貝合わせ異聞

柚木

文字の大きさ
上 下
19 / 38

御簾の内

しおりを挟む
 少将の従者たちは待賢門たいけんもんの外に車を寄せ、交代で眠い目をこすりながら見張りをしていた。

 走って駆け寄って来た少将を見て、驚きの声を上げる。

「少将さま、今宵は宿直とのいでは」

「車を出せ。急ぎ参りたい場所ができた」

 面食らう従者たちを急かし、牛車で大納言家へと向かう。

 しかしどれだけ急いでも所詮は牛の歩み。

 牛車が動き始めてすぐ、少将は馬でも借りればよかったと後悔したが、彼の手綱さばきでは三位の中将に追いつきようもないだろう。

 ようやく大納言邸に辿り着くと東の四足門の脇に八葉はちようの車が停まっていた。

 三位の中将の車であろう。

 わざわざ東の君の寝所に近い東の門から入ったということは、東の君に会うと偽ったのかもしれない。

 少将も門の脇に車を寄せたが、そこではたと考え込む。

 貝合の折は人の出入りに紛れて運よく入り込めたが、今宵は出入りする者もなく、門番が何事かとこちらを見つめている。

「少将さま、着きましたが……取次ぎを頼みましょうか」

 そのようなことをすれば大事になってしまう。

 が、そうも言っていられまい。

「……私が直に話そう。お前たちはここで待っていてくれ」

 少将は車を降り、門番に歩み寄った。

「三位の中将殿に急用があって参ったのだが。ここを通してくれるか」

 門番は少将に探るような目を向ける。

「高貴なお方と見えまするが、一体どこのどなた様です?」

「言えば通すのか」

「……」

 門番は黙り込んだ。

「三位の中将殿はそちらの姫君に狼藉を働くやもしれぬ。そう思って追って参ったのだ」

 少将が急き込んで言った時、少女の声が上がった。

「その方をお通し下さいませ!」

 姫君の女の童だ。

 門番はなおも訝しげに少将を睨む。

「私の言葉は、姫さまのお言葉ですからね!」

 女の童が肩をそびやかして言うと、門番は渋々少将を通した。

 少将は恐る恐る尋ねる。

「三位の中将殿は、姫君の所に?」

「ええ。東の君の所へ来たと言って入っていらしたようなのですけど、姫君の寝所に向かって来られて……小式部さまがやんわりとお断りしているとは思うのですが、踏み込まれたら、女にはなすすべがないでしょう?」
 
 女の童は泣きそうな顔で言い募る。

 やはり東の君に会う振りをしたのか。
 

 姫君の部屋は西の対にある。

 東の門から西の対へ行くには、堂々と東の対を突っ切るか、橋を渡って池を越えていくかしかない。

 東の対に侵入すれば、東の君に騒がれてしまう。

 いや、ここは三位の中将の不実を糾弾してもらうべく、東の君を引き連れて踏み込んだ方が良いのか? 

 しかしそれでは東の君の嫉妬が増し、姫君の立場が悪くなる……。

 考え込む少将の袖を、女の童は強引に引っ張った。

「ぐずぐずしてる暇はありません、行きましょう、観音さま」

「ぐずぐずって、君」

 子供とはいえ、失礼な、と思ったが、いちいち言い争っている暇はない。

 二人は池を越え、落ち着いて眺めれば情趣溢れている筈の庭を足早に横切った。
 
 西の妻戸から屋内に入り、そこからは女の童の後に付き従う。

 兄たちによれば、姫君の寝所は邸内の奥深くと相場が決まっているらしいが。

「こちらです」

 女の童が御簾の向こうを指し示した。

 あちら側を透かし見ようとしても何も見えず、物音も聞こえない。

 まさか、帳台の中まで押し入ってしまった後だろうか。

 そうなってしまったのであれば、閨を暴くのは姫君の名誉を傷つけるだけだ。

 土壇場で少将は怖気づく。

「何を躊躇っておられるのです! さ、お早く!」

 しびれを切らした女の童が御簾を勝手に捲り上げた瞬間、少将の目に飛び込んできたのは――。

「中将殿?」

 床を這うようにしてこちらに向かってくる三位の中将の姿だった。

「ど、どうなされたのです――」

 三位の中将は少将を目にするや、少し安堵したような表情を浮かべて立ち上がろうとした。

 しかし足が震えて立ち上がれないようだ。

「一体何が……姫君はご無事なのでしょうね?」

 御簾の中に一歩足を踏み出そうとすると、三位の中将は背後から少将の足首を掴んできた。

「何をなさいます、こけてしまうではありませんか!」

 つんのめった少将に、三位の中将は息も絶え絶えに言う。

「行ってはならぬ」

「は」

「ここは鬼の住処ぞ。人の身で、気安く近づくものではない」

 そう言われると、怯む気持ちはあった。

 しかし兄の言葉を思い出し、踏み止まる。兄は言ってくれた。

「お前ならば、あるいは……あの姫君を救えるやもしれぬぞ」
と。

「ご忠告は有り難く存じますが……御免!」

 少将は三位の中将の鳩尾みぞおちに拳を繰り出した。

 普段の中将であれば簡単にかわせるのだろうし、万一当たってもそれほどの被害は被らないだろうが、今の中将は容易に崩れ落ちた。

「中将殿の従者たちに伝え、すぐに連れ帰ってもらいなさい。ここで目を覚まされると厄介だ」

 女の童に命じると、
「はいっ!」
とにこやかに応えて駆け出す。

 この少女、何というか肝が据わっている。
 
 少将は意を決して御簾の内に歩を進めた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

姫様、江戸を斬る 黒猫玉の御家騒動記

あこや(亜胡夜カイ)
歴史・時代
旧題:黒猫・玉、江戸を駆ける。~美弥姫初恋顛末~ つやつやの毛並みと緑の目がご自慢の黒猫・玉の飼い主は大名家の美弥姫様。この姫様、見目麗しいのにとんだはねかえりで新陰流・免許皆伝の腕前を誇る変わり者。その姫様が恋をしたらしい。もうすぐお輿入れだというのに。──男装の美弥姫が江戸の町を徘徊中、出会った二人の若侍、律と若。二人のお家騒動に自ら首を突っ込んだ姫の身に危険が迫る。そして初恋の行方は── 花のお江戸で美猫と姫様が大活躍!外題は~みやひめはつこいのてんまつ~ 第6回歴史・時代小説大賞で大賞を頂きました!皆さまよりの応援、お励ましに心より御礼申し上げます。 有難うございました。 ~お知らせ~現在、書籍化進行中でございます。21/9/16をもちまして、非公開とさせて頂きます。書籍化に関わる詳細は、以降近況ボードでご報告予定です。どうぞよろしくお願い致します。

夢の雫~保元・平治異聞~

橘 ゆず
歴史・時代
平安時代末期。 源氏の御曹司、源義朝の乳母子、鎌田正清のもとに13才で嫁ぐことになった佳穂(かほ)。 一回りも年上の夫の、結婚後次々とあらわになった女性関係にヤキモチをやいたり、源氏の家の絶えることのない親子、兄弟の争いに巻き込まれたり……。 悩みは尽きないものの大好きな夫の側で暮らす幸せな日々。 しかし、時代は動乱の時代。 「保元」「平治」──時代を大きく動かす二つの乱に佳穂の日常も否応なく巻き込まれていく。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

夢の終わり ~蜀漢の滅亡~

久保カズヤ
歴史・時代
「───────あの空の極みは、何処であろうや」  三国志と呼ばれる、戦国時代を彩った最後の英雄、諸葛亮は五丈原に沈んだ。  蜀漢の皇帝にして、英雄「劉備」の血を継ぐ「劉禅」  最後の英雄「諸葛亮」の志を継いだ「姜維」  ── 天下統一  それを志すには、蜀漢はあまりに小さく、弱き国である。  国を、民を背負い、後の世で暗君と呼ばれることになる劉禅。  そして、若き天才として国の期待を一身に受ける事になった姜維。  二人は、沈みゆく祖国の中で、何を思い、何を目指し、何に生きたのか。  志は同じであっても、やがてすれ違い、二人は、離れていく。  これは、そんな、覚めゆく夢を描いた、寂しい、物語。 【 毎日更新 】 【 表紙は hidepp(@JohnnyHidepp) 様に描いていただきました 】

狐侍こんこんちき

月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。 父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。 そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、 門弟なんぞはひとりもいやしない。 寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。 かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。 のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。 おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。 もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。 けれどもある日のこと。 自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。 脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。 こんこんちきちき、こんちきちん。 家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。 巻き起こる騒動の数々。 これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

上意討ち人十兵衛

工藤かずや
歴史・時代
本間道場の筆頭師範代有村十兵衛は、 道場四天王の一人に数えられ、 ゆくゆくは道場主本間頼母の跡取りになると見られて居た。 だが、十兵衛には誰にも言えない秘密があった。 白刃が怖くて怖くて、真剣勝負ができないことである。 その恐怖心は病的に近く、想像するだに震えがくる。 城中では御納戸役をつとめ、城代家老の信任も厚つかった。 そんな十兵衛に上意討ちの命が降った。 相手は一刀流の遣い手・田所源太夫。 だが、中間角蔵の力を借りて田所を斬ったが、 上意討ちには見届け人がついていた。 十兵衛は目付に呼び出され、 二度目の上意討ちか切腹か、どちらかを選べと迫られた。

処理中です...