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姫君の噂と二人の兄
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「は?」
少将は思いもよらぬ兄の発言に、素っ頓狂な声を上げる。
「憑かれているですって?」
「ああ」
兄はおどろおどろしい口調で告げた。
「姫は、人の身で歌才に溢れすぎたために、人ならぬものを惹きつけてしまうのだよ」
「そ、そんな……確かにあの姫君は、素晴らしい歌をお詠みになりますが――」
「何?」
兄はつと眉を上げる。
「あの姫は歌合に出ることもなく引き籠っている、知る人ぞ知る隠れた才女のはずだ。お前、一体姫とどのような……」
そこまで言って、想像して悔しくなったのか、兄は勝手に押し黙った。
「とにかくだ、あの姫は歌の才を鼻にかけた気取った女だぞ。そもそもお前程度の頭では話にならんだろう」
「は、はあ」
残念ながら、それは事実だった。
かつて三兄弟で机を並べ、漢籍や歌詠みの手ほどきを受けていた時も、褒められるのは兄たちばかり。
舞や、笛などの楽器にしても、少将が二人の兄より抜きん出ているものはなかったのである。
「早々に諦めるんだな。遊ばれているだけではないのか?」
何せ、こんなに魅力溢れる俺にもなびかなかった女だからな、というのが透けて見え、少将はげんなりする。
「ご忠告、感謝致します」
「うむ」
兄はぶっきらぼうに言い、釣殿を去っていった。
「はあ……」
少将は一人座り込んで、兄たちが残していった酒を煽った。
「どうした、弟よ」
「ぶっ」
思わず酒を噴き出しそうになる。次兄が形の良い眉を歪め、愁いを帯びた表情で少将を見つめていた。
「さては、恋の悩みか、ん?」
「兄上……聞いていたのではないのですか? 上の兄上とのお話を」
「私はそんな無粋な真似はしないぞ。しかし図星か」
彼は大袈裟にため息をついて、どっかりと少将の前に座った。
「辛気臭い顔をするな」
「元からそういう顔なんですよ」
次兄も次兄で、上の兄と張り合う美青年なのである。
「そうか?」
きょとんとした顔で言われ、少将は少し脱力した。
自信満々な長男とは異なり、この兄は何となくとぼけた人で、どうにも掴みどころがない。
「心にかかるお人でもおるのか」
「まあ……そのようなところです」
「ほう、お前もそんな歳になったか、と言いたいところだが、兄上や私に比べれば遅いものだな」
「でしょうね。あなた方はむしろ、早熟すぎると言われていましたから」
「そんなのは、ただの巡り合わせだろう? 恋など、独りでは出来ぬものなのだから」
不意に真面目な口調で、彼は言った。
「心にかかるお人がいるならば、簡単に諦めるのではないぞ、弟」
少将は口を尖らせる。
「上の兄上とは真逆のことを仰いますね」
「あの方が、諦めよと? それは珍しい。いつも私と二人でお前の恋路を案じておるというのに……」
「結構です!」
案じているというが、面白がられているに決まっているのだ。
次兄は少将の叫びもお構いなしで、はたと手を打った。
「まさかお前、兄上の想い人か何かに懸想したのではあるまいな?」
「滅相もございません!」
「ふむ……」
お互いに少し張り合いがちであるとはいえ、弟のことに関しては仲良く茶化している兄たちのことだ。
次兄に黙っていたところで、いずればれるだろう。
考える素振りをする彼に、少将は意を決して言い放った。
「大納言家の妹姫をご存じですか」
「――何?」
「ご存じなのですね」
「……まあな」
兄は重々しく頷いた。
「ただでさえ、後ろ盾のない姫君だ。その上、妖しき物たちまでをも魅了する、才色兼備の姫……正直、お前の手に負える相手とは思えんな」
「……そうですね」
「だが、お前にはその素直さがあるだろう?」
「は」
少将はきょとんと兄を見返した。
「お前ならば、あるいは……あの姫君を救えるやもしれぬぞ」
そう言うと、さっと立ち上がって釣殿を去っていく。
「あの姫君を、救う?」
少将は思いもよらぬ兄の発言に、素っ頓狂な声を上げる。
「憑かれているですって?」
「ああ」
兄はおどろおどろしい口調で告げた。
「姫は、人の身で歌才に溢れすぎたために、人ならぬものを惹きつけてしまうのだよ」
「そ、そんな……確かにあの姫君は、素晴らしい歌をお詠みになりますが――」
「何?」
兄はつと眉を上げる。
「あの姫は歌合に出ることもなく引き籠っている、知る人ぞ知る隠れた才女のはずだ。お前、一体姫とどのような……」
そこまで言って、想像して悔しくなったのか、兄は勝手に押し黙った。
「とにかくだ、あの姫は歌の才を鼻にかけた気取った女だぞ。そもそもお前程度の頭では話にならんだろう」
「は、はあ」
残念ながら、それは事実だった。
かつて三兄弟で机を並べ、漢籍や歌詠みの手ほどきを受けていた時も、褒められるのは兄たちばかり。
舞や、笛などの楽器にしても、少将が二人の兄より抜きん出ているものはなかったのである。
「早々に諦めるんだな。遊ばれているだけではないのか?」
何せ、こんなに魅力溢れる俺にもなびかなかった女だからな、というのが透けて見え、少将はげんなりする。
「ご忠告、感謝致します」
「うむ」
兄はぶっきらぼうに言い、釣殿を去っていった。
「はあ……」
少将は一人座り込んで、兄たちが残していった酒を煽った。
「どうした、弟よ」
「ぶっ」
思わず酒を噴き出しそうになる。次兄が形の良い眉を歪め、愁いを帯びた表情で少将を見つめていた。
「さては、恋の悩みか、ん?」
「兄上……聞いていたのではないのですか? 上の兄上とのお話を」
「私はそんな無粋な真似はしないぞ。しかし図星か」
彼は大袈裟にため息をついて、どっかりと少将の前に座った。
「辛気臭い顔をするな」
「元からそういう顔なんですよ」
次兄も次兄で、上の兄と張り合う美青年なのである。
「そうか?」
きょとんとした顔で言われ、少将は少し脱力した。
自信満々な長男とは異なり、この兄は何となくとぼけた人で、どうにも掴みどころがない。
「心にかかるお人でもおるのか」
「まあ……そのようなところです」
「ほう、お前もそんな歳になったか、と言いたいところだが、兄上や私に比べれば遅いものだな」
「でしょうね。あなた方はむしろ、早熟すぎると言われていましたから」
「そんなのは、ただの巡り合わせだろう? 恋など、独りでは出来ぬものなのだから」
不意に真面目な口調で、彼は言った。
「心にかかるお人がいるならば、簡単に諦めるのではないぞ、弟」
少将は口を尖らせる。
「上の兄上とは真逆のことを仰いますね」
「あの方が、諦めよと? それは珍しい。いつも私と二人でお前の恋路を案じておるというのに……」
「結構です!」
案じているというが、面白がられているに決まっているのだ。
次兄は少将の叫びもお構いなしで、はたと手を打った。
「まさかお前、兄上の想い人か何かに懸想したのではあるまいな?」
「滅相もございません!」
「ふむ……」
お互いに少し張り合いがちであるとはいえ、弟のことに関しては仲良く茶化している兄たちのことだ。
次兄に黙っていたところで、いずればれるだろう。
考える素振りをする彼に、少将は意を決して言い放った。
「大納言家の妹姫をご存じですか」
「――何?」
「ご存じなのですね」
「……まあな」
兄は重々しく頷いた。
「ただでさえ、後ろ盾のない姫君だ。その上、妖しき物たちまでをも魅了する、才色兼備の姫……正直、お前の手に負える相手とは思えんな」
「……そうですね」
「だが、お前にはその素直さがあるだろう?」
「は」
少将はきょとんと兄を見返した。
「お前ならば、あるいは……あの姫君を救えるやもしれぬぞ」
そう言うと、さっと立ち上がって釣殿を去っていく。
「あの姫君を、救う?」
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