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第四章 神々の邂逅と偽りの錬金術師(アルケミスト)
第零話「プロローグ」
しおりを挟む何故、こんな事になったのだろう?
目の前で起こっているこれは何なのだろう?
今、ここに横たわっているものは何だ?
ハンスは、先程まで幸せの絶頂にいた。
幼馴染のエルミーナと結婚しこれから二人の新婚生活が始まる、まさにそれに向けての買い物に連れ立ってやって来たはずだったのに……。
エルミーナは美しい女性だった。小さい時からずっと一緒に過ごしてきた彼をしても、こんなに美しい女性がいるのかと思えるほどの美貌の持ち主。
彼女が望めば王侯貴族の妃や妻になる事も夢ではない、そんな美女に成長した彼女が、まさか自分を人生の伴侶として選んでくれるなんて思いもよらなかった。
もちろん、ハンスがエルミーナにぞっこんである事は誰の目にも明らかなのだが、そんな想いが届く事はないと半ば諦めていたハンスにとっては、まさに青天の霹靂であった。しかも、それを申し込んできたのがエルミーナの側からだったのも驚きの一つだった。
彼女は結婚を早くしたいとハンスに訴えていたが、実はこの辺りを治める領主の男爵様がエルミーナを側室に望んで話を持ち掛けてきているという話はその後で聞いた。
エルミーナの話では、元々貴族の妻になるなど考えていなかったし、件の男爵はあまりタチの良くない噂が多く、出来れば関わり合いになりたくないというところが本音らしく、人妻になればそんな話も無くなると考えたのだと答えた。その際、夫にするならハンス以外には考えられないと、はにかみながら答えた姿を見たハンスの顔はとても人に見せられたものでは無かった。
ハンスもエルミーナも既に両親は他界していたし、結婚する事にハンスの否やがあるはずもなく、早々に結婚の手続きを教会で行う事にした二人は、とりあえず一緒に暮らすために必要なものを買いに行こうとなったのが先刻の話だった。
二人が商店の立ち並ぶ区画にそろそろ到着しようかとした時、背後から足早に近づく人の気配に気づいたハンスが振り向いた瞬間、腹部に鈍い痛みを感じてそのまま意識を手放した。
遠くに女の叫び声と男の怒鳴る声が聞こえ、次第に意識を取り戻したハンスは、判然としない意識の中、起き上がろうとして自分が後ろ手に縛られている事に気づいた。
辺りは鬱蒼とした森に包まれ、昼か夜かも分からなかった。瞬間的に気を失う前の事を思い出したハンスは一気に覚醒すると、不自由な体を動かして声のする方へ視線を投げた。
「私はハンスと結婚するんです!あなたの側室なんかにはなりません!」
「平民の小娘の分際で高貴な身分の私に盾つくか!少しばかり見た目が良いからと思って側室に取り立ててやろうと言っているのに、不敬にもほどがある!もうこんな女はいらん!切って捨てろ!」
「お待ちください!いくら何でもやり過ぎです!ご再考ください!」
ハンスの視線の先では、複数の仮面の男に拘束されたエルミーナと、その前に立つ貴族風の男が言い争っているのが見えた。
「エルミーナ!!」
ハンスは反射的に愛しい人の名を叫ぶ。
「なんだ!そいつは始末してなかったのか!」
「男爵閣下!お言葉ではございますが、この女もこの男も何かの罪を犯したわけではございません。命を奪う事はお控えください」
貴族風の男とその部下と思しき人物の会話を聞いたハンスは、この男が話に聞いたリッテンハイム男爵その人だと知った。そして、今まで聞いた話の内容を反芻し、エルミーナが側室の話を断ったから二人を殺そうとしているという流れを理解した。しかし、これはたとえ貴族であったからといって許される行為ではない事をハンスは知っていた。
【ノブレス・オブリージュ】という言葉は知らなくとも、【高貴な身分に伴う規範的義務】というものが存在し、現在目の前で行われている事、もしくは今から行われようとしている事がそれに反する行為である事は、ハンスに限らず皆が知っている事であった。
だからこそ、ハンスはこう言った。
「おい!あんたたち。こんな事、教会や聖王様に知れたら大変なことになるぞ。たとえ男爵様だろうとタダでは済まないはずだ。このまま俺とエルミーナを離してくれれば、今日の事は他言しない。神に誓って約束する。だから、俺とエルミーナをこのまま逃がしてくれ」
ハンスはこのまま離してもらえればその足でこの町を離れ、遠くの別の場所でエルミーナと結婚しようと算段を付けたところだった。
だが、ハンスのその言葉を聞いた男爵は怒りの為か一気に顔が赤くなり、
「平民風情が余計なことを口走りおって!やっぱり、このまま離しては身の破滅だ。ふたりとも始末しろ!」と、がなりだした。
男爵の言葉を聞いたハンスは信じられないものを聞いた面持ちだったが、慌てて言葉を継いだ。
「ほんとうに言いません。自分はエルミーナを離してくれれば、この事には触れませんから、信じてください!」
「私からもお願いします。ハンスの言う通り、決して他言は致しません」
二人の懇願を聞いた仮面の男たちは顔を見合わせ、男爵の方を向いた。先ほどまで男爵に意見をしていた男も男爵の決定を待った。しかし、男爵の決定は更にえげつないものだった。
「何故、私が平民風情の頼みを聞いてやらねばならんのだ!もう、どうでもよくなった!その女はこいつの糧にしてやる」
そう言って男爵がおもむろに懐から出したものは、怪しく光る魔石の様だった。
ハンスもエルミーナも、一体何がどうなっているのか分からなかったが、男爵の部下たちは一様にあきらめたような態度を見せ、特に発言をするものは無かった。
「一体何をするつもりなんですか!?やめてください!」
ハンスは危機感を感じ、声を張り上げて抗議した。
エルミーナを押さえていた仮面の男達は、更に押し付けるようにエルミーナを抑えつけた。
「痛い!やめてください!」
エルミーナも身の危険を感じ、何とか逃れようと動くが鍛えられた二人の男からは逃れる術が無かった。
「よく見ておくがいい。この女の見納めだ」
ニヤけた表情でハンスを見ると男爵は何事か呟いて石をかかげた。
「やめろー!!」
「やめてー!!」
ハンスとエルミーナの叫びが響いたが、次の瞬間、
《ドクン!》
と、大きな鼓動が響き男爵の持つ石が一段と明るく紫に輝いた。
すると、エルミーナからその石に向かって何かが吸い込まれていった。
「キャー!!」
「エルミーナ!!
エルミーナの叫びが響く中、ハンスは愛しい人の名を叫んだが、背後に近づいた仮面の男に首筋を打たれ、再び意識を手放した。
どれ程の時間が流れただろう。
ハンスは、再び微睡から目覚めるように意識を取り戻したが、意識を失う直前の事がすぐに思い起こされ、先程エルミーナがいた場所へ視線を投げた。
そこにあったのは、既にエルミーナでは無かった。唯一、その身にまとう衣装で、エルミーナであったと推察されるだけの何かの塊だった。
ハンスは未だ拘束されたままでその身を自由にすることは出来なかった故に、その塊を間近で見ることは叶わなかったが、それでもそれが間違いなくエルミーナである事を確信した。
そして同時に、男爵とその取り巻き達に猛烈な憎悪と殺意を持つに至った。
「許さん!許さんぞ男爵!!いつかきっと貴様を殺してやるー!!」
ハンスがそう叫んだ瞬間、全く空気を読まない軽薄な声がハンスの耳に届いた。
「その復讐、手伝おうか?」
その声を聴いたハンスは、一瞬ビクッと震えると、恐る恐る声を方を振り向いた。
平民が貴族を殺すと叫んだのだ。普通であれば不敬罪で告発されてもおかしくないのだ。
視線の先にいたのは、金髪に甘いマスクの若い男だった。顔にはにこやかな笑顔をたたえ、ハンスを見ている。
「……あんたか?今、俺に声をかけたのは」
「そうだよ。他に誰もいないしね」
そう言ってハンスの近くに来た男は、おもむろに取り出したナイフでハンスの拘束を解いて見せた。
「……ありがとう」
「どういたしまして。あれ、君に関係あるものだよね?」
そう言って、先程ハンスが見たエルミーナだったものを指さした。
ハンスはヨロヨロと立ち上がると、エルミーナの残骸に近寄り、干からびた干物のようなそれを見ながら大粒の涙を流した。
「エルミーナ……もう君に会えないなんて……俺は…俺は…」
そして再び、ハンスの目に憎悪の炎が宿る。
「必ず、男爵を殺して見せる!それまで待っててくれエルミーナ。奴を殺した後、俺もエルミーナの傍に行くよ」
そう呟くハンスの言葉を聞いていた金髪の男は、「その子、また君の目の前に連れてくること、出来なくもないよ」と信じられない事を言い出した。
「ふざけるな!一度死んだ人間を生き返らせるなんて話は聞いた事が無い。アンデッドになるならともかく、そんな事出来るはずがない!」
話を聞いたハンスは怒りを爆発させ、男に詰め寄った。
だが、当の人物は相変わらず笑顔のまま
「信じる信じないは君の自由だよ。でも、みんなが知らない秘密の術を僕は知ってる。そして、その術を使えば、君の彼女は、元の美しい姿で、君の傍に帰ってくる。どうする?チャンスは今しかないよ?」
そう自信満々に告げるのであった。
「……本当に、エルミーナをこの手に取り戻すことが出来るのか?本当に?」
「大丈夫だよ。嘘はつかない。エルミーナを君の目の前に連れてくることが出来る。復讐も手伝ってあげるよ。神に誓って約束するよ。ただ、そのためには少し僕の手伝いをして欲しいんだ。どうかな?」
そう言って、男はハンスに右手を差し出した。ハンスはしばしの逡巡の後、男の右手を掴んだ。
「契約成立だね」
そう言って笑う男とは裏腹に、苦い表情を浮かべるハンス。
ハンスが、天使のような笑みを浮かべた悪魔に魂を売った瞬間だった。
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