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赤い毒リンゴにはご用心?

第32話 『高坂弥生』

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「お土産ってさ? こんなものでいい?」

 日曜日、急遽決まった陽翔家訪問に、社長と小園がついてきた。元々、社長が取り付けた約束と言ってもいいらしい。そうすると、僕はおまけだ。

「菓子折りなんて、まだ、未成年なんだからいいだろ? 湊は変なところに意識が回りすぎじゃない?」
「そうかな? ないよりかはあった方が印象がいいかもしれないし……」
「相当緊張してるみたいだなぁ?」

 クスクス笑う社長を睨んだ。アラフォーにしては若く見える社長と同じくアラフォーだと聞いている陽翔の父。父親と言ってもいい年上と仕事で関わることがあっても、友人の父と初対面は、また、別物だ。

「……そりゃ、してますよ? 気に入られなかったら、アイドルの話も……」
「あぁ、それならかたがついてる。陽翔くんの契約をするために、今日、家に行くんだから」
「えっ? 僕聞いてない」
「ん、言ってない」

「もうすぐつくぞ?」と社長はいい、降りる準備をする。クルマは別の場所に停めないといけないので、マンションの前で社長と降り立った。小園が別の場所にクルマを停めてくるらしい。

 ……なんかおかしい。普通、契約だったら、親が事務所に行くだろ? なのに、こっちから? 社長、何か隠してない? 先生も、ヒナを見て、おかしかったし。

 社長をこっそり覗いていると、視線で感じたのか、ニコリと笑いかけられる。
 どうかした? と言いたげな社長に話しかけようとしたところで、陽翔が迎えに出てきた。

「お待たせしました。どうぞ、父も楽しみにしてました」
「あぁ、ありがとう。さぁ、湊も」

 促されるまま、僕もマンションへ入っていく。「社長に聞きたいことがあったのに……と」は言えずじまい。社長と陽翔は笑いながら話していた。そんな内容も耳には入ってこず、二人の後を見つめていた。

「湊、今日は静かだね?」
「今日はっていうのはよけいじゃない?」
「そう?」

 陽翔も社長もマンションの一室へ入って行った。「お邪魔します」の社長の声に「久しぶりだな?」と聞きなれない声。俯いていた顔をあげる。

「如月くんは?」
「あれ? さっきまで……」
「玄関で止まるから、外で待たしてない? アイドル待たせるとか、なんなの?」

「ごめんね?」と扉が開いたとき、面影がある人物を思い出し、固まった。

「……高坂弥生?」
「へぇー俺のこと知ってる人、まだいるんだ?」

 僕の顔を見てニヤッと笑い、「とにかく入って!」と促される。僕は驚きのあまり、目を見開いて固まっているだけで、頭が真っ白になった。

「いらっしゃい」と弥生の優しい声と、「早く!」と急かす社長。固まっていた時間が動き出す。
 玄関から先にリビングへ向かう『高坂弥生』の背中を見ていた。この人のようになりたいと思って何年も『アイドル如月湊』を積み重ねてきたのだから。

『高坂弥生』と『御影長月』とは……、僕がアイドルを目指すきっかけのなった伝説のアイドルユニット『ムーンマスト』の二人だ。世界中を魅了した彼らに僕は憧れた。名実ともにトップアイドルに君臨した彼らは、王冠をしたまま、この世界から突然いなくなった。そう、僕が生まれたときには、すでに解散しており、彼らを見たのは母の持っていたCDやライブディスクのみ。それをディスクやデッキが壊れるまで見ていたことを思い出す。

「……社長が、アイドルの頂点だったのは、もちろん、この事務所を選ぶきっかけでしたから知ってたけど? ヒナのお父さんが、まさかの『高坂弥生』っていうのは……」

 ……騙された気持ちだ。嬉しい出来事……?

「如月くんって、俺らのファンだったの?」
「そうそう、湊って、そうだったの。俺、事務所開いてすぐのとき、真っ先にきたのが、湊だよ」

 二人がこっちを見ている。あの伝説の彼らが。鳥肌が立った。背中がぞわぞわと泡立つ。
 もう、このまま死んでしまうんじゃないかってくらいの衝撃と感動とわけのわからないぐっちゃぐちゃの気持ち。

「それは、なんだか、騙したみたいだね? 陽翔には昔、アイドルをやっていたこと、言ってなかったし」
「えっ? お父さん、アイドルやってたの?」

 本当に知らなかったらしく驚く陽翔。僕たちが生まれたときには、媒体がなかったのだから、知らなくて当然といえば当然ではある。

「そう、やってた。ちょうど、陽翔くらいのときから20、1くらいまで?」
「そうそう。そのくらい。とつぜん、俺を置いて、『アイドル辞めるわ』って……」

 昔を懐かしむような長月と弥生。二人にしかわからない、何かがあるのだろう。交わす視線が優しく、物悲しい。

「全然知らなかった。湊は知ってるみたいだけど?」
「あぁ……、それは、うちの母がファンだったんだ、二人の。かなり熱狂的だったみたいで、それでイロイロ持っていて知ってる。僕が生まれる前に解散してたし、メディアには映像を流さない契約かなんかで、テレビでは流れたことないから、ヒナが知らなくても……」
「……知らないのは俺だけ?」
「僕だって、今、知っただけだから」

 信じられない! という表情の陽翔に何か言わないとと口を開こうとしたとき、急に振り返ってリビングから出ていった。
 その後ろ姿を見て、「やっちゃったな……」と弥生が呟く。その意味はわからないが、追いかけたほうがいいことはなんとなくわかった。

「すみません、あの……その……」
「その扉を開いて、一番奥の部屋が陽翔の部屋だから、行ってあげて?」

 ペコっと頭を下げ、陽翔を追いかける。足に紙袋が当たり、菓子折りを持ってきていることを完全に忘れていた。

「あの、これ……食べてください! 陽翔が好きそうなものだから、きっと、その……」
「気遣いありがとう。ありがたくいただくよ!」

 そういって、紙袋を受け取る弥生にもう一度頭を下げてから部屋を出た。大人たちは何やら楽しそうに話しているようだが、耳に入ってこない。陽翔の部屋の前に立ち、呼吸を整えてからノックする。

「……ヒナ?」
「…………」
「入るよ?」

 そっと扉を開くと、ベッドの上で縮こまるように座っている。いつもの元気な陽翔と違うことに、どう言葉をかけるか考えた。

「……入ってもいいって言ってないよ?」
「返事がなかったから、了承だと思って」

 ベッドの下に座ると、壁にもたれている陽翔をチラッと見た。

 ……怒っているわけ? 何、考えている?

「湊は、俺のこと知っていたの?」
「……僕? 知るわけないじゃん! 僕らの出会い、思い返してみて?」
「……押し倒された?」
「そう、押し倒したねぇ……それも、朝の校門で。あれは、さすがにヤバいなって思ったし、陽翔もほら、ガチギレしてただろ?」

 あの日を思い出しているのだろう。難しい表情が次第に緩んで、笑い始めた。

「確かに、俺らの出会い、最悪だな? 俺、初日でどこに行ったらいいかわからなくて、キョロキョロしてたらぶつかってこられるし、不意にだったから、そのまま押し倒されるし、散々」
「僕、『興味ない』って言われたんだけど?」
「そうだった、そうだった。注意散漫なんだろ? って言った気がする」
「気じゃなくて、言われた」

 あの日、僕らは最悪なかたちで出会った。陽翔があの『高坂弥生』の息子だなんて、僕に知る由もない。たまたま、ぶつかった。
 僕とのやり取り、空気も一変した。さっきの切りつけるようなものはない。

「……ごめん。疑ったりして」
「どこに謝る要素がある? 僕らの出会いも最悪、初日からBL展開なんてハッシュタグまでつけられて、SNS拡散された仲だろ?」
「あぁ、そっちもあるのか。確かに、出会ってそんな経ってないのに、濃いな? 俺ら」
「本当、短いんだよ。ヒナとの時間なんて。僕の人生の中で、まだ、ずっと」

 押し黙る陽翔。まだ、本当に二人の時間は短い。そんな中で、知らないことの方が多いのは当たり前だ。僕らは、何年も一緒にいた幼馴染のような感覚があるけど、それも違う。

「……うん、そう、だな。湊と出会って三ヶ月も経ってないんだな」
「そうだよ? その三ヶ月はかなり濃いものだったから」
「今じゃ、湊に絆されて、アイドルになるかも? とか言ってるんだもんな?」
「ほだ……絆してないぞ? 相棒として、同じステージに立ってほしいって、願っているんだ」
「俺がいなくても、順位は着実に上がっているのに?」

 陽翔には言っていなかったが、CD売り上げは、あの音楽番組のあとから、確かに伸びている。
 でも、それは、隣に陽翔を望んだ結果、引き出されたものだ。あの河川敷での歌を聞いて以来、陽翔がいない未来なんて、考えたこともない。

 ……どう、伝えたら、いいんだろうな?

 ベッドにもたれかかっていた僕は、向きを変えて後ろにいる陽翔を見上げた。不安そうにしている陽翔に笑いかける。

 ……手放したりしないって、思っているんだ。二人で、一緒に夢をみたい。

 放り出された陽翔の右手を僕は恋人繋ぎをする。驚いた表情をしているが、振り払わないでいてくれる。ジッと見つめる。陽翔も僕をいつも以上に真剣に見ていてくれた。
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