黒猫の王と最強従者【マキシサーヴァント】

あもんよん

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第六章 大海の王者と魔導白書(グリモワール)

第二十話「堕天」

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 黒猫が沈んだ海の中、旧知との邂逅を果たした遥か上の海上は追い詰められた女帝が火を放つ。


 少しずつ船団は隊列を崩し、危険を感じた者は我先に連絡船へ乗船し逃げ出した。


 女帝が治めたこの快楽都市は今や混乱の坩堝となった。逃げる者、奪う者、殺す者。絵に描いた様な地獄絵図が繰り広げられ、この街は少しずつ崩壊していく。


 そんな混乱の中にその男はいた。街の様子が一望できる、女帝の城に鎮座していた。無造作に髪を後ろで束ね、髭をたくわえた口元からはタバコの煙が燻る。


「スパイク様、計画は最終段階に。“堕天”は順調に成されております」


 部屋の端より伝令が告げられる。その足元には、かつて女帝の愛玩だった者達がよこたわっていた。


 スパイクは笑みを浮かべ窓際に立つ。


 まるで楽団の指揮者の様にリズムに合わせ両手を宙に泳がせる。それに応える様に街の悲鳴と怒号はメロディーを奏でた。


「さあ踊れ。主役はあなただ、アリスよ」




 限られた出口から逃げられない会場。パニックになる者、怯える者、命を失った者がひしめくこの場所は、先程の騒ぎが嘘の様に静まりかえっていた。


 ライアーがフーリンにとどめを刺す刹那、アリスはグリモワールを強奪した。初めからそのつもりだったわけではなく、どこか操られている様でもあった。


 禍々しく目や口が開いた小人の頭を、誘われるまま本の上に重ねる。瞬間先程まで小人の頭から漏れ出していた煙は吸い込まれ、途端に目と口を閉じる。


〈扉は開かれた……少女よ、対価をやろう〉


 誰の声か分からない。ただ確かにその声は聞こえた。状況に不釣り合いな声。低く落ち着いた声が頭に届く。


「誰⁉︎」


 ライアーが辺りを見渡すが目が合った者は全て同じ様に理解出来ない戸惑いの表情をしている。


「きゃあ!」


 観客の婦人から悲鳴があがる。視線の先には確かにいたはずの少女がいなくなっている。正確には衣服だけを残し、本と頭。そして体がその場から姿を消した。


「おい、なんじゃありゃ!」


 ツェッペリンが天井を見上げ指を指す方向、先程までアリスが立ち、今はメイド服が残された場所の頭上にぽっかりと穴が空いている。皆が一応に見上げるその穴はさほど大きな穴ではないが、夜の闇とも染めた黒とも言えぬ形容しようがない色をしていた。


 やがて、観客の一人が突如笑い出した。何かが可笑しくて笑う、そうではなく明らかに正気を失っている。また他には叫び声をあげ発狂する者、口から泡を吹き倒れる者。そんな異様な光景の中かろうじて正気を保っていた男が天井の穴を見て何かを叫んだあと、事キレてしまった。


「な、なんじゃあありゃあ……」


 下腹に力をいれ、理解できない重圧に耐えながらツェッペリンは何かを目にする。


 それは人の手だった。一つまた一つと人の手が這い出す。それは恐ろしくながく穴と繋がっているかの様に漆黒の様相を呈していた。


「あぁぁ、やめ、やめろ!」


 穴から這い出た手はおもむろに観客を捕まえ、後から現れた巨大な口に放り込む。それはオオカミが大口を広げた様にも見えるが、切り裂かれたかの様な口端は大きく裂け、絶叫と共に人を喰らう。


 いつのまにか穴は大きくなり、更に異形のモノをこの世に呼び出す。


 巨大な鎌を掲げた虫の足、永遠と途切れの百足の行進。羊の頭に牛の体を持つ影。次々とこの世のものとは思えない異形の存在が穴から這い出す。時には観客を斬り刻み、喰らい、犯した。もはや弄ばれるだけの玩具と化した会場の観客は恐怖に気が狂いながら逃げ惑い、哀れ異形の餌食となっていった。


「これが……こんなものが……この世界に」


 床に倒れるフーリンにとどめを刺そうと構えていたライアーは膝から崩れ落ちる。これだけの悪夢を目の当たりにし、狂気に支配されないながらも愕然としている。それはツェッペリンもフーリンも同様だった。次はいつ自分が標的になるか分からない恐怖に耐えながら、ただこの惨劇を見ていた。


 やがて、異形の存在は狩を止め、徐々に一箇所に集まりある者に姿を変えた。


「じ……嬢ちゃん」


 それはかろうじて人の、少女の形をしているが全体は黒い影の様であり、目や鼻、口はなく表情も見えない。だから確信があったわけではないが、数々の修羅場をくぐり抜けたツェッペリンの本能がこれをアリスだと伝えた。


「嬢ちゃんなのか?こんな地獄を……お前がおこしたのかぁ!」


 少女の形をした黒い何かは一瞬微笑んだ。もしくは微笑んだ様に見えた。そして近くにいた震える観客に手を伸ばすと、触れられた者は突然糸が切れた様に足から崩れ落ちた。


「あ……く……ま」


 フーリンの震える口から出た言葉に、ライアーとツェッペリンは息を飲んだ。最早それ以上の言葉はない。それほど目の前にいる厄災を表した言葉だった。


 その厄災は逃げ惑う人々を一通り見渡すと、満足したかの様に耳を突く程高い咆哮を発した。次の瞬間、背中からコウモリの形状をした羽が出現し、黒影の少女は会場を破壊して船上へ出てしまった。





『これは……アリスか!そしてこの魔力は…』


『アリス!あの人間の子ですな……しかしこれはまずい』


 海中の黒猫と白鯨は遥か頭上の存在するであろう異質なものを察し驚愕した。


『なんとも気持ちの悪い魔力です。これがあの子から?』


『分からん。分からんがこの混ざり物の魔力に僅かだがアリスの気が混じっている』


 黒猫の脳裏には考え得るだけの最悪のシナリオが浮かぶ。あの街で喧嘩別れしてしまってから何があったのか。ただ今は一刻も早く助けにいかねば。だか哀れな黒猫は海中の泡に包まれ右往左往するばかりだった。


『頼む白鯨!私をアリスの元へ!あれは既に邪悪な何かに囚われてしまっている!』


『向かわれてどうなさるつもりです。恐れながら貴方様は今や火中の虫も同然。何も出来ますまい』


 白鯨の言葉は黒猫の胸を貫く。ただそれでも意思は変わらない。


『白鯨よ。友よ。あの子は私を天に帰したい一心でこんな有様に……卿にもわかるだろう?アレはこの地上に居てはならん!』


 黒猫の必死の訴えを見つめ、白鯨は静かに目を閉じた。彼の目には何が浮かんだだろう。大きく、そして優しい音が海中に響き、合わせて他のクジラも同様に、でも寂しく音を鳴らす。


 クジラの歌が辺りを包む。


『白鯨……』


 次の瞬間、黒猫を白鯨が飲み込む。あまりの事に慌てて泡を破いてしまいそうになるが、かろうじて元の形を保ち難を逃れた。少し落ち着きを取り戻し周囲を見渡すが、広く薄暗い空間にただ浮かんでいることぐらいしか理解できなかった。ただ明らかに海中とは違う事は分かった。


『ここは卿の腹の中か?』


『はい。このまま海上に出て、あのお嬢ちゃんを飲み込みます』


 黒猫は慌てて体内の主に叫ぶ。この後白鯨が取ろうとしている行動がいかに危険か理解しているからだった。


『よせ!白鯨!そんな事をすれば私の魔力と反発し合い、魔力融解が起こる!卿も内側から吹き飛ぶぞ!』


 神々持つ魔力とは個体差あれど膨大な力を有している。それは限界まで磨かれた鉱石の様に純粋なものだった。黒猫と白鯨がアリスから感じ取った魔力は明らかに紛い物。汚れ、混ざり、澱んだもの。何者かが作った何かと何かが合わさった不純物だった。


 相反する存在の魔力が近づけば反発し力が暴走する。どちらの魔力が大きく強かろうとそれは避けられなかった。


『ご心配なさるな。アスタロト様はその泡に入っている限り無事です。当然あのお嬢ちゃんも』


『いやまて白鯨、そうではなく……』

『後悔です……』


黒猫はその言葉に叫びを止める。


『あの日、あの戦が始まった日。我々は……私は貴方様を、貴方様のお考えを理解する事が出来なかった。力ずくで止めようとし、挑んだ挙句に御され、袂を別ってしまった』


 調和勢と混沌勢の戦争に、これまで中立だったアスタロトが参加する事を知ったクジラ達はその真偽を確かめに詰め寄った。既にアリスを催眠の魔法で拘束した神は、説得を試みるが理解は得られず戦いとなった。


 アスタロトは攻撃の手を最小に止め、怒り狂うクジラ達の猛攻をかわし続けた。魔法で傷つける事を良しとしなかったが、人間よりも高い精神力と魔法抵抗を持つクジラに精神感染の手段が取れず、その体躯を駆使した「巨人の大棍棒」で徐々に追い詰めていく。


 いよいよ逃げ道がなくなり、アスタロトへ群れが一斉に押し寄せた瞬間。眼前に光の輪が現れ、群れは別の場所へ飛ばされた。罠に気付いた白鯨が慌てて方向転換を試みるも、怒りと殺気だった群れの勢いは止まらず、1匹残らずアスタロトの罠にかかってしまった。


『すまない。友よ』


 聞こえる事のない謝罪を虚しく風が運んだ。




『ずっと悔やんでおりました。貴方様がどれほどのお考えで戦場へ向かわれたか。それを我々は御守りする事も出来ず、あの神々に追われこの地へ逃げ延びた……』


 ゆっくりと、だが確実にクジラは上昇する。


『見てくだされ……血族は徐々に聖獣の誇りを忘れ、言葉も知性も失っております。最後に……』


 高々と水飛沫を上げ白鯨は宙に舞う。巨大なヒレを翼の様に広げ、遥か下にいる仇敵に目もくれず、悪霊たむろう船団の中心へ滑降する。


『最後に……貴方様に報いる為!この命捨てたもうや!』


 黒猫は強く目を閉じた。あの頃、光かがやく穏やかな天界で互いに語らい笑い合う日々を思った。


 そして自らの無力さを呪うのだった。
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