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第1章 凪音ちゃんと能登先生
第1話 女子校生、ナンパされる
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土曜日、日のとっぷり沈んだ繁華街。
和気藹々と買い物や食べ歩きを楽しむ昼間の雰囲気から一転、ネオンと赤提灯の光、そして酔っ払いの笑い声が俄かに宴の様相を呈している。
歩行者天国の大通り。横に広がって歩く男達と目を合わせないよう、俺は道の端に寄り、目を合わせず顔を俯かせて避けた。
大路を我が物顔で闊歩する彼らは大学生だろうか?
街明かりで分かるくらいに赤くなった顔を見て、冷ややかにため息をついた。
子供のヤンチャぶりを目の当たりにするとついお説教をしたくなる。
だが今日はオフだ。
せっかくのサタデーナイト。学生時代の旧友とサシ飲み出来る機会だというのに、わざわざ厄介ごとを起こす道理はない。
事なかれ主義に徹して酔っ払った若者の集団を回避した、その時だ――
「ねぇねぇ、キミ。今一人? 良かったらこれからカラオケでもどう?」
「……す、すみません。結構です」
大通り脇から揉め事の気配が立ち昇っていた。
足を止めて視線を向けると女の子がビルの外壁を背にして男に迫られていた。
ナンパだ。しかもグイグイいってる。本物を見るのは初めてだ。今時やってるやついるんだな。
と、そんな呑気なことを考えている場合じゃない。助けないと。
女の子は背格好とどこか垢抜けない雰囲気から中学生か高校生と見て取れる。
そして少女は顔を俯かせている様子から怯えているのは間違いなかった。
あの子がどこの学校の生徒かは知らないが、普段自分が指導している子供達と同じ年代の少女を放っておくのは教職の矜持に反する。
女の子は逃げようとして顔を右往左往させるが、男は執拗に視界に入り込んで逃すまいとしていた。
「キミ、可愛いね。学生さん? どこの子?」
「あ、愛宕です。あの、約束があるので……」
「へぇ、愛宕なんだ! 通りで可愛いはず――」
ツカツカ、と歩み寄るつま先に力がこもる。
愛宕。それは私立愛宕女学院の通称だ。そして俺の勤め先でもある。
額に汗が一気に吹き出し、俺は駆け足で彼女とナンパ男の間に割って入った。
「すみません、この子から離れてください」
焦るあまりつい強い口調になってしまう。
ナンパ男は呆気に取られて一歩退くが、それも束の間、眉間に皺を寄せて睨みつけてきた。
金髪に顎髭を少し生やした、気の強そうな青年だ。
「あんた、誰?」
攻撃的な口調に俺の首はすくみ上がった。
今すぐ逃げ出したい。土下座して「なんでもありません!」とお詫びして見逃してほしい。
だが今の俺にはこの子を守る責任がある。
脚がガタガタ震えるが、ズボンを必死に握りしめてどうにか押さえ込む。
「じ、自分はこの子の担任の先生です」
「は? 先生?」
「はい。なのですみませんが、教え子を怖がらせるような事はやめてください」
「いや、怖がらせてなんか……。ていうか本当に先生なわけ?」
ナンパ男は訝しげに俺を睨め付けてきた。まぁ、いきなり飛び出してきて先生ですと言われても信じられないだろう。
どう説明しようか逡巡していると、背後にいた少女がポツリと呟いた。
「の、能登先生……?」
「あぁ、能登先生だぞ、五十嵐。そこにいなさい」
首だけで振り返り、彼女の顔を確認した。
声をかける直前、毛先を綺麗に巻いた黒髪ミディアムヘアに強い既視感を覚え、まさかと思った。そして予想は当たった。
ナンパされていたのは俺が担任するクラスの生徒――五十嵐凪音だ。
五十嵐は胸の前で両手をギュッと握り、瞳孔の開いた瞳を弱々しく揺らしていた。
その気持ちを汲むと胸が痛む。同時に現場に遭遇したことに安堵した。
「すみません。そういうことなので遠慮して頂けますか?」
改めてお願いすると男は不承不承といった様子で夜の街に消えていった。
よかった……大事にならず済んだ……。
「五十嵐、大丈――」
『大丈夫か?』と尋ねようとする。が、最後の言葉は身体にドンと走った衝撃によって遮られた。
五十嵐はいきなり俺の身体にしがみついてきたのだ。
両腕に収まるほど小さな五十嵐の小さな身体、胸に押し当てられる固い額とむにゅっと柔らかな膨らみ、陽だまりのような体温、食欲をそそる焼きたてパンの香り。
突然のことに俺の心臓は爆発しそうになる。
「い、五十嵐!?」
どうしたんだ、と問う前に気づく。五十嵐の小さな肩は小刻みに震えていた。
「先生……。私、いきなりあの人に声かけられて……。しつこく追いかけられて……。やめてくださいって言っても放してくれなくて……」
「うん、うん。怖かったよな?」
肩をポンポンと叩いて宥め、そっと五十嵐の身体を引き離した。
対峙した五十嵐は目元を赤くしていた。
愛宕女学院は中高一貫校で、五十嵐のことは中学一年生の頃から知っている。特段臆病だったり、気の弱い性格ではないが、普段接しないいかつい男に迫られ、さぞ怖い思いをしたことだろう。
「でも、もう大丈夫だから」
五十嵐は最後の一滴の涙を拭うと顔を上げ、こっくんと頷いて気丈に振る舞った。陽だまりのようなほわっとした笑顔はいつも通りの、俺の可愛い教え子であった。
「それはそうと、こんな時間まで何を?」
現在時刻は二十時前。補導されるには早いが女の子が一人で出歩くには心配な時刻だ。
「アルバイトです。次のシフトの人が遅刻して、その分残業するハメに……」
「そっか。疲れてるところを災難だったな。家、ここからだと遠いだろ? そろそろ遅いしもう帰りなさい」
「えー、どうしようかな? 寄り道したいなー」
「こーら」
災難が去って一転、いつものお茶目さを発揮してそんな軽口を叩く。
百合の花が咲いたような、清らかで華やかな、それこそ教師の俺でさえドキリとしてしまいそうな笑顔だった。
「あはは、冗談です。それに心配しなくても平気ですよ。今夜、ひまわりのお家でお泊まり会なんです。電車ですぐなんで」
「春日の? それならいいけど、なんにせよ酔っ払いも多いし寄り道せず行きなよ。駅まで送ってくから」
「はーい!」
五十嵐はすっかり元気を取り戻し、いつもの軽妙な調子で返事をした。二人横に並んで歩き出す。
「先生って普段そんな格好なんですね。メガネかけてるし、髪もセットしてないし」
「まぁ、今日は休日だし、友達と飲みにいくだけだからな」
「あはは、最初誰なのか分かりませんでした! でも能登先生の声だからすごく安心して――って、お約束あるんですか!? 先生、そっちに行かないと!」
ほわほわと綿毛みたいな笑顔が一転、五十嵐はワタワタ慌て出す。本当に表情豊かな子だ、見てて飽きがこない。
「まだ時間あるし余裕だよ。それに可愛い教え子を一人で夜歩きさせられません」
「えへへ、なら良かった。でも良いんですか? 奥さんを家に置いてお友達とご飯なんて」
「た、たまにならこういうこともあるんだよ」
そんな会話をしているとあっという間に駅に到着した。
五十嵐が改札をくぐるのを見届けると踵を返す。
「せんせー!」
と、大きな声で呼び止められ振り返る。
「助けてくれてありがとう! 先生の優しいところ、私大好き! 奥さんもそういうところ気に入ったんだと思うよー!」
こ、公衆の面前で何を言っているんだ!?
顔が熱くなるのを自覚し、慌てて他人のフリをした。
きっと今頃、五十嵐は俺の反応を見て笑いこけていることだろう。いつもの五十嵐に戻ってくれたのは嬉しいが、学校の外でまでいつものノリで揶揄うのはやめて頂きたい。
「……さて、と。じゃあ、行くかな。今日は朝まで飲み明かすぞ!」
ようやく教師の衣を脱いで、夜の街を再び歩き出す。
可愛い教え子を助けてあげられたおかげで、柄にもなくヒーローになった気分なのであった。
†――――――――――――――――――――†
第一話を最後まで読んでくださりありがとうございます!
次回以降も楽しいお話をお届けいたします! よろしければご一読ください。
面白いと思われましたら応援やレビューをお願いします。皆様からの反応が執筆の励みになります。コメントがあると泣いて喜びます😭
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歩行者天国の大通り。横に広がって歩く男達と目を合わせないよう、俺は道の端に寄り、目を合わせず顔を俯かせて避けた。
大路を我が物顔で闊歩する彼らは大学生だろうか?
街明かりで分かるくらいに赤くなった顔を見て、冷ややかにため息をついた。
子供のヤンチャぶりを目の当たりにするとついお説教をしたくなる。
だが今日はオフだ。
せっかくのサタデーナイト。学生時代の旧友とサシ飲み出来る機会だというのに、わざわざ厄介ごとを起こす道理はない。
事なかれ主義に徹して酔っ払った若者の集団を回避した、その時だ――
「ねぇねぇ、キミ。今一人? 良かったらこれからカラオケでもどう?」
「……す、すみません。結構です」
大通り脇から揉め事の気配が立ち昇っていた。
足を止めて視線を向けると女の子がビルの外壁を背にして男に迫られていた。
ナンパだ。しかもグイグイいってる。本物を見るのは初めてだ。今時やってるやついるんだな。
と、そんな呑気なことを考えている場合じゃない。助けないと。
女の子は背格好とどこか垢抜けない雰囲気から中学生か高校生と見て取れる。
そして少女は顔を俯かせている様子から怯えているのは間違いなかった。
あの子がどこの学校の生徒かは知らないが、普段自分が指導している子供達と同じ年代の少女を放っておくのは教職の矜持に反する。
女の子は逃げようとして顔を右往左往させるが、男は執拗に視界に入り込んで逃すまいとしていた。
「キミ、可愛いね。学生さん? どこの子?」
「あ、愛宕です。あの、約束があるので……」
「へぇ、愛宕なんだ! 通りで可愛いはず――」
ツカツカ、と歩み寄るつま先に力がこもる。
愛宕。それは私立愛宕女学院の通称だ。そして俺の勤め先でもある。
額に汗が一気に吹き出し、俺は駆け足で彼女とナンパ男の間に割って入った。
「すみません、この子から離れてください」
焦るあまりつい強い口調になってしまう。
ナンパ男は呆気に取られて一歩退くが、それも束の間、眉間に皺を寄せて睨みつけてきた。
金髪に顎髭を少し生やした、気の強そうな青年だ。
「あんた、誰?」
攻撃的な口調に俺の首はすくみ上がった。
今すぐ逃げ出したい。土下座して「なんでもありません!」とお詫びして見逃してほしい。
だが今の俺にはこの子を守る責任がある。
脚がガタガタ震えるが、ズボンを必死に握りしめてどうにか押さえ込む。
「じ、自分はこの子の担任の先生です」
「は? 先生?」
「はい。なのですみませんが、教え子を怖がらせるような事はやめてください」
「いや、怖がらせてなんか……。ていうか本当に先生なわけ?」
ナンパ男は訝しげに俺を睨め付けてきた。まぁ、いきなり飛び出してきて先生ですと言われても信じられないだろう。
どう説明しようか逡巡していると、背後にいた少女がポツリと呟いた。
「の、能登先生……?」
「あぁ、能登先生だぞ、五十嵐。そこにいなさい」
首だけで振り返り、彼女の顔を確認した。
声をかける直前、毛先を綺麗に巻いた黒髪ミディアムヘアに強い既視感を覚え、まさかと思った。そして予想は当たった。
ナンパされていたのは俺が担任するクラスの生徒――五十嵐凪音だ。
五十嵐は胸の前で両手をギュッと握り、瞳孔の開いた瞳を弱々しく揺らしていた。
その気持ちを汲むと胸が痛む。同時に現場に遭遇したことに安堵した。
「すみません。そういうことなので遠慮して頂けますか?」
改めてお願いすると男は不承不承といった様子で夜の街に消えていった。
よかった……大事にならず済んだ……。
「五十嵐、大丈――」
『大丈夫か?』と尋ねようとする。が、最後の言葉は身体にドンと走った衝撃によって遮られた。
五十嵐はいきなり俺の身体にしがみついてきたのだ。
両腕に収まるほど小さな五十嵐の小さな身体、胸に押し当てられる固い額とむにゅっと柔らかな膨らみ、陽だまりのような体温、食欲をそそる焼きたてパンの香り。
突然のことに俺の心臓は爆発しそうになる。
「い、五十嵐!?」
どうしたんだ、と問う前に気づく。五十嵐の小さな肩は小刻みに震えていた。
「先生……。私、いきなりあの人に声かけられて……。しつこく追いかけられて……。やめてくださいって言っても放してくれなくて……」
「うん、うん。怖かったよな?」
肩をポンポンと叩いて宥め、そっと五十嵐の身体を引き離した。
対峙した五十嵐は目元を赤くしていた。
愛宕女学院は中高一貫校で、五十嵐のことは中学一年生の頃から知っている。特段臆病だったり、気の弱い性格ではないが、普段接しないいかつい男に迫られ、さぞ怖い思いをしたことだろう。
「でも、もう大丈夫だから」
五十嵐は最後の一滴の涙を拭うと顔を上げ、こっくんと頷いて気丈に振る舞った。陽だまりのようなほわっとした笑顔はいつも通りの、俺の可愛い教え子であった。
「それはそうと、こんな時間まで何を?」
現在時刻は二十時前。補導されるには早いが女の子が一人で出歩くには心配な時刻だ。
「アルバイトです。次のシフトの人が遅刻して、その分残業するハメに……」
「そっか。疲れてるところを災難だったな。家、ここからだと遠いだろ? そろそろ遅いしもう帰りなさい」
「えー、どうしようかな? 寄り道したいなー」
「こーら」
災難が去って一転、いつものお茶目さを発揮してそんな軽口を叩く。
百合の花が咲いたような、清らかで華やかな、それこそ教師の俺でさえドキリとしてしまいそうな笑顔だった。
「あはは、冗談です。それに心配しなくても平気ですよ。今夜、ひまわりのお家でお泊まり会なんです。電車ですぐなんで」
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「はーい!」
五十嵐はすっかり元気を取り戻し、いつもの軽妙な調子で返事をした。二人横に並んで歩き出す。
「先生って普段そんな格好なんですね。メガネかけてるし、髪もセットしてないし」
「まぁ、今日は休日だし、友達と飲みにいくだけだからな」
「あはは、最初誰なのか分かりませんでした! でも能登先生の声だからすごく安心して――って、お約束あるんですか!? 先生、そっちに行かないと!」
ほわほわと綿毛みたいな笑顔が一転、五十嵐はワタワタ慌て出す。本当に表情豊かな子だ、見てて飽きがこない。
「まだ時間あるし余裕だよ。それに可愛い教え子を一人で夜歩きさせられません」
「えへへ、なら良かった。でも良いんですか? 奥さんを家に置いてお友達とご飯なんて」
「た、たまにならこういうこともあるんだよ」
そんな会話をしているとあっという間に駅に到着した。
五十嵐が改札をくぐるのを見届けると踵を返す。
「せんせー!」
と、大きな声で呼び止められ振り返る。
「助けてくれてありがとう! 先生の優しいところ、私大好き! 奥さんもそういうところ気に入ったんだと思うよー!」
こ、公衆の面前で何を言っているんだ!?
顔が熱くなるのを自覚し、慌てて他人のフリをした。
きっと今頃、五十嵐は俺の反応を見て笑いこけていることだろう。いつもの五十嵐に戻ってくれたのは嬉しいが、学校の外でまでいつものノリで揶揄うのはやめて頂きたい。
「……さて、と。じゃあ、行くかな。今日は朝まで飲み明かすぞ!」
ようやく教師の衣を脱いで、夜の街を再び歩き出す。
可愛い教え子を助けてあげられたおかげで、柄にもなくヒーローになった気分なのであった。
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