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第5章 もう一つの卒業

80 記念日(最終話)

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 退院を前に、大輝は悦子に自宅の鍵を預け、保険証と着替えの調達を頼んだ。入院当日の服は緊急処置のためことごとく切られてしまい、無事だったのは靴と靴下だけだという。

 また待ち伏せしている人でもいたら悦子が危ない、ということで、大家さん夫妻が駅まで迎えに来るよう大輝が手配した。悦子は夫妻が繰り広げる夫婦漫才のようなやりとりにお腹をよじりながら、新妻気分で本人不在の大輝邸に上がり込み、必要物を集めた。

 大野氏はおととい退院し、迎えに来た奥さんに悦子も挨拶を果たした。今日はいよいよ大輝の番。明日の大晦日にギリギリ間に合った。



 身支度を整え、財布を開いた大輝が呟く。

「あれ、もう一回もらってもいい?」

「あれ、って?」

「あの写真。デジカメだよね?」

「ああ……」

 サタケのライブを見にいった後、打ち上げの飲み会で渡した写真。大輝からのお土産のアロハシャツを着て、三人揃って実家の庭で撮ったものだった。

 大輝は財布から何かを取り出して悦子に手渡す。名刺大のビニールケースの中に、水色のアロハシャツを着た悦子がいた。悦子だけが、悦子の形に切り抜かれて。以前だったら、せっかく三人で撮ったのに、と文句を言っただろうが、今は大輝がどんな思いでこのブロマイドをこしらえたのか少し想像がつくだけに、胸の奥がきゅんと痛んだ。また泣き出してしまわぬようにと、悦子はわざと意地悪を言った。

「どこに保存したか忘れちゃった」

「そしたら、も一回撮ってくれる?」

「どうだろ。アロハ洗っちゃったから、色落ちてるかも」

「じゃあ……行こっか、ハワイ」

 悦子は思わず吹き出した瞬間、抱き寄せられた。

「いや、マジで。そのためにずーっと大事に取っといたんだから。誰も連れてかずに」

「それは大変光栄ですこと。でも、あっちにもいるんでしょ? 一緒に行ったはいいけど、夜ホテルでぼっちとか嫌だからね」

とふくれてみせると、大輝は真顔で言う。

「ちょっ……全部終わらせたって言ったよね?」

「あ……ハワイも?」

「ちょっとちょっと、何のためにわざわざこないだ行ってきたと思ってんの?」

「え? あれってもしかして……別れ話のため?」

「まあ……まだ今後のこと完全には決意できてなかったけどね、あの時は。でも、とりあえず遠方から徐々に始めとこうと思ったわけよ。そしたらなんと、メアド変わっちゃってて連絡つかない子ばっかでさ。いやあ参った。知り合い総動員で、探した探した。最終的には何とか全員会えたからよかったけど、ほとんどが子持ちになっちゃっててさ。迷惑がられるかと思いきや、離乳食作り手伝わされたりなんかして結構役立っちゃった」

「へぇ、さすが大輝ね」

 全員というのは一体何人だったのだろうと、悦子は苦笑する。しかし大輝の断捨離がまさかそんなに早くから始まり、しかも国際的に行われていたとは驚きだった。



 病院を出ると、文句なしの晴天が二人を迎えた。その抜けるような青に、並んで歩いた岳原駅までの道が思い出された。初めて、大輝の家で、目を覚ました朝。

「ね、ピクニックしない? お腹空いてるでしょ?」

「おっ、いいね。何、快気祝い? ゴチっすー。あ、どうせなら牛丼がいいな」

「ゴチって、ちょっと何言ってんの。第六条……」

 言いかけた唇がきっちり塞がれた。長い、長い間。

「残念でした。恋にルールはないの」

 澄み渡る空よりもまぶしい笑顔がそこにあった。

「あら、そう。いいこと聞いた」

 悦子は周囲に人がいないのを確かめると、大輝の第二ボタンを外し、V字の谷底に覗いた塩辛い肌に気の済むまで吸い付いた。

「で、ここどこ?」

 大輝は右も左もわからぬ様子で、慣れぬ環境を見回している。できたてほやほやの愛の印を胸に宿して。


                    (了)
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感想 2

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みんなの感想(2件)

右左山桃
2019.02.27 右左山桃

読了しました。大輝さんの描写が素晴らしく、モテるという設定にとても説得力がありました。イケメンとはこういうことなのか……!悦子ちゃんが等身大の普通の女の子なので、自分だったらこの人との恋をどうするだろう?と考えながら読みました。

生津直
2019.02.27 生津直

右左山桃様

ご感想どうもありがとうございます!
しかも「素晴らしい」とのお言葉まで…… 恐縮です!
ストーリー上、地味な処女をプレイボーイとのセフレ関係に飛び込ませるだけの何かが必要でしたので、二人の出会いから契約成立までの流れにはかなり苦心しました。その結果、親しみやすいイケメンというキャラが生まれた感じです。「そりゃモテるわ」と言っていただけるような男を目指していたので、大輝のモテ要因に説得力を感じていただけて光栄です!

解除
ちよこ
2019.02.17 ちよこ

お名前を見つけて読み始め、話が進むにつれて、物語の中にぐいぐい引き込まれました。丁寧な展開と心理描写で最後まで楽しませていただきました。
その後の2人も気になります。悦ちゃんの実家訪問とか!

生津直
2019.02.17 生津直

ちよこ様

ご感想どうもありがとうございます!
引き込まれたとのお言葉、感激です! 丁寧さに関しても、自己満足に終わっているのではという懸念が常にありますので、気に入っていただけて嬉しいです!
二人のその後については、やっぱり甘々なのかな~、この感じだと多分ケンカもするだろうな~などと番外編の可能性をあれこれ妄想中です☆

解除

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