愛した彼女は

悠月 星花

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彼女の秘密と新しい宝物、そして……

朱里の秘密

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 朱里の葬儀が終わった日、僕は朱里の父に断ってから、一旦、朱里のマンションに戻ることにした。
 平日の昼間だ。駅にはスーツを着たサラリーマンがあちこちにいる。その中で、朱里と僕くらいの年齢で連れ添っている二人がいた。これから打ち合わせに向かうのか、男性のほうは少し怖い顔をしていたので、女性の方が、「ほら、怖い顔!」と笑わせている。そんな二人を見れば、胸が痛い。夢にまで見た朱里とあんなふうに過ごすことは、もう叶わないのだと思うと頬を伝うものが冷たかった。ぐいっとハンカチで拭って、心を落ち着かせる。
 新幹線に乗る直前、僕の実家へ電話かけた。

「はい、世羅です」

 聞きなれた母の声を聞き、僕は何でもないように話始める。それさえ、苦しいと、泣き叫んでしまいそうであったが、僕には知らないといけないことがあった。

「……母さん、久しぶり」
「あら、その声は裕なの? 全然連絡よこさないんだから、心配したわよ!」
「うん、悪かったね」
「いいのよ。たまに、こうしてかけてきてくれるなら。それより、平日じゃない? 仕事は?」
「今日は休んだんだ」

 僕の覇気のない声を心配したのか、母は「どこか具合が悪いの?」と聞いてきた。僕は、言葉に詰まる。口に出すのさえ辛く、まだ、ふわふわとしている部分もあり、気を抜くと涙が溢れるか母を怒鳴ってしまいそうだった。

「……ちょっと、ね。今日、僕の奥さんの葬式でさ……」
「奥さん? いつの間に結婚してたの?」
「あぁ、まだ言ってなかったよね。いろいろあって、報告どころじゃなかったから。奥さんって言っても、籍は入れてなかったけど、ちょっと前に結婚したんだ」
「そう」
「で、ちょっと母さんに聞きたいことがあるんだけど……」
「えぇ、いいわよ。家に戻ってらっしゃい」
「いや、母さん、こっちに出てきてくれるかな? たぶん、父さんも知らないことだと思うから、家では言いにくい。住所はあとで送っておくからさ」
「よくわからないけど、わかったわ。 明日、そっちに向かうわね?」
「あぁ、よろしく頼むよ!」

 電話を切り、新幹線へと乗り込む。窓の外をぼんやり眺めながら、ぐっと涙を堪えた。母の声を聞くことすら辛かった。よくよく聞くと、朱里の声に似ている気がしたから……。
 手に持っているのは、朱里と裕里の二人分の母子手帳と裕里の戸籍だ。裕里の養父になるための申請が必要で、手続き用に戸籍を朱里の父に取ってもらった。
 もちろん、裕里の母の欄には朱里の名前が入っていて、父の欄は空白となっている。

 朱里の母子手帳をそっと開く。そこには、見慣れた字で見慣れた名前が書いてあった。

『世羅弥生 S40年3月3日』

 たぶん、僕の母子手帳にも同じ場所に同じように名前と誕生日が書かれているだろう。

『世羅弥生 S40年3月3日』

『世羅弥生』は、僕の母親なのだから……。

 この事実を朱里が知ったのは、パスポートを取るために僕の戸籍をとったときだったのだろう。

 あのとき、朱里はなんて言った?

「裕のお母さんって、婿養子なの?」
「うぅん……そうじゃなけど……お母さんって3月生まれなのかな? 名前的に」
「へぇーなんか、可愛いね!」

 世羅という苗字に弥生という名前、S40年3月3日の同姓同名って、日本中探したら一体何人いるんだろう? 僕の知っている人以外、皆無だろうな。
 伊藤や佐藤なら、もしかしたら同姓同名の人もいるかもしれないが、世羅という苗字自体が珍しいはずだ。

「私、生まれてすぐに母に捨てられたから……顔も見たことがない」

 そうは言っても、母子手帳を肌身離さず朱里が持っていたとしたら、名前と誕生日くらいは覚えていただろう。
 結婚するのに籍はいれないでおこう、二人でずっと一緒にいよう、誓いの言葉である「私は、裕を一生の伴侶として選びました。たとえ、それが間違っていて赦されることでなかったとしても死ぬ瞬間まで愛して……愛し抜きます。どうか、私たち二人が、ずっと一緒にいられますようお導きください」と言った朱里は、この事実をすべてを知ったうえで、僕を選んだんだ。
 そして、最後には、僕ではなく裕里のことを選んだ。

 僕は、朱里が悩んでいることを何も知らずにいた。一生の伴侶なんて言われて有頂天になっていたことが恥ずかしい。彼女が悩んでいたのにも気づかずに、体調も悪かったのは妊娠の可能性もあったはずだ。
 現に裕里と名の3歳の女の子が、朱里の実家で暮らしていたのだから。

 母を呼び出して、僕は一体何をするのだろう? なじるのか? どうしたらいいのか、わからなかった。

 朱里がこの世からいなくなった悲しみ、寂しさで僕の体はいっぱいだ。それと同時に、裕里という守るべき存在ができたことに喜びも感じている。
 まだ、整理のつかない頭のまま、今日はいつものように朱里のいなくなったマンションへ帰り、広いベッドで一人眠った。

 ◇

「あら、いいマンションに住んでいるのね?」
「もうすぐ出ていくつもりだけどね。ここには、彼女との思い出が多すぎるから……どうぞ」

 朱里のマンションに母を入れるかどうかも迷ったが、込み入った話になるだろうと予測もし落ち着いて話もでき、僕自身が母の話でどうなるのかわからなかったので、朱里のマンションへと母を呼び出した。
 ソファへ座った母にお茶を出し、反対側に座る。

「それでどうしたの? 裕に奥さんがいたって本当? ……あの写真の子?」

 目ざとく見つけた写真を見て、「可愛らしい子ね」と呟いている。

「あぁ、僕の妻の朱里だ。交通事故で先日、亡くなったんだ」
「まぁ……まだ若いのに……それで、あなたは大丈夫なの?」
「僕は大丈夫じゃない。数年ぶりにあった妻が棺の中で眠っていて、平気なヤツっているのか? 愛していたのに、その温もりすら、もう、感じることができないなんて……神様は、僕らを赦してくれなかったんだ」
「そう……それほど、愛していたのね……。そんなことも知らずに、無神経なことを。ごめんなさい」

 僕の悲しみを理解してくれたのか、母は俯き加減で鼻をすすっている。

「……それより、僕、母さんに聞きたいことがあるんだ」
「……何かしら?」

「そういえば、それで呼ばれたのよね?」と顔を上げ、こちらを見つめ返してくる。よく見れば、朱里と似ていなくもないその顔つきに、僕は苦しくなった。

「母さん、僕を生む前に女の子を出産しているよね?」

 母が僕の質問を聞いて驚き、目を見開いた。僕から逃げるように体を横向きに座り直す。僕は、そんな母を見つめることしかできなかった。

「……そんなことないわ! あなたが初めての子どもよ!」
「嘘が聞きたいわけじゃない! 本当のことを言ってくれ!」
「本当のことよ?」
「じゃあ、これを見て。僕の知っている字で母さんの名前だ!」

 朱里の母子手帳を机の上に置くと、母の顔色が一気に変わる。母も自分が書いたものだから、見覚えがあったのだろう。口元を奮わせながら、ゆっくり机の上に置いた母子手帳を手に取ろうとした。

「これは……」
「朱里の母子手帳。多分、朱里の戸籍を見れば、母さんの名前も書いてあるんだろうね? 僕は、籍に入っていない夫だから、義父に頼まないと朱里の戸籍は取れないんだ」
「朱里って……」
「母さんの子どもだよね……? もう認めなよ。僕は朱里の異父弟だって! 僕は知らずに偶然、朱里の部下になり、朱里に恋をして、朱里と結婚した。朱里は、僕の戸籍を見て母さんが同じだと知ったんだ。
 そのあとしばらくしてから、朱里は僕を残して一昨日まで消えてしまった。僕が見つけたときには、朱里は棺の中で眠っていたし、今では骨しか残っていない!」
「そ……んな……」

 朱里の骨壺を見せると、母は泣き崩れる。その権利は、母にもあるのか僕にはわからない。
 ただ、憎からず遠くからは、朱里のことを思っていたのではないかと期待は込めてしまった。

 だけど、母を慰めることは、到底できない。母より、僕にとって朱里が全てだったから……。

「話して! 朱里を追い込んでしまったのは僕だ! 知る権利はある」

 押し黙ったままだった母は、何も語ろうとはしなかった。
 僕は朱里を追い込んでしまった引け目もあったから、半分でもその気持ちを背負いたかった。もう、この世にいない朱里に寄り添うことはできなかったとしても。自己満足だったとしても。

 どれくらいの時間がたっただろうか。母の中でも、様々な葛藤があったのかもしれない。俯いていた母が、ぽつりぽつりとかすれた声で話し始める。

「……私が、まだ大学生のころ、朱里さんのお父さんと……省吾さんと恋に落ちたのよ。結婚を約束してね? それは幸せな日々を過ごしていた。私たちの結婚を父が許してくれなかった。一緒に逃げることも考えたけど、父の言う通り、別れることになってしまった。そのときには、もう子どもを授かっていたの……お腹の中には朱里が。
 それを省吾さんに相談したら、育ててくれるって言ってくれて……甘えてしまった。私、あの子のことを1日も忘れたことなんてないわ! 愛した人の子どもですもの。忘れるはずなんて、ない……ないの。なのに……どうして……」

「どうして?」は僕が言いたい……。どうして、僕を置いて朱里は死んでしまったのかと。
 朱里の父から聞いた話は、買い物の帰り道、歩いていてバイクと衝突したらしい。そのバイクのヤツは朱里を助けることなく逃げてしまい、今もまだ、捕まっていない。
 そのときに、救急車を呼んでくれて、病院に搬送されていたら助かったかもしれなかったのにだ。朱里の死の原因となったヤツを許せない気持ちももちろんある。
 でも、何をしても、もう僕の元に彼女は帰ってこない。朱里へ募り募った想いはたくさんあっても、そんなヤツにさく感情を僕は持ち合わせていなかった。

「この母子手帳は私が書いていたもの。出産の後は、省吾さんに渡して、それ以来、会うことも許されていないの。ねぇ? あの子、幸せそうにしていた?」
「そんなの、俺が聞きたい! 母さんのことに気付いて、籍を入れる結婚はせず、ずっと一緒に生きて行こうってなった矢先に、僕の目の前からいなくなってしまったんだから!」

 どこにぶつけていいのかわからない感情が次々と出てくる。もういなくなってしまった朱里に対して怒っているのか、目の前の母親に怒っているのか……、はたまた、何も知らずにただ、朱里の帰りを待っていることしかできなかった僕自身に怒っているのか……。整理のつかないぐちゃぐちゃの感情で、僕は何に対して怒って、悲しんで、涙を流しているのかわからなかった。

「母さん、朱里に会ってあげて……朱里にとっては、おせっかいかもしれないけど、たぶん、待っていたはずだ。『世界のどこかに私の弟か妹がいるかもしれないの』って言っていたくらいだ。皮肉なことに、その弟が僕だっただけで……」
「……裕」
「母さん、行けないとはいわないよね? 孫までいるんだ、一目見るだけでもいいから……忘れてくれていいから……」

 僕は、ただ、朱里に惹かれただけだったのに、一緒にいたかっただけだったのに、こんなことになるなんて、本当に結婚を誓う神様を僕たちは間違えてしまったようだ。

 皮肉なものだね、朱里。
 朱里が言った通り、僕たち、神様には赦されなかったみたいだ。
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