら閣下、これは取引ですよ。我々も莫大な資金と資源を投入しているもので、今夜手ぶらでは帰れません。我が神にお二人を提供する、という手段もありますが」
『誰がいる』
「在処を」
『エルフの里の更に奥だよ。貴様らは元より当のエルフでも辿り着くことは出来ない、』
『お前の主人に伝えよ、我々はもう神ではない。この世界には何の干渉もするつもりはない、と』
見知らぬ港が見えた頃にスパイクは松明を掲げ、やがて霧の向こうから来た船に移った。去り際に深々と頭を下げそのままの格好で黒猫に話しかける。
「そういえばこちらもお答えしていませんでしたね。我々の主人の名は……」
瞬間、黒猫は目を見開らき、全てを理解した。
『何を企むのだ。友よ……』
快楽都市として名を馳せたエゴイストが一夜で崩壊した事件は瞬く間に世界へ広がった。クジラの恐ろしさは世界が知ることとなり、資源確保を目的とした乱獲は海を生業とするギルドの中で制限された。僅かな生き残りによる「悪魔の噂」も歌で船を沈めるセイレーンの噂へすり替わり世間の関心を集めた。当然この情報操作はスパイクのギルド「司書ギルド」によるものであった。
こうして世界はまた、新たな事実で書き換えられた。
【 大海の王者と魔導白書 ~完~ 】
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