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第二章 はじめての仕事、新たな歌

閑話 宿屋の看板娘シェリーは心配する

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 シェリー視点が続きます。

 今回のエピソードは前半が本編の第二章 第五話『トライ&エラー』と同じ時系列、後半は第十話『替え歌と異変』と第十一話『知らない天井だって言い損ねた』の裏で起きた出来事です。


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 チヨには本当に迂闊なところがある。
 
 ある日、隣の部屋から変な歌声が聞こえてきた。

「雨、止め♪ 雨、止め♪ お部屋ジメジメいやなのよ~♪ 青いお空が見たいのよ~♪」

 チヨは部屋の掃除をしながらご機嫌な様子で歌っている。あの子は部屋でひとりになると、よく変わった歌をうたう。たぶん自作の歌なんだと思うけれど…本当にヘンテコな歌が多い。


 チヨは自分の歌が私に聞こえているとは想像もしていないだろう。
 実はチヨと私の部屋となっている屋根裏の二部屋は、元々子ども部屋として作られていて、子どもが泣いたり喧嘩したりしても家族が気付けるように、壁がわりと薄い。要するに、音はよく通ってしまう。

 あの子にそれを教えてあげた方が良いとは思っていたんだけど、これまでの歌やひとり言が筒抜けだったことを指摘するのも申し訳なくて、まだ言えずにいる。


 そして、これまたあの子には申し訳ないのだけど、それによって私はあの子の秘密を大体知ってしまっていた。

「…雨、止んだわね」

 隣の部屋でノリノリで歌っているチヨには聞こえない声量で、思わず呟いてしまった。つい先ほどまでザーザー降りだったのに、窓の外には雲一つない一面の青空が広がっている。

 …あの子、やらかしたわね。

 しばらくすると、「えっどうしよう!!」とブツブツ言いながら、室内をうろうろと歩き回っている様子が伝わってくる。

 まさか天気まで変えられるなんて驚きだけど、あの子が歌でいろいろ不思議なことが出来ることを、私はすでに知っていた。
 それで何か負担になっているとか、あの子が悩んでいるようなら止めたり相談に乗ったりしようと思ったけれど、本人は今のところは楽しそうなので様子見している。
 聞いたこともない不思議な力だけど、チヨ自身の魅力を知っているせいか、「それがあの子なんだなあ」くらいに私は思っている。

 とりあえずあの子が隣の部屋にいる私に気兼ねなく歌えるように、わざと足音を立てながら屋根裏の自室を出て階下へと向かった。

 宿屋の玄関に立ち、一面の青空を再度確認する。…これ、天気を変えたこともすごいけど大丈夫なのかなあ、もう夕方で薄暗くなる時間なのに…

 しばらく様子を見ていると空の色がササッと素早く変わって行ったので、チヨがなんとかしたんだと思う。

 本当にあの子には驚かされてばかりだし、いつも私までハラハラしてしまう。

 ベビーシッターとして働いているストフさんのお宅でも何かやらかしていないでしょうね…


 そんな風に心配していたところ、ある日ストフさんのお宅のメイドさんが慌てた様子でうちへ訪ねてきた。

「チヨが急に倒れたので今夜一晩は拙宅にて預かります。ケガや熱などはないのですが、過労のような症状で突然意識を失ってしまいまして…今医者も呼んでおります。ご心配をおかけして申し訳ありません」

「そんな…チヨちゃんは今朝もあんなに元気だったのに…。頑張り屋さんだから、何か無理をしてしまったんでしょうか?」

 お母さんの質問に、メイドさんは少し答えにくそうな様子だった。

「…いえ、こちらでも最初はまったくいつもどおり元気な様子でした。私共もまだ原因が分からず…医者に診てもらってから、明日の朝にでも一度ご報告にまいります」

「あ、じゃあ私、お見舞いに行っても良いですか?明日の様子によっては歩いて帰らせるよりも、もう少しそちらのお宅で休ませていただいた方が良いかもしれないですし」

「…そうですね、よろしければそうしていただけると助かります。とにかくチヨの体が第一ですので」

 メイドさんの言葉から、ストフさんのお宅でもチヨをとても大事にしてくれていることは感じられた。だからこそ、本当に予想外の出来事だったんだと思う。…もしかして、あの子の力が何か関係しているのかもしれない。


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 翌朝、宿の仕事もそこそこに、私はチヨの様子を見るためストフさんのお宅を訪ねた。
 出迎えてくれたメイドのポーラさんは、身だしなみは完璧だけど少しだけ目の下に隈があり、もしかしたら遅くまでチヨについていてくれたのかもしれないと思う。

「おはようございます、朝早くからすみません…つい気になってしまって」

「いえいえ、お気持ちはよく分かりますので。実は今朝もまだ目を覚ましていないんです。体調は問題ないようですので、お部屋へどうぞ」

 チヨからポーラさんは敏腕美人メイドでスゴい人だと聞いていたけれど、噂に違わぬ優雅な身のこなしでキビキビと案内してくれた。
 時間にも無駄がなく、部屋へ向かう間にチヨの様子についても教えてくれた。

「医者の見立てでは、やはり過労というのが一番近いそうで、残念ながらこれといった原因は分かりませんでした。昨日庭で子どもたちと遊んでいた際に急に意識を失ってしまって…でも、倒れる前に主が支えましたので身体的な外傷はありません。発熱もないし、呼吸も安定していますが、今も眠り続けたままなのです。命に別状はなく、おそらく疲れて眠り込んでいるだけなので、回復すれば自然と目覚めるだろうと医者も言っておりました」

「そうですか…うちのチヨがご迷惑をおかけしてすみませんでした」

「いえ、今やチヨは私共にとっても家族のような存在ですので…むしろ、こんなことになる前に気付いて止めることができず、申し訳なく思っています」

「いえいえ、誰にも予想できなかったことだと思いますし…あの子は弱音を吐かない子ですから…」

 ポーラさんも私も、どちらもチヨの血縁ではないのに、どちらも身内のように謝り合うという謎の事態になってしまった。


 通された部屋で眠るチヨの顔を覗き込むと、顔色は悪くないし呼吸も辛くはなさそうで、本当にただ眠っているだけのように見えた。手を握ってみても温かい。

「あの、ポーラさん、もし良かったらなんですけど、今日はここでチヨの看病をさせてもらえませんか?看病というような仕事もなさそうですが、念のためそばについていてあげたいんです。ポーラさんはお仕事もあるでしょうし…」

「はい、もちろん結構ですよ。チヨからシェリーさんは姉のような妹のような方だと聞いてますし、私としても子どもたちのお世話もあるのでそうしていただけると助かります。…主も心配して付き添いたそうにしてましたけど、さすがに嫁入り前のお嬢さんの面倒を男性に見させるわけにはまいりませんので」

 そう言うとポーラさんは手際良くチヨが眠るベッドのそばに椅子とテーブルを用意してくれて、お茶とお菓子に暇つぶし用の本まで持ってきてくれた。むしろ仕事を増やしてしまって恐縮だ。
 せめてもの手土産にと持ってきたお父さん特製の焼きたてパンを渡したらとても喜んで受け取ってもらえたので、用意してきて良かったと思う。

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