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ある男への呪い あるいは救いがたいほどの祝福

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 ――貴方は私が守る。
 そう言われたのはいつだったのだろうか。もう思い出すこともできないぐらい、昔のことだった気がする。
 実際にはまだそれほど時間は立っていないにもかかわらず、だ。
 男は辺りを見渡す。
 積み重なる死体。枯れ果てた草木。崩壊した建物。
 そんな中、男はただ一人まるで棒のように突っ立っていた。
 燃え盛る火の粉が肌を焦がす。焼けた空気は酸素を吸収し、生ある者をとことん苦しめていた。
 いや、生存者はもう男以外いないのかもしれない。どこからも悲鳴は聞こえなかった。息をする音も、泣き喚く声も、全く持って聞こえない。
 聞こえてくるのはもはや瓦礫となった木製の建造物の残骸が燃えて、パチパチと水蒸気爆発を繰り返す音だけだった。
 男はなぜここにいるのか分からなかった。頭でも打って記憶飛んでしまっているのかと擦ってみるがどこも痛みを訴えない。
 そう、男は無傷だったのだ。服こそ黒煙で薄汚れ、所々破れてはいるが、男の体には全く損傷がなかった。あたかも自分だけは今まで影響の受けないところにいたかのように。
 男はふらふらと生気のない目で彷徨う。意識が朦朧とする男はそのうち掠れて今にも消えそうな声が、どこかから聞こえてくるのを感じた。
 男はその声に引き付けられるように歩いて行った。ある笛使いが奏でた音色に子供たちが誘い込まれた時の夢遊状態ようにその足元はぎこちなく、見るに絶えない物だった。

 声を発していたのは三十代ぐらいの若い男性だった。下半身が倒れた家の下敷きになっていて、目や腕などの体のいたるところにガラスの破片が突き刺さっている。いつ息絶えてもおかしくない状況だった。
 男性は目の前に人がいる気配でも感じたのだろうか。助けてくれと手を伸ばす。どうやら引っ張ってくれという意味らしかった。
 男は助けなければと、くらくらとする意識の中で考え男性の手を取る。苦しいながらも、男性の表情に希望の光が浮かんだ。
 そして。
 男性の上半身を残して、その場に落ちていた鉄の剣で両断する。
 鮮血が飛び散った。腸がぶちまけられた。何が起きたか分かっていない男性はそのまま何度か痙攣を行い息絶えた。
 男はその光景を無表情で見つめている。鉄の剣の柄はいつの間にかボロボロに錆びて、地面に落ちる。男が握っていた部分だけだった。
 男はおもむろに後ろを向いた。六歳ぐらいの少年がいた。少年が握っている剣は普通の大きさなのだが、小さな子供が握っているせいで、相当大きな剣に見える。握っている少年も剣の重さにまだ力が及ばないのか、それともはたまた何かに恐怖しているのか、足元がどうも心もとない。
 男は後ろを向いた。少年の剣が指し示す方向に何かあると思ったのだ。
 だが、何もない。
 そんな男の行動が気に障ったのか少年が涙一杯の目で男をにらみながら声を張り上げる。
 家族を返せ!と――
 男は少年が何を言っているのか全く分からなかった。別に男にその言葉が理解できないぐらいに教養がなかったわけじゃない。ただ、誰に言っているのか分からなかったのだ。
 男はゆっくりと少年に近づいていった。少年の表情はだんだんと恐怖に染まっていく。自分が一歩近づくたびにその度合いは増して言っているようだった。
 なんでかなあ。とか感じながら男は少年に向かって話す言葉を考える。
 少年は何かに怯えている。出来るだけ優しく警戒心を持たれないように言わなければ。
 男は少年の前に立った。少年は腕を伸ばせば男の喉笛に剣を突き刺すことの出来る位置にいるし、男も手を伸ばせば少年に届くぐらいの距離になっている。少年が全身を震わせながら剣先を男に向けている。
 男は少年から恐怖心を取り除かせるようにまず表情を作ることにした。目じりを上げ、獲物を見つけた時の猛獣のような笑みを浮かべる。少年の体が一気に縮こまった。そんな様子にやはり男は納得がいかない顔で腕を大きく後ろに回しながら口を開く。

「シネ」

 いつの間にか誰かの心臓を手に握っていた。まだ動きをやめない心臓がドクドクと動くたびに中の血液が辺りに飛び散る。
 そんな光景を見ているうちになぜか喉が渇いてきた。人一倍鋭いと評判の男の犬歯が心臓に突き立てられる。果物の果汁が噴き出すかのように少年の鮮血が男の口内を赤く染めた。
 鉄さびのような金臭い味が男の味覚を刺激する。一気に頭が回り始めた気がした。思わず耐え切れなくなって吐き出した。後から襲ってくる不快感が男の目に涙を浮かばせる。
 が、それも一瞬だった。周りの異質さに気が付いた男は眉を顰ひそめ辺りを見回す。

「一体何が起こっているんだ……ってうわっ!?」

 男は自分の手にしっかりと握っていたものを見つけて仰天する。心臓。驚いた男は思わず手から放す。

「な、なんなんだよ……。何が起こっているんだよ!」

 心臓を投げ捨てた後も、手についた血液は残っている。そのぬめりが今は現実というのをはっきりと男に理解させた。自分の境遇が分からないことも相まって苛立ちを覚える。

「ひ、ひとまずアイシャを探さないと」

 男は走った。腹の奥から大声でアイシャを呼んだ。瓦礫に埋もれていないかと、焼けた鉄板を持ち上げた。
 探す途中何人かの生存者と出会った。アイシャのことを聞こうとした。できなかった。声をかけた人は皆そろって何かに恐怖しているような表情を浮かべ、質問ができる状態じゃなくなるのだ。そんな行動が男にはアイシャの居場所を知っているのに隠したがっているように見え、声を荒げると更に怯えられた。

「どこだよ……。どこだよアイシャ!」

 探してから、もうだいぶ時間がたっていた。火は先ほどに比べたら少しは弱まったが、まだまだ強い。
 男は立つことが出来なくなっていた。肺が酸素を訴えるのだ。だが、男の体はピクリとも動いてくれなかった。

「ア、ィシャ……」

 男はまるでうわごとのようにに愛しい者の名前を呼んだ。その声は無残にも火に消されていったが、それでも男は何度も名前を呼び続けた。
 その内、息をすることすらもままならなくなり、男は静かに目を閉じた。

 夢の中で声が聞こえた。
 優しくて情愛に満ちた聖母のような声。
 その声は言った。
 貴方は私が守るから。
 ずっとずっと監視をして貴方の側に居続けるから。
 だからお願い。


 貴方は生きて――


 悲惨、としか言いようがない光景だった。地獄と形容してもおかしくないほどの光景だった。

 これが呪い。これが祝福。これは神に抗う者たちの物語――
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