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紅葉の宴
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「いつまでふさぎ込んでおる。女人は何もその姫君しかおらぬというのではないのだから」
独り釣殿の柱にもたれ、ただ空を見上げていた少将に、声を掛けてきたのは右大臣であった。
いつもなら少将の恋路を案じているだ何だと言って兄たちが茶化しに来るところだが、二人は今回の弟のあまりの落ち込みように、気安く話しかけては来られないようだった。
少将は無言で頷いたが、今の彼の心に、父の言葉は全く響かない。
姫君が常葉殿に夢中で、自分など好かれていないことはわかっていた。
けれども死を望まれる程憎まれていたなんて、思いもよらなかった。
そもそも、姫君が他人を呪うような人間だというのも信じがたかった。
そんなはずは、けれども他に誰が、何のために――考えても考えても堂々巡りで出口は見えない。
「時にそなた――この父の名代として、左大臣家で催される紅葉の宴に参ってはくれぬか」
父は息子の感傷などお構いなしに要請してくる。
断られることなど微塵も想定していない口ぶりだ。
「そういった宴は兄上たちにお任せになった方が」
「ああ、二人はその日、舞の練習で参内せねばならぬとか。なに、急に舞えやら笛を吹けやら求められることはなかろう」
父は相変わらずの食えない笑みを浮かべ、こう付け加える。
「左大臣家の末の姫は、そなたに興味があるそうだぞ」
気が進まないながら、少将は紅葉を愛でる宴とやらのため、左大臣家に馳せ参じた。
宴の主催者は左大臣その人である。
少将は父右大臣の名代での参加であるため、必然的に左大臣に懇ろな挨拶をする羽目になった。
長男・三位の中将の自慢話を延々と繰り広げた後に解放されたものの、これからその中将の舞を見なければならないのは気が滅入った。
右大臣家の池と釣殿も趣深いが、さすがに左大臣家、こちらの池も見事だ。
澄み渡った池の水面は鏡の如く紅葉を映し、降り注ぐ陽の光に照り映えているのが美しい。
水上に浮かべた舟に乗った楽人たちが管絃の遊びを始める。
よく見ると、楽人に混じって笙を奏でているのは中将の弟のようだ。
そのまま管絃の遊びは、時折興が乗った他家の貴公子が飛び入りで参加するなど、人を変えてゆるゆると続いた。
ついに中将が皇麞の舞を始める頃には陽が沈みかけてきた。
夕映えの空の下、中将の袖が翻る。
どこか荒々しい中将の舞は彼の情熱を反映しているようで、やはり、兄たちの端正な舞いぶりとは違った魅力を持っている。
この激流のような中将ですら、姫君の心を奪うことは叶わなかったのだ。
自分には到底叶わない望みである。
かと言って他の女人に興味を持てるかと言えば、この先姫君のきりりとした、それでいて可憐な美貌に敵うひとに出会うことなどないように思えるのだった。
夜更けには宴は終わり、急に人が少なくなった。
どうせ男は皆、馴染みの女房の部屋にでもしけ込んでいるのだろうが、生憎少将には縁のない話である。
少将はさっさと自邸に引き上げようと、戸口へ向かったのだが。
「誰を、松虫――」
戸口から歌のようなものを口ずさみながら現れたのは、扇で顔を隠した若い女君だった。
古今の歌であったか、「山奥の 紅葉しか来ぬ 我が宿で 誰の訪れ 待つ虫の声」というのがある。
秋歌の巻に取られているが、明らかに恋歌の風情だ。
しかしそこは少将のこと、物語のように女君の袖を捉えて、耳元で歌を囁く――前に、正面から激突してしまっていた。
独り釣殿の柱にもたれ、ただ空を見上げていた少将に、声を掛けてきたのは右大臣であった。
いつもなら少将の恋路を案じているだ何だと言って兄たちが茶化しに来るところだが、二人は今回の弟のあまりの落ち込みように、気安く話しかけては来られないようだった。
少将は無言で頷いたが、今の彼の心に、父の言葉は全く響かない。
姫君が常葉殿に夢中で、自分など好かれていないことはわかっていた。
けれども死を望まれる程憎まれていたなんて、思いもよらなかった。
そもそも、姫君が他人を呪うような人間だというのも信じがたかった。
そんなはずは、けれども他に誰が、何のために――考えても考えても堂々巡りで出口は見えない。
「時にそなた――この父の名代として、左大臣家で催される紅葉の宴に参ってはくれぬか」
父は息子の感傷などお構いなしに要請してくる。
断られることなど微塵も想定していない口ぶりだ。
「そういった宴は兄上たちにお任せになった方が」
「ああ、二人はその日、舞の練習で参内せねばならぬとか。なに、急に舞えやら笛を吹けやら求められることはなかろう」
父は相変わらずの食えない笑みを浮かべ、こう付け加える。
「左大臣家の末の姫は、そなたに興味があるそうだぞ」
気が進まないながら、少将は紅葉を愛でる宴とやらのため、左大臣家に馳せ参じた。
宴の主催者は左大臣その人である。
少将は父右大臣の名代での参加であるため、必然的に左大臣に懇ろな挨拶をする羽目になった。
長男・三位の中将の自慢話を延々と繰り広げた後に解放されたものの、これからその中将の舞を見なければならないのは気が滅入った。
右大臣家の池と釣殿も趣深いが、さすがに左大臣家、こちらの池も見事だ。
澄み渡った池の水面は鏡の如く紅葉を映し、降り注ぐ陽の光に照り映えているのが美しい。
水上に浮かべた舟に乗った楽人たちが管絃の遊びを始める。
よく見ると、楽人に混じって笙を奏でているのは中将の弟のようだ。
そのまま管絃の遊びは、時折興が乗った他家の貴公子が飛び入りで参加するなど、人を変えてゆるゆると続いた。
ついに中将が皇麞の舞を始める頃には陽が沈みかけてきた。
夕映えの空の下、中将の袖が翻る。
どこか荒々しい中将の舞は彼の情熱を反映しているようで、やはり、兄たちの端正な舞いぶりとは違った魅力を持っている。
この激流のような中将ですら、姫君の心を奪うことは叶わなかったのだ。
自分には到底叶わない望みである。
かと言って他の女人に興味を持てるかと言えば、この先姫君のきりりとした、それでいて可憐な美貌に敵うひとに出会うことなどないように思えるのだった。
夜更けには宴は終わり、急に人が少なくなった。
どうせ男は皆、馴染みの女房の部屋にでもしけ込んでいるのだろうが、生憎少将には縁のない話である。
少将はさっさと自邸に引き上げようと、戸口へ向かったのだが。
「誰を、松虫――」
戸口から歌のようなものを口ずさみながら現れたのは、扇で顔を隠した若い女君だった。
古今の歌であったか、「山奥の 紅葉しか来ぬ 我が宿で 誰の訪れ 待つ虫の声」というのがある。
秋歌の巻に取られているが、明らかに恋歌の風情だ。
しかしそこは少将のこと、物語のように女君の袖を捉えて、耳元で歌を囁く――前に、正面から激突してしまっていた。
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