8 / 11
八
しおりを挟む
さて、那古野城主となった叔父の信光に代わって、その弟孫十郎信次が守山城主となった。
六月二六日。
信次が若侍らと庄内川で川漁をしている所へ、若者が一人馬に乗って通りかかった。
城主の御前を乗馬のままで通るという無礼を許さず、洲賀才蔵という侍がすかさず弓をとり矢を射掛けた。
脅しのつもりであったのか、しかし運悪く胸を貫いた。
若者は馬から転げ落ち、川へと落ちた。
即死であった。
よくやった、見事、などと歓声があがる。
信次をはじめ、若侍らがわっと駆け寄り無礼者の顔を見てやろうと、覗き込んだ。
歳の頃は十五、六。肌は白粉を塗ったように白く、朱い唇で柔和な姿、容貌は人に優れて麗しく。
「ぎゃっ!喜六郎ではないか!」
信次は腰を抜かしその場にへたり込むとがたがたと震えだした。
若者は、その美しさはなんとも喩えようもないとされた、信長と信勝の弟、喜六郎秀孝であったのだ。
皆一様に肝を潰した。
特に信次は取るものも取りあえず、守山城に立ち寄りもせず、そのまま国外へと出奔。
その後行方知れずとなった。
秀孝は信長、信勝共に特に可愛がっている弟であったため、その怒りを恐れたのだ。
まさしくその通りのことが起こった。
秀孝の訃報を受け、信勝は柴田勝家らを従え、ただちに末盛城から守山城へ駆け付けると城下に火を放ち、守山城をあっという間にはだか城にしてしまった。
まさしくあっという間の出来事であった。
普段戦に出ない信勝であったが、その差配は見事と言う他なく。
鬼のような、と囁かれたという。
「か、勘十郎様、勘十郎様!どうぞお気をお静めください!ご家来衆も逐電、もはや空き城でございます!」
「止めるな蔵人!」
普段穏やかな信勝らしからぬ乱暴さに、津々木蔵人ら若衆が慌てふためきながらも宥めるも、止まらず。
辺り一面を焼け野原にして漸く、信勝はどうにか冷静さを取り戻したが、その嘆きは深かった。
「喜六郎……!」
堪え切れず涙を零す信勝に、周囲は意外そうな視線を投げかけるのだった。
怒りに任せて火を掛けるなどと、常の信勝からは想像もできない有様で。
誰も口にはしなかったが、まるで兄、信長のような振る舞いであったのだ。
やはり血の繋がった兄弟なのだなと、柴田勝家などは背筋を寒くしたという。
一方の信長も清州からただ一騎で駆け通し、守山の入り口矢田川で馬に水を飲ませていた。
家来衆は勿論後に続いたのだが、引き離され追い付けなかったのである。
清州から守山まで三里ほどある。
信長は朝夕、馬の調練をしていたのでこの度も馬はよく堪えて何事もなかった。
しかし信長の後を追った者らの馬はいつも厩に繋いだまま、常時乗ることが無かった為、屈強の名馬であっても片道走り抜くことができなかったのである。
山田二郎左衛門の馬をはじめとして、倒れる馬が続出した。
無茶を強いられた馬は堪ったものではなかった。
そこへ守山城から犬飼内蔵が慌てふためきながら駆け付けて告げた。
「孫十郎殿はただちに何処へとも知れず逃げ去り、城には誰も居りませぬ。城下は悉く勘十郎殿が焼き打ちなさいました。どうぞ家臣共をお助け下さいませ」
額を地面に擦り付けんばかりである。
普段穏やかな信勝の暴れぶりに、もはや何をどうして宥めればよいのか、皆目見当もつかなかったのである。
まさか皆殺しにはされないであろうが、信勝の鬼のような有様には慄くしかない。
事の次第を報告する段になり、漸く皆が追いついて来た。
「供も連れず一騎で駆け回る喜六郎にも非があったのだ」
信長はぽつりと零した。
いやに冷静な呟きだったと後に皆は囁いた。
「勘十郎に、やり過ぎるなと伝えよ」
追いついた者たちを従えると、後始末を言い付け、ゆっくりと清州へ帰っていった。
普段とまるで逆の光景であった。荒ぶる信長と和やぐ信勝。
火のような信長に水のような信勝。
普段穏やかな信勝の見せた烈火の如き怒りは周囲に驚愕と動揺を齎した。
弟の暴虐ぶりに、却って頭が冷えたのだろうか。
信長は悲しみはすれど、目に見えて荒ぶることはなかった。
覇権争いから一人脱落。それを喜んだのだろうと、口がさなく言う者もあったが、信長は敢えて反論しなかった。
が、その者らは信勝によって手酷く罰せられ、噂は瞬く間に消え去った。
その後、守山城には庶兄信広の同母弟の信時が入った。
しかしこの後信時もその後横死してしまい、守山城は呪われた城などと呼ばれてしまうことになる。
信時死亡の少し前、同年十一月二六日。
不慮の事件が起こって信光は那古野で横死した。
信光近臣でその北の方と通じていた坂井孫八郎により殺害されたのである。
その坂井孫八郎は、信長の命を受けた佐々孫介に討たれた。
あまりの手際の良さに、裏で手を引いていたのが信長であるとか、まことしやかに囁かれもしたが事実は不明である。
信光の殺害に続き信時も死去したことで、弾正忠家内の覇権争いは、信長と信勝の二人にほぼ決定した。
ほぼ、というのは庶兄信広がまだ未練がましくも家督を諦めていないが為である。
信広は後に美濃の斎藤義龍と結んで謀反未遂を起こしている。
六月二六日。
信次が若侍らと庄内川で川漁をしている所へ、若者が一人馬に乗って通りかかった。
城主の御前を乗馬のままで通るという無礼を許さず、洲賀才蔵という侍がすかさず弓をとり矢を射掛けた。
脅しのつもりであったのか、しかし運悪く胸を貫いた。
若者は馬から転げ落ち、川へと落ちた。
即死であった。
よくやった、見事、などと歓声があがる。
信次をはじめ、若侍らがわっと駆け寄り無礼者の顔を見てやろうと、覗き込んだ。
歳の頃は十五、六。肌は白粉を塗ったように白く、朱い唇で柔和な姿、容貌は人に優れて麗しく。
「ぎゃっ!喜六郎ではないか!」
信次は腰を抜かしその場にへたり込むとがたがたと震えだした。
若者は、その美しさはなんとも喩えようもないとされた、信長と信勝の弟、喜六郎秀孝であったのだ。
皆一様に肝を潰した。
特に信次は取るものも取りあえず、守山城に立ち寄りもせず、そのまま国外へと出奔。
その後行方知れずとなった。
秀孝は信長、信勝共に特に可愛がっている弟であったため、その怒りを恐れたのだ。
まさしくその通りのことが起こった。
秀孝の訃報を受け、信勝は柴田勝家らを従え、ただちに末盛城から守山城へ駆け付けると城下に火を放ち、守山城をあっという間にはだか城にしてしまった。
まさしくあっという間の出来事であった。
普段戦に出ない信勝であったが、その差配は見事と言う他なく。
鬼のような、と囁かれたという。
「か、勘十郎様、勘十郎様!どうぞお気をお静めください!ご家来衆も逐電、もはや空き城でございます!」
「止めるな蔵人!」
普段穏やかな信勝らしからぬ乱暴さに、津々木蔵人ら若衆が慌てふためきながらも宥めるも、止まらず。
辺り一面を焼け野原にして漸く、信勝はどうにか冷静さを取り戻したが、その嘆きは深かった。
「喜六郎……!」
堪え切れず涙を零す信勝に、周囲は意外そうな視線を投げかけるのだった。
怒りに任せて火を掛けるなどと、常の信勝からは想像もできない有様で。
誰も口にはしなかったが、まるで兄、信長のような振る舞いであったのだ。
やはり血の繋がった兄弟なのだなと、柴田勝家などは背筋を寒くしたという。
一方の信長も清州からただ一騎で駆け通し、守山の入り口矢田川で馬に水を飲ませていた。
家来衆は勿論後に続いたのだが、引き離され追い付けなかったのである。
清州から守山まで三里ほどある。
信長は朝夕、馬の調練をしていたのでこの度も馬はよく堪えて何事もなかった。
しかし信長の後を追った者らの馬はいつも厩に繋いだまま、常時乗ることが無かった為、屈強の名馬であっても片道走り抜くことができなかったのである。
山田二郎左衛門の馬をはじめとして、倒れる馬が続出した。
無茶を強いられた馬は堪ったものではなかった。
そこへ守山城から犬飼内蔵が慌てふためきながら駆け付けて告げた。
「孫十郎殿はただちに何処へとも知れず逃げ去り、城には誰も居りませぬ。城下は悉く勘十郎殿が焼き打ちなさいました。どうぞ家臣共をお助け下さいませ」
額を地面に擦り付けんばかりである。
普段穏やかな信勝の暴れぶりに、もはや何をどうして宥めればよいのか、皆目見当もつかなかったのである。
まさか皆殺しにはされないであろうが、信勝の鬼のような有様には慄くしかない。
事の次第を報告する段になり、漸く皆が追いついて来た。
「供も連れず一騎で駆け回る喜六郎にも非があったのだ」
信長はぽつりと零した。
いやに冷静な呟きだったと後に皆は囁いた。
「勘十郎に、やり過ぎるなと伝えよ」
追いついた者たちを従えると、後始末を言い付け、ゆっくりと清州へ帰っていった。
普段とまるで逆の光景であった。荒ぶる信長と和やぐ信勝。
火のような信長に水のような信勝。
普段穏やかな信勝の見せた烈火の如き怒りは周囲に驚愕と動揺を齎した。
弟の暴虐ぶりに、却って頭が冷えたのだろうか。
信長は悲しみはすれど、目に見えて荒ぶることはなかった。
覇権争いから一人脱落。それを喜んだのだろうと、口がさなく言う者もあったが、信長は敢えて反論しなかった。
が、その者らは信勝によって手酷く罰せられ、噂は瞬く間に消え去った。
その後、守山城には庶兄信広の同母弟の信時が入った。
しかしこの後信時もその後横死してしまい、守山城は呪われた城などと呼ばれてしまうことになる。
信時死亡の少し前、同年十一月二六日。
不慮の事件が起こって信光は那古野で横死した。
信光近臣でその北の方と通じていた坂井孫八郎により殺害されたのである。
その坂井孫八郎は、信長の命を受けた佐々孫介に討たれた。
あまりの手際の良さに、裏で手を引いていたのが信長であるとか、まことしやかに囁かれもしたが事実は不明である。
信光の殺害に続き信時も死去したことで、弾正忠家内の覇権争いは、信長と信勝の二人にほぼ決定した。
ほぼ、というのは庶兄信広がまだ未練がましくも家督を諦めていないが為である。
信広は後に美濃の斎藤義龍と結んで謀反未遂を起こしている。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
春嵐に黄金の花咲く
ささゆき細雪
歴史・時代
――戦国の世に、聖母マリアの黄金(マリーゴールド)の花が咲く。
永禄十二年、春。
キリスト教の布教と引き換えに、通訳の才能を持つ金髪碧眼の亡国の姫君、大内カレンデュラ帆南(はんな)は養父である豊後国の大友宗麟の企みによってときの覇王、織田信長の元に渡された。
信長はその異相ゆえ宣教師たちに育てられ宗麟が側室にしようか悩んだほど美しく成長した少女の名を帆波(ほなみ)と改めさせ、自分の娘、冬姫の侍女とする。
十一歳の冬姫には元服を迎えたばかりの忠三郎という許婚者がいた。信長の人質でありながら小姓として働く彼は冬姫の侍女となった帆波を間諜だと言いがかりをつけてはなにかと喧嘩をふっかけ、彼女を辟易とさせていた。
が、初夏に当時の同朋、ルイスが帆波を必要だと岐阜城を訪れたことで、ふたりの関係に変化が――?
これは、春の嵐のような戦乱の世で花開いた、黄金(きん)色の花のような少女が織りなす恋の軌跡(ものがたり)。
最後の風林火山
本広 昌
歴史・時代
武田軍天才軍師山本勘助の死後、息子の菅助が父の意思を継いで軍師になりたいと奔走する戦国合戦絵巻。
武田信玄と武田勝頼の下で、三方ヶ原合戦、高天神城攻略戦、長篠・設楽原合戦など、天下を揺さぶる大いくさで、徳川家康と織田信長と戦う。
しかし、そんな大敵の前に立ちはだかるのは、武田最強軍団のすべてを知る無双の副将、内藤昌秀だった。
どんな仇敵よりも存在感が大きいこの味方武将に対し、2代目山本菅助の、父親ゆずりの知略は発揮されるのか!?
歴史物語の正統(自称)でありながら、パロディと風刺が盛り込まれた作品です。
和ませ屋仇討ち始末
志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。
門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。
久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。
父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。
「目に焼き付けてください」
久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。
新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。
「江戸に向かいます」
同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。
父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。
他サイトでも掲載しています
表紙は写真ACより引用しています
R15は保険です
白い皇女は暁にたたずむ
東郷しのぶ
歴史・時代
7世紀の日本。飛鳥時代。斎王として、伊勢神宮に仕える大伯皇女。彼女のもとへ、飛鳥の都より弟の大津皇子が訪れる。
母は亡く、父も重病となった姉弟2人の運命は――
※「小説家になろう」様など、他サイトにも投稿しています。
鎌倉エンゲージ
小野纏屁
歴史・時代
天下泰平の大江戸幕府。
しかし夫婦の仲までは天下泰平とはいかないようで……。
低身長、甲斐性なし、穀潰しと三つ巴の亭主である茂造。
高身長で質実剛健、しかし控えめな妻であるお滝。
お滝は夫の悪辣な所業に耐える日々を送っていたが、そんな折に隣に住むある男が眠たげな目を擦りながら首を突っ込んできた。
男の名前は藪井畜庵。
自らを薮医者と名乗るこの男はお滝と因縁浅からぬ様子。
犬も漏らして逃げ出す夫婦喧嘩。
一組の夫婦に起こった離縁状を巡るお話の始まり始まり。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
国殤(こくしょう)
松井暁彦
歴史・時代
目前まで迫る秦の天下統一。
秦王政は最大の難敵である強国楚の侵攻を開始する。
楚征伐の指揮を任されたのは若き勇猛な将軍李信。
疾風の如く楚の城郭を次々に降していく李信だったが、彼の前に楚最強の将軍項燕が立ちはだかる。
項燕の出現によって狂い始める秦王政の計画。項燕に対抗するために、秦王政は隠棲した王翦の元へと向かう。
今、項燕と王翦の国の存亡をかけた戦いが幕を開ける。
三國志漫才 赤壁後の戦い
劉禅
歴史・時代
プレイヤー、劉備、関羽、諸葛亮
諸葛亮「…と言うわけで曹操を生かしましたか…残念です。覚悟は出来てますね将軍、自害ですな…では明日にでも」
関羽「言い訳では無いが曹操には恩があって…
諸葛亮「それを言い訳と言うのです!将軍!さっさと消えろ!」
関羽「仕方あるまい。皆世話になったなホナ」
劉備「まっ待っとくれ!軍師!関羽を許してやってくれ!(号泣)
諸葛亮「(チッまーたのこのバカ君主、俺の足を引っ張ってきやがる…どうしょうもねぇな。どう言い包めたら…)」
劉備「関羽とは義兄弟…」
諸葛亮「知ってます。わかってます。桃園の誓い。生まれ違えど、死ぬとき一緒。ハイハイ、だからこそなのです。このままでは士気まで影響します。」
劉備「そこをご無体な!切に切に…」
諸葛亮「(前から思ってたが、まるで救いねぇな、コイツら頭悪すぎ返って疲れる。なんでコイツの軍師に…史実だから仕方ねぇが読者も読者で読みやがるから、令和の世にも読まれてる。しかも人形劇、アニメ、ゲームかよ、それでいて私が主人公だ。イメージ壊したく無い。どうすれば…)」
劉備「オーイオイオイ…関羽を許してやっとくれ!私が出来る事ならなんでもする!だから、お命は!」
諸葛亮「(コイツのハラはわかってる。また自決か?どうしょうもねぇな。アンタに死なれるとこっちも困る。オマエは利用価値がある。どうすれば…」
関羽「全て儂が悪いんじゃー曹操の口車にまんまと乗ってもた」
諸葛亮「ちょっとテメ黙ってろ!話に入ってくんじゃねぇ!女かテメは!?」
関羽「御意」
諸葛亮「わかっよ!みんな許してやるよ!誰が一番バカか?よーくわかった、俺はもう理髪店でで働く。いいよな別に!」
劉備「それだと史実が…」
諸葛亮「だから!ウルセェよ!史実は史実でねじまがるの!結局、このやりとりもフィクションだし…」
劉備「それはぶっちゃけ過ぎ!オマエは何のためにいる?」
諸葛亮「すみません。ボケるためです」
劉備「わかっとるやろ?ちゃんと仕事しろ!」
諸葛亮「こんなドキドキして出来るかなぁ」
ありがとうこざいました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる