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第2章 大輝にようこそ

14 ノエル

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 サシ飲み後のメッセージに対し、返信がないまま迎えた五月の第一火曜日。デモランジュのVIP席では、奥のテーブルで大輝が男たちと盛り上がっている。悦子は手前のテーブルで皆の話に耳を傾けていた。

 途中、悦子がトイレから出てくると、男子トイレから出てきた大輝と鉢合わせになった。くすぐったいデジャブだ。しかし大輝は、中に戻れと指示する代わりに、悦子の肩に手を添えて早口でこう言った。

「十分後に裏口で待ってる。一階のトイレの横の通路から階段上がって出て」

「えっ?」

 大輝が出口へと通路を進むと、男子トイレの中から水音が聞こえた。なるほど、他に誰かいたから急いだのか。

 悦子が席に戻ると、大輝の姿はすでになかった。とりあえず元の席に座ったものの、悦子の脳内は大輝一色だった。五分ほど経ち、話が途切れたところで、

「私、明日早いんで、そろそろ……」

と立ち上がる。「お疲れ」と皆から声が上がるが、悦子は上の空だった。かろうじて「ごちそうさまでした」と頭を下げる。階段を半分ほど下りた時点で後ろから声がかかった。

「悦ちゃん」

 奥のテーブルにいたセイジだ。悦子が帰るのに気付いて追ってきたのだろう。

「駅まで一緒に行かない? この辺ほら、寂しい場所もあるし、時間も時間だし」

 実は駅には行かないんです、と言うのもためらわれて、悦子は数秒思案した。

「あの……ごめんなさい、実はちょっと、これから寄るところがあって……」

 セイジの顔に戸惑いが見て取れた。この時間にこの場所から、一体どこに寄るというのだ。ごく限られた選択肢がセイジの脳内に列挙されるのが目に見えるような気がした。

「そっか……じゃあ、気を付けて。また今度」

 セイジはポーカーフェイスでそれだけ言うと、ひらっと手を振り、再び階段を上がっていった。セイジにどう思われたのかが気にならないでもなかったが、今はそれどころではない。



 一階に下り、トイレの横の通路を進み、突き当たりのドアを開けると、確かに階段があった。言われた通りそれを上がって外に出ると、果たして、目の前に大輝がいた。

「ありがと。来てくれて」

「ありがとって……あんな一方的にしゃべっていなくなっちゃって……」

「待ちぼうけなんてざら。でも君にすっぽかされたらショックだろうなあ、いつになく」

 何を考えているのかわからない濃厚な瞳に見つめられ、悦子は慌てて視線を逸らした。

「ね、あそこで飲まない?」

と大輝が肩越しに親指を向けたのは、道の向かい側、五十メートルほど先にあるビルだ。路上に昭和風の字体で「ノエル」と書かれたネオンサインが出ている。バーだろうか。

「あ、はい、じゃあ……」

 大輝は何の前触れもなく、悦子の肩に手を回して歩き出す。悦子は激しく息を呑む。男性どころか女性とだって、こんなに密着したことは未だかつてない。大輝の右脇にぎゅっと抱き寄せられるようにしてお供しながら、悦子の心臓は破裂せんばかりに高鳴っていた。



 大輝が「ノエル」のドアを開けると、チリンチリン、とかわいらしい音が鳴る。中はドラマにでも出てきそうないわゆるバーだ。

 薄暗い店内の左手に木目調のカウンターが奥へ向かって伸び、その内側には壁に沿って酒瓶がずらり。ごま塩の髪をオールバックに撫で付けたマスターが、いらっしゃい、と無愛想に迎えた。渋みの効いたバリトンボイスの余韻が、BGMの軽やかなジャズピアノに溶け込む。大輝はマスターに、

「アマレットジンジャー、濃い目で」

とだけ告げた。座席はカウンターのみで椅子は六脚あり、他に客はいない。悦子が一番奥、壁際の席に着き、左隣に大輝が座ると、ガラスの器に盛られたミックスナッツが出てきた。じきに、ジンジャーエール色の液体に氷を浮かべたロンググラスが悦子の前に置かれた。

(あ、アマレットジンジャーって、私のだったんだ……)

 勝手に決めて注文してしまうとは、先日の居酒屋の時とは別人かと思わせるような強引な仕打ちだが、悦子の好みだけは見事に射抜いていた。続いて小皿にライム数切れとマドラーが載ってくる。大輝の前には琥珀色の液体が浅く注がれた低いグラスが出された。隣の少し高いグラスは水のようだ。ストレートウイスキーとチェイサーということだろう。

 大輝が黙って悦子の方へとグラスを差し出す。悦子は無言の乾杯に続いて口を付けた。

「あ……おいしい」

 かなり気前よく酒の味がする。ジンジャーエールは甘さ控えめで、生姜しょうがの香りを強く放っていた。もしかしたら自家製かもしれない。悦子はそこにライムをたっぷりと搾った。
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