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第一章 最初の街、はじめての歌

第十一話 ジョブチェンジ

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「あの、ストフさん。昨日は申し訳ありませんでした。急に叫んで逃げたりして…」

 慌ただしくも賑やかな朝食が一段落したタイミングで、私はストフさんに昨日のことを謝った。

 シェリーは食事に飽きたエミールとブレントを食堂奥のスペースで遊ばせている。ルチアは私を気に入ってくれたようで、今も私の膝の上でごきげんにしている。

 昨夜より顔色が良くなったストフさんは、今日は長い前髪を後ろに流しているので、しっかりと顔が見えた。昨日死神だなんて思ったのが嘘のように、本当に綺麗な顔をしている。
 男の人に対してカッコいいでもイケメンでもなく「綺麗」と表現するのはどうかと思うが、本当に彫刻のような完成された顔立ちなのだから仕方ない。


「いや、とんでもない。私の方こそ失礼した。知らない男にいきなり声をかけられたら怖かっただろう。人気のないタイミングで声をかけてしまったのも悪かったと反省しているよ。申し訳なかった」

 ストフさんは昨日からずっと謝りっぱなしで、こちらこそ申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。

「いえ、もう十分すぎるほど謝っていただきましたから、お気になさらないでください。それで、何か私に御用があったんですよね?」

「…ありがとう。ああ、そうなんだ。実はあなたに、子どもたちの世話と寝かしつけの手伝いをお願いできないかと思って…」

「お手伝い?」

 思いもよらない内容に、思わず首を傾げてしまう。

「ああ。昨日と今朝もご迷惑をおかけしたとおり、ルチアとブレントが一度泣き出すとどうにも収拾がつかなくなってしまって弱っていたんだ…。今日は皆さんの助けがあって落ち着いたけれど、いつもは朝は泣き声で目が覚めて、なんとかなだめすかして朝食をとらせて、しばらくするとまたどちらかが泣き出して…それをなだめているうちにもう一人も泣き出して…また食事を必死でとらせて…夜も急に泣き出して…」

 説明しているストフさんの表情がどんどん暗くなっていくのを見て、その無限ループがどれほど辛いのかが伝わってきた。

「元々人見知りで家族以外には懐かない子たちだったけれど、ここまでひどくはなかったんだ。…たぶん、急に母親がいなくなって不安なのだと思う…」

「それは大変ですねえ…あの、この子たちのお母さんは今は…?」

 朝食の片付けをしながら話を聞いていたノエラさんが尋ねると、ストフさんは遠い目をした。

「この子たちの母親は…一月ほど前に…遠いところに………」

 どこか遠くを見つめるような苦し気な目をしたまま言葉を詰まらせたストフさんを見て、私たちは察した。何かの事情があって、子どもたちのお母さんは、もうこの世にはいないのだと。

「それで、今はストフさんがひとりで子どもたちの世話を?」

 エミールとブレントがテーブルへ戻って来たので、一緒に戻って来たシェリーが尋ねた。
 
「ええ。昔馴染みのメイドに来てもらったんだけど、子どもたちの人見知りがひどすぎて世話は任せられなくて…。今彼女には子どもたちに隠れてこっそり家事や食事の支度を手伝ってもらっているんだ。子どもたちの世話は全部私ひとりでしていて、眠れない日が続いてそろそろ体力的にも限界で…仕事はしばらく休みをもらったから良いんだけれど、かれこれ一月ずっとこの調子で私も困り果ててしまって…」

 ストフさんの表情から、本当にずっと困っていたことが伝わってくる。何度か乳母を雇おうと面接もしたそうだけど、そのたびにルチアとブレントがギャン泣き、エミールも部屋の隅で固まって動かないという状況で、誰も採用することができなかったという。

「家の中でずっと子どもが泣いているというのは精神的にも苦しいし息詰まってしまって、たまに子どもたちを散歩に連れて行っていたんだ。エミールは良いんだけど、下のふたりは人目があると大泣きするからマントで隠して…。そんなある日、公園でチヨさんが歌っているのを聴いて…」

 ストフさんが真剣な表情で私を見つめる。三人の子持ちとは言え、彫刻のような美しい顔にじっと見られるとなんだか照れるので止めてほしい。

「不思議なことに、チヨさんの歌を聴くと、ルチアが泣き止むんだ。今も抱っこしてもらっているけれど、ルチアがこんなに早く人に懐くなんて今までにないことで正直びっくりしている」

 今私の膝の上にいるルチアは、私の手を触ったり叩いたりしてなんだか楽しそうに遊んでいる。

「それからブレントも、普段は元気すぎるくらい元気な悪ガキなんだけど、妹が泣くと急に不安になるようで、一緒になって泣いたり暴れたりするから困っていて。でもブレントもチヨさんの歌を聴くと不思議と癇癪が収まるんだ。なあ、ブレント?」

 ブレントはストフさんの背中をよじ登ったり下りたりとせわしなく動いているけれど、なんとなく自分の話をされていると理解して、うんうんと頷いて見せた。

「エミールも、下のふたりほどではないにしろ人見知りが激しくて、普段は家族以外の大人には自分からは絶対に近付かない。でも、初めてチヨさんの歌を聴いた日にはもっと近くて歌を聴きたいと自分から言い出して、私も驚いた。それも、あれほど楽しそうな表情で聴いていて。母親がいなくなってから、エミールがあんなに良い顔を見せてくれたのは初めてのことだったんだ」

 ストフさんが話しているのは、私が初めて公園でストリートライブをした日のことだろう。あのとき私はエミールからもらった三枚の銅貨に救われたけれど、私の歌でストフさん一家の力になれたと聞いて嬉しい気持ちでいっぱいになる。


「なるほどねえ。それでチヨに子どもたちのお世話を頼みたい、と」

 シェリーが状況をまとめた。

「ええ。都合の良いお願いだとは分かっているんだけど、他の人には頼めないことで…。先週、チヨさんは公園では歌っていなかったでしょう?」

 先週はバルドさんと一緒に隣の街へ歌いに出かけていたので、確かに公園でのストリートライブはしていなかった。私はストフさんの言葉に頷く。ストフさんは泣き出しそうな悲しそうな目をした。

「…やはりか。だから大変だったんだ。チヨさんの歌は遠くにいてもよく聞こえるから、少しでも聴けた日には子どもたちもある程度落ち着いたり、静かにお昼寝してくれたりもしていたんだ。でも先週は本当にもうどうにもならなくて…毎日限界まで泣き続けて、泣き疲れるまでは眠ってくれなくて…」

 まさか私が公園でのストリートライブをしていなかったことでそんな影響が出ていたなんて知る由もなかったけれど、思わぬ弊害に心苦しさでいっぱいになる。

「だから、昨日久しぶりにチヨさんの歌声を聴いたときには、天の助けだと思ったんだ。もうこのチャンスを逃すわけにはいかないと、なんとしてもチヨさんにお手伝いのお願いをしなければと焦ってしまって…そしてこれほどのご迷惑をおかけしてしまった…皆さん、本当に申し訳ない」

 勢いよく語っていたストフさんが再びシュンとしてしまったので、私は慌てて答える。

「わわ、もう謝らないでくださいってば!それに、要するに子どもたちの遊び相手をしたり、落ち着くまで歌をうたったりするだけで良いんですよね?それくらいなら、私はもちろん構いませんよ!」

「…!本当か!」

 ガバッと顔を上げたストフさんに手を握られる。その力の強さから、彼の必死さが伝わってくる。こんな綺麗な男性に手を握られた経験などあるはずもないアラサー干物女の私は、たぶん顔が真っ赤になっている気がするので勘弁していただきたい。

「ありがとう…ありがとうチヨさん!あなたは私たちの女神だ…!もちろん報酬は弾む!」

 真っ赤になって固まる私を見かねて、シェリーが助け舟を出してくれる。ついでに私とストフさんの手をチョップで剥がしてくれた。

「はいはい、ストフさん。感激したのは分かりましたから落ち着いて。チヨの姉代わりである私が、お仕事の条件についてはきちんとお話をうかがいます。見てのとおり、チヨはこの国の出身ではないので、まだ言葉も不慣れなところがありますからね」

 私より九歳も年下のシェリーだけど、ずっと看板娘として宿屋の経営に関わっているだけあって、こういうときに頼りになることは分かっている。私は大人しくシェリーの言葉に甘え、ふたりの話がまとまるのを横で聞いていた。そしてその間も私の膝の上できゃっきゃと笑っているルチアが可愛い。天使。


 シェリーとストフさんでまとめてくれた話はこうだった。

・週に一度の休みを除き、毎日お昼過ぎから夕食までの時間をストフさんのお宅で過ごすこと
・私の主な仕事はルチアとブレントの昼寝のための寝かしつけで、手が空いたらエミールの遊び相手もすること
・給料は一日金貨一枚、もしも何らかのトラブルなどで時間の延長が発生した場合には都度追加報酬が出る

 あまりにも良い条件すぎて、私は驚いた。とくに報酬の金貨一枚というのは、私の中での日本円感覚では二万円相当だ。半日子どもの遊び相手をするだけで二万円はもらいすぎたと遠慮したのだが、ストフさんが譲らなかった。

「チヨさん、これは正当な報酬なんだよ。だってこの世でこの仕事ができる人は、今のところあなたしかいないんだ。私たちにはどうしてもあなたが必要で、あなたの時間を拘束させてもらう以上、当然の対価だよ」

「そうね、うちの大事なチヨを貸してあげるんだから、それくらいは払ってもらっても良いと思うわ。チヨ、慣れるまでは大変だろうから、夜の食堂でのライブは出なくても良いからね。あ、でももちろん、宿代はもらうつもりないわよ!チヨはもう私の妹みたいなものなんだから!」

「ストフさん…シェリー…」

 …チートがないなんて嘆いていたけれど、この世界で出会った人が温かすぎて、涙が出そうだった。

「分かりました。精一杯がんばります!よろしくお願いします。シェリーも、ジャンさんとノエラさんも、本当にありがとうございます」

 私はストフさんとシェリー、それからこの話を後方で聞きながらうんうんと頷いてくれていたジャンさんとノエラさんにもお礼を言って、深く頭を下げた。

 かくして私は、ジャンさんの宿屋の居候から、ストフさんちのベビーシッターへとジョブチェンジを果たすことになった。

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