5 / 38
貝合
しおりを挟む
「北の方と東の君が参られましたわ!」
小式部が叫んだ。
北の方とは正妻のことなので、つまりは東の君の母親だろう。
東の君は母親が住む北の対とは別に、東の対を丸々与えられているとみえる。
「ごきげんよう。今日の勝負、勝たせていただくわよ」
東の君とは別な声が聞こえた。
如何にも意地悪な継母、といったところだ。
「当然よ、お母さま。やるまでもないじゃない? お母上のいない二の姫と一の君だけで、何ができるのよ。誰も味方につかないわ」
東の君の声が、馬鹿にしたように響く。
東の君と北の方の衣装は見えないが、相手方の女の童たちもお揃いの汗衫を身に付けているようだ。
「姫さま……」
小式部は声に悔しさを滲ませるが、案の定、姫君は黙ったままだった。
するとそこへ、堂々たる風格の男が登場した。
少将も見知った顔である。
(なるほど……大納言殿の姫君だったのか)
「お父さま!」
東の君の声が弾んだ。
「一の姫か。息災で何より。二の姫と一の君はどうだ、困ることはないか? よく気の付く小式部がいるとはいえ、力の及ばぬことも多いだろう」
おや、と少将は思った。
継子物語では父親も北の方に肩入れし、一緒になって姫を虐めるというのがお決まりだが、大納言家はそうではないらしい。
「いいえ、ございませぬ。お気遣い、いたみいります」
小式部が口を開くより早く、姫君が応じた。
「そうか……何か不自由があればすぐに言うのだぞ」
「はい」
ほとんど遮るような口調で言う姫君の横顔は険しかった。
「お父さま、中将さまはまだおいでにならないの?」
東の君が甲高い声でせっつく。
(中将さま?)
少将は、はてと首を捻った。
中将と呼ばれる男は何人もいるが、さて、どの中将が招かれているのだろう。
「中将殿は後から参られるそうだ。姫や、先に始めて良いぞ」
「まあ、残念なこと。あまり遅くなられたら、先に勝負がついてしまいますわ」
北の方が聞こえよがしに言った。
「始めましょう」
姫君が凛とした声で言うと、姫君側の女の童たちが第一の州浜を持って現れた。
そしてうやうやしく大納言の前に置く。
「うむ」
姫君方の第一の州浜は、海に見立てて広げられた、紺碧の織物の上に置かれた。
錦の海に鎮座するその様子は、浜辺というよりも、さながら浮島のような風情である。
続いて、東の君方の最初の州浜が出されたようだが、少将の所からは良く見えなかった。
「ほう……」
と周囲から感嘆の声が漏れる。
大納言も含めて、貝の良し悪しの議論が始まった。
しかしこういった合物ではよくあることだが、一向に勝ち負けが決まらない。
「お父さま、二番目の州浜に移りましょう」
東の君の声は少し焦っていた。
圧勝だと思っていたのに、姫君方の州浜も想像以上だったのだろう。
「そうしてくれ」
しかし、これも勝負はつかなかった。
姫君方の女の童が、几帳の裏手に回ってきた。
少将を手引きした子だ。
「姫さま、あの州浜を出しますよ」
「……そうね」
姫君は、呟くように言った。
小式部が叫んだ。
北の方とは正妻のことなので、つまりは東の君の母親だろう。
東の君は母親が住む北の対とは別に、東の対を丸々与えられているとみえる。
「ごきげんよう。今日の勝負、勝たせていただくわよ」
東の君とは別な声が聞こえた。
如何にも意地悪な継母、といったところだ。
「当然よ、お母さま。やるまでもないじゃない? お母上のいない二の姫と一の君だけで、何ができるのよ。誰も味方につかないわ」
東の君の声が、馬鹿にしたように響く。
東の君と北の方の衣装は見えないが、相手方の女の童たちもお揃いの汗衫を身に付けているようだ。
「姫さま……」
小式部は声に悔しさを滲ませるが、案の定、姫君は黙ったままだった。
するとそこへ、堂々たる風格の男が登場した。
少将も見知った顔である。
(なるほど……大納言殿の姫君だったのか)
「お父さま!」
東の君の声が弾んだ。
「一の姫か。息災で何より。二の姫と一の君はどうだ、困ることはないか? よく気の付く小式部がいるとはいえ、力の及ばぬことも多いだろう」
おや、と少将は思った。
継子物語では父親も北の方に肩入れし、一緒になって姫を虐めるというのがお決まりだが、大納言家はそうではないらしい。
「いいえ、ございませぬ。お気遣い、いたみいります」
小式部が口を開くより早く、姫君が応じた。
「そうか……何か不自由があればすぐに言うのだぞ」
「はい」
ほとんど遮るような口調で言う姫君の横顔は険しかった。
「お父さま、中将さまはまだおいでにならないの?」
東の君が甲高い声でせっつく。
(中将さま?)
少将は、はてと首を捻った。
中将と呼ばれる男は何人もいるが、さて、どの中将が招かれているのだろう。
「中将殿は後から参られるそうだ。姫や、先に始めて良いぞ」
「まあ、残念なこと。あまり遅くなられたら、先に勝負がついてしまいますわ」
北の方が聞こえよがしに言った。
「始めましょう」
姫君が凛とした声で言うと、姫君側の女の童たちが第一の州浜を持って現れた。
そしてうやうやしく大納言の前に置く。
「うむ」
姫君方の第一の州浜は、海に見立てて広げられた、紺碧の織物の上に置かれた。
錦の海に鎮座するその様子は、浜辺というよりも、さながら浮島のような風情である。
続いて、東の君方の最初の州浜が出されたようだが、少将の所からは良く見えなかった。
「ほう……」
と周囲から感嘆の声が漏れる。
大納言も含めて、貝の良し悪しの議論が始まった。
しかしこういった合物ではよくあることだが、一向に勝ち負けが決まらない。
「お父さま、二番目の州浜に移りましょう」
東の君の声は少し焦っていた。
圧勝だと思っていたのに、姫君方の州浜も想像以上だったのだろう。
「そうしてくれ」
しかし、これも勝負はつかなかった。
姫君方の女の童が、几帳の裏手に回ってきた。
少将を手引きした子だ。
「姫さま、あの州浜を出しますよ」
「……そうね」
姫君は、呟くように言った。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
異・雨月
筑前助広
歴史・時代
幕末。泰平の世を築いた江戸幕府の屋台骨が揺らぎだした頃、怡土藩中老の三男として生まれた谷原睦之介は、誰にも言えぬ恋に身を焦がしながら鬱屈した日々を過ごしていた。未来のない恋。先の見えた将来。何も変わらず、このまま世の中は当たり前のように続くと思っていたのだが――。
<本作は、小説家になろう・カクヨムに連載したものを、加筆修正し掲載しています>
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係ありません。
※この物語は、「巷説江戸演義」と題した筑前筑後オリジナル作品企画の作品群です。舞台は江戸時代ですが、オリジナル解釈の江戸時代ですので、史実とは違う部分も多数ございますので、どうぞご注意ください。また、作中には実際の地名が登場しますが、実在のものとは違いますので、併せてご注意ください。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。
南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳
勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません)
南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。
表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。
2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。
よあけまえのキミへ
三咲ゆま
歴史・時代
時は幕末。二月前に父を亡くした少女、天野美湖(あまのみこ)は、ある日川辺で一枚の写真を拾った。
落とし主を探すべく奔走するうちに、拾い物が次々と縁をつなぎ、彼女の前にはやがて導かれるように六人の志士が集う。
広がる人脈に胸を弾ませていた美湖だったが、そんな日常は、やがてゆるやかに崩れ始めるのだった。
京の町を揺るがす不穏な連続放火事件を軸に、幕末に生きる人々の日常と非日常を描いた物語。
【完結】女神は推考する
仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。
直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。
強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。
まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。
今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。
これは、大王となる私の守る為の物語。
額田部姫(ヌカタベヒメ)
主人公。母が蘇我一族。皇女。
穴穂部皇子(アナホベノミコ)
主人公の従弟。
他田皇子(オサダノオオジ)
皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。
広姫(ヒロヒメ)
他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。
彦人皇子(ヒコヒトノミコ)
他田大王と広姫の嫡子。
大兄皇子(オオエノミコ)
主人公の同母兄。
厩戸皇子(ウマヤドノミコ)
大兄皇子の嫡子。主人公の甥。
※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。
※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。
※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。)
※史実や事実と異なる表現があります。
※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる