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第一章 最初の街、はじめての歌

第六話 宿屋居候生活のはじまり

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 異世界転移から五日目。

 小鳥のさえずりと屋根裏部屋の天窓から差し込む日差しで気持ちよく目が覚めた。少し硬めのベッドが私にはちょうど良く、これまでの木のうろ生活と比べたら雲泥の差で昨夜は熟睡できた。

 無料で泊めてもらっているし、本当は朝から宿のお仕事の手伝いをしなきゃと思っていたけれど、目覚まし時計なんて存在しない世界で、私は少し寝すぎてしまったようだ。今日のうちにきちんと話を聞いて、何かできることは手伝わせてもらわないと。


「おはよう、シェリー」

「~~~~、チヨ!」

 宿泊客の朝食の片付けとチェックアウト業務をテキパキとこなしている女の子に挨拶をすると、今朝も眩しい笑顔を返してくれた。
 昨日教えてもらった彼女の名前はシェリー。名前以外はあまり理解できなかったけれど、やはり従業員ではなくこの宿の娘さんのようだ。

「~~~~~~!」

「えっ、朝食?ありがとう。ごめん、自分でやっても良かったのに。あ、それと、この服も貸してくれてありがとう!」

 驚きの早業で、シェリーは朝食プレートを私に用意してくれた。慌てて受け取り、ついでに今着ている服についてもお礼を言う。私の仕草で言いたいことは伝わったようで、彼女はにっこり笑ってサムズアップしてくれた。「似合ってるよ!」と言ってくれてるみたいだ。

 今日着たのは麻っぽい素材の長袖ワンピース。下着も貸してくれたのでもうノーブラに怯えることもない。堂々と胸を張って生きよう。胸ないけど。

 昨日まで着ていたパジャマズボンとロンTは後で洗濯させてもらって今後も部屋着として使おうと思っている。元々くたびれていたのがこの数日でだいぶボロボロになってはいるけれど、やっぱり着心地が抜群なのだ。

 シェリーが持ってきてくれた大きめのお皿には、新鮮でみずみずしいサラダとゆで卵に丸型のパンが二つ。形は同じパンだけど、一つには上にゴマがかかっていて、香ばしい匂いが食欲をそそる。
 オーストリアあたりで食べられているパンに似ている気がする。私は日本でしか食べたことないけど。あのパンの名前なんだっけ…確かカイザーなんちゃら。

 パンの横に添えられたはちみつをつけて食べると口いっぱいに香ばしさと甘さが広がって朝から至福。コーヒー好きの私としてはこれにカプチーノがあったら完璧だなあ。この世界、コーヒーあるのかな。



 私が朝食を食べ終えると、ちょうどシェリーも朝のラッシュを終えたようで、カップを二つ持ってこちらにやってきた。カップの中身はミルクティーだった。紅茶も好きなのでありがたくいただく。

「ありがとうシェリー。幸せすぎて夢みたいだよ~」

 通じないのは分かっているけれど話しかける。こういうのは気持ちの問題で、感謝はきちんと伝えないと。

「~~~~!あ、~~~~」

 シェリーも気にせず返事をしてくれた。途中で何かを思い出したようで宿のカウンターへ戻り、数冊の本を抱えて戻って来た。差し出されたのは絵本だった。

「絵本?なんで……あっ!これ良いかも!」

 シェリーが見せてくれたのは、子ども向けの絵本。たぶん三歳児向けくらいなのかな。大きなイラストの下に字が書いてあって、要するに単語を覚えるための本だった。字の読み方さえ教えてもらえたらひとりでも勉強できそうだし、指さして使うだけである程度の意思疎通も取れそうだ。

 この世界の印刷技術がどの程度なのかは不明だけど、白黒で印刷されたイラストと文字は、紙が少し色あせてしまっているものの、問題なく読めそうなレベルだ。

「すごいすごい!ありがとうシェリー!」

 興奮する私に、シェリーはやっぱり可愛くサムズアップを返してくれた。



 午前中はシェリーに時間があったようで、そのままこの世界の言葉や文字の読み方を習った。アルファベットとは違うけれど、大文字と小文字を使うところは共通していて、ある程度読み方に法則があるみたい。すぐに全部覚えるのは無理だけど、徐々に慣れたらなんとかなりそうかなと思う。

 これが文字だけだったらヒントなさすぎて無理ゲーだったけれど、シェリーが貸してくれた絵本のおかげでイラストを見て単語とイメージを繋げることができたので、思ったよりも捗った。
 昨日公園で子どもたちが教えてくれた空や花と言った単語は、先に音を覚えていたので文字と音もすんなり繋げられた。あの子たちにも感謝だなあ。


 お昼もシェリーと一緒に食べて、そこでようやく手が空いたらしいシェリーのご両親にも挨拶ができた。シェリーのお父さんのジャンさんは料理人で、宿で出てくる食事はすべてジャンさんの手作り。朝食用のおいしいパンもジャンさんが焼いたと知って私は尊敬の念を抱いた。

 休日は家に引きこもりたい欲求を持ちつつ食いしん坊の私は、以前にはよくパンやケーキを焼いていた。家から出ずして出来たての美味しいものを食べられる、素晴らしい趣味だ。
 仕事のブラック化が進んで最近はほとんど出来てなかったけれど、この機会にジャンさんから作り方やコツを教えてもらえないかなあ。会話ができるようになったら頼んでみよう。

 お母さんのノエラさんは、宿の清掃や洗濯、そして経理といった裏方の仕事を中心に担当しているようで、表の接客は基本的にシェリーひとりで対応しているみたい。

 ジャンさんもノエラさんも大らかな性格で、私のことも温かく受け入れてくれた。そしてジャンさんを見て気付いたけれど、ジャンさんは私をこのお店に連れて来てくれた吟遊詩人のバルドさんによく似ていた。少し垂れ目がちな赤茶色の瞳がとくに。
 職業柄旅人なのかと勝手に思っていたけれど、ここはバルドさんの自宅なんだそうだ。つまりバルドさんはジャンさんのお父さんで、シェリーのおじいさんにあたるとのこと。

 全部正しく理解できているかは定かでないけれど、どうやらバルドさんは私の歌声も気に入ってくれたけれど、自分の孫娘であるシェリーと同じ年頃に見える異国人の女性が、お金も帰る場所もない様子なのを心配してこの宿に連れてきてくれたらしい。
 それを聞いたジャンさんとノエラさんも、「だったら落ち着くまでうちにいたら良いよ」という感じで受け入れてくれたみたいだ。本当に良い人すぎるよ、バルドさんもジャンさん一家も。

 ついでにあれかな。シェリーと同い年くらいに見えたというのは日本人が外国に行くと幼く見られるという現象かな。この薄い体型のせいではないと信じたい…。ちなみにシェリーは、街で見かけたこの世界のお姉さんたちと同じように小顔でナイスバディなので、余計に泣きたい気持ちになる。
 いや、これは私のせいじゃない。生まれ持った骨格の違いなんだ、泣くな私。

 シェリーは今年で二十歳になったそうで、アラサーの私としてはなんかほんと詐欺ですみません…という気分だ。指を使って二十九歳だと伝えたらめちゃくちゃ驚かれた。みんなは私の方がシェリーよりも三歳は年下だと思っていたようだ。若く見られたと喜びたいところだけど、素直に喜べない…
 まあ私もシェリーのことは高校生くらいだと思っていたのでお互い様ということで納得しよう。


 午後はシェリーが街を少し案内してくれて、安くて可愛い生地屋さんやおすすめのお菓子のお店を教えてもらった。
 洋服高いなあとは昨日見ていて思っていたけれど、どうやらこの国ではまだ既製品の服は一般的ではないらしく、庶民は生地を買って自分で服を仕立てることが多いみたい。

 私も気に入った布を一枚買って、シェリーから裁縫セットや型紙も借りられたので、自作服作りに挑戦するつもりだ。家庭科の成績は今一つだったけれど、ちまちました作業は嫌いじゃないのでやってみたら楽しいかもしれない。

 そして夕方からはまた公園でストリートライブをして小銭を稼ぎ、夜はバルドさんと一緒に食堂で歌った。ありがたいことに今日も昨日と同じくらいチップをいただけたので懐はだいぶ潤った。だけどいつまでもタダで居候させてもらうわけにもいかないし、早く言葉を覚えて働き口を探さなきゃと思う。

 やることはたくさんあるけれど、一日を終えてベッドに転がったときにふと思った。私、この生活を案外楽しめているなと。

 ブラック会社員だった頃は、いつもベッドに入ると、その日あった嫌なことや明日の仕事を思って憂鬱な気分になってしまっていた。忘れよう忘れようと思ってもなかなか頭から離れず、寝落ちするまでゲームをしていた。

 でも今は違う。知らない街で緊張はまだしているけれど、頑張った一日の心地よい疲労感と、明日はどんな一日になるんだろうというワクワク感。

 どうして私がこの世界に飛ばされてきたのかは分からないけれど、いつかきっと「この世界に来て良かった」と思えるように生きられたら良いなと思う。

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